予知
訓練場の中央にてライとカイルが向かい合い、その他の人間は壁際まで下がり戦いの始まりを待っていた。
「良く考えてみたら何時も四人でやってるから師匠とタイマンなんて初めてだな」
「そう言えばそうだね、自分もまさかカイルと一対一で戦う事になるとは思わなかった」
二人がそんな話をしていると外野からアランが二人に向かって声を掛ける。
「おーい!二人共、準備は良いかー!クリオはもう良いってよー!」
「自分は大丈夫だけど、カイルの方は?」
「心の準備なら万全だぜ!身体の方もな!」
そう言いながらカイルが訓練用の刃引きされた剣を構えて見せると、ライもそれに同調し訓練用の剣を鞘から引き抜く。
「アラン!こっちも大丈夫だ!」
「よし、んじゃまぁクリオ、頼んだぜ」
「分かりました」
クリオは小さく頷くと静かに目を瞑り意識を集中させる。
一体何をするのかとライがクリオの方を観察していると、ふとライの視界の隅に淡い光が映り込む。
ライがそちらに視線を向けると、カイルの全身を光が覆っているのが見えた。
(身体強化?いや、それとは何かが違う。光が体表面を波打つように移動している…これは一体)
「掛け終わりました」
「じゃあ始めるぞ、両者向かい合って――」
そう言いながらアランがゆっくりと右手を上げる。
(カイルなら開始と同時に飛び込んでくるはず、クリオさんの魔法の正体が分からない以上迎え撃つよりも様子を見るのが得策か)
「始めっ!」
アランが腕を振り下ろすと同時にカイルが両足に力を込め突撃の構えを取る。
それを読んでいたライは身体を横にズラし回避体勢に入る。
先読みからの余裕を持った回避行動、普段のライなら避けられて当然の状況、しかし――
ダンッ!!
「なっ!?」
ライの予測を遥かに上回る速度でカイルが突進を繰り出し、躱しきれなかったライの右肩にカイルの身体がぶつかる。
「くぅ…!」
「う!げ!が!?」
ライは体勢を僅かに崩し、カイルは突撃の勢いをそのままにライの横を通り過ぎて短い悲鳴を上げながら地面を転がる。
「いっつつ…勢いつけ過ぎた…」
「何やってんだ!剣は持ってるだけじゃ意味が無いんだぞー!」
「うるせぇ!そんな事分かってる!ちょっと勢いつけ過ぎて剣を振るタイミングを逃しただけだっての!」
「余りの勢いにビビって意識飛んでたんじゃないのか!」
「んだとぉ!?」
試合の最中だと言うのにカイルとカイトが言い合いをする中、ライが左手で右肩をさすりながら先程の出来事を思い返す。
(なんだあの速度は、アランよりも格段に速かった。身体強化と言うよりはクラック…ともちょっと違うか、さっきの”アレ”を見る限りは)
ライはカイルが突撃の体勢に入った瞬間にある物を見ていた。
それはカイルの体表面を波打つ魔力が両足の部分で塞き止められ、魔力が集中している光景だった。
(クラックのように魔力を爆発させた訳じゃない、カイルの動きを読んでそれに合わせて魔力を集中させたんだ)
言ってしまえば身体強化を両足に集中させただけ、しかしまだ身体の成熟しきっていないカイルがBランク冒険者であるアランの速度を超えた事を考えるとただの身体強化とは言い辛い。
実際に見た事の無いライには分からないが、恐らくはAランク冒険者の身体強化と同等、下手すればそれ以上の代物だ。
チラリとクリオの方に視線を向け、ライは頭の中で戦略を組み立てていく。
(最大効力、緩急の付け方、予測の精度、策を練るにはまだまだ情報が足りないな。幾つかのパターンを予め考えておくしかないか)
相手がカイルだというのにライは完全に本気になっていた。
いや、ライにとって最早今自分の目の前に立っているのは駆け出し冒険者のカイルでは無く、Bランク冒険者のクリオになっているのだ、本気になって当然だろう。
「おいお前ら!何時まで喧嘩してんだ!今は試合中だぞ!」
「っ、そうだった」
アランの声でカイルがカイトではなくライの方へと向き直る。
「今度こそ、行くぜ!師匠!」
カイルはそう意気込み、再びあの速度でライの元まで一瞬で距離を詰める。
