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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

懺悔

作者: 黒井雛

 神様神様、私はけして許されない罪を犯しました。

 どうか、今この時間だけでも、慈悲を持って私の懺悔を聞いて下さいませ。


 私の母は、私が生まれてすぐに産後の肥立ちが悪く亡くなりました。

 母を愛していた父は大層嘆き悲しみましたが、幼い私をいつまでも母親不在の状態にしていくわけにはいかないと、私が五歳の頃に再婚しました。

 義母は亡くなった母とは全く似ておりませんでしたが、大変美しい方でした。でも、幼い私にはどこか意地が悪そうに見えて、どうしても好きになれませんでした。

 しかし、一方で母の生き写しだった、まるで少女のように愛らしい一つ下の義弟はすぐに大好きになりました。

 幸い義弟も私に懐いてくれ、私は母の不在から抱いていた孤独は、彼が埋めてくれたのです。


 好きとは言い難い義母でしたが、それでも私は義弟を私の元に連れて来てくれたことに感謝しておりました。

 しかし義母も義母で、亡くなった母に似た私を気に食わなかったのか、私に辛くあたることがしばしばでした。


『ねえ、スティ(これは私の義弟の名前です)お義母様は私を嫌いなのかしら』


『そうだね。ルー。多分嫌いだと思うよ。……でも、お互い様だろ。ルーだって母様が嫌いなのだから。気にしちゃいけないよ』


『……それもそうね』


『ルーには僕がいるだろ? 僕が母様の分までルーを愛してあげるから大丈夫だよ』


 私はスティ……スティーヴンの、その言葉に密かにホッとしました。

 私が本当に恐れていたのは、義母に嫌われることで、大好きなちっちゃいスティまで、私を嫌ってしまうのではないかということだったからです。


『ねぇ、スティ……私が大人になるまでずっと一緒にいてくれる?』


『馬鹿だね。ルー。大人になるまで、じゃなくて、大人になってからもずっとに決まってるだろ』


 義母の私に対する仕打ちは年齢を増すごとに激しくなり、時には手をあげることさえありましたが、私は平気でした。

 だって私にはちっちゃな、愛しいスティがいてくれるのですから。

 スティが笑顔で抱き締めてくれるだけで、私はどんなことだって耐えられました。

 だけどある日とうとう、仕事で忙しくて家に不在がちだった父が、義母の私に対する仕打ちを見つけてしまいました。


『どうしましょう。スティ……お父様は離婚するって言ってるわ。私達、離れ離れになってしまうわ』


『大丈夫だよ。ルー……誰にも僕達を引き離せはしないよ。だって僕達は、誰よりも強い絆で結ばれてるんだから』


 両親の決めたことに逆らえない、小さな小さな子どもだった私達は、ただ小さな体を寄せ合って、さめざめと泣くことしかできませんでした。


『……ルーシィ。お手伝いをしてちょうだい。この紅茶をお父様に持って行くのよ』


 ある日、義母は私にそう言いつけました。

 渡されたお盆には、紅茶と砂糖の瓶。お父様は甘党なので、いつも紅茶にはふんだんに砂糖をかけます。

 私は砂糖の瓶を見て、はてと首をかしげました。砂糖の瓶の形が、見知ったものと違っていた気がしたのです。


『何をぼんやりしてるんだい! さっさとお行き!』


 お母様に追い立てられるままに、私は湯気の立った紅茶をお父様の書斎まで運びました。


『……おぉ、ルー。紅茶を持って来てくれたのかい。ありがとう』


 私はすっかり温くなった紅茶を、黙ってお父様に差し出しました。

 お父様はすぐには紅茶に手をつけず、紅茶をテーブルの隅に置いて、私の体を抱き締めました。


『ごめんな、ルー。……お前の為にお母様を用意したつもりなのに、かえってお前を傷つけてしまったようだ』


 私はただ黙って首を横に振りました。

 私は傷ついてなんか、おりません。だって、スティが傍にいてくれたから。

 お父様はそんな私を、慈愛に満ちた目で見つめました。


『ルー……二人で、やり直そう。これからはもっと、お前の傍にいるようにするから』




 ーーその日、父と父の可愛がっていた老犬ジョンが、同時に息を引き取りました。

 原因は私が持っていた砂糖。

 私が持って言った砂糖には、鼠取用の劇薬が入っていたのです。

 ジョンは毒に倒れた父が飲み残した紅茶を、誤って舐めてしまったのだと大人達は言っておりました。


『まあ、なんてこと! いくら見た目が似ているからって、砂糖と毒薬を間違うなんて!』


 私に瓶を渡したはずの義母は、そう言って私を責め立てましたが、その目の奥は笑っていました。

 莫大なお父様の財産は、法律上は実の娘である私と、スティ、義母で等分されましたが、私とスティはあまりに小さかったので、実質的には義母が全ての財産を管理することになりました。

 その日以降、義母によって使用人のような生活を送らせられるようになった私は、「誤って父を殺した罪深い娘」として、邸の外の人達からも冷たい目を向けられるようになりました。


