戦闘の基本
食堂での一悶着があった翌朝、ライとフィアはギルドの訓練場で例の男を待っていた。
その側にはマクリール達四人の姿もあった。
「ごめんな、特訓の方出来そうになくて」
「師匠が謝る必要なんて無いですよ」
「そうだぜ、悪いのはアラン兄ちゃんの方だしよ」
「あの、お酒さえ無ければ良い人なんですよ、本当に…ただ」
「酒が入るとやたらと周囲に絡む癖がある。そこだけはいただけないわ」
ライは悪くないと言いつつもアランと呼ばれるあの男の事を庇う素振りを見せる四人にライが質問する。
「あの人達とは知り合いなの?」
「実は師匠に会う前はアラン兄ちゃん達に教えて貰ってたんだ」
「そうだったの?でもそれにしては冒険者としての知識とか殆ど無かったよね?」
「それはアランさん達とは実戦形式の戦闘訓練しかしてなかったからなんです」
「実戦形式だけになったのはカイルが”早く魔物と戦えるよになりたい”なんて言ったのが原因だけどね」
「うぐ!?お、お前らだって反対しなかったじゃねぇか!俺だけ悪い見たいに言うんじゃねぇ!」
そんな話をしている中、訓練場の入口の方から複数の人間の話し声がライ達の方に近づいて来るのが聞こえる。
「おいアラン、本当にやる気か?。悪いのは自分の方だって分かってるんだろう?」
「分かってるよ、でもなぁ酔っぱらっていたとしても喧嘩を買われて黙って引き下がるなんてカッコ悪い真似出来るか。しかもこっちが”来い”とまで言ったんだぞ」
「はぁ…お前が一言謝れば済む話だと言うのに、全くそんな小さなプライドの為に時間を無駄にするつもりか?。私達がこうしている間にも――」
「だぁぁぁ!そんな事言われなくても分かってるよ!でもこれは頭じゃねぇ!俺の心の問題なんだ!」
「キシュナ、もうほっときなよー。アランは一発発散すればそれで落ち着くんだしさ。それに一回戦うだけ、そんな時間も取られないって」
入ってきたのは四人の冒険者、酔っぱらっていたアランと呼ばれる戦士風の男、そのアランを羽交い絞めにしていたローブを羽織った細見の男、アランと口論しキシュナと呼ばれ重装に身を包んだ女に昨日アランに代わってライに頭を下げた軽装の女だった。
(なんかパーティ構成がマクリール達に似てる?)
その四人の姿を見てライはそんな事を考えていると四人は訓練場の中に居たライ達に気付いたのか、ライ達の方へと歩み寄ってくる。
互いの距離が10メートル程になった所で四人が一度足を止め、アランが一人前に出てくる。
それに合わせライもフィア達から離れアランの元へと歩み寄る。
両者の距離が1メートルにも満たなくなった辺りで足を止め見つめあう。
「んー…あー」
沈黙に耐えられなかったのかアランが頭を掻きながら視線を空へを向ける。
「その…なんだ、何をする気でここに呼ばれたのかは理解出来てるのか?」
「喧嘩するんでしょう?」
「……そうだ、その通りなんだが…クッソ、なんか調子狂うな」
今回の件は自分に非があるというのはアラン自身理解しており、喧嘩を買われたからという理由でここに立っているだけに過ぎない。
しかもその喧嘩を買った相手であるライは非常に落ち着いた様子で目の前に立つアランに対し怒りのような感情を持っているようには見えず、とても昨日喧嘩を買った人間と同一人物とはアランには思えなかったのだ。
どちらも喧嘩をしようという雰囲気では無く、それ故にアランはここからどうすれば良いのか非常に戸惑っていたのだ。
「あーとりあえず紹介が遅れたな、そこのチビ共から聞いてるかも知れないが俺はアランだ。この街で冒険者をやっていている」
「自分はライです。元はガダルの冒険者で今は旅をしています」
「ガダル?キラヒリアの街じゃねぇよな、何処のだ?」
「ヴァーレンハイドです。ブルガスの街は分かります?その北西に位置する街なんですけど」
「ブルガスか!そこなら知ってるぜ、何でも世界中の物が集まってる珍しい街なんだってな。俺達も一度は行ってみたい――って、違う違う違う!」
世間話に華を咲かせていた時、アランがそう言いながら激しく左右に頭を振る。
「俺は別に世間話しに来た訳じゃねぇんだ。お前と喧嘩しに来たんだよ」
「そうでしたね」
「そうでしたねって、なんでそう他人事なんだよお前…喧嘩を買ったのはお前だろうに、気が抜けるなぁ」
他人事のようと言われても実際ライ自身喧嘩を買ったつもりなど毛頭ない。
