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第14話 - 「奇襲」

「ウォレス将軍。あれを!」

 ウォレスは部下の一人に呼び止められ、その指差す方角を眺めやった。


 渓谷の合間から黒々とした煙が立ち上っている。

 それはウルシアの策が成ったことを示していた。


「我らが軍師殿は、猪を仕留めたようだ。これより我ら別動隊は今回の作戦の仕上げに入る」 ウォレスは後続の兵に低い声音で告げた。


「しかし、どうするんです?」

 兵士の一人が不安の声を上げる。


 眼下ではイトアニア軍補給部隊の兵士たちが黒煙を指差し、ざわつきを見せていた。

 その中にあって一人、冷静に指示を下す男がいた。副官ローゼン・フラムである。


 補給部隊の後方には馬防柵が配置され、当初予定していた背後からの奇襲は行えそうにない。


 ウォレス率いる軍勢はわずか五十騎。数で押し切ることは不可能であった。


 更に、ウルシアが予想した通り、荷を護衛する兵士の数が増やされていた。

 ウォレスらに課された役目は、ローゼン・フラムの捕縛である。ウルシアの立案した作戦において、外すことの出来ない重要な役目だ。

 グスタフの死で全軍が混乱している今こそが、その好機であった。


「あまり時間を掛けるわけにはいかないからな」


 ウォレスは不敵に笑うと、無謀とも言える指示を下した。

「この坂を下る!」


 配下の兵士たちは息を呑んだ。無理もない。

 ウォレスは『坂』といったが、目の前に広がる急斜面は『坂』と言うより『崖』と呼ぶべきものだったのである。


 ウォレスのすぐ後ろに控えていた兵士が声を震わせた。

「そ……それは……いくら何でも、無茶です! 将軍! ここは――」


 崖下のイトアニア軍に気づかれるわけには行かない。兵士はゆっくり馬を進めると、慎重に身を乗り出し足元を覗き込んだ。そこには断崖絶壁とまでは言わぬまでも、馬で下るには明らかに無謀であろう急斜面があった。


 男は恐慌をきたす一歩手前で何とか踏み留まることに成功したものの、その激しい動揺まで押し隠すことはできなかった。


「こ……ここを下るのは(かち)の兵でも至難ですよ!? 確かにここを下ることができれば、此度の作戦、成功は疑いないでしょうが……」

 男は続く言葉を飲み込んだ。


 イトアニア軍がこの場所に注意を向けていないのは、無論、崖上からの奇襲を考慮に入れていないためだ。が、それは決して怠慢によるものではない。常識的に考えてあり得ない選択肢だからだ。


 斜面には朽ちかけた木々が所々に生えているものの、数が少ないために、それ自体はさほど障害にはならない。その一方で、露出した地面は乾燥しており、表面には大きな凹凸も見受けられる。風雨に晒され、崩れやすくなった箇所もあると思われた。

 仮に実行したとして、馬を御し体勢を整えるのが精一杯となろう。


 敵が奇襲に混乱することなく、弓や投げ槍といったもので攻撃、妨害を計ってきたならば、サーディアス側にそれを防ぐ手立てはない。

 もし一人でも失敗すれば、周囲を巻き込み、連鎖的に崩壊を起こすことは火を見るよりも明らかである。


 目前に控える傾斜角からみても、成功率は極めて低いように思われた。

 兵士たちが尻込みするのも当然のことであった。


 ウォレスは率いる兵士一人一人をゆっくりと見回した。


 張り詰めた空気の漂う中、皆の顔には、恐怖と緊張が色濃く浮かんでいる。

 幼い頃から馬と接してきた彼らの乗馬技術は、貴族諸子のそれと比べても格段に優れている。

 そんな男たちをして無理だと言わしめる急斜面だ。


 ウォレス自身、これが危険な策であることは十分承知していた。

 しかし、ここでローゼンを捕らえられぬとあらば、後々の作戦に支障をきたすことになる。


(何としてでも成功させる!)

 決意を胸に、ウォレスは口を開いた。


「危険は元より承知の上だ。だが、ここで任務を放棄すれば、後に大勢の仲間が死ぬことになる。だが、まあ安心しろ。今から我々が行う奇襲を“逆落とし”というんだが、数は少ないながらも成功させたという前例は確かにある。前例がある以上、やってやれぬことはない」

 ウォレスは立ち昇る黒煙を指差した。


「見ろ! 勝利の狼煙は上がった。天運は我らにある! 俺を! そして己を信じろ!」

 仲間たちのためにも、引くことはできない。兵の半ばが覚悟を決めた。


「それに……お前たち、あの軍師殿に笑われたくはあるまい?」

 その言葉に、兵士たちはウルシアの姿を思い浮かべた。戦乙女の微笑が脳裏を焼く。


 こうなると、未だ逡巡していた者たちも、重い腰を上げざるを得なかった。

 男として、美しい女性に格好の良いところを見せたいと思うのは、古今東西を問わぬものだ。無論、実際に見られているわけではなかったが、ここで臆しては顔向けできぬと兵士たちは奮い立った。


