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第3話 - 「再会」

 ウルシアは陽射しと人目を避けるため、フードを目深に被ると、広がる景色に目を向けた。


 イトアニア領に入ってからというもの、中心都市カルナスまでの道程で見た領民の生活ぶりは惨憺(さんたん)たるものだった。作物が豊かに実っているにも関わらず農民は皆痩せ衰えており、馬の蹄の音に反応しては顔に恐怖の色を張り付かせるのだ。馬車は商人が品物を運ぶために使っているため、領民にとっても聞き慣れた音であるはずだ。その音に怯える理由は、税を取り立てに訪れる兵士が馬に乗ってやってくるためであろう。また、領主が移動に馬車を使っていることもその一因であると思われた。


 彼女が辿り着くほんの数年前まで、サーディアスも似たような状況にあったのだと思うと、他人事とは思えないウルシアであった。


 収穫高が高いにも関わらず領民の暮らしが苦しいのは、領主の政策に問題があるためだ。

 現イトアニア領主は、数年前に中央で政権を握ったキルディス・クラインの一派に属している。彼らは現在、中央で政権を二分し最も大きな勢力となっている。


 もう一つは幼帝を擁するアロス・ライゼア率いる一派である。


 二つの奸臣勢力は中央において激しく対立しており、周辺領の多くはこのどちらかに属している。


 現在はキルディス一派の優勢で事は推移しているが、いつアロス陣営が攻勢に転じてもおかしくない状況にある。


 現イトアニア領主は、優勢なキルディス陣営に対して多量の糧秣(りょうまつ)を供給する一方、裏ではアロス陣営にもこれらを提供し、その推移を見守っているのであった。


 趨勢の決していないこの状況下にあって、その政策はあながち間違いとは言えぬであろう。


 しかし、置かれた状況がどうあれ、それによって領内で深刻な食糧不足が発生するとあっては、領民にしてみれば迷惑な限りである。


 強欲な領主が贅沢な暮らしを改めるはずもなく、税は日増しに増えていった。


 領民は日々の糧を得ようと手を尽くした。

 しかし、何とか事態を解決しようにも村に残されたのが女子供に老人ばかりでは、それもままならない。


 最も救いがたいのは、こうした惨状はイトアニアに限られた事ではないという事実であろう。


 限られた特権階級の者たちのために、多くの民衆が貧困にあえぎ苦しまなければならない世界。こんな世界が正しいはずはない。

 幼き日々がウルシアの脳裏をよぎる。揺れる瞳が険しさを増した。


 今、各地の領民たちは圧政に屈し、唯々諾々と領主の無法に従っている。変革のためには、誰かが立ち上がらねばならなかった。


(あの日に誓いを……あいつは覚えているだろうか……)

 不安と期待が胸を締め付ける。


 イトアニア領中心都市カルナスは、もう目前であった。



 ウルシアがサーディアス領の中心都市ステア近郊に辿り着いたのは、エレミア領の中心都市ウトスを発してから三週間後の事である。イトアニアで商品を売り払い、わずかな荷物と共に馬上の人となって、一路サーディアスを目指してきたのだ。


 山岳地方であるサーディアスの首都近郊は、イトアニアやエレミアと比べて空気が薄く肌寒い。薄手のコートを羽織りゆっくりと馬を進める。もう半日もすれば中心都市ステアに着くはずだ。


 険しい山間の道を行くと、しばらくして左手に作物の収穫を終えた田畑が目に映る。

 やはりウルシアがこの地にいた頃と比べて、農地は広がっているようだ。


(爺様たちの苦労が浮かばれるな)


 親しい人々の顔を思い浮かべ、口元がほころぶ。同時に、故郷を蹂躙させてなるものかとの気概が湧き上がった。


 隣で馬を進めていたワルアは、ウルシアの横顔から視線を移した。遠く蹄の音を耳にしたためだ。


「ウルシア」

 感慨にふける彼女に低く声を掛け、現れた騎影を指差した。

 田畑を縫うように駆ける騎影が、徐々にその大きさを増す。


 ウルシアには、その先頭を駆る男の姿に見覚えがあった。彼女の記憶と比べ、随分と逞しくなっているが間違いない。


「ウォレス!」

 懐かしい顔を認め、ウルシアは馬足を速めた。



 陽がわずかに赤みを帯び始めた時刻。

 ウォレスは名を呼ばれた気がして辺りを見回した。


 農家が点在する他には何もない場所なだけに、視界は開けている。ぐるりと視線を巡らせると、騎影が二つ近づいてくる。若い黒髪の女と目つきの鋭い男だ。貴族の娘とその護衛といったところか。真っ直ぐこちらに向かってくるところを見ると、先程の声はこの娘のものであったようだ。


