悲哀の空
紹介
シエル
――20代 男性 謎多き人
神永 紫織 カミナガ シオリ
――女子高校生二年 副生徒会長 探偵
足立 和樹 アダチ カズキ――警察
飯島 美波 イイジマ ミナミ――警察
颯 リュウ――第一執事
翔琉 カケル――第二執事
葉月 ハヅキ――第一女中
咲 サキ――第二女中
紗良 サラ――紫織の友人
四年前……。
彼女は自分の部屋で無残な姿をしていた。背を向けた際に、何者かによって背後から銃殺されたようだ。しかし、男が駆けつけた時にはまだ僅かに息があった。
「おい! しっかりしろ!」
女は薄らと目を開け、微笑んでいた。
「私……結局何も……出来な……かっ……た……」
「おい……。……おい!」
しかし、その呼びかけに二度と彼女は答えを返すことは無かった。
男は涙を静かに流した。
すると背後で音がした。
反射的に振り返ると、そこには黒くふんわりとした容姿の人影が立っていた。一瞬警察かと思ったが、どうやら違うらしい。手には拳銃が握られていた。顔は暗くて、全然見えない。顔は分からなかったが、これだけは確信をもって言えた。
「お前が……お前が殺したのか!」
人影は何も言わず、踵を返し去ろうとしていた。
「おい!」
人影は止まらなかった。
「お前は何者だ!」
その問いかけに、人影は静かに立ち止まり、振り返ることなく囁くように言った。
「People who hunt the future」
――――未来を狩る人……
人影はそれだけ言うと、そのまま姿を消した。
❦
「紫織~、おはよっ!」
紫織が教室に入ろうとすると、廊下から声が聞こえた。声の方を見ると、そこには、紗良がいた。
「おはよう、紗良」
「課題終わった?」
「うん」
「だよね~、副生徒会長だもんね!」
「副生徒会長だからって……」
「課題教えて!」
「いいよ」
席に着くと、いつものように数人が紫織のもとに集まってきた。その中に課題のノートを持った紗良もいた。
紫織は、皆とたわいもない話をしながら勉強を教えていた。しばらくすると、担任が教室に入ってきた。その瞬間、全員が綺麗に席についた。
紫織は、窓の外を眺めていた。この時期によく見る葉のない木々の枝が風に揺れ、音を立てていた。
さぁ、また今日も授業が始める……。
❦
「おかえりなさいませ、紫織様」
「ただいま」
紫織はそのまま真っ直ぐに自分の部屋へと向かっていった。
私は紫織様の第一執事を務めております、颯と申します。以後よろしくお願いします。また、彼女、紫織様は神永家当主、神永啓太朗様の一人娘、神永紫織。高校二年生、副生徒会長をしております。そして、神永家次期当主というお立場と探偵というお立場なのです。
颯は、アフタヌーンティの準備をして紫織の部屋へ向かった。
コンッコンッ
「失礼します」
部屋に入ると、そこには紫織がいた。しかし、何かをしているわけではなく窓の外をずっと眺めていた。
「紫織様」
紫織は振り返らなかった。
「紫織様」
颯がもう一度呼ぶと、紫織は静かに振り返り笑みを浮かべた。それを見た颯は、紅茶を注いだ。
「アフタヌーンティをお持ちしました。学校帰りなのでお疲れでしょう」
「ありがとう……。でも少し、散歩してきてもいいかな」
「散歩……でございますか?」
「森林浴に」
「しかし……この後……」
「依頼人と打ち合わせでしょ」
大丈夫、それまでには戻ってくる、と言っているかのような笑みを浮かべる紫織に、自然と笑みが浮かんだ。颯は少し呆れていた。
「いってらっしゃいませ」
紫織は、一人森に来ていた。自然と心が軽くなる。
森はいい。静かで豊かで落ち着く。年中心地もいい。
「やっぱり森は気持ちいい」
陽の当たる草原に出た。深呼吸を数回し、バタンと倒れた。
草も暖かくて心地がいい。どんなに疲れていても、ここに来れば安らげる。色々とうるさくいう人も世話を焼く人もいない。水と鳥と風の音が聞こえる。
こんなに自由な場所はほかにない。
のびをして少し寝ようとしたその時、どこからか、うめき声が聞こえた。
「うっ……あ……」
紫織は、起き上がり森の中へといった。どこから声が聞こえるのだろうかと、きょろきょろしていると木陰に横たわっている男がいた。男の周りは赤く血で染まっていた。
紫織は驚き、慌てて男に近づいた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ウッ……」
「ど、どうしよう……」
怪我しているし……でも、家に連れていくにも……。どうしたらいいんだろう。
するとそこに、スッと男が現れた。
「お嬢様」
「……翔琉……どうしてここに……」
もしかして、翔琉。
「あなたが……?」
「何ですか、俺が殺したとでもいいたいのですか。テレビの見過ぎですよ、お嬢様」
「じゃあ、どうして……」
「いちいちうるせぇよ。あんたが困っているっていうから来てやったのに」
「だから、どうしてここにいるのです?」
「お父様からの命で四六時中見張っていたわけですが」
「今まで? ずっと?」
「その通りです。さ、さっさと戻るぞ」
そういうと翔琉は、スッと怪我をしている男を無造作に抱きかかえた。
「ほら、さっさと行くぞ」
「え……えぇ」
「大体お前、いつもこの森いるよな」
「余計なお世話よ。それから、あなたそれでも執事でしょ? お嬢様に敬語使いなさいよ」
「やだね。だるい」
「ちょっと!」
「何なら俺、執事辞めてもいいんだぜ? 俺は執事とお嬢様なんてだる過ぎるから嫌だって言ったんだ」
「仕事でしょう」
「仕事は仕事でも、なんで俺が、第二執事なんだよ」
「文句あるの?」
「せめて、第一執事にしろよな」
「位になんて興味なさそうなのに、あるのね」
「うるせぇよ。お嬢様ならお嬢様らしく華奢にしてろよ。生意気言ってねぇで」
「生意気なのはどっちよ」
「そんなんだから、彼氏が出来ないんだよ」
「それとこれとは別でしょう!? 大体、彼氏はいないけれど許婚ならいるから」
「許婚と彼氏は別だろ」
「そういうあなただって、彼女とは縁がなさそうじゃない!?」
「フッ。俺は、彼女とかいうかったるいものは作らないの」
「変な人ね」
「お前もよりは十分常人だよ」
「どこがよ!」
「面白い奴だ」
❦
周りには数人の無残な姿。皆の血が飛び散っている。そこに立っているのは、……俺? と……誰だ……? 体中に返り血を浴びている人影は、深くフードを被り顔が見えなかった。
『ふざけるな!』
『ふざけてなどいません。私は私なりに、自分の仕事を全うしているだけです』
『全うだと? 人を殺しておいて言えるセリフか!』
『それが私の仕事です』
そういった人影は、シュッと目の前にナイフを突き立てた。
驚き後退ったその時、強い風が吹き、被っていたフードが脱げた。
『お……お前は……』
人影は笑みを浮かべ、銃口を向けた。
『People who hunt the future』
「ハッ!」
起き上がると、そこは、見覚えのない部屋だった。
――――夢か……。
窓から差し込む陽と微かに吹いている風が心地いい。と言っている場合ではなかった。
「ここはどこだ!?」
「神永家当主の家でございます」
「だ、誰だお前!」
と、大きくわざとらしく驚いてみた。でも多分、こういうしっかりした人は……。
「颯と言います」
普通に返してくるのがオチ。
神永家か……。聞いたことあるな……。世界有数の政権を握っている家だよな。でもなんで?
その疑問を悟ったのか、颯は紅茶を手際よく注ぎながら話し始めた。
「森で傷を負い、倒れていたのですよ。覚えていませんか? お嬢様が見つけになられました」
「お嬢様?」
「神永紫織様でございます。失礼ながら、お名前をうかがってもよろしいでしょうか? 失礼ながら、こちらで色々と調べてみたのですが、あなた様に関することが一切出てきませんでした」
男はフッと笑うと吐き捨てるように言った。
「そりゃそうだろうよ。俺はこの世界にいない人だからな」
「戸籍が無いのですか?」
「そ。戸籍が無いから、お前らがどんなに調べたところで、出てくるはずはねぇよ」
「そうでしたか……」
「だから、名乗る名前もねぇよ」
「でも、何かしらの名前を使い日々を過ごして来たでしょう?」
颯は、どうぞ、と言い男にティーカップを差し出してきた。男はそれを受け取り、一口飲んだ。
「美味い……」
正直な感想だ。本当においしい。こんなに美味しい飲み物は初めて飲んだ。
颯は笑みを浮かべていた。
「それは良かったです」
「……好きに呼べばいい」
「好きに……ですか?」
「あぁ」
「しかし……」
「俺は付き合う友達によって名前を変えてきた。主に使っている名前なんてない。好きに呼べばいい。それが、俺の名前だ」
そういう男はとても哀しそうな表情を浮かべていた。綺麗な短髪の金髪に、綺麗な青い瞳は、ここら辺ではあまり見ない。どこから来て、何者なのか。どうして、あんな大けがを負っていたのか。颯の脳裏には、次々に疑問が浮かんできていた。
❦
依頼人との打ち合わせを終えた紫織のもとに、颯は来ていた。
「いかがでしたか?」
「不倫しているかもしれないから、調べてほしいそうよ」
「受けたのですか?」
「仕事ですもの」
颯は、思い出したように胸の裏ポケットから封筒を数通取り出した。そして、それを紫織に差し出した。
「今日の郵便物です」
「ありがとう」
紫織は受け取ると、順番に見ていった。どれも、各国政府からだった。しかし、その中に気になる封筒を見つけた。
――――これは……
紫織は、引き出しの中に封筒をすべて直し言った。
「彼は?」
「彼?」
「怪我をしていた男よ」
「あぁ、彼ですか」
「どう?」
「先ほど、目を覚まされました」
「身元は分かったの?」
「それが、調べた結果何も該当せず……。そして、本人にも確認をしてみたのですが、彼曰く、戸籍が存在しないそうで調べても無駄だそうです。名もないので、好きなように呼んでくれればそれが、自分の名前だと言っていました」
「好きなように……ねぇ……」
紫織は、少し考える素振りを見せため息交じりに言った。
「彼に会える?」
「もちろん、会えますが……何をする気ですか?」
「話を聞くだけよ」
颯と紫織は、男のもとへと向かった。
男は、ベッドから離れ部屋の中を見回していた。
――――神永……
神永紫織ということは娘ということか……。それにしても、さっきの悪夢は何だったのだろう。記憶が曖昧でイライラする。自分は何者で、自分は誰なのか……。颯という男に言ったことは本当だ。でも、自分が誰なのか……記憶が……。
そのとき、扉がノックされ二つの人影が部屋に入ってきた。
見ると、颯の背後には、女の子がいた。彼女が紫織だろう。
紫織は、颯の背後に立ったまま言った。
「あなたの名前は?」
「ありません」
「私は神永……」
