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第5話 - 「領主館にて」

「……ようやく、人心地つけそうだな」

 館の内門をくぐり抜け、ウルシアはため息混じりに呟いた。


 注目されることには慣れているものの、先ほどのような状況は流石に例外といってよい。


「まったくだな」

 ウォレスは苦笑気味に同意を示した。


 ライラと別れてから約一刻、肌寒ささえ感じる気温ながら、二人の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


「まさか、あれほど人が集まっていようとはな。ライラ殿にも困ったものだ」

 ウルシアは眉根を寄せて呟いた。本人の前でないためか、すっかり呼び方が戻っている。


 振り返ると、庭園を挟んだ外門の向こうに、大勢の人が集まっていた。

 聞くところによると、彼らは皆、ライラから『ウルシア帰郷の報』を聞きつけて来たのだそうだ。


 五年前、書き置き一つ残して突如サーディアスを旅立ったウルシアが、これまた突然、それもよりいっそう美しくなって帰ってきたと、あのライラが宣伝して回ったのだ。

 ウルシアと面識のある人々が、(こぞ)って押し掛けたとしても何ら不思議はなかろう。


 それにしても、二人は四半刻ほどの距離を、真っ直ぐ向かってきたのである。

 途中、偶然出会った幾人かの知り合いと会話していた時間を考慮に入れても、掛かった時間は精々、半刻ほどでしかない。その短い間に街中に知れ渡ったというのだから、恐るべき伝達速度であった。


 この分だと、今や街でウルシアの帰郷を知らぬ者などいないのではなかろうか。


「流石はライラさんってところだな」

 ウォレスの言に、ウルシアは深々と頷いた。


 ゆっくりと丘を登ってきた二人は、既に出来上がっていた人波を泳ぎ切るのに、さらに四半刻を必要としたのだ。汗をかくのも当然といえよう。


 ウォレスは額の汗を拭うと、暗がりに目をこらした。


「あの男……」

「必要な時にはいる。私の言った通りであろう?」

 ウルシアは館の影に佇む男に向け、手を挙げた。


 ゆっくりと近づいてくる男とは対照的な足音が、後方から迫ってくる。

「お待たせ! 姉上。ウォレス兄」

「遅いぞ。トッド」

 息を切らせる弟に、ウルシアは容赦がない。


「自分だって、今着いたばかりのくせに」

 トッドは小声で呟くも、実姉の一睨みを受けるや、すごすごと引き下がった。


 ウルシアは気持ちを落ち着けるように大きく息を吸い込むと、目前の館を眺めやった。


「……ふむ。ここは相変わらずの佇まいだな」

 さして大きくもない領主館を前に、感心した様子で呟いた。


 一般的に領主の館といった場合、大理石の床や色鮮やかな絨毯、名のある絵描きの手による領主の人物画に、高価な陶器の置物などが飾られた、古めかしくも立派な作りの洋館や古城といったものを思い浮かべることだろう。


 それは決して間違いではない。ウルシアたちが生きた時代に限らず、ウェスタニア大陸の殆どの領主がそういった館で暮らしていた。


 ローディア初代皇帝、サウロス一世によって統一国家が建設されるまで、『領』とはすなわち『国』であった。サーディアス国でありイトアニア国であって、そこには王や王宮が存在したのである。これらの建物をそのまま、あるいは一部改修したものを領主が使っていたのだから、豪奢な作りであるのは当然といえた。


 しかし、この頃のサーディアスは数少ない例外の一つであった。


 ウォレスの祖父であるハーン・シュレッテンがこの地に領主として赴任して来た時までは確かに、貧しい辺境の地であるサーディアスにも、城とは言わぬまでも立派な屋敷が存在していた。


 無論、今はない。当時と比べれば掘っ立て小屋に等しい家屋が建っているのみである。

 外交のために訪れる使者があれば、そのあまりに質素な佇まいに驚いたことであろう。


 広い庭のある二階建ての木造家屋は広く立派なものであったが、それでも一般的な領主の館と比べれば十分の一ほどの敷地しか持たず、部屋数、面積共に大きく下回っていた。さらに、先に挙げたような色鮮やかな絨毯を始め絵画や彫刻といった美術品や装飾品の類は一切飾られておらず、貧乏貴族の屋敷ですら今少しはまともな様相であったに違いない。


 それでも新たに館を造るという話が出た当初はもう少し立派な建物になる予定であったのだが、「外界から隔離されたこの貧しい地と、まともな外交関係を築こうと考えるような物好きなどおらぬよ」というハーンの言葉に、現在の形に落ち着いたのである。


