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第12話 - 「猛将の誤算」

 翌、早朝。ワルアの報告を受けたサーディアス軍は、二手に別れ行動を開始した。


 ウォレスは手勢五十騎を伴い谷間へと姿を消した。


 ウルシアが残り二百五十騎を率いてグスタフの前に姿を現したのは、それから三時間後のことである。

 サーディアス軍は、さも偶然遭遇したかのように姿を現した。


「おや? もしやあれなるはイトアニアのグスタフ将軍ではないか?」

 ウルシアは些か大仰な調子でトッドに声をかけた。


(それはいくら何でも、わざとらしくないですか姉上?)

 もしかしたら、姉はウォレスよりもずっと大根役者なのではなかろうかと、失礼な感想を抱きつつも、トッドは敢えて別な事を口にする。


「間違いありませんね。あれがグスタフ将軍です。軍師殿」

 そう言って、トッドは大様に頷いた。


 一方、グスタフの方でもサーディアス軍の存在に気づいた様で、こちらを指差し、何事かを捲し立てる様子を確認できた。


 馬足を速めたイトアニア軍に向かってウルシアは声を張り上げた。

「私はサーディアス軍が軍師、ウルシア。貴公らに最後の警告を与える。大人しく軍を引き上げ、二度と干渉せぬならば良し。警告を無視して軍を進めるとあらば、生きて故郷の地を踏めぬと知れ!」


 散々、奇襲を受けたイトアニア軍であったが、こうして姿を現した敵軍に有無を言わさず襲いかかったのでは、彼らの自尊心が許さぬらしい。


 グスタフは、互いの顔を確認できる位置まで進み出ると、軍師と名乗る人物を観察した。


 女は青を基調とした服に身を包み、胸当てと篭手にすね当てという軽装で馬に跨っている。手にした錫杖が陽光を反射した。

 整った目鼻立ちと均整の取れた身体、艶やかに伸びた長い黒髪が風に靡き、瞳には強い意志の光りが見て取れる。


 まるで絵画から抜け出してきたかのような女だ。よほど変わった趣味をしていない限り、『欲しい』と、思うに違いない。

 グスタフを始め、騎士隊を構成する貴族諸子らは一様に息を呑んだ。


 ウルシアが、そんな彼らの様子に口の端を上げる。

「返答や如何に!」


 ウルシアの凛とした声に打たれ我に返ったグスタフは、好色そうな笑みを浮かべた。

 戦を娯楽と考えるグスタフが、当初から欲していたものの一つが、目の前にあるのだ。それも『極上の』である。


 騎士隊に軽微な損害こそ出ているものの、麾下の兵力においては未だ敵軍を圧倒しており、その事実が猛将の態度を高圧的にさせた。


「ふんッ! 貴様らの言うように、我が軍を壊滅させる術があるというなら、有無を言わさず実行すれば良かろう。わざわざ危険を冒して大軍の前に身を晒す必要がどこにある。勝利の目算が立たぬからこそ、こうして悪あがきをしているのだろう。いい加減、諦めて投降したらどうだ」


 その言葉は、グスタフ率いる騎士隊の共通認識であるのか、表情に翳りを見せる者は見当たらず、それどころか、ウルシアの容姿に中てられ、好色な笑みを浮かべる者が大半であった。


 敵の女軍師から反論のないことに気をよくしたか、猛将は声高に続けた。

「今なら、兵士共が無駄に死ぬ事もないぞ。こちらの要求さえ呑めば、領地も安堵してやろうではないか。そこな軍師殿は我が妻として迎えても良い。グレイク家はイトアニアでも最大の貴族! 何不自由ない生活をさせてやるぞ」


 グスタフの言葉に騎士隊の面々は不満の色を示したが、口に出しては何も言わなかった。

 ブロス・アラニアが領主となって以降、グレイク家の権勢に逆らえる者はごく少数となっていたのである。


 故にこの時、グスタフは最大限の譲歩をしたつもりであった。


 傲慢な敵将に対し、ウルシアは不快感を顕わに、侮蔑を込めた低い声音で返答した。


「悪いがお断りだ。貴様らの要求など呑めば、サーディアスの民は苦渋に満ちた生活を余儀なくされるだろう。人を人とも思わぬ馬鹿共に頭を下げて生きるなど、誇り高き我らにはできぬ! しかも言うに事欠いて私に妻になれだと!? お主、まさか鏡を見た事がないのか? その不細工面で私を口説こうなどと考えるとは……」


 ウルシアは額に手を当て、やれやれと頭を振る。次いで面を上げると、射殺さんばかりの視線を敵将に向け、そして――。

「身の程知らずにも程があろう! せめて狒々(ひひ)から人に生まれ変わってから出直してこい愚か者ッ!」冷然と言い放った。


 グスタフの頬が引きつる。


 確かにグスタフの容姿はお世辞にも『よろしい』とは言い難い。戦の最中に負った傷は体中に痕を残している。その内の一つが、彼の顔に不自然な皺を寄せさせ、元々あまりよろしくなかったその造作を更に悪く見せていた。


(確かに、狒々に見えなくもないなぁ。さすが姉上)

 グスタフを(おもんぱか)ったわけではなかろうが、トッドは心中で独白した。


 将軍の抜け駆けに内心で腹を立てていた騎士たちの中には、口元を押さえる者も見受けられる。


 絶句するグスタフに対し、ウルシアは容赦なく追い打ちをかける。

「お主も好んで猿顔に生まれたのではなかろうしな。その点は哀れんでやらぬでもない。しかし、身の程はわきまえておくべきだぞ。狒々殿。尤も、ウェスタニア大陸は広い。何処かに、不細工好きの変わった趣向を持った女子(おなご)がいないとも限らぬ故、絶望せんでもよい。が、せめてもう少し性格は正した方が良いな。不細工な上に馬鹿なのだ。この上、性格までねじ曲がっていたのでは、流石に救いようがないからの」