「紫織」
「どこかで?」
「さっき、そこにいる男から聞きましたよ」
「そうですか……」
紫織は颯の前に出てきた。
「あなたはあんなところで何をしていのですか?」
「分からない」
「え?」
「記憶が曖昧で」
「記憶喪失ですか?」
「分からない……。でも、さっき夢でその断片を見たと思う」
「そうですか……。分かりました。しばらく、ここにいて良いですよ」
「え?」
「戸籍がないということは、住むところも無いのでしょう?」
男は何も言わなかった。しかし、確かにそうなのだ。自分が誰でなにがあったのか、全く分からないけれど、家が無いことは確かなのだ。家がどこなのかも、わからくなってしまったのかもしれないしもともと、ないのかもしれない。それは定かではないが、今は、無い。
「窮屈な暮らしになるかもしれないけれど、あなたさえよければしばらくここにいなさい。まだ、怪我は治っていないのだし傷口が開いたら大変よ。それに、あなたが何故、あんなところで撃たれ倒れていたのかを知りたいもの」
「ありがとうございます」
「それから、あなたの名前」
「ん?」
紫織は笑みを浮かべていた。
しかし、男はその笑みに違和感を覚えた。何故違和感を覚えたのかは分からないが、何か可笑しい、そんな気がしてならなかった。ただの思い過ごしな気もする。
「シエル」
「シエル?」
「そう。フランス語でCielと書いてシエルよ。空という意味よ」
男は急に笑い出した。
こいつは面白い。こんな俺に、空、と名付けるのだから。こいつはきっと、バカなのだ。きっと……。
「シエルか……。よろしくな」
颯は自然と窓から見える空を見ていた。シエル。良い名です。
それから二人は、食事のときにだけ顔を合わせていた。学生の紫織は、昼間は学校に顔をだし、夕方から夜にはお嬢様としての公務をこなしていた。男は、何かをすることもなく、何事もない日々を過ごしていた。目立って悪事を働かせるわけでも、外に出て遊ぶわけでもなかった。一日中、食事の時以外は基本部屋に閉じこもっていた。
しかし、紫織は彼を信じ切ることはしなかった。担当の使用人を二人つけ、世話係兼監視をさせていた。だがそこでも、変わった様子はないという報告しか受けなかった。
依然として男は、自らの口から何故怪我をして倒れていた理由を話さなかった。本人は、記憶が無いというのだが、それも本当かどうかは分からない。
名も知らぬ男を家に滞在させていることを父に知られれば、追い出されるかもしれないが、それでも彼を追い出したところで、何かが解決するわけではない。寧ろ、悪化するかもしれない。今回は、撃たれただけで済んだものが、今度は命を奪われるかもしれない。
彼は誰で、何者なのか……。撃たれるには撃たれただけの理由がそこにはある。
ある日、二人はディナーを食べていた。紫織は、食後のデザートを一口食べた。あっさりした林檎だった。
「シエル」
「何」
ここ数日一緒に過ごして、彼は随分と変わった。はじめはお嬢様の私に、敬語でどこか他人行儀だったのが、今では慣れた影響か、ため口で遠慮すらない。
「あなた最近、慣れ過ぎよ」
「いいじゃねぇか。気にするなよ」
「全く……」
「それで何だ? 聞きたいことでもあるのだろ?」
「記憶……戻ったの?」
「記憶か……。たまに悪夢を見る。でもなぜかいつも同じところで切れるんだ」
「切れる?」
「そこで終わってしまうっていう感じか!?」
周りには数人の無残な姿。皆の血が飛び散っている。そこに立っているのは、俺と返り血を大量に浴びたフードを深く被った人影。
『ふざけるな!』
『ふざけてなどいません。私は私なりに、自分の仕事を全うしているだけです』
『全うだと? 人を殺しておいて言えるセリフか!』
『それが私の仕事です』
そういった人影は、シュッと目の前にナイフを突き立てた。
驚き後退ったその時、強い風が吹き、被っていたフードが脱げた。
『お……お前は……』
人影は笑みを浮かべ、銃口を向けた。
『People who hunt the future』
人影の顔が見える寸前でいつも止まる。いつもこの夢を見る。
これは一体何なんだ!? 俺は……。どうして、あいつの顔が見えない? 何か鍵になるはずなのに……。クソッ!
「なるほど、その誰か分からない人影のフードが脱げて、顔が見えそうなときにいつも夢は途切れる……」
「そうなんだよ。もう少しなのに……」
「もう少し……か……」
紫織は考える素振りをしていた。
――――何をそんなに考えている!?
やがて紫織は立ち上がり、笑みを浮かべた。
「あまり無理はしない方がいいんじゃなくて?」
「……大丈夫だ」
「そう。命すり減らすようなことしないようにね」
「あぁ」
紫織と颯が立ち去ると、紫織が付けてくれた使用人の女中が近寄ってきた。
「シエル様もそろそろ戻りましょう」
「なぁ葉月」
「はい」
「……何もない」
「戻りましょう」
戻る途中、廊下の窓の外を見ると曇っているのか星の見えない空が広がっていた。
❦
数週間後、紫織は普段通り学校に登校していた。昼休みになると、紗良が寄ってきた。
「行こう」
「うん」
二人は屋上に向かった。いつも屋上で昼食をとっているのだ。屋上には、いつもの顔ぶれがいた。紗良と紫織は、屋上の角に行き座った。
「ねぇねぇ、そういえば知ってる?」
「何が?」
「ほらあの政治家の鈴木っておじさん」
「……あぁ、死んだんだってね。今朝ニュースで見たよ」
「最近政治家とか有名人とか……よく死んでるよね……」
「確かに……」
ここ最近、政治家が次々に不可解な死を遂げている。公表されている情報では、皆殺害されたようだと言われていて、何れも銃殺、撲殺、刺殺など殺害方法は様々で、何故殺されたのか、誰に殺されたのかが未だ分かっていない、色々と謎の多い、不可解な事件。事の発端は、四年前のとある女性が殺害された事件からだろうと警察は発表をしている。その彼女の名は、サクラ・シャインディ。若くして国民からの信頼を得ていた女性政治家だったのだが、ある日、自宅で殺害されているのが発見されたのだった。
そして今朝、また政治家が殺害されたというニュースが流れていたのだ。
「全員同一犯かな?」
「でも殺害方法違うんだよ?」
「うん……。ただ変えているだけかなって」
「あぁ、なるほどね。それはあるかも」
「でしょー。だから、どうなんだろって」
「う~ん……」
紗良をはじめとする友達も先生も、紫織が探偵だということは知らない。
そして紫織は、依頼以外は興味のあること以外に推理はしない。調べようとも思わないし考えようとも思わない。この四年間の事件も興味が皆無というわけではないが、調べようと思うほどの興味が無い。
「紫織?」
「……あ、ごめん」
「もう」
どうやらボーっとしていたらしい。
「ごめんごめん」
「あ、そうだ! 紫織」
「ん?」
「今度図書館行かない?」
「図書館?」
「私やっぱりこの事件気になるんだぁ」
紗良は、高校で出会った友達だが、会った時からこの事件のことを気にかけていた。何がそんなに気になるのか全く分からないが、彼女は将来警察官になることを夢見ている。そういうことからの正義感なのか、ただの興味本位なのかは知らないが、自分まで巻き込まないで欲しいといつも思ってしまう。
誰一人、今まで紫織の家には来たことがない。それ故、あの有名な神永家とたまたま同じ名字の女の子という風になっている。本人なのだけど。ただ、学校長や理事長には話をつけてはいるが、まさか、同級生があの神永家のお嬢様だとは誰も思わないだろう。もし、今打ち明けたとしても、冗談で終わってしまうのがオチだろう。紫織自身、自慢をする気も大っぴらに公表する気もないので、この状態が一番いい。普通が良い。
「紗良は警察官になるのよね」
「うん! きっと、なってみせる!」
紗良は笑顔を浮かべ、頷いていた。
その様子を紫織は見ていた。しかし、紗良の笑顔はくもり、呟くように言った。
「お母さん……お父さんの……仇を……」
「……紗良……」
❦
日々、紫織のもとにはたくさんの依頼が舞い込んでくる。不倫問題や詐欺問題など様々なことを調べ上げる。その確かな情報と腕に皆は信頼をおき依頼をする。しかし、紫織は探偵として依頼人などの前に現れる時は、身分を隠し名前を変えているため、誰もまさか今目の前にいる若き探偵が、神永紫織とは気付かなかった。
依頼人との話を終え自室に戻ってきた紫織の目の前に、本をだらしない恰好で読むシエルがいた。シエルには、出会った時から部屋を一部屋もうけているのだが、なぜか、いつも紫織の自室にいた。
「また……。全く、あなたは自分の部屋に戻りなさい」
「よ!」
紫織は大きなため息を漏らした。
「まぁ、そう気にすんなって」
紫織は椅子に座り、颯が持ってきておいたのであろう紫織への郵便物の束に手を伸ばした。そして一通一通丁寧に目を通していった。
シエルは、その様子をチラチラと見ていた。紫織の様子を見ていたシエルは、あることに気付いた。紫織は、開き読んだ手紙を何故か三つに分けて置いていた。その郵便の共通もばらばらで差出人も全くのばらばらだった。
――――何故分けている?
紫織は、立ち上がりその全部を分けた状態のまま引き出しに直していた。そして、振り返り言った。
「ディナー食べに行きましょう」
「今日早くねぇか?」
「私今日、明日忙しいの」
「いつも暇なんだ」
「何故そうなるのかわからないけれど、食べたくないならいいのよ」
「食べる食べる!」
部屋を出て行く手前、シエルは、一瞬あの引き出しを見た。
❦
その日の夜、皆が寝静まった頃、シエルは神永家の庭にいた。
――――この家のセキュリティ半端ねぇな……
そしてシエルは、庭の外へと飛び出し暗闇へと姿を消した。
その様子を、紫織は自分の部屋の窓から眺めていた。
❦
「おーい!」
コンッコンッ
「おいって!」
翌朝、シエルは紫織の部屋へと続く扉を叩いていた。しかし、呼びかけに答える声は返ってくることは無かった。
チッ……。何で居ねぇんだよ。今日学校休みだろうがよ。ったく……。
そのとき、シエルはふと紫織の言葉を思い出した。
『私今日、明日忙しいの』
忙しい……って言ってたけど、あいつ何やってるんだ? 公務か? 探偵の仕事か?
諦めて自分の部屋に戻ろうと、一歩後退った時、何故か分けていた郵便のことを思い出した。
そういえば、あれは何だったのだろうか。というより、何故人の郵便物に興味が生まれるのか。妙に気になる。紫織は変な奴だ。いつも笑っていて、学校では弱弱しいくせにちゃんとしていて。裏と表が激しい。人に無関心そうだし……。ニュースを見て、殺人未遂事件や殺人事件などを見てたまにため息をついている。そんなに興味はないと言っていた。しかし、実際のところどうなのだろうか。あいつは一体何なんだ!?