 事実、ウーツ鋼が発見されるまで他領の使者が訪れることは一度としてなかったのだ。


 中央にしてみれば、政争に敗れた者の流刑地に過ぎず、周辺領にしても問題を多く抱えたサーディアスと関わるのは、自ら厄介事に首を突っ込むようなものであった。


 そんなサーディアスにおける現在の領主の名は、ラース・シュレッテンという。この年二十七歳で、ウォレスの兄に当たる人物である。


 容姿は父親に似てクリーム色の髪にアイスブルーの瞳の柔和な笑顔を浮かべる青年であったが、身体の頑強さは受け継がなかったらしく、病気がちで線の細い人物であった。

『建国記』には、戦乱によって疲弊した社会を立て直し、福祉事業に力を入れた人物として記述が残っている。自身が病弱であったこと、その肉体的労苦が彼の為政者としての資質を育てたようであった。


 ウォレスに伴われウルシアらが現領主ラースと面会を果たしたのは、一行が館に辿り着いてから四半刻ほど経過して後のことである。


「お久しぶりです。ラース殿。お変わりありませぬか」

「おお、ウルシア! 無事だったのですね。心配していたのですよ! どうやら、表が賑やかなのは、貴女が帰ってきた事によるもののようですね」

「ご心配をおかけしました。それと帰って早々、お騒がせして申し訳ない」

 ライラとの再会に始まる一連の騒ぎを思い出し、ウルシアは頬を掻いた。


 ラースもまた彼女と親交のあった一人である。面会の申し出はすぐさま受領され、一行は領主館の中で最もまし(・・)な装飾を施された謁見用の部屋に通された。


 赤い絨毯の上に設えた領主の執務机と接客用のテーブルに椅子、申し訳程度に飾られた銀製の装飾品。広さこそあれ、質素であることは否定のしようもない部屋であった。ウルシアとワルアは、そこで若い領主と会見する事になった。


「本当に心配したのですよ。シュレッテン家の者もさることながら、貴女と交友のあった者は皆……特にドッツ殿はね」

「誠に申し訳ない。しかし、当時はあれより他にないと思いました故」

 諫めるラースにウルシアは深々と頭を垂れた。


 五年前の事は必要と思えばこその行動であったが、同時に心配を掛けた事について申し訳なく思っていたのも事実である。


 素直に謝罪するウルシアにため息一つ吐くと、ラースは彼女の用件を聞く事にした。


「美人にそう頭を下げられては、これ以上何も言えませんね。その件は猛省して頂くとして、貴女のお話を伺うとしましょうか。と、その前に……まず、そちらで控えている方を紹介して頂けませんか? ウルシア」

 ウルシアの後方でウォレス、トッドと共に並び控えていたワルアへと、視線を向ける。


 しかし、ワルアの紹介はしばし延期されることになった。


 部屋の扉が大きな悲鳴を上げ、次いで老齢の男が二人現れたのである。


「ウルシアが帰ったというのは本当か!」

 茶色の髪を半ば白に変じた男が怒鳴り声を上げた。幾分、目が血走っているようだ。


「少し落ち着かぬかドッツ。お主とてもう若くはないのだぞ」

 興奮するドッツ老を、より一層年かさの老人が諫める。

 御年七十五を迎えるハーン・シュレッテンである。


 かつては黒々としていた頭髪も今では白一色に染まっている。曲がった上体を左手の杖で支えているが、「百まで生きてみせるぞ」と、公言する好々爺(こうこうや)である。

 この時既に、当時の平均寿命をとうに超えていたのは言うまでもない。


「落ち着いてなどいられるか! うちの放蕩娘はどこにおる!?」

「心配を掛けたのは悪かったと思うておるが、随分な言われようだな爺様」

 話の腰を折られて眉間を押さえるウルシアに対し、彼女の祖父、ドッツががなり立てる。


「手紙一つ寄こさず散々心配かけおって! 何しに戻って来おったこの馬鹿娘!」

「落ち着け爺様。あまり興奮すると頭の血管が切れてしまうぞ。この忙しい時期、葬儀など出しておれんというのに。何をしに戻ってきたかは、これから説明する。手紙を出さなかったのは、爺様に邪魔されては困るから出さなかったまでの事。そうがならず落ち着いてくれ」