『……ああ、可哀想なルー! 君は何一つ悪くないのを、僕だけは知っているよ。待ってて、ルー。僕が大人になったら、君をこんな酷い場所から救い出してあげるから』


 そんな中、唯一スティだけは私の味方でした。

 スティは食事を抜かれた私の為に、毎日こっそり食べ物を運んでくれ、義母から折檻を受けた傷には、小さな手で傷薬をすりこんでくれました。


『……いいえ。スティ。私は、あなたにそんな言葉をかけてもらう権利なんてないわ。私は、お父様を殺した罪深い娘だもの』


『君は罪なんか犯してはいない!悪いのは、全部母様じゃないか! 本当に裁かれるべきなのは、母様の方だよ!』


『いいえ! 私が……私が殺したのよ!』


 劇薬を砂糖と言って渡したのは義母でも、それをお父様に持って行って飲ませたのは、私です。

 本当に罪深いのは誰か、神様はもうお見通しでしょう? ……そう、最も罪深いのは、直接手を下した私の方なのです。




 ちっちゃなスティが、いつの間にか私の背を追い越して、逞しい男の人に変わってからも、私とスティの関係は変わりませんでした。

 ……いいえ、全く変わらなかったと言ったら、嘘になります。


『ああ、ルー。可哀想な、僕のルー。もうすぐだよ。もう少ししたら、僕がルーを救い出してあげるからね』


 だって私の体を掻き抱くルーの目には、小さい頃にはなかったある種の熱が、確かに籠もり始めたのですから。


『……やめて、スティ。もう、そんなこと言わないで……』


 だけど私はスティの想いが分かってもなお、それを受け入れることは出来ませんでした。


『……私にこれ以上、罪を犯させないで』


 だって、この国では例え血の繋がりがなくても、一度姉弟になった男女が結婚することを許してはいません。

 それは実の姉弟が愛し合うことと同等の、禁忌でした。


『どうして、そんなことを言うの? ルー……! 僕は、僕は、ずっとルーのことが、ルーのことだけが……!』


『スティ、あなたには私の気持ちなんか分からないわ!』


 私は必死に耳を塞いで、向けられるスティの真摯な想いから背を向けました。


『まっさらな貴方には、罪に塗れた私の気持ちなんて、分からないのよ……』


 スティ。大好きで、大切な、私のスティ。

 貴方は、真っ白で綺麗なままでいて。

 私のように、穢れてはいけない。

 貴方は、けして堕ちないで。


 私の心の半分は、本気でそう思っていました。


 ……だけど、もう半分は……―――。




『……ルー! これでいいんだろう? これなら、僕の愛を受け入れてくれるんだろう?』


 そして、ある夜、恐れていたことが起きてしまいました。

 扉の前で立ちすくむ私に、血まみれのスティは微笑みかけました。


『母様を、殺して来たよ。実の親を殺したんだ。……これでルーと、お揃いだね』


 心底幸せそうにそう言って、私の体を抱き締めたのです。




 ――神様、神様。私は救いようがない程、罪深い人間です。

 実の父親を殺し、義弟に実の母を殺させたのに。


『……まさか、今さら、姉弟がどうとか言わないだろ? それより大きな罪を、既に犯しているのだからさ』


『……れ、しい……』


『……え?』


 私は溢れ出す感情のまま、スティの背中に手を回しました。


『うれしいわ、スティ……! ……私と一緒に、堕ちてくれるのね……』


 私はその事実に、ただひたすら歓喜したのです。

 スティが私の為に罪を犯してくれたことが、ただどうしようもない程幸福だったのです。




 神様神様、私はきっと生まれてきてはいけない娘だったのでしょう。

 私がいなければ、父も、義母も死ぬことはありませんでした。

 老犬のジョンも、義母に渡された瓶の中身を確かめる為だけに、殺されることはなかったのです。

 全部全部、私のせいです。

 だって、私は、心のどこかでこうなることを、ずっと望んでいたのですから。

 ジョンの死で瓶の中身の正体を知りながらも、ずっとスティと一緒にいたいが為にそのまま実父に毒薬を飲ませた私のところまで、スティが堕ちて来てくれる日を、本当はずっと待ち望んでいたのですから……!




「――神へのお祈りは終わったかい? ルー」


「……ええ、終わったわ。スティ」


「それじゃあ、さっさと屋敷を出よう。夜が明ける前に、国境を越えなきゃ。……そして、国境を越えたら、僕らはもう姉弟じゃない」


 逃亡用の荷物を一端脇に置いたスティは、そう言って私の手を握りました。


「……国境を越えたら、僕の妻になってくれるでしょう? ルー」


 その瞳に滲む熱から、今度こそ私は目をそらすことは出来ませんでした。


「……スティ。私はきっと、貴方が思っているよりずっと、罪深いわよ。……それでも、貴方は」


「いいよ。……というか、どうでもいいよ。どれだけ罪を犯そうと、今僕の目の前にいるルーが、僕の大好きなルーであることには変わりないのだから」


 スティは、握っていた私の手の甲に、そっと口づけを落としました。


「だけど、ルーがそれでも自らの罪を気にするなら、僕はまた、同じだけの罪を重ねるだけさ。君が汚れたというなら、同じだけ汚れるし、君が堕ちるというなら同じだけ堕ちるだけ。……どこまでも、一緒だよ。ルー」


 神様。神様。

 きっと罪深い私は、死後は地獄に堕ちるのでしょう。

 私は甘んじて、その罰を受け入れましょう。

 私はきっと、それが相応しい人間なのですから。


 だけど、もし。

 もし、少しでも慈悲を与えてくれるのなら。


 どうか、愛しいスティと、同じ業火で私の身を焼いて下さい。


 永劫まで続く責め苦も、きっとスティと一緒なら、私は平気です。

 スティと離れ離れになって天国へ行くことよりも、それはよほど幸福なことでしょう。


 神様、どうか、どうかお願いします。


 どうか、私達を離れ離れにだけはしないで下さい。


「……ええ。どこまでも、一緒よ」


 いつか死が二人を分かつその日まで。

 罪深く身勝手な私は、その一片の慈悲だけをただ、祈り続けるのでしょう。


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