まぁ、俺も人のこと言えないかもしれないが……。
これはチャンスかも! 部屋には誰もいないってことだよな? あいつがいないなら、使用人だって部屋に用はないはずだ。よし、入ろう。そして、あわよくばあの郵便物を……。
ドアノブに手をかけ開けようとした。しかし、鍵がかかっているらしく扉はガタガタと音をたてただけだった。
まぁそりゃそうか……。セキュリティ高いのに鍵締めてないとバカだよな。はぁ……。どこか開いてないだろうか。
しかしきょろきょろと見回しても、どこも開いていなさそうだった。
仕方ない。今日は諦めるか……。
「何をしているのですか?」
「え?」
声を掛けられ振り返るとそこには、不思議そうに首をかしげる翔琉がいた。
「あ、いや……。紫織は?」
「お嬢様でしたら、庶務があり出掛けておりますが」
庶務……か。
「お嬢様の部屋に何かお忘れ物ですか?」
忘れ物じゃないんだけど……。
もしかして、こいつ。紫織の自室の鍵持っているのか!? だったら忘れ物ってことにするか……。でもな……。忘れ物してないしな……。
「忘れ物じゃなくて、本を借りに来た」
「本……ですか?」
「紫織の部屋にある本棚にある本を借りに来た。面白い本があそこにはたくさんあるからな」
「なるほど……。ならばお部屋に入りますか?」
お! 来た来た。
「勝手に入って大丈夫なのか?」
「これでも第二執事ですので」
「翔琉って言ったか?」
「はい」
「じゃあ、本借りさせてもらえる?」
「分かりました。しかし、シエル様」
「ん?」
「申し訳ないのですが、鍵を持っているのは颯だけでして……」
「……え?」
「颯とお嬢様本人しか持っていないのです」
「で、その肝心の颯は?」
「今から呼んできます」
まずいな……颯が鍵持ってるのか。あいつは面倒だ。
「鍵だけだし俺がとってくる」
「それは構いませんが、どこにいるのかご存知ですか?」
「あ……いや、それは……」
「大丈夫です。私がとってきます」
「お、お願いします……」
翔琉は一礼しそのままどこかへと行ってしまった。
危なかった。鍵をとってくるとは言ったが、颯がセットでついてこないだろうか? どこかで聞いたことのあるもれなくついてくる! みたいなパターンは今はいらない。ただ、紫織の手紙を読んでみたいだけだ。ハッピーセットに無駄なものはいらない。
しかし、紫織は不思議なやつだ。一緒に過ごしているうえで互いのことをしる瞬間がある。紫織の感情に何故か無性に違和感を覚えてしまう。でも、何が可笑しいとか何に違和感を覚えているとかそんなことまでは分からなくて、結局、何でもなかった、と思ってしまう。俺の記憶にあいつは関係ないと思ってはいたが、それは的はずれのようだ。
もしかしたら、少しは関係しているのかもしれない。
逆に全く関係ないのかもしれないが……。それはそれだ。
何かしらこの出会い、この時間は何かきっかけとなってくれているはず。
神永家は、昔から良い噂しか聞かない。悪い噂なんてミジンコ程度でも無いだろう。少なくても、記憶が無い俺が言っても説得力はないだろうが、無いと思う。
シエルがそんな考えを巡らせていると、走り部屋へ戻ってくる紫織と颯がいた。
結局、ハッピーセットのようにもれなくついてきた颯がいる。しかも、出掛けていたはずの紫織までいる。手紙を見たいだけだったのに、これでは、絶対に見ることは出来ない。
二人は走り、シエルのそばまで来た。
鍵を開けに来てくれたのかと思ったが、紫織と颯の表情からそうではないことが窺えた。何かがあったようだ。
「シエル……」
「どうした? 汗かいてるじゃねぇか」
「紗良が……」
「紗良?」
確か、紫織と同じ高校の同級生だと聞いたことがあるような……。
「お嬢様、急ぎましょう」
颯は、シエルに目もくれず部屋の鍵を開け制服を手にするとまるで魔法のように素早く、紫織を制服に着替えさせた。男が女の着替えをするのはどうかと思ったが、二人はまるで気にしていないようだった。俺がそう考える方が可笑しいのか? 俺は一応変態じゃないと思う。
二人はシエルを放置して、どこかへ向かい始めた。
「おい、どこ行くんだよ」
「学校よ!」
「え? 今日は休みだろ?」
「紗良が殺されたのよ!」
シエルは驚きのあまり声が出なかった。紫織の瞳からは、涙が溢れ出てきていた。
紗良が死んだだと? 何故? 殺された? 誰に?
シエルは、思うよりも先に体が動いていた。気づけば、颯の運転する車に紫織と一緒に乗っていた。
紗良という人物は、紫織からきいたほどしか知らない。
聞いてもいいものなのか。
「なぁ紫織……」
「紗良は私の同級生で友達よ……。今朝、体育館で銃殺されていた……そうよ……」
紫織の声は震えていた。当たり前だ。友達を亡くしたのだ。
「殺されたってことは……」
「犯人捜し……かしらね」
「早く、見つかるといいな……」
「……」
紫織は何も言わなかった。いや、言わなかったのではない。言えなかったのだ。紗良は、少し面倒な性格でもあったけれど、一番高校生活の中で仲良くしてくれた人でもある。嫌いだと感じたことはあまりない。自分の数少ないよき理解者であり友達だと思っている人物であった。
シエルは、寂しそうな表情を浮かべる紫織を見ていた。
彼女もたまにはこんな顔もするんだな……。一応お嬢様でも人間らしい。俺が今まであったことのある貴族の中で一番人間らしい。
――――ん? 俺の会ったことのある貴族?
紫織とシエルは学校につくと素早く車から降り、野次馬が集まっている場所へと走り寄った。
野次馬が囲む周りには、規制テープがひかれていた。そこには、警察が集まっていた。しかしそこには、もう、紗良の遺体はないようだった。
紫織の姿を見た男の警察官がひとり、紫織に近づいてきた。
男は、警察手帳を出し紫織らに見せた。
「私、警視庁捜査一課の足立和樹と言います。失礼ですが、あなたは神永紫織様ですね?」
紫織が答えようと口を開きかけたその時、颯が前に出てきた。
「捜査一課の足立様、お嬢様のことをご存知のようですね」
「これは申し訳ありません。護衛の方でしょうか?」
「お嬢様付第一執事の颯と申します。こちらが、シエル様です」
シエルは、小さく頭を下げた。
足立は、颯、シエル、紫織を順番に見た。
「執事でしたか。流石、神永家ですね。警視庁捜査一課の一部の人間のみ、神永家の者を存じております」
「そうでしたか」
「そして、まことに申しあげにくいのですが、神永紫織様。少々お時間を頂いてもいいでしょうか?」
紫織が問うより早く颯が口を開いた。
「何故でしょうか」
「皆さん順番に事情聴取をしております」
紫織はその言葉を聞き、颯を制した。
「分かりました。しましょう」
「しかしお嬢様……」
「紗良は私の友達です。疑われるのは私でしょう」
足立は紫織を見据え微笑していた。
「そうですな」
颯は足立を睨んだ。それに気づいた足立は一礼し紫織に言った。
「申し訳ありません。ご同行願います」
「もちろんです」
紫織は颯とシエルを見た。シエルは面倒くさそうにポケットから棒つきキャンディーを舐めていた。
「それから二人は、用が済み次第、私が帰らずとも先に帰っていてください。今日の業務を終え次第、寝て構いませんので」
「しかし……」
「颯。帰りが遅くなるかもしれません。私より皆を優先してください」
「……分かりました」
紫織は足立の後ろについていった。そして、颯はシエルに車の鍵を渡した。
「シエル様は先に帰っていてください」
「は? お前は?」
「私はお嬢様を待ちます」
「皆を優先しろと……」
「それは……」
そういって颯はある一点を指さした。そこには立派な木がたっていた。
「彼がちゃんと聞いていたでしょうから、大丈夫です。彼に一任します」
「彼って?」
シエルが、指さされた木の下まで行き見上げるとそこには、翔琉がいた。
「お前こんなところで呑気に木登りか!?」
「そんなわけありません」
翔琉はそういって飛び降りた。
「お嬢様の監視です」
「監視ねぇ……」
❦
同日の深夜、紫織は事情聴取を終え学校まで車で足立に送ってもらっていた。
「本当に学校までで良いのですか? 家まで送りますよ」
「大丈夫です。寧ろ学校で下してくれた方がいいですので」
「何故ですか?」
「関係のない人に家を知られるのを防ぐためです」
「ほぉ……。家に来られては困ることでも?」
「まだ……疑っているのですね」
「すみません、警察は疑うのが仕事で……」
「構いません。しかし、困ることはありますね」
「それは、何ですか?」
「ごめんなさい、あまり詳しくは言えません」
「気になりますね、その言い方」
「そうですね。でも、事件とは全く関係のない神永家の問題です」
「さっ、学校前に着きますよ」
「ありがとうございます」
足立は車を路肩に止め、紫織は降りた。
「ありがとうございました」
「紫織様」
「はい?」
「今後も何度かにわたって事情聴取があるかもしれません、友達を亡くされているうえに疑ってしまい本当に申し訳なく思いますが、よろしくお願いします」
「早く犯人……捕まえてくださいね」
「また、なにかあったらお願いします」
「はい、では、また」
「おやすみなさい」
車が去るのを見送り、紫織は後ろを向いた。
やっぱりいると思った。いないはずがない。主を置いて帰れるほど、そんな余裕はどうやらないらしい。
「お疲れでしょう、お嬢様」
「颯、あなたね……」
颯は自分の着ていた上着を羽織らせると笑みを浮かべた。
「帰りましょう」
❦
シエルは紫織が帰宅したのを見ていた。
思ったより帰りがだいぶ遅かった。ここまで遅くなるのなら、部屋を漁っておけばよかった。でも、紫織はここまで遅くなるかもしれないということを見越していた。
『私が帰らずとも先に帰っていてください。今日の業務を終え次第、寝て構いませんので』