剣を振り上げライめがけて振り下ろすも、二度目となればどれ程速かろうと一度見せた速さならばライが対応出来ないはずもなく易々と剣を躱されてしまう。
攻撃を躱されたカイルはライに次の攻撃を仕掛けるべく、その場で急停止しようと地面を踏みしめ勢いを殺そうとする。
「ウラァ!」
刹那、地面を踏みしめていた右足に魔力が集中し、凄まじい炸裂音が響き渡った。
動きが完全に制止するよりも早くカイルが身を反転させライに斬りかかる。
勢いを殺す所か、即座にライに向かって攻撃を繰り出して来たカイルにライは目を向くも、完全に勢いを殺しきる前に身体を反転させたが為に勢いはそれ程無くライは危なげなく攻撃を躱す。
(思って居たよりも緩急の間隔が短い、高速の魔力操作、戦闘力が無いのにBランクってのは伊達じゃないって事か)
クリオの魔法のイメージを戦いながら修正し、現在考えている複数の作戦の中から今のイメージに最も適した作戦を選択していく。
クリオの魔法によって強化されたカイルの速度はアランの身体強化よりも速く、さらにクラックによる急停止からの方向転換、ライも得意としていた技だがクリオの魔法によって発現するそれらはライの物よりも数段早い。
距離を詰めようとするカイルに対し、単純に距離を取ろうとしてもあっと言う間に距離を詰められるのがオチだろう。
「距離を”取れない”って言うのなら」
攻撃を躱され、体勢を立て直したカイルがすぐさまライに向かって飛び掛かろうと両足に力を込めたその時
「距離を”取らなければ良い”」
地面を抉る程の勢いで飛び出してきたカイルに対し、ライは真横に避けるでも真後ろに下がるでもなく、前へと突っ込む。
「ぶつかる!?」
カイルがそう叫び両者が激突すると思われた瞬間、ライは身体を僅かに横をズラすと、右手でカイルの左肩めがけ掌底打ちを繰り出す。
横から受けた一撃にカイルの身体は大きく逸れ、さらにバランスを崩した事により着地する事も出来ず地面を転がる。
「ライの奴、良くもあんな事考え付くもんだな…俺なら考え付いたとしても絶対にやらねぇぞ」
試合を見ていたアランが関心したような、それで居て呆れたような声を出す。
ライのやった事はそう難しい事では無い。
前へ進もうとする力を利用して相手の軌道を逸らす、ただそれだけだ。
どんな物体であれ移動しようとする方向、その方向に対しては様々な力を発揮させるが、一方その力が強い程にそれ以外の方向からの力には非常に弱くなる。
数百メートル先の人間を絶命させる弾丸も僅かな風の影響で軌道が逸れるように、ライは自分よりもアランよりも速いカイルのその速さを利用したのだ。
とはいえ言葉にすれば簡単だが一歩間違えば大怪我は間逃れず、あの速度で向かってくる者に対し自分も前進、さらにカウンターの如く一撃を合わせるなど、技量だけでなく相当の度胸も必要だろう。
自分の身の安全を第一に考え戦う冒険者、だからこそアランは感心しつつも呆れたように言ったのだ。
本当にそれしか無いのか、もっと安全で確実は方法は無いのか。
安全を危険の中から見出し迷う事なく選択するなど、冒険者として身の安全を第一に考えてきたアランにとってもはや想像する事さえ困難な事柄であった。
それからもライは距離を詰めようとするカイルに対し急停止が出来ないタイミングで、方向転換の難しい角度で、弾き、躱し、カイルに攻撃する機会を与えなかった。
だがこのまま良い様にやられたままで居る程、カイルもそしてその身に魔法を纏わせているクリオも馬鹿では無い。
ライがカイルの勢いを利用していると分かるや否や、徐々にその勢いを弱め探りを入れていた。
ライに利用されない、それで居て出せる全力、その境目を知る為に。
幾度となくライに弾かれながらもその度にカイルの弾かれる勢いや角度は緩やかになって行き、やがて地面を転がる事無く着地するまでに対応し始めていた。
「ライ!遊んでないでお前も身体強化を使え!身体強化抜きじゃ俺だってクリオの魔法を受けたカイルには手こずるんだ!」
徐々に対応し始めているカイルを相手にクラックのみを使用しているライに対し、アランが大きな声で警告する。
(使わないんじゃ無くて使えないんだけどね…!)