 貴族の令嬢を馬上で迎えたのでは礼を失すると、山賊討伐を終えた一行は馬から下りて二人の客人を迎えた。


 女は馬を止めるなり、飛びつかんばかりの勢いで駆けてくる。


 ウォレスは一瞬困惑した。


 後に『士書』において、「艶やかな黒髪と黒曜石を思わせる瞳は見る者を引きつけて止まず、その肢体は主神自らが彫刻したものの中にあって最高傑作であったに違いない」と記される程の女性が、名指しで駆け寄ってきたのだから無理もなかろう。


 貴族の娘が着るにしては飾り気のない青地に白の刺繍を施した服を纏い、その上から薄手のコートを羽織っただけの服装ではあったが、彼女が纏うとまるで上質のドレスであるかのように思われた。溢れんばかりの生気と闊達さで周囲を引きつけずにはおかない、そんな魅力を備えた女性だ。


「久しいなウォレス!」

 女が声を弾ませ走り寄る。


 その声と負けん気の強そうな瞳が、ウォレスに一人の少女の記憶を思い起こさせた。


「まさか……ウルシアか!」

「当たり前だ。他に誰がいるというのだ。まさか私の顔を忘れたわけではあるまいの」


 半眼で睨みつけるウルシアに、黒衣の騎士は苦笑いを洩らした。


 ウォレスは目の前の美女が彼の親友であることを確信した。五年前、彼女がこの地を発った当時もサーディアス一の美人と評判であったが、この頃の五年は大きいらしい。


 ウルシアの姿に魅了されたのであろう。ウォレスの後ろで感嘆の声が上がる。


「お帰り。ウルシア」

「ああ、ただいまだ。ウォレス」


 互いの顔をしっかりと視認できる距離まで近づいた二人は、力強い握手を交わして再会を確かめ合う。


「あー。二人の世界を作る前に、そちらの方を紹介してもらえませんかね? 姉上?」

 ウォレスの肩口からひょっこり顔を出したトッドは、久々に会う実姉におどけた調子で声を掛けた。


「もう少し場の空気を読め。トッド」


 いつの間にか自身より背の高くなった弟をジロリと睨めつけたウルシアであったが、それでもワルアの紹介は済ませねばならぬと判断したのだろう。離れた場所で様子を窺っていた男を呼び寄せた。


「空気を読めぬこやつは弟のトッドだ。で、隣が親友のウォレス。まあ、お主は知っておるかもしれぬがの」

 ワルアが頷く。


「この男はワルアだ。今回、皆に会わせておく必要がありそうだったのでな。少々、無理を言って連れてきた」


 ウルシアの紹介に、三人が握手を交わす。サーディアスの二人は、ワルアの身ごなしと存在感の希薄さに違和感を覚えたようであった。普通に人生を送っている人間であれば、諜報や暗殺を生業とする人種とそうそう出会うわけもない。


「ところで二人の関係は?」

「今はウルシアの護衛といったところだ」


 感じた違和感についてはおくびにも出さず、井戸端で噂話に花を咲かせる老婦人のような表情で尋ねるトッドに、低い声音でワルアが返答する。


 異国の血が混じっているため浅黒い肌をしているが、精悍(せいかん)な顔つきをしているワルアだ。ウルシアと並んでも別段不釣り合いではない。


 どこか残念そうに見えるトッド表情は、悪戯(いたずら)に失敗した子供のようだ。


「どうやら、しばらく見ぬうちに性格がひねくれたらしいの」


 過去の経験を思い出したのだろう。ウルシアの低い声音に危険を感じとり、トッドは一歩退いた。背に隠れたトッドにウォレスが苦笑する。


「無事で何よりだ。しかし、あまり良くない時期に帰ったな。ウルシア」

「イトアニアが攻めてくるのだろう? だからこそ、私はここに戻ってきたのだ」

 表情を改めたウォレスに対し、ウルシアもまた真剣な面持ちで返した。


「ラース殿に会わせてもらいたい」


 ウォレスはその凛とした声音から、彼女もまた共に戦うつもりであることを悟った。

 美しさに磨きがかかっても、性格は相も変わらず昔のままであるらしい。そんなウルシアを眩しげに見つめ、ウォレスは一つ、了承の頷きを返した。


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