あの言葉は明らかに夜までかえって来られない可能性があることを踏まえたうえでの発言だ。何故夜までかかると思ったんだ? 銃殺といっていた。まさか、紫織が殺したのか? でも、動機が全くない。紫織が殺す理由なんてないだろう。大体もし仮に殺したとして、あんなに朝から焦った顔するか!? 知っているのなら、警察の前だけで演技は十分だろう。殺してメリットがないのだから、殺さない。ただのサイコパスなら話は別だが、かの有名な神永家がそんな汚職に手を染めているとも思えない。
大体、銃なんて早々簡単に入手出来るわけがない。
そんな考えを巡らせていると、背後から声を掛けられた。
「シエル様。そろそろお休みください。お体に障りますよ」
「あぁ葉月か。分かったからもう今日はいい。お前こそ寝ろ」
「失礼します」
葉月は一礼しシエルの部屋から出て行った。
シエルはそれを見計らったように着替えを始めた。
――――神永紫織……か……
葉月は長い廊下を歩いていた。そして、階段を昇りある扉の前に立ち、ノックをした。すると、中から颯が顔をのぞかせた。颯は、葉月であることを確認すると中へと入れた。
部屋の奥には紫織がいた。紫織はお風呂上りのようでバスローブを身に纏っていた。
紫織は葉月に気付くと、鋭い眼差しで見据えた。
葉月はそんな紫織の視線から目を逸らしていた。
「ご報告致します」
「今日の報告はいいよ」
「え?」
「どうせ一日部屋に閉じこもっていたのでしょうから」
「……その通りでございます」
「容体は?」
「最近は怪我を感じさせないほど至って普通です。完治したかのように見えますが、まだ傷口に触れると痛むようです」
颯はボソッと言った。
「銃弾に毒ですか……」
そこに翔琉が紅茶を手にきた。
木根に
「悪趣味だな」
颯はフッと笑うと、翔琉に笑みを向けた。
「あなたほどではないかと……」
「はぁ!? 喧嘩か! おぅ! いいぞ! しようぜしようぜ!」
紫織は苦笑していた。
全くこの子たちは……いつもこうなのだから。
紫織は、二人の口喧嘩に呆れ、葉月のもとに近寄った。
「葉月」
「あ、はい」
「彼、寝た?」
「と思います。寝ると言っていましたので」
言っていたか……。信憑性に欠けるけれど、まぁいい。時間が無い。
「分かった。ありがとう。それから、最近何か変わったことない?」
「変わったことですか?」
「例えば……夜彼が部屋にいないとか……」
「夜……ですか……。あ、そういえば」
「ん?」
「決まって、一日おきにどこかへ出掛けています。ただ、昼夜問わずなので……」
決まって一日おき……。
「それは今日? 明日?」
「えっと……」
葉月は指で何かを数えるように考えた。
「き、今日です!」
「でも今日は昼間に出掛けていない……。となれば、今から……」
今から出掛ける……。ということは、寝ていない……か。面倒だな……。
「葉月、あなたはもう下がっていいですよ。明日もよろしくお願いします」
「はい。失礼します」
葉月が部屋から出て行くのと同時に、颯が言った。
「どうされますか?」
「決まって一日おきに出かけているそうよ」
「はい、ただこんな人と口喧嘩していたわけではありません」
翔琉は子供のように騒いだ。
「こんな人とはなんだ! こんな人とは! 俺だって話くらい聞いてたしな!」
「では二人ともやるべきことは分かっていますね?」
二人はそろって頷いた。
紫織は、素早く着替えいつも手紙を直している引き出しから、一通の手紙を取り出し内ポケットに入れた。
シエルは、神永家の敷地内に佇んでいた。月明かりが眩しい。
――――さぁ出掛けよう
紫織は、どこかへと向かったシエルを見ていた。
紫織のそばに翔琉の姿はどこにもなかった。
❦
そして次の日、紫織は普通通り学校に登校していた。今は、神永家には翔琉、葉月、咲、そのほか使用人しかいない。他の使用人は、紫織の部屋の階までよほどのことが無い限り来ない。しかし、翔琉は必ず来る。葉月、咲は俺を探しに来るかもしれない。
シエルは、紫織の部屋の前で唖然としていた。入りたいが鍵が無い。使用人が来るかもしれない。さて、どうしたものか。
ここまで来ることは簡単なのに、なかなか中には入れない。
今日も諦めるしかない……。
❦
数日後、シエルは早朝から紫織の部屋で優雅に紅茶片手に本を読んでいた。
「どうしてこんなところにいるの? しかも朝から」
「んー? ここがいいから」
「全く……。子供」
「うるせぇよ。俺は餓鬼じゃない」
「自室に戻りなさい、あなたにも部屋があるでしょう?」
「俺はここが好き」
「あのね……」
「それより。お前に聞きたいことがある」
突然真剣に話し出すシエルに紫織は苦笑を浮かべていた。
本当に気まぐれな奴。
「事件解決したのか?」
あれから数回、事情聴取に呼ばれた。しかし、私が答えられるものは何もない。どうやら、紗良を殺した犯人がなかなか分からず、捜査は難航しているようだった。紗良は嫌われ者でもなければ悪に手を染めていたわけでもない。犯人探しに必要な証拠と動機が全くといっていいほど集まらない。
「していない。捜査は難航しているみたいよ」
「難航ねぇ……。俺がいってもだめかもしれないが、あの連続殺人と何か関係があるんじゃないのか?」
「どうしてそう思うの?」
「……なんとなく」
「根拠に全然なってないわよ」
「ふと思っただけだよ。本当になんとなくだ」
颯は紫織の制服を綺麗に整え言った。
「お嬢様、そろそろ」
「えぇ」
シエルはチラッと二人を見たが、すぐに、本に視線を向けた。
「シエル」
「なんだ」
「私今から出掛けるの。部屋に戻ってくれる?」
やっぱりそうくるか。
「面倒。あとで戻る」
「だから私部屋から出るの」
「いいだろ。もう一か月以上一緒に住んでんだから。下着とか見られたくねぇのかよ」
「……変態じじい」
「うるせぇ!」
「もういい。颯、行こう」
「はい」
颯、紫織と入れ替わるように翔琉が部屋に入ってきた。
ッチ。邪魔な奴が来た。こいつは一応、紫織に何だかんだ文句を言いながらも忠実だからな……。
「よ! 翔琉」
「よ! 翔琉じゃありませんよ。何故お嬢様の部屋にいるの?」
「お前さぁ、いつも思っていたんだけど、何で執事のくせに敬語じゃないの?」
「誰が使用人は敬語って決めたのです? 勝手な先入観は止めようよ」
「それ言われたら何も言い返せないけどさ、たまーに敬語じゃねぇか」
俺にもはじめは敬語だったくせに。
「これでも一応執事だし!?」
「お前執事の前は何してたの?」
「普通の人」
「即答かよ」
「それしか答えはありませんからね」
翔琉は、そういいながら紫織の朝食の後片付けを素早くしていった。
「紫織との出会いは?」
「そんなもの聞いてどうするのです」
「ただの興味本位」
「出会いは結構昔です」
「じゃあ、執事になったのは?」
翔琉はシエルをチラッと見て、逸らしため息交じりに言った。
「約5年前です」
5年前……。そういえば俺は5年前なにしていたんだろう。結局ほとんど記憶戻っていないし……。
翔琉は片づけ終わり、部屋の片づけをしていた。
「なぁ翔琉」
「何ですか?」
「お前……執事なんてやりたくないんじゃねぇのか?」
翔琉は驚いたようにシエルを見た。シエルは相変わらず本に視線を向けていたが、翔琉の視線に気づいたのか鋭い視線を向けた。
シエルは何故自分がこんなことを口走ったのか全く分からなかった。気が付けばこんな言葉が口から出ていた。俺は一体何なんだろうか。
翔琉はシエルから視線を逸らし、カーテンを閉めて言った。
「寝言は寝て言うべきですよ。じゃ、俺はここで」
「俺を部屋に置いていていいの?」
「別に俺はお前のことどうとも思ってないし」
俺は……か。
そう言って、翔琉は部屋から出て行った。
ようやく一人になった! そして、紫織の部屋だ!
シエルはニヤリと笑みを浮かべていた。
作戦成功! やっぱりあいつが出かける前から部屋にいるって、アリだったな!
シエルは本を閉じ、テーブルの上に置くと立ち上がり部屋を見回した。
厄介なのは監視カメラや翔琉が戻ってくることだが……。そんなことを今考えていては、全然進まない。バレる覚悟で色々と探ってみよう。もしかすると、紫織は俺のことを何か調べているかもしれない。俺の記憶が無い部分を知っているかもしれない。
シエルはまず、本棚を調べた。至って普通の本棚に、なにやら難しそうな辞典や書物が並んでいた。これが、高校生の本棚と言われれば超優秀生なんだなと思うに違いない。一冊一冊手に取り中をぺらぺら捲るが、とくにこれと言って変わったものは無かった。しかし、ある一冊にたくさんの付箋が張られていた。何語か残念ながら分からないが、その海外の本だけは何かが違った。何が違うかと言われれば、見た目だけの判断となるが、他の本に比べて少し使い込んだ感じがある。そして、その本の一番最後のページから一枚の写真が落ちた。小さい女の子とその兄だろうか? 若い男の子が3人。その子供のそばに男性と女性がいた。よくある家族写真のようだ。しかし、女の子はどこかで見覚えのある顔だった。見た目、小学校高学年くらいだろうか。何とも言えぬ美人だ。
――――ん?
家族の背後に犬が3匹も写っていた。どれも犬種は同じようで、ずっと家族の方を見ている。まるで一緒に写真に写りたかったかのようだ。
「ウッ……!」
その時、急激な頭痛が襲ってきた。あまりの痛さに本と写真を落とし、しゃがみ込んでしまった。脳裏に微かに何かが過る。
――――記憶か……?
唸り声する方を見るとそこには、人に勢いよく噛みつき襲っている犬がいた。人は瞬く間に引き裂かれ、犬が捕食していた。
足が震え、立っていられなくなった。しりもちをつくと、無残な死体のそばに佇む人影が言った。
『もういい、やめなさい』
犬は多少不満そうに、人影のもとに近寄った。人影は、深くフードを被り顔が全く見えなかった。
一体誰なんだ……? ここは……どこだ……?
