第2話 - 「サーディアス領へ」
「なんだ? これは?」
イトアニアのサーディアス領侵攻の報を受けた翌日。
ワルアと合流したウルシアの第一声である。
ウルシアが思わずそう洩らしたのも無理からぬ事で、彼女の前には剣に槍、盾や篭手、胸当てなどの武器防具を満載した荷馬車があった。
エレミア領中心都市ウトス。その北側の門を出て、道なりに三百メートルほど進んだ場所である。このまま街道に沿って北西に向かえば、イトアニアへと辿り着く。
距離にして約六百キロメートル。馬車で七日ほどの距離になる。
積み荷はどれも新品らしく、その質も上等なものであることが一目で分かる。
ウルシアは少なく見積もっても百セットはあるだろうと、見当をつけた。
無論、一台に載りきる量ではないため、数台の荷馬車に分けて積載されている。
「新品の武器と防具だ。百三十セットある」
彼女の内心を見透かしたように、淡々とした口調でワルアが告げる。
「そうではない! なぜこんなものがあるのかと問うておるのだ!」
二人でサーディアスへ向かうだけのことであるのに、明らかに余計な荷物だ。
詰問口調のウルシアに、さすがのワルアも説明の必要を感じたらしい。その微細な表情の変化をウルシアは見逃さなかった。
「イトアニアの現状は分かってるな?」
一瞬の思考を経て、紡ぎ出された男の言葉に感情の色はなかった。
ウルシアがこの地で知識探求の徒となって、早一年以上が経つ。
内向的な世界に身を置いてきた彼女ではあったが、ワルアとの繋がりもあって外界の情報は正確に把握している。彼の地における目を覆うばかりの惨状は、今更説明を受けるまでもない。
「そなたから聞いた以上の事は知らぬがな?」
黒曜石を思わせる瞳が、新たな知らせでも受けたのかと問いかける。
「では、思い返した上で聞いてくれ」
用意した武具について語るには、多少遠回りしなければならないだろう。
ワルアは頷き返すウルシアを促し、先頭馬車の御者台に乗り込むと、出発の合図を送った。
わずかな揺れと共に、馬車はゆっくりと動き出した。
問題は、未だ続く惨状にイトアニアの領民が喘いでいるという事実であった。
圧政の最中、生きるために領民たちが取れる方策は、そう多くない。
消費量を減らして少しでも長く食い繋ぐのは当然としても、他に出来ることといえば、畑仕事に精を出し生産量を増やすことと、普段の生活に必要ない物を売り払って食事に換えることくらいのものであろう。
男手の問題で生産量を増やせない以上、残された方策は一つだけだ。
売却対象として真っ先に挙がったのは、代々使用・保管されてきた武具の類であった。
戦時ともなれば、男子の多くは兵として駆り出された時代だけあって、民家であってもほぼ例外なく武器を所持していたのである。
一方で商人たちも頭痛の種を抱えていた。領民たちが挙って押し掛けたために、在庫過多になってしまったのだ。南方で行われている戦は長らく膠着状態が続いており、領内での販売は絶望的といえた。彼らは寄り集まって隊商を組むと、余剰在庫を処分すべく他領へ向け出発して行った。
そんな折に降って湧いた出兵計画である。
戦をしようにも、兵隊となる領民たちの武器が鍬や鋤というのでは話にならない。
城の備えとて一万からの数があろうはずもなく、イトアニアとすれば、武具を扱う商人たちの活動は諸手を挙げて歓迎したいところだろう。
地理上、戦端が開かれる前にサーディアス領内へ入るためには、どうしてもイトアニア領を通らねばならず、また偵察という意味からしてもそうすべきであった。
言うまでもなく、彼の地を通過するとなれば監査の目を欺く必要がある。積み荷はその為の小道具であったのだ。
「活動資金も稼げるしな」と、ワルアが締めくくる。
「抜け目のないヤツだな。わかった。色々と済まぬな」