全身に魔力を纏わせて身体を強化する身体強化、しかしその身体を始源で覆われてしまっているライはその身体強化を使う事が出来ない。
徐々に対応し剣による反撃も開始したカイルに対してライは成す術も無くただ身を躱すしか無かった。
「ライの奴、意地でも身体強化を使わない気か?」
「んーカイル君の攻撃を躱すので精一杯って感じだよねぇ」
「まだ子供だからと侮って居るのか、もしくは子供相手に大人気ない等と考えて居るのか…」
そんなライの事情を知らず、アランの仲間達はライの様子を見てそんな事を口にする。
「おいライ!このままだとお前カイルに――」
声を荒げたアランが何かを言おうとした時、アランの口から出たその言葉は先程の荒げた物では無く、呆気に取られたような物であった。
「――負…け、え?」
アランの言葉を弱めた物の正体、それはカイルの身体を弾き飛ばすライでもカイルに一方的にやられるライの姿でも無い。
至近距離、真正面でカイルの攻撃を全て捌き切るライの姿だった。
クリオの魔法によって高速で繰り出される突き、袈裟斬り、斬り上げ、それら無数の斬撃を的確に捌き切っていた。
「嘘だろ、あの速度で来る斬撃を身体強化も無しに…」
「次の手を予測出来ていたとしてもああも対応出来る物なのか?」
「高速で動いているはずのカイルの剣よりも、それを弾くライの剣の方が見えないとは…」
「大振りのカイルとは違ってライは必要最小限の動きに留め、カイルの剣に追いついている。剣が見えないのはその為だ」
高速で迫りくる刃をそれに劣る速度で捌く。
それは次に来る攻撃に予測していたとしても簡単に出来るような物では無い。
相手の剣よりも先んじて動き、最短距離で的確な角度と力で迎え撃つ。
それを実現させるには最早予測では足りず、完全に予知の領域であった。
「凄いな」
そう声を漏らしたのはアラン達でもカイル達でもクリオでも無く、意外な事にその無数の剣を捌き切っているライであった。
これだけの攻撃、これだけの速度、それを実現しているのはクリオの魔法だ。
カイルがやりたいと思った行動に遅れる事無く、その全てに完璧に追いついていた。
事予測に関してはライ自身かなりの自信を持っていた。
眼の位置、足の置き場、腕の高さ、剣の角度、一瞬にしてそれら全てから情報を搔き集め相手の次の手を予測する。
そんなライの予測を遥かに上回る速度でカイルの動きを察知し、事前に魔法を準備しているのがクリオだった。
ライの長年の経験や培われてきた勘でさえ追いつけぬ程の圧倒的予測――否、予知にライは感心していたのだ。
(チクショウ、俺の攻撃がまるで通じねぇ!)
一方、攻撃を捌かれ続けているカイルの内心は酷い焦燥感に駆られていた。
端から勝てると思っていた訳じゃない、ライを全力にさせられると思って居た訳でも無い。
ただの一撃、たった一発でも当てられればとそう思って居た。
(なのに!)
現実は一撃は疎か、クラック以外を使わせる事すら叶わない。
いや、今足を止めて捌かれている事を考えると今はそのクラックすら使わせる事も出来ていない。
その事実にカイルは歯噛みする。
(強い、この人は本当に!)
クリオの協力を得ても尚、埋められない圧倒的な差。
(だからこそ一撃で良い!この人に喰らわせたい!)
至近距離で斬り掛かる事一分、いくらクリオの魔法で攻撃は鋭く、速くなっていたとしてもカイル自身の体力まで補強された訳では無く、早くもカイルの体力は限界に達しようとしていた。
(この人に一撃を喰らわせるにはアレをやるしかない。体力も限界、それに何度も通じるような手じゃない、チャンスは一度…!)