人影は、自分の方を向いた。その視線を追うように犬もこちらを向く。今にも走り飛びかかってきそうな唸り声だった。しかし、人影が指示しないからかそこから一歩も動くことは無かった。
『おい』
『は、はい……!』
『あなた……誰です? 今回のミッションにあなたの顔は上がっていない。ただの通りすがりの者?』
ガクガクと体が震え、思うように言葉が出ない。体のあちらこちらについている皆の血が気になって仕方が無かった。
『……こ、ここここれはどういう……ことだ』
『見ての通り』
『お、お前は……何者なんだ』
『今から死にゆく者に教えても仕方がないですからね。まぁどうしても聞きたいというのなら教えて差し上げますが……』
『し、死にゆく!?』
『一応これ仕事なので、関係無い者を殺すのは私の美学に反しますが、ミッションは完璧に終わらせなければ報酬が貰えないのです。それに、後の仕事に影響が出ます。例えば、あなたを生かしておいてあなたが私のことを話したなら最悪です』
『ふざけるな!』
『ふざけてなどいません。私は私なりに、自分の仕事を全うしているだけです』
『全うだと? 人を殺しておいて言えるセリフか!』
『それが私の仕事です』
そういった人影は、シュッと目の前にナイフを突き立てた。
驚き後退ったその時、強い風が吹き、被っていたフードが脱げた。
『お……お前は……』
人影は笑みを浮かべ、銃口を向けた。
『People who hunt the future』
シエルは頭痛がひいていくのと同時に立ち上がり、本と写真をもとに戻した。
今のは記憶の断片だろう。しかし、やはり顔が見えない。フードは脱げても顔だけが見えない。
この犬は……あの犬なのか……。記憶の断片が見えたおかげで一つ確信を持てた。
――――やはり、この神永家。何か俺に関係がある
シエルは、他にもアノ引き出し以外すべての場所を見て回った。しかし、特にこれといっておかしなものもなく極々普通の日用品や学校のものがあるだけだった。
家具の下も念のため覗いた。しかし、ほこりもなければ落し物もない。何かの仕掛けがあるわけでもなさそうだった。床に隠し扉でもないのかと足踏みをしてみたが、全く分からなかった。薄手の絨毯が汚れなく綺麗にひかれているから床に不自然な切れ目が入っていても見えない。シエルがそう思いながら絨毯を眺めていると、気になるところを見つけた。シエルはそこを手で触ってみた。手に付かない。絨毯が紅色だから今まで全く気付かなかったが、これは赤黒い絵の具……いや、血……だろうか!? でもなぜ? 紫織はどこかを怪我しているのだろうか。でもこの固まりを見る限り、だいぶ前に落ちたものだろう。流石の颯でもここまでは気づかなかったらしい。後に気付いたのかもしれないが、洗濯してもなかなか固まった後では落ちにくいものだ。
シエルは気になりながらも、あの引き出しの方が気になって仕方が無かったからか、立ち上がり引き出しに近寄った。シエルは引き出しの前に立つと深呼吸をした。
やっと見れる……。しかし、ここまできて急に緊張してくるのは何故だ。変な気持ちがする。
そして、引き出しに手をかけ勢いよく引っ張った。
――――あれ?
しかし、どんなに引っ張っても開くことは無かった。
可笑しい。鍵は無い。穴も無ければボタンもない。なのになぜ開かないのか。何か特別な仕掛けがあるのか……。しかし、シエルが開けるときはいつも普通に何もなくスッと開けている。何故だ……。ここまできて……。
「クソッ!」
勢いよく、壁を殴った。壁に穴でも空いたかと少し不安になったが、丈夫なようで無傷だった。どちらかというと自分の拳の方が重傷だ。
「どうしましたか?」
シエルが驚き横を見るとそこには、颯がいた。
「りゅ、颯!?」
「何故そんなに驚かれるのです?」
「あ……いや……。その……学校に行ったんじゃ?」
「私は学校には送るだけで行きませんよ。身分を隠していますので……。それに、見張りは翔琉がいます」
「そうだ。翔琉ってなんで監視してるの?」
「それが、仕事だからじゃないでしょうか? お父様からの命で」
「で、その前から聞くお父様ってどこにいるの?」
「……シエル様には関係のないことです」
全く、いつも肝心なところは濁すのか。
「それで、シエル様。何をなさっているのです?」
颯は、シエルのそばの引き出しに視線を向けた。
「あ、いや……。この部屋って珍しいインテリア品多いからどんなのがあるのかなと。いいだろ、俺の数少ない趣味だ」
「そうですか……」
「お前こそ何しに来たんだよ」
「私はものを取りに来ただけです」
颯はそういうと、シエルと引き出しの間に割り込み、引き出しを開けた。その引き出しは、さっき、シエルが開けようとして開けることのできなかった引き出しだった。しかし、颯はその引き出しを開けていた。
――――え!? 開いた? 何かが引っかかっていただけなのか?
そしてその引き出しには知っている通り、たくさんの手紙の束が3つに分けて入っていた。颯は、三つに分けているうちの一束を手に取ると、何かを探し始めた。そして、一通を手にすると、他を元に戻した。
「シエル様」
「あ、あぁ」
「ここは一応お嬢様のお部屋ですので、勝手に部屋のものに手を触れないようお願いします」
「……もちろんだ……」
「それでは失礼します」
颯は一礼して、部屋を後にした。
シエルはもう一度、引き出しを引っ張ってみた。しかし、開くことは無かった。
「何で……」
鍵で開けているわけでもなく、無理に開けたわけでもなかった。何かが引っかかり開かなかったのかと思ったが、そうではないらしい。颯が開けば開き、俺が開けば開かないということか……。限られた数人のみだけが開け方を知っているというわけなのだろう。
こんなセキュリティを掛けられると、さすがに気になって仕方がなくなってきた。この引き出しを破壊してでも開けたくなってくるものだ。
シエルは今日は諦め、自分の部屋へと戻って行った。
部屋に戻ると、咲が部屋の掃除をしていた。
「シエル様、申し訳ありません。まだ掃除が終わっておりません」
「いや、いいよ、別に。それより、俺少し休む」
「お体の具合が悪いのですか?」
「んー。なんか疲れた」
「何かお持ちしましょうか?」
「じゃあ、休める紅茶とか」
「かしこまりました」
そういって部屋を出て行こうとする咲を目で追っていると、あることに気付いた。
「おい、ちょっと待て」
「あ、はい……。どうしましたか?」
「あれ」
シエルがあごを動かし指すと咲は言った。
「お花でございますか?」
「飾ったのか?」
「私がここに来た際にはありましたので、葉月かと思われます」
「葉月か……」
「片づけた方がよろしいのならば、片づけますが……」
「……いや、いい」
「では、紅茶をお持ちいたします」
咲はそういい一礼すると、部屋を後にした。
シエルは、ため息交じりに花に近づいた。
「これは……」
何の花だろうか。俺は花には詳しくはない。
それにしても、綺麗な花だ。甘いいい匂いがする。この匂い、嫌いじゃない。でも……この花はどこかで見たことがある。俺の知っている花なのか……。
シエルは笑みを浮かべ、花びらに触れた。
「あ…………」
シエルは黙り込み固まった。
やがて触れ落ちた花びらを拾い手のひらに置き眺めた。
――――……この花は……
❦
それから数か月間、シエルは一日おきに必ずといってもいいほどどこかへと出かけていた。そして、この数か月間も殺害された遺体が見つかり続けていた。紗良を殺害犯人すら見つけられない警察は、世論から猛批判を受けていた。
紫織は、ここ数週間学校を休み、仕事だ、といい出掛けることが増えていた。決まって同じ服を着て出かける紫織を見て、シエルは、その服装に意味はあるのか聞いたが、紫織は仕事着としか答えなかった。
世界中様々なところで偉い政治家が死に、裏取引をしていた者たちも死んだ。
この数か月で一体何人の人が死んだだろうか。いや……殺されただろうか。
なかなか警察は犯人の足取りを追えずにいた。がしかし、つい昨日になって紫織のもとにあの警察く官がやってきた。
『紫織様』
『お久しぶりです、足立さん』
足立は、隣に立つ部下を紹介した。
『彼女は最近この連続殺人事件の担当になった飯島美波』
飯島は笑みを浮かべ警察手帳を掲げた。
『飯島です。よろしくお願いします』
『こう見えても口は堅い。よろしく頼みます』
『はい、こちらこそ』
『それで早速なのですが、この連続殺人事件にある共通点が見つかりました』
『共通点……ですか?』
飯島は、内ポケットからビニール製の袋を取り出し紫織に差し出した。紫織は受け取り中を見た。
『これは……封蝋ですか?』
『その通りで、封蝋の欠片と思われます。これは、つい先日殺害された議員の笹原の殺害現場にあったものです』
『こんな感じの封蝋が他の殺害現場にもあったのですか?』
『大きさや形、色こそさまざまですが必ずありました』
『どうしてこんなにもこの共通点を見つけるのに時間がかかったのでしょう』
『人員不足と注意を行った鑑識がいるからだと思います』
『その鑑識さん……大丈夫ですか?』
『今は別の鑑識がしておりますので』
『なるほど……。それにしても封蝋となると犯人は限られてくるのではありませんか?』
『はい、そこが問題なのです』
『……まぁそうでしょうね』
飯島は首を傾げ言った。
『どうしてですか?』
紫織は封蝋を飯島に返しながら言った。
『普通の手紙や郵便物には封蝋なんてしません。皆さんが手紙等を出す際は、テープやノリ、シールでとめると思いますから。封蝋を使うとすれば、役職が上の者だけです。しかもかなり上で、国々を支えているような……』
『それって……』
『まだわかりませんか? 政府の幹部クラス以上の者、総理、大統領、裏マフィアの幹部と繋がっている者などかなり金脈があり人脈と情報網がある者ばかりです』
足立は言いにくそうに言った。
『そ、そうなのですが……もう一つの可能性が今、浮上していまして……』
『神永家と言いたいのでしょう?』
足立は苦笑していた。
『その通りです』
『神永家も同じく封蝋を使い、ここに届く郵便物のほとんども封蝋ですからね。疑いの目が向いても仕方の無いことでしょう』
シエルはその会話を立ち聞きしていた。聞きたくて隠れ聞いているわけでは決してなかったが、たまたま廊下を通ると聞こえたので聞いていただけだった。
シエルは庭の木陰で本を読んでいた。すると、そこに紫織がやってきた。