あの時はただフィアが手を出すよりも早く自分が動かなければと、そう考えていただけであり、別にアランをボコボコにしたいとかそういう気持ちは一切なく、むしろ守ろうとしていたくらいだ。
そんなライのやる気の無さを感じ取ったのかアランはため息を吐く。
「はぁ…どうも喧嘩するつもりは無さそうだな。とはいえ俺にもこの街の看板冒険者としてのプライドがある。このままナイフを突きつけられた事は無かった事にしようって訳にも行かねぇんだ」
「看板冒険者?」
「ん?チビ達から聞いてないのか?。俺達はこの街で生まれ育ち、この街でBランクまで上り詰めた冒険者なんだぜ」
「Bランク…!」
Bランクという言葉にライが反応する。
アラン達の年齢は見た目だけ若返ったライと同じくらいで二十代半ば、もしくは前半くらいであり、この年齢でBランクというのはそれなりに珍しい。
カレン達も若作りはしていたが年齢自体は三十を超えていたはずだ。
「ライ、お前のランクは?」
「自分はCです」
「C……か」
ライのランクを聞いてアランが難しい顔をする。
(Cランクでクラックブーツ?可笑しな奴だが装備自体は使い込まれてるみたいだし、戦闘経験はそれなりに有りそうだな)
顎に手を当てて何か考える素振りを見せていたアランだったが、何かを思いついたのか顔を上げライに提案する。
「そうだ、こうしよう。喧嘩ではなく試験をする。お前が俺達の後任としてマック達を任せるに足る力を持っているかどうかを見る。これでどうだ?」
「どうだって言われても、別に構いませんけど試験って何をするんですか?」
「そんなもん戦うに決まってんだろ。それが一番手っ取り早い」
「あぁ…とにかく戦う名目さえあれば何でも良いって事なんですね」
呆れたように言うライだったが、しかしその言葉とは裏腹にその表情は先程までとは打って変わりやる気に満ちた物だった。
「その試験ですが、何かルールはありますか?」
「あ?ルール?あーそうか、試験なんだから合格基準とか必要だよな。そうだな…じゃあ俺が負けを認めたらって事にするか。それ以外のルールは特に無しだ、異論はあるか?」
「有りません」
「おいアラン!」
背後で二人のやり取りを見ていたアランの仲間の男が異議を唱えるように声を出す。
それもそうだろう、Cランク冒険者にBランク冒険者に負けを認めさせたら合格だなんて明らかな無理難題だ。
しかもルールが無いという事は魔法の使用にも制限が無いという事、ライが圧倒的に不利なのは誰の目にも明らかだった。
こんな理不尽な試験なんてイビリ以外の何物ではないと男がアランを止めようとするも、アランと相対するライの依然として変わらないやる気に満ちた表情を見て何も言えなくなってしまった。
(魔法の制限もない勝負…しかも命を掛けた実戦では無く試験、こんな形でBランク冒険者と戦える機会なんて滅多にない)
ライは今までBランク以上の冒険者とは何度か戦ってきた。
だがそれは魔法の使用を制限、あるいは禁止した状況下での話だ。
ライからしてみれば今までの状況はハンデを付けられていたような物であり、自身の力が冒険者相手に何処まで通用するのかを確認するには不十分だったと言わざる負えない。
殺し合いの戦いであったのなら殺されるよりも先に相手を殺さなければならない為、自分の技が何処まで通用するかなど確認している余裕は無いのだが、試験という事であればそんな事は気にせず技術を存分に試せる。
「さっきまでやる気無さそうな顔してた癖に急に張り切り出しやがって…可笑しな奴だぜ全く。じゃあ早速始めるか」
アランがそう宣言するとライとアラン以外は壁際まで下がり、二人は訓練場の中央で向かい合うように立つ。
「開始の合図は…ディズ!お前がやってくれ」
「俺か?ったく、相手はCランクなんだ。加減してやれよ!」
ディズと呼ばれた男がアランにそう返しながらも右腕を天に向けて真っ直ぐ伸ばす。
「それじゃあ行くぞ――っ始め!」
ディズが腕を振り下ろすと同時にライが思いっきり飛び退り距離を取る。
「どうした、一発目はくれてやるぞ」
「……」
「だんまりか、んじゃまぁこっちから行かせて貰おうか!」
アランの全身が淡く光り輝き、その中でも足元に光が集中する。
足元が一瞬だけ強く発光した瞬間、アランの立っていた地面が抉れアランがライに向かって一気に接近する。
(速い!?)