「邪魔とは何だ、邪魔とは! いつからそんなひねくれた性格になった!? そんな娘に育てた覚えはないぞ!」

 どうやらひねくれたのはトッドだけではなかったらしい。


 挑発しているとしか思えぬウルシアの言動に、ドッツ老はますます激昂する。


「分かった、悪かった。すべて私が悪い。非を認めるから少し話をさせてくれ」

「ドッツ。お主とて他人のことは言えまい。お主、ウルシアと同じくらいの頃は何をしておった?」


 ハーンとしてもウルシアのことは孫娘のように思っている。また、怒るのはドッツの身体にも良くなかろうと、彼は助け船を出すことにした。


「うぬ!? う、むぅうぅぅ……」

 ハーンの言葉に過去の自分を思い出し、ドッツが唸る。


 腕利きの行商人だったドッツである。乱れた世にあって綺麗事だけで商いは回らぬと、口には出せぬようなことに手を染めたことも一度や二度ではない。若い頃ほど無茶をしたものであった。


「爺様。本当に悪かったと思うておるのだ。許してはもらえぬか」


 最後の一押しとばかりに向けられた優しい光りを湛える瞳に、ドッツはいよいよもって返答に窮した。言いたいことは山ほどあるのだが、なんと言っても可愛い孫娘である。何より亡き妻とよく似た瞳には弱かった。


「うむむぅ……あ、後でこってりお説教だからの!」


 好々爺の言にひとまず場が収まると、ウルシアはようやくワルアを紹介する場を得たのだった。


 ワルアの身に値踏みするかのような視線が集中する。

 彼自身はそれを、見せ物小屋にでも入れられたようだな、などと、どこか他人事のように考えていた。


「……唯ならぬ人物だとは思っていたが、まさかイェルンの長とはな。よくそんな人物と知り合うことが出来たな。ウルシア」

 予想以上のことにウォレスが呻り声を上げる。


 イェルンといえば、統一国家ローディアの建国に際し多大な貢献をしたという影の集団である。奸臣アロス・ライゼアによって血の粛清が行われるまでの間、ローディアの影を担ってきたのは間違いなくイェルン一族であり、粛清により大幅に数を減らしたとはいえ、サーディアスにとってその諜報力は得難いものであった。


 ワルアの放つ一種独特の気配も、イェルンの長となれば納得がいく。


 影の集団であると同時に、現在最大規模を誇る勢力に追われる身であるから、これまでイェルンの長たる彼が、こうした公の場に出て来ることはなかった。


 とはいえ、今後ワルアがウルシアのために、延いてはサーディアスのために働くに当たり、この紹介は外せぬものであった。ウルシアが無理を言ったというのは、つまり、そういうことであった。


「サーディアスの状況については既にウォレスから聞いておる。イトアニアとの兵力差は圧倒的だが、ウォレスであれば今回の敵は撃退できよう。しかし、国力に差がある以上それにも限度があろう。今回の戦に勝てたとして、次もまた勝てるとは限らん。弱小勢力である我らに一度でも負けたとなれば、敵も本腰を入れてこようしな」

 ウルシアは一息に言うと、皆の顔を見回した。一様に押し黙り、その表情は暗い。


 分のない戦である事は誰もが承知していたのである。


 ウルシアの予想した通り、サーディアスはイトアニアと決戦に及ぶつもりであった。他領の民とはいえ、貧困と圧政にあえぎ頼ってきた者たちを見捨てることが出来なかったのだ。が、そのためにサーディアスの領民を危険に晒すとなれば、(まつりごと)を司る者としては必ずしも正しいとは言えぬであろう。


 しかし、ウルシアはそんなシュレッテン家の人々が、そしてサーディアスが好きであった。“守る価値がある”と、思うのである。


 そして、仁政を敷くが故に、今回の戦に勝機を見出してもいた。


「さて、そこで……」一拍言い置き後を続ける「私を軍師に任命して戴きたい」

 笑みを浮かべるウルシアに、一同は顔を見合わせた。


 次いで言葉を発したのは領主ラースであった。

「軍師にせよと言うからには策があるのだろう? 皆が納得するよう説明して貰えないだろうか?」


 自らを軍師にと推すウルシアに、相応の分を示せというのである。当時のウルシアは領主らと面識があったとはいえ、一介の領民に過ぎない。当然の言い分であろう。


 ウルシアは皆によく声が届くよう立ち位置を変え、凛とした声音で作戦を説明した。


 彼女の案にも賭け的要素は多分に含まれてはいた。

 しかし、兵が少なく食料にも乏しいサーディアスにとって、選択肢はそう多くなかったのだ。


「……代替案があれば聞かぬでもないぞ。御一同」

 しれっと言うウルシアに、居あわせた面々はただただ呻るばかりであった。


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