「そんなところで本を読んでいると風邪をひくよ」
「もう春だ」
「蜂に刺されてもしらないよ」
「俺は俺だっていつも言ってるだろ」
「はいはい」
紫織はそういうとシエルのすぐ隣に座った。
「いつも何読んでるのよ」
「うるせぇ」
「あなた容姿は良いのだから、性格を良くしなさいよ」
「お前に言われたくねぇよ」
「素直じゃないのだから」
「……なぁ」
「はい?」
「お前犬飼ってるの?」
「どうして?」
「いや、動物好きそうな顔してるから」
紫織は笑みを浮かべていた。
「そんなこと言われたの初めてよ」
「良かったな」
「飼ってないわよ」
「そうなのか」
「あ~でも、鳥なら飼っているわよ。いつも放しているから夜と朝にしか触れ合わないけど」
「そういえば空を飛びまわっていたのを見たことがある気がする」
「目だけはいいのね」
「お前に言われたくねぇよ。……で、何か用かよ」
「あら、ここに居たら悪い?」
「いいから用があるなら言えよ」
紫織はスッと立ち上がり木陰から出ると振り返り言った。
「もし記憶が戻って、自分のことを思い出したのなら自分の家へ帰りなさい。そこが、あなたの居場所よ」
「……急に何だよ」
「もしも思い出したとき、私のことを思ってくれて残るなんてことしなくて良いから」
「誰がお前のことなんて思うかよ」
「そうね……」
紫織は笑みを浮かべていた。シエルはそんな紫織をただ見据えていた。
「あ、それと……」
「ん?」
「私今日夜いないから」
「どこか行くのか?」
「えぇ……。仕事よ」
そういう紫織の表情はとても哀しげだった。
❦
その夜、紫織は部屋に颯と翔琉といた。
翔琉は紫織に服を渡した。
「本当にいいの?」
翔琉は不安を隠しきれず、紫織に問った。しかし、紫織は微笑むだけで何も言わなかった。
そして、素早く着替えるとテラスに出た。今日はとてもきれいな星空がそこには広がっていた。
――――私にはもったいない……
紫織は空に背を向け、颯と翔琉を見た。そして、自分の手を見つめた。
いつまでこんな生活を続けるのだろう。
颯は時計を見て言った。
「お嬢様、そろそろ参りましょう」
紫織はため息交じりに颯に近づいた。
颯は内ポケットから紫織に一通の手紙を差し出した。
しかし、紫織はその手紙を受け取らなかった。
「……お嬢様……」
紫織は渋々受け取るとため息交じりに言った。
「行きましょう」
3人は夜空の下どこかへと向かって行った。
その3人の後姿を見据えるシエルの視線はとても鋭いものだった。
「シエル様、お休みにならないのですか?」
「なぁ葉月」
「はい」
「お前、あいつのことどれくらい知ってるんだ?」
「あいつ……とは?」
「神永紫織のことだ」
「神永家のお嬢様ということと探偵をしているといったようなことだけですが……」
シエルは、憫笑した。
――――あぁ……今日は星が綺麗だ……
❦
紫織と颯、翔琉は部屋に帰ってきた。
颯はいつものように紫織にタオルを差し出した。
「お疲れ様でした」
しかし、紫織は受け取らずある一点に鋭い視線を向けていた。
翔琉は首を傾げた。
「おい、紫織。どうした?」
しかし紫織は翔琉の問いに答えることは無く、ただその一点に視線を向けていた。
しびれをきらした翔琉は、紫織に触れようと手を伸ばした。するとスッと紫織の手がそれを制した。そしてようやく警戒しているような低い声で言った。
「そんなところで何をしているのです!?」
颯と翔琉は紫織の視線の先をよく見た。すると、そこには椅子に座り本を読んでいる人影がいた。いや、電気をつけず真っ暗な中なのだ。読んでいるというより開いているといったほうが正解だろう。
人影は、立ち上がり一歩また一歩と紫織らに近づき始めた。それを見た颯は、紫織の前に立った。
「どうして、あなた様がここにいらっしゃるのですか? しかもこんな深夜に」
「……お前らこそどこ行ってたんだ?」
「そのご様子、記憶はお戻りになったようですね。シエル様」
シエルは鼻で笑うと立ち止まった。
「あぁ、戻ったさ。おかげで俺が何者なのかよーく分かったぜ」
シエルは何も言わずただこちらを見据える紫織を見ていた。
こいつは何を考えているのか分からない。俺にとっては怖い存在だ。だが、そのパートナーの颯と翔琉はどうだっていい。俺には関係のないことだ。俺に興味があるのは、あいつだけ。
「なぁ紫織様。良ければ答えていただけませんか、どこで何をしていたのか」
紫織は依然黙ったままだった。颯と翔琉も何かを仕掛ける様子もない。無論、こちらを警戒はしているが。
シエルはため息をつき壁に背を預けた。
「答えてはくれませんかねぇ。半年以上一緒に過ごした仲ではないですか」
「あなたに答えるべきものはありません」
「やっと口を開いても否定の言葉。全く……。今そこにいる颯の話を聞いていた? 俺の記憶は戻った」
「だから何だというのです」
「は? 俺がお前のこと何も知らない輩だとか思ってたの? バカだなぁ~」
「……知らないはずがないでしょう」
シエルは嘲笑し言った。
「なら、当ててみてくださいよ。お嬢様」
「シエル。あなたの本名は確かにありません。しかし、こういう名を持っていますね? 殺し屋殺し」
「ピンポーン! 正解! 確かにその名は持っているねぇ。俺の本職だし!?」
「そしてあなたは、私と出会う数か月前、あなたを雇うボスにこう命じられた。『最強最悪の殺し屋、People who hunt the futureを殺せ』と……。つまり、未来を狩る人……私、神永紫織を」
「正解。しかし俺としたことが、数か月間死に物狂いで集めた情報にガセネタが入っていることに気付かず、お前を殺す計画を実行した。それが、お前と出会う前日の話だ。そして、実行した俺は瀕死の状態ながら逃げた」
「あなたのような凄腕が私に負けるとはね」
「俺は! お前に恨みがあるんだ!」
「恨み? 何のことかしら」
「お前、四年前の出来事も覚えていないのか! あれがそもそもすべての始まりだったんだぞ!」
紫織は全く覚えていないようで、首を傾げ肩をすくめていた。
「お前……!」
シエルは怒りのあまり、紫織に殴り掛かった。しかし、それを止めたのは翔琉だった。翔琉はニッコリと笑みを浮かべると、そのままシエルを投げ飛ばした。
シエルは悔しさのあまり涙が零れ落ちた。
❦
そう……ことのはじまりは四年前のあの日……。
俺にはその頃、結婚まで約束をしていた彼女、サクラ・シャインディがいた。
あの日は久しぶりにサクラと会う約束をしていた日だった。サクラは若くして政治家として誰よりも一生懸命に頑張っていた。表で頑張る彼女とは裏腹に俺は、裏で手を汚し続けていた。しかし、彼女はそんな俺でも好きだと言ってくれた。他の男と同じように接してくれた。温かさとやさしさを知らない俺は、彼女の温かさとやさしさに惚れた。
そして、俺が殺し屋となったのは四年前のあの日から数えて6年前だった。殺し屋となった日に、その時の師匠から聞いた名前の者を、ずっと探し続けていた。その者の名は『People who hunt the future』というのだそうだ。この者は、鮮やかに誰にも決してバレることなく、どんな難しい殺しの依頼でも難なく行ってしまう最強の殺し屋と言われていた。他の殺し屋が憧れ敬うその殺し屋を、俺ももちろん憧れ敬った。しかし、その者を見たことのある人は誰もいなかった。いることは確実なのだが、名を知るだけだったのだ。でも、俺はどうしてもその殺し屋に会ってみたかった。無理難題な願いかもしれないが、それでも会ってみたかった。しかし、もちろん探っても全く手がかりは掴めなかった。神出鬼没で、同業の人々が噂を聞いてその者が動いたことを知った時には、もうその場にはいない。裏から探ってダメならと、表から探ってみた。その際必要なのは表で働く者の助けだった。そのとき、彼女がピッタリだった。彼女に思い切って相談をしてみると、彼女は面白そうといい探ってくれていた。そして、あの日、彼女は何かの情報を掴んだようで連絡してきたのだ。
俺は彼女の住むマンションへと向かっていた。
晴れてはいたのだが、段々とこちらに雲が来ている。これは一雨きそうだ。
そして、彼女のマンションに着き彼女の部屋のドアの前まで来た。そしてインターホンを押す。しかし、全く声が聞こえない。何かが可笑しい。
念のためもう一度押してみた。やはり何も聞こえない。不在なのだろうか? しかし、約束の時間を破ったことなど一度もない。不思議に思いドアノブに手を掛けると鍵をかけていなかったのか、開いた。そしてそのまま靴を脱ぎ部屋の中へと入って行った。
「サクラー? サクラ? いないのか?」
部屋中を見て行くと、床にぽたぽたと血が広がっていた。
「……サ、サクラ!?」
急ぎサクラの自室に入った。すると彼女は床に無残な姿をして倒れていた。
「おい! しっかりしろ!」
抱き上げ血が出ている部分を見た。どうやら背後から何者かによって銃で撃たれたようだった。しかしまだ僅かに息がある。
サクラは薄らと目を開け、微笑んでいた。
「私……結局何も……出来な……かっ……た……」
「おい……。……おい!」
しかし、その呼びかけに二度と彼女は答えを返すことは無かった。
気づけば泣いていた。涙が溢れ出てきた。
すると背後で音がした。
反射的に振り返ると、そこには黒くふんわりとした容姿をした人影が立っていた。一瞬警察かと思ったが、どうやら違うらしい。手には拳銃が握られていた。顔は暗くて、全然見えない。顔は分からなかったが、これだけは確信をもって言えた。
「お前が……お前が殺したのか!」
人影は何も言わず、踵を返し去ろうとしていた。
「おい!」
人影は止まらなかった。
「お前がサクラを殺したんだな! おい、待て! お前は何者だ!」
その問いかけに、人影は静かに立ち止まり、振り返ることなく囁くように言った。
「People who hunt the future」
人影はそれだけ言うと、そのまま姿を消した。
――――未来を狩る人……
あいつだ……。俺が憧れ敬った……最強の殺し屋。People who hunt the futureだ……。でも……何故あいつが、サクラを……? 依頼が……あったからなのか……? それとも、サクラはあいつにたどり着いたからなのか……
どこが……最強の殺し屋だ! あいつはただの……裏切り者だ! クソッ!
何度も何度も拳で床を殴り続けた。
――――あいつだけは絶対ぇ許さねぇ!