カイルの言うアレとは以前ライに教えられたある技術だった。
それは冒険者の基礎的な知識を教え終わり、訓練場での特訓を始めたばかりの頃だ。
「カイルはどうも直線的と言うか、動きが読み易いんだよね。相手に攻撃を当てようとばかり考えてるせいで行動がワンパターンなんだ」
「じゃあどうすれば良いんだ?」
「相手に動きを読ませず、逆に相手の動きを読むんだ」
「師匠は出来るかも知れないけどよ、俺は相手の動きを読むなんてまだまだ出来ないぞ。それに動きを読ませないってのもイマイチどうすれば良いか分からねぇし…」
「そうだね、確かに相手の動きを読むって言うのは沢山の実戦を経て培われる物で一朝一夕で出来る物じゃない。じゃあどうするか、答えは簡単だ」
「相手の望む動きをさせず、こちらの望む動きをさせれば良い」
(上半身が激しく動き出してきたな、それに汗も出てきた。体力の限界って所か)
カイルの様子を冷静に分析するライの耳にアランの声が聞こえてくる。
「ライ!捌くだけじゃ無くて反撃しろ!じゃないと何時まで経っても終わらないぞ!」
それはライも分かっていたが、ライはカイルに攻撃する事を躊躇していた。
今までの訓練ならば剣を喉元に突き付けてやればカイルは大人しく負けを認めていた。
しかし今目の前に居るカイルから感じる凄みはどうにも剣を突きつけただけで萎えてしまう程生易しい物にはライは見えなかった。
とは言え本気で攻撃を加えるというのも気が引けてしまい、ライは手を出すに出せなかった。
そんなライの心情を察してかアランが先程よりも声を上げて言う。
「安心しろ!クリオは何も魔法を掛けている相手の動きだけを読む訳じゃない、その対戦相手の動きだって読む事が出来るんだ!」
「…なるほど」
「っ!?」
アランの言わんとする事を理解したライの瞳に先程までは無かった明らかな攻撃の意志が宿る。
それを見たカイルは限界を迎えようとしていた身体に鞭を打ち震える足で全力で飛び退る。
(来る、師匠からの攻撃が!師匠の攻撃が始まったら俺が攻撃する暇なんて恐らくない。仕掛けるなら今、師匠が攻撃に入る前の今しかない!)
剣を握る右手に力を込め、カイルが剣を振り上げる。
「うぉぉぉ!!」
剣を振り上げた体勢のままライに向かって走り出す。
一歩、二歩と地を蹴り、ライとの距離が5メートル程になったその時、
ダンッ!!
そんな音が聞こえる程の力でカイルが勢い良く地面を踏みしめる。
誰もが次の瞬間にはライの元へと一瞬で接近するカイルの姿を思い浮かべる中、カイルは踏みしめた足で地面を蹴る事無く、その場からライの左肩めがけて剣を投擲する。
左肩めがけて投擲された剣をライは咄嗟に地を蹴り右に飛ぶ事で回避する。
(こっちだぜ)
ライのすぐ脇、一メートルも無いほんの僅かな距離にカイルの姿があった。
(狙い通り!)
カイルが最初に行った剣による投擲、あれは元より当てるつもりは無くただの囮であった。
ライの対し左側を狙う事でライに右側に避けさせたのだ。
以前にライから教えられた”相手の望む動きをさせず、こちらの望む動きをさせれば良い”と言うのは、相手の能動的な動きを読むのではなく、受動的な動きを強制させる事で自身に優位な状況に持ち込めという事を意味していた。
カイルの固く握られた左拳がライの脇腹めがけ放たれる。
回避行動の直後、足が地面に着くよりも前に接近を許してしまったライにカイルの一撃を躱す事は出来ない。
そう”躱す事”はだ。
――パァン!!
ライの放った掌底打ちがカイルの左手の甲を捉え、軌道を逸らす。
「は?」
ライの動きを強制させ、先回りし、不意打ちで放った一撃、カイルが考え得る、そしてそれを見ていた者達も関心したカイルの一撃が易々と弾かれた事に全員が目を疑った。
攻撃を外し、突き出した拳の勢いに引っ張られ前面に倒れ込みそうになるカイルの腹部にライの回し蹴りが突き刺さる。
「っ!?」
攻撃を受けたカイルが派手に背後に吹っ飛んでいき、地面を数回転がったのち停止する。
(どうだ?様子見で放った一撃だったけど)
ライは地面に倒れ伏すカイルを見ながらそんな事を考えていた。
アランから告げられたあの言葉の意味、
”魔法を掛けている相手の動きだけを読む訳じゃない、その対戦相手の動きだって読む事が出来る”
身体を強化する魔法は何も純粋に筋力だけを強化する訳では無い。
その人間が持つ肉体の強度、頑丈さをも強化する事ができ、Aランクともなればその強度は鋼にも達すると言われている。
(クリオさんの魔法は少なく見積もってもAランク冒険者の身体強化と同等、俺のあの攻撃でダメージが通ったとは思えない)
ライが静観する中、地面に倒れ伏していたカイルがむくりと起き上がり、
「――お」
「…?」
「オ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェ゛!!」
その場で盛大に嘔吐した。