どうやら、故郷とも言うべき場所が戦場になると聞いて、自分で思っていた以上に焦っていたようだ。普段であれば、当然考えるであろう事に気が回っていない。ウルシアは反省しつつ礼を述べた。
「しかし、よく一日でこれほどの量が集まったものだの」
一般レベルで言うならば、イトアニアが戦争準備に入っていることは、まだエレミア領に伝わってきていないはずだ。今の内ならば物資の調達も比較的容易であろうが、それにしても百三十セットもの武器防具を一日で集めるのは、決して容易なことではない。
ウルシアが感心するのも当然であろう。
「大したことじゃない。とにかく今は先を急いだ方が良いだろう」
そんな彼女を横目に、ワルアは誇るでもなく応じた。
エレミア領を発って二週間。二人はイトアニア領内にいた。商人に扮し領境を越えてきたのだ。
ワルアの予想した通り、イトアニアでは厳重な警備が敷かれ、戦の気配は日々その濃さを増しているように思われた。
エレミアとサーディアスはイトアニアを挟んで向かい側に位置しており、エレミア―イトアニア間の領境から、イトアニアの中心都市カルナスまでは、馬車で約三日ほどの距離である。旅の行程は未だ半分も消化できていなかったが、途中、大小の村々を横目に通り過ぎ、四つの関所で手続きと監査を受ける事になった。
戦争準備の最中となれば、警備が厳重になるのは当然である。
しかし、関所では賄賂を渡さねば監査が遅々として進まぬという有様であった。
さすがに領境では厳しい監査を行っていたが、こんな時ですら賄賂がまかり通るなど、その政治的腐敗は末期症状もいいところであろう。
ウルシアは、辟易しながらも多めの賄賂を渡した。
賄賂の多寡によって、監査と手続きの時間が変わってくるためだ。
後々のことを考えれば、少しでも早くカルナスに着いた方がよい。
手続きを終えて後は、早々に出発した。
エレミアを出てからというもの、雨が降ることもなく晴天続きであった。
豊穣のイトアニアと呼ばれるだけあって、初秋ともなれば収穫期を迎えた農作物の撓わに実る様が目に映る。痩せた土壌のサーディアスでは見られない光景だ。
サーディアスでは、シュレッテン家が領主となってより、農作物が少しでも良く育つようにと土壌開発が行われている。
戦争によって幼い頃に父親を亡くしたウルシアは、祖父に伴われ一家で安寧の地を求めて大陸中を歩き回ることになった。
一行がサーディアスへ辿り着いたのは、彼女が十三歳の時である。
前領主が死亡し跡継ぎもなく、その圧政の結果情勢の不安定だったサーディアスに、シュレッテン家が領主として赴任してから数年が経っていた。
シュレッテン家の奮闘の甲斐あって、サーディアスの情勢は回復しつつあった。
この頃と比べ、ウルシアがサーディアスの地を離れた五年前には、収穫高は更に五割ほども増加していたのだが、それでも今目の前に広がる景色にはほど遠いものであった。
(あの頃より収穫高も上がっているであろうな……)
ウルシアはサーディアスとの距離が近づくほどに、郷愁の念が高まっていくのを感じていた。
(高々、五年離れていただけだというに)
そう思わずにはいられない。しかし、ウルシアの年齢を考えれば、五年という歳月はこれまで生きてきた年月の四分の一近い時間だ。長くも感じようものである。
馬車による旅は久しぶりであったが、その旅路は決して快適と言えるものではなかった。
四頭立ての荷馬車は幌付きのものだが、御者台のスペースはそれほど広いわけでもなく、男女二人が並んで座れば多少なりと手狭に感じるほどだ。足を伸ばすことも出来ないため、ウルシアは未だしも、長身のワルアには辛いことだろう。
説明を終えてからというもの、男は無言で手綱を握り続けている。
彼のもたらした情報は、質、量、共に十分なものであったが、ウルシアがその才を振るうためには、未だ足りないものがあった。今後の対策はサーディアスに着いてから状況に応じて考える事になるだろう。