❦
あぁ、あのときの……。
紫織はシエルの話を聞き、納得していた。
「俺はあの日以来、殺し屋を辞めた。憧れていた殺し屋は最悪な奴ということが分かったからな。俺は、殺し屋を辞め、お前を探しながら俺の彼女を殺した同業の殺し屋を恨み、殺し屋殺しになった……。しかしやはりお前は見つからなかった。あの時、顔を見ていればよかったと何度思ったことか分からない。
どんなに殺し屋を殺す際に、お前のことを聞き出しても皆知らないの一点張りだった。魔ぁ実際知らなかったのだろう。
そんな俺の腕をかってくれたのが、とあるマフィアのボスだった。今では有名なマフィアさ。俺はボスの下、幹部として命令された通り殺しを続けていた。そんなある日、ボスがこう言ったんだ。『次のターゲットはこいつだ』と。そして、一枚の写真を見せてくれた。それがお前だった」
だが俺はまだお前のことを知らない。俺は不思議に思ってボスに問いかけた。
「何で、こんな小さな子供を殺すんだよ」
「知りたいかい?」
「当たり前だ。中高生だろ、まだ」
「その通りだよ」
「殺し屋でこんなに若い奴が居たら俺は知っている」
「そりゃあ知らないだろうよ」
「殺し屋じゃないのか? だったら俺は殺さない」
「彼女はPeople who hunt the futureという名の殺し屋、通称死神だけど? それでも殺さないかい?」
絶句した。俺の探し求めていた殺し屋がこんなに餓鬼だったことに。そいつは四年前、確かにあの日あの場で俺にPeople who hunt the futureと言い残して言ったやつなのだ。驚くことにそいつは5歳から殺し屋になったらしい。そして11歳の歳、そいつは俺の彼女を殺した。
俺は凄腕の殺し屋の情報を事細やかに調べ上げた。情報屋なども使った。ボスからの情報もあった。そして顔さえ分かればお前の居場所さえすぐに分かった。
本名が神永紫織であることも。
そして、ボスの情報通りお前は大量虐殺をする予定の街にいた。そこは、治安の悪い地域でそこの政府から町人全員を殺して欲しいと依頼を受けて潜伏していた場所だった。
そしてその夜、お前は動いた。
お前はその技術と素早さで次々に殺していった。人々は丘の上に逃げた。だが、お前が見逃すわけがない。そのとき飼っていたのであろう、犬を、お前は放った。犬もまた殺し屋の技術を身に着けていた。噛みつき襲う、そして引き裂かれそのついでに食べる。人と同じくらい恐ろしい犬だ。
俺はお前を殺そうとポイントにお前が来るまで待っていた。しかし犬の嗅覚は凄い。あんな血なまぐさい中で俺を見つけた。俺は恐ろしさのあまりお前の前まで出てきてしまった。しかし、町人ではないと判断したのか犬は俺を襲ってくることは無かった。唸り声がする方を見るとそこには、人々を襲い噛み千切り引き裂く犬たちがいた。
俺は足が震え立っていられなくなった。しりもちをつくと死体のそばに佇む人影がこちらを見た。フードを深く被り顔は全く見えなかった。
「もういい、やめなさい」
その声に犬たちは多少不満そうに人影のもとに近寄った。
そして、人影はこちらを見た。その視線を追うように犬もこちらを向く。今にも走り飛びかかってきそうな唸り声だった。しかし、指示が出ないからかそこから一歩も動くことはしなかった。
「おい」
「は、はい……!」
「あなた……誰です? 今回のミッションにあなたの顔は上がっていない。ただの通りすがりの者?」
ガクガクと体が震え、思うように言葉が出ない。体のあちらこちらについている皆の血が気になって仕方が無かった。
こいつはやばい……、まじでやばい。
「……こ、ここここれはどういう……ことだ」
「見ての通り」
「お、お前は……何者なんだ」
やばい、頭が真っ白だ。早く、ここから逃げたい。
人影はため息交じりに言った。
「今から死にゆく者に教えても仕方がないですからね。まぁおうしても聞きたいというのなら教えて差し上げますが……」
「し、死にゆく!?」
「一応これ仕事なので、関係無い者を殺すのは私の美学に反しますが、ミッションは肩癖に終わらせなければ報酬が貰えないのです。それに後の仕事にも影響が出ます。例えば、あなたを生かしておいてもあなたが私のことを話したなら最悪です」
「ふざけるな!」
「ふざけてなどいません。私は私なりに、自分の仕事を全うしているだけです」
「全うだと? 人を殺しておいて言えるセリフか!」
「それが私の仕事です」
そこに二人の人影が来た。
二人……? 仲間か? ……待て……聞いてないぞ……! どういうことだ!?
「終わったの?」
「あぁ、終わった終わった。お前の方こそ終わったのかよ」
人影とは違い、フードを被っていない男二人の服も血で染められていた。そのうちチャラそうな男は、人影にそういうとため息を吐いた。
「全くかったりー」
人影は、スッとこちらを見た。その視線を追うように男二人もこちらを向く。
清楚系の男が言った。
「あいつは? 殺さないの?」
人影はじっとこちらを見据えていた。
「彼は……」
そういうと人影は、目にもとまらぬ速さで目の前にナイフを突き立てた。
驚き後退ったその時、強い風が吹き、被っていたフードが脱げた。間違いなく人影は、紫織だった。
「お……お前は……」
俺は本人か確認したら聞きたいことがあった。
「俺の……彼女を!」
紫織は妖艶の笑みを浮かべていた。
「殺しましたよ」
体に悪寒がはしり呼吸が荒れた。
こいつだ。間違いはない。
チャラい男は口笛を吹き言った。
「お前、誰?」
紫織が説明をした。
「私の正体を知ってしまった、サクラ・シャインディの彼氏。そして、殺し屋殺しの名のない男です」
「ふ~ん。何? 復讐でもしに来たの?」
「そうだ! 俺はお前をずっと探していた!」
紫織は、思い出していた。
「彼女ね……私の家族の友人だったのよ」
「家族の友人?」
『俺どうしても、People who hunt the futureっていう殺し屋に会ってみたいんだ! 俺の憧れなんだよ』
『落ち着きなさいよ、ばかね、誰も探してあげないなんて言ってないでしょう?』
『サクラ探してくれるのか?』
『もちろんよ。あなたのためならいいよ』
『ありがとう!』
サクラは、シエルと別れると友人に電話を掛けた。
『あ、もしもし? ソウ? ちょっと聞きたいことがあるの』
「彼女はそのソウという人物に電話を掛けた。そして、ソウと色々と話し私までたどり着いた」
『あ、分かったの! 多分あなたの会いたかったPeople who hunt the futureだと思うの! 今日会えるかしら?』
シエルとの電話を終え、サクラは、約束通り家に来たソウと紫織を見た。
『ごめんなさい、急にお呼びして。えっと……People who hunt the futureさんでいいのかしら?』
ソウが言った。
『どうしたら?』
『あのね、People who hunt the futureさんに会いたがっている人がいるの! 会ってくれないかしら?』
紫織はその言葉に驚いた。ソウがわざわざいうから来てみたが、どうやら最悪の展開になりそうだ。
『その願いは聞き入れません』
『え……どうして? 彼、あなたに会いたがっているの!』
『ごめんなさい、私のことを知る者は仲間以外いらない』
そういった次の瞬間、サクラを投げ飛ばし背後から撃った。
サクラは微かに口を開いていた。
『無理言って……ごめんね……』
紫織は驚いた。殺そうとしている相手に謝るやつは初めてだったから。
『謝る意味が分からない』
『最期にお願いがあるの……。私彼のために何もできてない……。だから……彼に一度でいいから……会ってあげて……お願い……』
そんな願い、知るものか。そう思っていたけれど、結果的に約束通り来た彼に名を明かした。
「そんなところかしらね」
シエルは話を聞き、持っていた短刀で紫織に襲い掛かろうとした。
しかしその瞬間、清楚系の男が自分のそばに立ち自分を抑えていた。
脂汗が出た。いつの間にこんなにも近くにいたのだ。自然と過呼吸となってしまう。
「悪いけど、妹をいじめないでくれますか? もちろん、妹を殺しに来たのなら私があなたを殺しますが」
「いもう……と……?」
紫織は笑いながら言った。
「あら、私のことしらべてきたんじゃないの?」
「お前……家族いたのか?」
「えぇ。人間ですもの」
清楚な男は、手にナイフを持っていた。少し動けば刺されそうだ。
「神永紫織、彼女は私の妹です。そして、そこに突っ立っている彼は私の弟です。そして、ソウは私です」
「ということは……お前……が……」
「そうですよ、私が彼女を裏切り殺しの手伝いをした。そしてどうせ死ぬ身。名前くらい教えて差し上げますよ」
「お前は誰だ!? 情報にも上がらなかった!」
「私達も情報屋は使いますからね。脅すことくらい簡単です」
「ガセネタか!」
「知っていたのですよ、あなたが今日来ることも知っていました」
「ふざけるな!」
「ですから、ふざけていないのだけど……」
チャラい男が言った。
「俺の名前くらい覚えとけよ、神永翔太だ」
「ショウタ……」
「それからそこにいる奴は、神永颯也」
「ソウヤ……」
颯也は笑みを浮かべていた。
「よろしくお願いします。そしてさようならの時間です」
紫織は、一瞬のうちに俺の目の前に来た。俺は恐ろしさのあまり声が全くでなかった。
「もし生きていたら私の名を覚えていて。そしてもう一度殺しに来なさい、今一度いう、私の名は……」
紫織は笑みを浮かべ、銃口を向けた。
「People who hunt the future」
❦
紫織とシエルが再び山の中で出会ったとき、確かにシエルは記憶を失っていた。しかし、撃たれた場所に咲いていた花と葉月が飾ったという花が一緒だったのをきっかけにすべてを思い出した。
どうにか自分自身のことを知りたくて、一日おきに出かけて情報集めをしていた。しかし、誰に聞いても自分のことを知る者はいなかった。今思えば当たり前だった。殺し屋で名もないのだから。
シエルは涙を拭き、よろよろと立ち上がった。
「だから! お前だけは許さねぇ!」
シエルは袖の中から短刀を取り出し、紫織に向かって投げた。
しかし、それは颯によって軽々弾き飛ばされてしまった。
シエルは足から崩れるように座り込み涙を流した。
「お前ら……誰なんだよ……。何でだよ……」
颯が言った。
「私たちのことも覚えていてくれましたか?」
「覚えているとも……。神永颯也、翔太、紫織……」
「ちなみに安心してください、今は犬を飼っていませんから噛み殺されはしませんから」
「紫織、お前言ったよな?」
「ん?」
「生きていて覚えていたらもう一度殺しに来いと」
「えぇ、そうね」
「だが喜べ、俺はお前を殺さない」
「……え?」
シエルはフッと笑った。
「お前、死にたいんだろ」
紫織は黙っていた。
「だから俺の記憶が戻る可能性があるにも関わらず、俺を置いておいた。記憶が戻った時、殺してもらうため」
紫織は黙り、シエルをじっと見据えていた。
シエルは拳を強く握り言った。
「何故、紗良を殺した!」
「紗良……」
「お前が殺したんだろ! 今までの連続殺人も! 全部お前のせいだろ!」
「えぇ……殺しました」
「何故殺した! 紗良はお前の唯一無二の友達じゃなかったのかよ!」
「正直……理由は無いのです」
「お前ふざけてるのか」
「私は殺しが大好きなのです」
「は?」
紫織はニッコリと笑みを浮かべていた。
「人を殺すと、すごく興奮するんです。そして快感を得られる」
「お前……サイコパスか……」
「さて、どうでしょうね。あなたが家に来てから、なかなか仕事に出かけることが出来なくて、血に飢えていたことは確かでしょうけど」
「そんな理由で友達を殺したのか……?」
「そうね」
「ふざけるな!」
「あなた、それが口癖なの?」
「お前がふざけたことばかりを言うからだ!」
「なら、殺し屋を殺すあなたは善人なの?」
「そんなわけがない」
「だったら、私とあなた同類よ」
「お前なんかと同類なわけがあるか!」
「ねぇ、シエル」
「なんだ」
「あなたは優しすぎる。殺し屋の薄汚れた世界には似合わない」
「……俺の初めての仕事は、嫌いな奴を殺すことだった。そして殺し屋になったんだ。殺しを日常にして、殺したことを忘れたかったんだ……」
「ならあなたは正常よ。ただ道を踏み誤っただけね」
「お前はどうなんだよ……!」
「私は両親を殺したのよ」
シエルは驚きのあまり声が出なかった。
――――嘘だろ……?