 彼らの変化を見届け、ウォレスは言葉を続けた。

「イトアニアの属国となり奴隷のように生きるか、勝利をもぎ取り誇り高く生きるか。サーディアスの命運、我らが握っていると思え! お前たちは我が軍の中でも、特に馬の扱いに優れる者! 必ず成功する! ローゼンの相手は俺がやる。皆はかねてからの指示通りに動けばよい」


 ウォレスの演説に、兵士たちの士気が高まっていく。


「軍師殿の策は成った! 勝利の女神は我らに微笑んでいるぞ!」


 兵士たちの目に決意の炎が宿る。


「俺の後に続けッ!」


 号令一下、サーディアス軍別動隊は、崖へとその身を躍らせた。

 木々を避け、岩肌を滑り落ちるように駆け下りる。


 奇跡が奔った――



 馬蹄が轟き、人馬の波が銀の奔流となって峡谷を席巻していく。


 手綱を握り締め、両の足でしっかりと身体を固定し平衡を保つ。各々の喉から吐き出される咆吼を纏い、人馬一体となって谷底へ向かって猛進する。


 恐怖と闘志、そして決意と覚悟に彩られ、永遠とも思われる刻が過ぎ去っていく。

 数瞬の後、サーディアス軍別動隊は、ウォレスを先頭に誰一人欠けることなく敵陣へと斬り込んでいた。


 突如降って湧いた騎影に、イトアニア軍補給部隊は壊乱状態となった。彼らの目には、天から敵が降って湧いたかの如く映ったであろう。


 輸送要員の兵が逃げ惑い、護衛の兵士の行動を阻む。


 麾下の兵が槍の柄で次々と敵を昏倒させていく中、ウォレスは一人、副官ローゼンの元へ猛然と馬を駆った。


 混乱する味方を収拾すべく声を張り上げていたローゼンは、迫りくる黒衣の騎士の姿を認めた。立ち塞がる兵をものともせず、無人の野を駆るが如きその速度は一向に衰える気配を見せない。


(あの男を止めぬことには、体勢を立て直すどころの話ではない!)

 奥歯が鳴るほどに噛み締める。


 見る見るうちに接近する敵将との距離は、最早いくらも残されてはいない。


 ローゼンは覚悟を決めると、槍をしごいて迎え撃った。白刃が閃き、瞬く間に散った三輪の火花が、双方の瞳に残滓を残した。

 黒衣の騎士は猛将グスタフに抗したほどの相手である。長期戦は不利と見たローゼンは、一気呵成に攻め立てた。


「グスタフは死んだ。これ以上の争いは無意味だ。降服されよローゼン殿!」

 襲い来る槍先を打ち落とし、ウォレスは説得を試みる。


「あたら兵を殺したくない。それは貴殿とて同じはず!」

 必死の説得を続けるウォレスだが、槍撃が止む気配はない。


 ならば捕らえるまでと、反撃に転じる。

 攻守は瞬く間に逆転した。


(グスタフ将軍とやった時は、力を抑えていたのか!?)

 ローゼンの表情が驚愕に歪む。


 ローゼンとて元々は近衛騎士だった男である。グスタフには及ばぬまでも腕には自信があった。いとも容易く返されるなど、思ってもみないことだったのである。

 ウォレスの反撃にローゼンは防戦一方となった。



 イトアニア軍の副官はサーディアス軍の意図を図りかねていた。


 現状、グスタフの生死は定かではないものの、もし彼の言う通り将軍が討ち死にしているならば、指揮の乱れた今こそイトアニア軍壊滅の好機である。サーディアスとすれば、今後のためにもイトアニアの戦力を極力減らしておきたいはずだ。

 にも関わらず、黒衣の騎士はイトアニア兵を殺したくないという。


 周囲に視線を転じれば、黒衣の騎士の言葉を裏付けるが如き状況が繰り広げられている。

 数で勝っているにも関わらず、倒れているのは奇襲によって壊乱状態となった味方ばかりだ。といっても、死んでいるわけではない。昏倒しているだけだ。あまりに消極的すぎる戦いぶりであった。


 眼前の男の攻撃もまた奇妙だ。あっという間に攻守を返したにも関わらず、こちらが受けきれるぎりぎりの攻撃しか繰り出してこない。ローゼンの実力に合わせ手を抜いているとしか思えないのだ。

 だからこそ、こうして周囲の様子を探る余裕が生まれているわけだが、そんな回りくどいことをする理由がどこにあろう。


 そんなローゼンの困惑を察し、ウォレスが再び口を開く。


「我らの軍師は貴殿に話があるのだ。兵たちは無事イトアニアへ帰すと約束しよう。会って話だけでも聞いてもらえまいか?」

 ただ降服させたいわけではなく、自分に何か話があるらしい。


「……いいだろう。サーディアスの軍師に会わせて頂こう。兵士たちの安全は保証して下さるのだな?」

「もちろんだ」

 二人は互いに槍を引くと、己が率いる兵士たちに停戦命令を下した。


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