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さよならと名前

 一時間程で散歩は終わった。目的なくフラフラして、気持ちの整理をしただけ。ただ、先ほど聞いたこの土地の端っこに着いた時は、恐る恐る下を覗いて余りの高さに思わず縮み上がってしまった。どこがとは言わせるな。


「戻りましたー」

「おかえりなさい。大丈夫だった?」

「大丈夫ですよ。ちょっとキャパオーバーしただけですので」

「ならいいけど、あまり思い詰めないでね」

「はい。お気遣いありがとうございます」

「皆揃ったところでメシだメシ」

「あんたは他に言うことないの?」

「ケロッとした顔で戻ってきたんだ。余計な事は言わなくて良いだろう」

「気遣いの一つもできないなんて。これだからヘタレな脳筋は」

「筋肉を愚弄するな!」

「ハイハイ」


 確かにダニさんは筋肉質だ。彫りの深い顔と相まって独特の色気を醸し出している。その筋肉はバカにされたくないよな。わかる。わかるよダニさん。俺もそんな筋肉が欲しかった。でもヘタレは否定しないんだな。


「お昼は炒飯にしてみました!」

「美味しそう! いただきます!」

「リサは料理上手だし何でも作れる。ただし変な事でもしてみろ。すぐメシ抜きにされるぞ」

「そこ。おかしな事を教え込まないで」

「朝の仕返しだ」


 仕返しのやり方がセコい。小学生か。


「さっきので話は一通り終わりですか?」


 食べながら質問してみる。


「目的については全部だが、その体に関してはもう少しある。どうする? 全部聞くか?」

「正直もういっぱいいっぱいなので、あとにしてもらっていいですか?」

「わかった。慌てる必要はないからな。ゆっくり知ってくれたらそれでいい」

「はい。そうします」


 会話はこのくらいにして食事を続けよう。うん。やっぱり美味しい。うん? 二人とも俺の食事姿を眺めてる。そんなに見ないでくれ、恥ずかしい。


「良く食べるね。慌てなくてもまだあるよ」

「朝も思ったが、昨日とは全然違うな」

「前も今も育ち盛りですから。それにさっきも言いましたよね? 前向きの方が楽しいって」

「そんなに勢いが良いと、こっちまで楽しくなってくるね」

「ああ。まったくだ」


 午後の一時。平和な食卓だ。これだけ見れば世界に迫る危機なんて感じられない。

 腹ごしらえも済んだし、気持ちも落ち着いた。良し! 今後もこの体で生きていく為の一仕事をしますか! この二人のことだから、しっかり保管してくれているだろう。


「午後なんですけど、少し手伝ってもらっていいですか? やりたい事があるんです」

「内容によるけど、どうしたの?」

「生まれ変わった区切りをつける為の儀式みたいなモノですよ。まだありますよね? 『俺の体』」


 そう。俺の体に別れを告げたいのだ。今までありがとうって。俺はこんな体になってしまったけど、ちゃんとやっていけるって。


「あるにはあるけど、正直、君に見せられたらモノじゃないよ? それでも良い?」

「構いません」

「なら協力しないとね。ダニ、良いでしょ?」

「ああ。そういう事なら」

「ありがとうございます」


 案内され家の地下に潜る。なるほど、こんな作りになっていたのか。許可が出れば他の部屋も見させてはもらおう。


「さあ、着いたよ」


 そこは堅く閉ざされた一室。


「本当に大丈夫?」

「はい。お願いします」


 扉が開く。中からはツンと鼻を差す薬品の匂いが漂ってきた。中を見渡す。機材や薬品が所狭しと並ぶ中に『彼』はいた。

 青白く変色した素肌。色の抜けた髪。力なく投げ足された手足。どこを見るでもなく、薄く開かれた目。初めて意識を取り戻したの俺と同じ様に、水槽の中で彼は浮いていた。しかし、その顔に生気は感じられない。


「そういえば、どのくらい時間が経ってるんですか?」

「今日で十日ね」

「思ったより経ってないですね。てっきり二ヶ月とか三ヶ月は経過してるのかと」

「そんなに経ってたら、もっと慌ててるよ」

「それもそうですね」


 軽口を叩きながら彼に近付く。後ろではリサさんが見守ってくれている。


「やあ俺。久し振り。遅くなってゴメン」


 自分に対する挨拶なんて不思議な感覚だ。


「どうだ? 可愛くなっただろう? 可愛いコと仲良くなりたいって言ってたのに、可愛いコそのものになるなんて驚きだよな? それなのに、お前より背が高いんだ。羨ましいだろう?」


 そう言って、くるりと回ってみせる。見せびらかす様に。水槽の外で笑っている少女も、中で眠る彼も、どちらも俺だ。これは対話と言えるのだろうか。それとも独り言だろうか。


「今日はお別れを言いに来たんだ。お前とは、もう一緒にいられないだ。大丈夫、心配するな。俺はちゃんとやっていける」


 できるだけ明るく、元気に振る舞ってみせる。


「安心しろ。お前はちゃんと家族の所に帰してやるから。皆のいる、あの家に」


 馬鹿みたいな田舎に建つ家を思い出す。俺は、そこには帰れない。


「リサさん」


 俺のかけ声と共に水槽から液体が抜かれる。遮る物はもうない。


「最期の身支度ぐらい手伝ってやるよ」


 最期の身支度。あり合わせだけど無いよりましだ。体を拭き、汚れがあれば綺麗にし、服を着せる。手伝ってもらう訳にはいかない。


 「良しできた。ちょっと移動するぞ」


 彼を背負い、外へと移動する。痩せ型だと思ったけど予想より重いな。途中、何度もリサさんが手伝いを申し出たが、一人でやらなきゃ意味がない。だって、他でもない俺の為なのだから。俺の為に、俺ができることをやり切るんだ。


 外ではダニさんが火の準備をしてくれていた。組まれた薪の中へ彼を寝かせる。これで準備万端だ。


「もう良いのか?」

「お別れの挨拶は済ませました。火を貸してください」

「気を付けろよ」


 受け取った火を投げ込む。瞬く間に火は広がり、炎となって、彼を包み込んでいく。あとは、それを見守ることしかできない。

 

「俺、名前を考えたんだ。いつまでも『歩』って名乗る訳にもいかないし、このコにも名前を付けたいって思って」


 最期の対話(独り言)。答える者はいない。聞こえるのは炎の爆ぜる音だけ。


「覚えているか? 父さんと母さんにさ、男ばかりの三兄弟だけど、もし女の子がいたら、なんて名前を付けたかって質問の事」


 いつだったか、そんな質問をした。その回答は今でも覚えている。俺はもう一度、あの両親から名を貰う。


「今から 私は、『高嶺 綾乃(あやの)』だ!」


 名乗りと同時に、魂と肉体の一体化が急速に進む。体の隅々まで意識が行き渡る。体の中に蠢く『力』の奔流。僅かに残った『少女』の記憶。この全てを受け入れる。


 一段と炎が爆ぜた。それが()の返事? 賛成かもしれない、反対かもしれない。でも、それを確認する術はない。

 何度目かわからない涙。今度は()との、永遠の別れに対して。涙で目が霞む。でも、最期までちゃんと見届ける。他でもない、()()の関係だろう? 遠慮なんていらないよ。


「君の語ることのできなかった物語を私は描いていく」


 今朝、夢で見た物と同じセリフを言葉にする。君は私だ。君の代わりに生きて、君の代わりに笑おう。君の代わりに世界を見て、物語を描いていこう。そう表明する。


「バイバイ、歩。今までありがとう」


 燃え盛る炎を、私はいつまでも眺めていた。

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