「そして私には、翔太と颯也ともう一人兄が居たの」
「そいつは……?」
「私が殺したわよ」
「何故……」
「両親を殺したときに、両親を庇ったからよ」
「お前の……大切な家族だったんだろ?」
「大切? 笑わせないで」
「何か遭ったのかよ」
「人を殺してみたいという興味からよ。あなたには関係のないことよ」
「……お前」
「さ、シエル。もういいでしょ? 私を殺しなさい」
颯は紫織のそばから離れ、シエルの目の前に銃を置いた。
「あなたがもう一つ気になっていたことを教えて差し上げます。手紙の分け方は、公務、探偵の仕事の依頼、殺しの仕事の依頼で三つに分けていました。ずっと気になっていましたよね?」
確かに気になってはいたが、まさかそこまで見抜かれていたとは思わなかった。
颯と翔琉は紫織のそばに立った。
シエルは察した。三人とも殺して欲しいのだと……。
復讐と仕事のためにこいつらを探していた。しかし、殺してしまっていいのだろうか。殺さなければ仕事完了にはならない。だが……。
紫織は戸惑うシエルに言った。
「あなたの彼女、サクラ・シャインディを殺したのも今までの連続殺人事件の被害者を殺して来たのも私、紗良を殺したのも私! 復讐を遂げなさいよ!」
「何故……死にたいんだ……?」
「私は生まれて一度も自分を好きになったことは無い。今まで生きている意味を探し続けていた。でも、答えはない。生きる価値のない人間が生きていることが可笑しいのよ!」
シエルは銃を手に取った。
翔琉は穏やかな笑みを浮かべていた。
「やっと、解放されるのか……」
しかし、シエルは銃口を自分の頭に向けた。シエルは涙ながらに言った。
「復讐は復讐しか……生まないんだ……」
そして思いっきり引き金をひいた。
しかしひいた直前、窓から鳥が侵入しシエルの銃を奪った。弾は壁に埋め込まれ、シエルは怖さのあまり震えていた。
紫織はシエルが生きていることを確認し安堵のため息を吐いた。
「よかったぁ……」
颯は鳥から銃を受け取った。
「全く、お前は」
翔琉はため息を吐いた。
「殺し屋の技術持ちの鳥のはずが、救世主の鳥になっちゃったよ」
紫織はシエルにそっと触れた。
「シエル。あなた本当に優しすぎるのよ」
本当にばかね……。
❦
「こら、シエル! そんなところで本ばかり読んでいないで片づけくらいたまには手伝いなさいよ」
「うるせぇな、紫織は相変わらず」
「いいから、ほら行くよ!」
颯は、シエルの部屋に来ていた。そこにはむすっとしているシエルがいた。
「シエル、何やってる?」
「片づけ手伝えとか言うから」
「実際何もしてなさそうなんだけど」
「だって、面倒だから」
「お前の部屋だろ」
「うるせぇ」
そこに紅茶とお菓子を持って翔琉がやってきた。
「何やってんだよ」
紫織はなかなか片づけようとしないシエルを見て呆れた。
「あなたね……掃除しないなら家から出て行きなさいよ」
シエルは驚き言った。
「やだー」
颯は思い出したように言った。
「あぁそうだ、シエル」
「あ?」
「これを」
颯は内ポケットから封筒を取り出した。封蝋でとめられていた。シエルはそれを受け取り、中を見た。
中には、シエルの戸籍書が入っていた。
「俺の……戸籍……」
「これであなたに名前がないわけではなくなったのね」
紫織は笑みを浮かべ紅茶を手に取った。そして、一口飲み言った。
「神永シエル。ようこそ、神永家へ」
シエルは嬉しさのあまり涙が出そうになった。
こいつら本当にばかだ。でも、紫織。本当にありがとう。
❦
それから半年後。
「ということで犯人は殺し屋の仕業かと思われます」
紫織が足立と飯島にそう伝えると、飯島はふに落ちない顔をした。
「殺し屋が誰か分かったのですか?」
「残念ながら私には分かりませんでした。しかし、これだけは言えます」
「はい?」
「ほらあの共通点、封蝋の欠片が落ちているという話」
「それ! 私も気になっていたんです」
「あれは殺し屋の仕業とするなら説明は簡単かと」
「え?」
「可能性としては二つあります。一つは殺し屋それぞれの証を残します、やはり殺し屋はプライドが高いので。その者の証となるものがその封蝋の欠片なのかもしれません。一つは依頼者への敬意や知らせの意味があるかもしれません」
足立が言った。
「敬意や知らせ?」
「はい。その殺し屋への依頼の仕方が手紙でのコンタクトだったとします。そして依頼者はかなり上流階級者ということになります。なかなか会って、殺したということを伝えることも手紙を送り付けることも出来ません。なので、依頼者が送ってきた手紙の封蝋の欠片を置くことによって依頼者に伝えたかったのかもしれません」
「どうして、封蝋全部をそこに置かない?」
「封蝋はその送り主の爵位や立場を示します。ある一定の規則によって固有の種類がありますから、それをそのままおいてしまうとバレる場合があります」
飯島は持ってきていた証拠品の中から封蝋の欠片を手に持ち言った。
「これはわかりますか? どんな殺し屋が封蝋を置いていくのか」
「申し訳ありません、分かりませんでした。ただ一つ言えるのは、その殺し屋は凄腕ということだけです」
「凄腕?」
「紋章を持つ者たちからの依頼にこたえるということは、それほど腕があるということです」
「なるほど……」
足立は証拠品を段ボールに直しながら言った。
「それにしても半年前からこの連続殺人事件は途絶えました。何かあったのでしょうか」
「さて、どうでしょうか。またいつ始まるか分かりませんよ?」
「しかしここ半年間何も起こっていない」
「それがいいのですよ」
「確かにそうですが、少し気になっていたものですから」
「そうですね」
「まだ捜査本部は解かれていませんから」
「解かれてはこまります」
「そうですな」
「はい」
「ところで紫織様」
「はい?」
「最近神永家に新しい家族が増えたそうですね」
「え、えぇ。増えました」
「名は?」
「シエルです」
「良い名前ですね。どんな人なのですか?」
「一言でいうなら優しい変人です」
足立は声を上げて笑った。
「面白そうですな」
「はい。とても」
「我々ももっともっと頑張らなくていけませんね。紗良さんのためにも」
「はい、お願いします。犯人を捕まえてください!」
❦
翔琉はシエルと庭に居た。翔琉は花壇に水をあげていた。シエルは相変わらず本ばかり読んでいた。
「なぁ翔琉」
「なに? お前に呼び捨てにされる筋合いないんだけど」
「何で俺を家族にした?」
「そんなの俺に聞くなよ、お前を養子に迎えるといいだしたのは紫織だ」
「俺は紫織を殺せなかった……」
「殺し屋殺しのやつとしては失格だが、人間としては良かったな」
「殺そうとした俺を家族として迎え入れるとか……あいつばかだろ」
「そうか?」
「え?」
「お前のおかげで俺らもあいつも、殺し屋という穢れた世界から解き放たれた。俺も颯も兄として、一介の使用人として、神永家にいることが出来る。裏の世界から抜ける際は、命を棄てる覚悟でという。生きてこうやって過ごせているのは、みんなお前のおかげでもある」
「そうだ。どうしてお前翔琉なんだ? 本名は颯也なんだろ?」
「翔琉は殺し屋としての名」
「殺し屋ではなくなったのだから颯也に戻せばいいのに」
「いいんだ」
「なんで」
「お前が慣れてもらっては困る。お前慣れ過ぎて忘れるなよ? 俺らはお前の彼女を殺した元殺し屋で、お前をも殺そうとしたんだ」
「だから何だ?」
「開き直るな。お前は俺らをずっと恨んでいていい」
「だから何で?」
「お前はお前でいいんだ。神永家は政府のいわゆる犬だ。お前まで犬になる必要はない。それに、お前がいつ神永家を出て行ってもいいように戸籍だって神永家の管理下にある」
「俺は、ここを出て行ったりしないよ」
「気が変わることだってある」
「いやないね。俺がここを出たって俺に居場所はない。それに元殺し屋殺しの俺は殺し屋にとって恐るべき存在だ。狙われることだってある。それならここの方が断然安全だ」
「好きにすると良い」
シエルは本を閉じ立ち上がった。
「なぁもう一ついいか?」
「なんだよ、うるせぇな。俺は忙しいんだよ」
「お前らの兄を殺され、両親を殺した紫織を恨まないのか?」
「恨むはずがないだろ。寧ろ喜んだ」
「お前らの両親ってどういうやつだったんだ?」
「人間として扱ってくれない、道具として、駒として扱ってくるクズだよ」
「兄は?」
「俺は残念ながら生まれてから一度も兄と話したことも会ったこともない」
「え!?」
「兄は父親に好かれていたからいつも仕事に一緒についていっていた。将来、神永家を継ぐ予定だったのもその兄だ」
「今は……」
「もちろん、紫織だ……といいたいがそれは政府が許さなかった。あぁ見えても、颯が一応神永家当主なんだ」
「でも公務とかは紫織が……」
「してはいるが、それはただの手順の一部に過ぎない。まぁ仕事ぶりを見る限り紫織が当主と思われても仕方はないが」
「何で執事とお嬢様という関係を?」
「殺し屋として何かをするのにその方が都合がよかったから」
「それだけ?」
「まぁそうだな」
「あの二人は?」
「あの二人?」
「葉月と咲」
「あぁあの二人は本当に雇っている使用人だ」
「普通の?」
「んなわけないだろ」
「だろうと思った」
「紫織の弟子といったら分かるか?」
「弟子とかいるんだな」
「俺らが殺し屋を辞めた今、あの二人が紫織と俺らの技術を使い、死神の名を持っている」
「それでたまにいなくなるのか」
「ちなみにあの二人は二人で姉妹だからな」
「姉妹!? 嘘だろ? 全然似て無くね?」
「まぁそういってやるな。あれでも仲は抜群なんだから」
「それと翔琉。お前何で紫織を監視していたんだ? 今の話だと、父親からの命ではないだろ?」
「紫織は世界一の殺し屋だ。お前が憧れ探していたように、他の者もそうだった。そして戦いを挑み、どちらが強いかの力比べをしたがる。そこをとっとと片づけるのが俺の役目だった」
「それで……。お前俺が思っている以上に紫織のこと好きなんだな」
「当たり前だ。俺の妹だから」
そこに颯と紫織がやってきた。
「何の話をしているの? シエル」
「何だお前か、紫織」
「何だとは何よ」
「警察との話終わったのか?」
「えぇ、あなたのことを聞いてきたわ」
「疑われてる?」
「ただの興味本位でしょう」
「そうか」
颯が言った。
「シエルも神永家の一員なのだから、ちゃんと自覚を持ってよ。読書もいいけど、たまには勉強しておけ」
「勉強は嫌いなんだよ」
「語学力くらいは無いと、今後困るよ」
「お前らが操れすぎなんだよ!」
紫織は当たり前でしょ、と言った顔をした。
「世界一の殺し屋、死神の私たちが話せなくて仕事がこなせないわけないでしょ」
翔琉も得意気な顔をしている。
「負けたくないなら勉強しろよな!」
「うるせぇ!」
シエルはそういうと翔琉と颯に短刀を向けた。
颯は笑みを浮かべていた。
――――そうこなくては
読んでいただきありがとうございます
短編ではございますが、もしよろしければ、評価を頂けると喜びます笑
ありがとうございました