アランの使うクラックはライがクラックブーツを使って発動させる物とは比べ物にならない物だった。
クラックだけではない、身体強化も合わさる事により短距離ではあるが間を詰める速度は前傾姿勢の状態から発動させるライのクラックよりも数段速かった。
ライが身を引くよりも早くアランが剣を振り抜こうとする。
後に下がるのでは間に合わないと判断したライは剣を逆手に持ち地面へと突き立て、それを支えとしながら上半身を限界まで逸らす事で一撃を回避する。
上半身を逸らした体勢からライは右足の踵に魔力を集めクラックを発動させる。
クラックの反動を利用して右足を振り上げ、剣を振り抜き無防備になっていたアランの脇腹をライの右足が捉え、振り上げた勢いのままアランを真横へと蹴り飛ばす。
「ぐっ!?」
蹴り飛ばされたアランはすぐさま体勢を立て直したが、脇腹に走る痛みに顔を僅かに歪める。
(まさかあの状況から受けるのではなく躱してくるとは…しかもあの蹴り、身体強化で防いでたのに防御をぶち抜いてダメージを――いや)
ライに蹴られた部分を手で押さえながらアランが考える。
(ぶち抜いたんじゃない…身体強化に利用していた魔力を散らされた?一体どうやって)
自信の脇腹を覆っていた魔力が僅かに薄くなっている事に気が付いたアランが警戒した様子でライの動きを観察する中、ライの方も体勢を立て直しアランの方へと向き直る。
(最初と変わらず攻めてくる気配は無し、得体は知れないがCランク相手に縮こまってる訳にもいかねぇ)
アランは身体強化を掛け直すと再びライに接近する。
先程のように一気に近づかれるのを警戒してか、ライはアランの間合いに入らないようクラックを使って距離を取ろうとする。
しかしアランのクラックの方が速度も飛距離も上であり、このままでは距離を詰められるのは時間の問題だった。
(普通にクラックを使ったんじゃいずれ距離を詰められる、それなら)
ライはアランに背を向けるように身体を反転させ前傾姿勢を取る。
突如背を向けて前のめりに倒れそうな程に身を倒すライの行動をアランが疑問に思った時、ライの背中が一瞬で小さくなり先程まで確実に詰めていた距離が大きく引き離される。
「はっや!?」
慌ててライの背中を追うアランだったが、距離を詰めるどころか間が開く一方だった。
身体強化と併用するアランのクラックは初速こそ早いが通常のクラックと同様失速も早く飛距離は伸び辛い。
一方前傾姿勢から繰り出されるライのクラックは失速し辛く、クラック一発毎の飛距離は圧倒的に長い。
「倒れそうな程の前傾姿勢から繰り出されるクラックか、こりゃ普通に追いかけても追いつけそうにねぇな…だけどよ!」
追いつけないと分かっていながらもアランはライの背を追い続ける。
(あの体勢じゃあ一度止まらないと方向転換は無理だ。壁際まで行けば嫌でも足を止めるはず)
そこが狙い目だとアランは考えていた。
だがアランのそんな考えを裏切るようにライの速度は一向に落ちる気配は無く、そのまま壁に向かって駆けていく。
気が付けばライと壁の距離は3メートルも無かった。
「馬鹿!ぶつかるぞ!?」
衝突は避けられない、観戦していた者達の脳裏に壁と衝突するライの姿が浮かび上がったその時
ザンッ!
壁まで後1メートルという所でライが地面に剣を突き立て、剣を支えにし強引に速度を落とす。
遠心力に身体を引っ張られ剣を中心に半円に回りながらも壁に対し水平に身体が回ったタイミングで飛び、壁を蹴って勢いはそのままに方向転換する。
「なんつー無茶しやがる…!」
顔から冷汗を滲ませながらアランがライの後を追う。
直線的に移動するライをただ追いかけるだけでは駄目だと考えたアランは左手に魔力を集中させる。
左手からは薄緑色の魔力が溢れ出し渦を巻く。
「【ヴェント】」
アランがそう唱えると左手から風の刃が生まれ勢い良く飛び出す。
風の刃は真っ直ぐライの元へと飛んで行き、ライの左肩の辺りに命中する。
「っ!」
アランの一撃で体勢を崩したライだったがわざと身体を横に倒し地面を転がって勢いを流し受け身を取る。
すぐさま体勢を立て直したライを前にアランが目を見開く。
(可笑しい、確かに左肩に命中したはずなのに傷が無い?)
アランの生み出した風の刃は確かに命中し、ライの体勢を崩した。
しかし本来攻撃を受けた際に存在すべき傷が無い事にアランは動揺を隠せずに居た。
(防御魔法を使ったようには見えない。じゃあ何だ?)
身体強化の魔力を散らされた時の事を思い出し、ライの得体の知れない何かがアランに接近を躊躇わせる。
アランが警戒している物の正体、それは始原である。
ライは最初にアランを攻撃した際、足の全面に始源を集めアランの身体強化の魔力にぶつけて相殺し、先程の風の刃も寸前に左肩に始源を集めて防いだのだ。
(いてて…始源を利用した戦闘、何とか形にはなったけどそれを悟られないようにってのは中々難しいな)
バレない程度でしか始源を使用していない為、魔力を完全に相殺する事は出来ず攻撃を受けた左肩の痛みにライが顔を顰める。
(始源を使って戦うにはまだ早いか)
ライは始原を使った実験を一旦やめ、普段通りの戦い方へと思考を切り替える。
剣を構えライが一歩踏み込むと様子を窺っていたアランも反射的に剣を構え直す。
(クソ、チビ共が見てるんだ。エアストを代表する冒険者がCランク相手にビビってどうする!)
自分を叱咤するようにアランは心の中でそう叫ぶと、覚悟を決めクラックを使用し一気に距離を詰める。
(8メートル)
アランが接近し横薙ぎに剣を振るうもその攻撃パターンをライは既に見切っており攻撃をいなしつつアランの脇をすり抜け距離を取る。
「ちぃ!ちょこまかと!」
アランは即座に反転しライ目掛け剣を降り下ろす。
(3メートル)
しかしライはこれも軽々と避け再び距離をとる。
距離を詰め攻撃を繰り出すアランと攻撃を躱し距離を取るライ。
幾度となくそんな事を繰り返し、長々と続いた根競べで先に根を上げたのはアランだった。
「クッソ、いい加減にしやがれ!!」
避けるばかりで一向に反撃してこないライにアランが我慢の限界を迎えた。
ライを追いかけるのを止め、距離を取るライを睨みつける。
「そっちに合わせて加減してやってんのに…攻撃はおろか反撃すらしてこねぇとはどういう了見だ?」
ライを睨みながら徐にアランが剣の刃に左手をかざす。
「こんな事に付き合ってやるのはここまでだ、もう終わりにしようぜ」
相手がCランクという事も有り基本的な技しか使おうとしなかったアランだったが、ここ来てBランク冒険者としての格の違いを見せつけに掛かる。
アランの握る剣の刃に薄緑色の光が灯った瞬間、突如突風が吹き荒れ訓練場内に居た全ての人間の肌を叩く。
「アランの奴!Cランク相手にアレを使うのか!?」
「それだけおかんむりって事でしょ!ちょっと止めないとまずいんじゃない!?」
「アランよせ!」
ディズ達がアランに制止の声を投げるもアランの耳にはその声は届いておらず、今のアランにはライの姿しか目に映っていなかった。
自分に向かって吹いて来る風に逆らうようにライが前へと踏み出し、アランに向けて剣を構える。
「はっ、今更やる気を見せたって――おせぇんだよ!!」
アランがクラックを発動させ一気に距離を詰める。
クラックにより7メートル程の距離を一飛びし、着地した瞬間に膝を曲げて飛び込むと同時に剣を突き出そうとする。
「9メートル」
「っ!?」
風の音で聞き取り辛かったが、アランの耳にライのそう呟く声が聞こえたその時
キィィィン!
アランの突き出した剣を腹を横薙ぎに払ったライの剣が捉えライに向けられた剣先を逸らす。
その瞬間、ライの脇を突風が駆け抜けその突風は訓練場を地面を抉りその先に合った壁すらも粉砕した。
攻撃を逸らす事に成功したライだったが、突風の威力は凄まじくその余波だけでライの身体は横に数メートル吹き飛ばされてしまった。
「お前、今のは――」
先程の事を問い詰めようとアランが地面に座り込んだライに近づこうとしたが、アランの前にディズが立ち塞がりそれを阻止する。
「もう喧嘩は終わりだ」
「あんなものまで使って喧嘩の域を超えてるぞ馬鹿者」
「君大丈夫ー?結構派手に吹っ飛んでたけどぉ」
「えぇ…大丈夫です」
地面に座っていたライがそう言いながら立ち上がり剣を収める。
アランは不服そうな顔をしながらも剣を収めた相手にこれ以上絡む気は無いのか、小さくため息を吐きながら剣を収める。
こうしてライとアランの喧嘩は勝敗があやふやなまま終わったのだった。