 眉根を寄せてため息を吐く。


 士書に残るほどの美女に、部下たちの前で猿だの不細工だのと繰り返し侮辱されたのである。挑発だと分かっていても、そう我慢できるものではなかった。


「き……き……貴様ぁーッ! 許さんッ! 妻に(めと)るのは止めだッ! 引っ捕らえて部下たちの慰み者にしてくれるわッ!!」

 グスタフは憤怒の形相で叫ぶと、槍を振り回して猛然と迫る。


 そのあまりの迫力に、サーディアス軍兵士の間で動揺が広がる。


「ちょっとやり過ぎじゃないですか!? 軍師殿!」

「なに、これぐらいではまだまだ足りんだろう。……どれ、ちょっと腕前拝見と行こうか」

「ちょっ、姉上!?」

 麗しの軍師殿に、気後れした様子は見られない。ウルシアは慌てるトッドを気にするでもなく、錫杖を手に躍り出た。


「馬鹿がッ! 女の細腕で何が出来る!」


 グスタフの放った渾身の一撃が、ウルシアの頭上に落ちる。

 ウルシアは両手で錫杖を構えると、その中程で落ち掛かる槍先を受けた。

 腕力に劣る彼女が、この衝撃を受け止めきれるはずもない。


(落馬したところを引っ捕らえ、受けた屈辱に見合うだけの恥辱を味わせてやる!)


 グスタフが勝利を確信すると同時に、彼の率いる貴族たちは喜悦の笑みを、サーディアス軍兵士は絶望の色を張り付かせた。


 金属の擦れ合いに、火花が散る。

 戦場が驚愕に揺れた。


 絶妙のタイミングで斜行した錫杖の表面を、豪槍が滑り落ちてゆく。

 信じがたい現実に、全軍兵士の時間が止まった。


「女の細腕というのも、存外大したものであろう?」

 受け流しの妙技を見せつけ、ウルシアが悠然とのたまう。


「しかし、馬鹿で不細工、性格もひねている上に見掛け倒しとは……。それでよくもまあ、一軍の将が務まるのう。イトアニアとはそれほどまでに人材不足なのか?」

 どこまで(あお)るつもりでいるのか、ウルシアの毒舌は止まらない。


 ついに、イトアニア軍切っての猛将は怒りに我を忘れた。生意気な女軍師を仕留めるべく右に左にと槍撃を繰り出す。豪槍が唸りを上げた。突き、薙ぎ払い、打ち下ろす。


 これまで幾度となく血の雨を降らせてきた猛攻であったが、眼前の女にそれを強いることは出来なかった。

 突けば払われ、薙げば躱され、打ち下ろせば先と同じく受け流される結果に終わる。


 二十合近くも躱され続け、グスタフの顔に焦りの色が浮かぶ。偶然や奇跡の産物ではない。さしもの猛将も、目前の女が卓越した剣士であることを認めぬわけにはいかなかった。


「お主との勝負にも飽きた。追撃はせぬから大人しく帰るがよい」

 ウルシアは下らぬ時間を過ごしたとばかりに言い放つと、襲い来る切っ先を受け流し、グスタフが態勢を崩している間に馬首を返した。


「皆の者、帰るぞ!」

 髪を靡かせ声を張り上げる。


 ウルシアの号令の下、サーディアス軍二百五十騎が撤退を開始した。


「おのれぇ! 生かして返すなッ!!」

 いくら凄腕の剣士とはいえ、女に負けたとあっては猛将グスタフの名が廃る。


 余裕と見せつつ全速力で馬を駆るサーディアス軍に、激昂したグスタフ率いるイトアニア軍が追いすがる。

 怒りと欲望に満ちた視線の群れが、ウルシアの後ろ姿を捉えていた。



「まったく、無茶なことをするんだから姉上は! 見ていて寿命が縮まりましたよ!」

 額に浮いた冷や汗を右手で拭い、トッドはため息混じりに非難した。


 ちらりと肩越しに振り向けば、目を血走らせて手綱を握る敵将の姿が目に映る。


「もっと自分の姉を信頼したらどうだ。お前に剣を教えたのは私だぞ」

 女軍師は(とが)めるような眼差しを向けた。


「尤も、少々無茶であったことは確かだ。さすがに衝撃全てを受け流すことはできんからな。あれ以上打ち合っておれば、間違いなく捕らえられておったろう。攻撃に転じる余裕がなかったのは残念な限りだ」


 ウルシアは痺れる手首をさすり、後方を眺めやった。煙を吹き出さんばかりの敵将に、口の端を上げて嘲笑を贈ってやる。


 サーディアスを出るまで、ウルシアはウォレスと共に剣の腕を磨いていたのである。体格の違う二人が同じように戦って勝負になろうはずもない。


 自然、『実』と『剛』の剣を用いるウォレスに対し、ウルシアは『虚』と『柔』の剣で抗するようになった。


 グスタフの槍はウォレスと同じく実と剛に属するものであり、ウルシアはいつも通りに戦いさえすれば、相応の結果が得られると踏んでいたのである。


 乾いた大地に馬蹄が轟き、砂埃が追いすがる。

 切り立った渓谷の合間を縫うように走る道は狭く、五騎で併走するのがやっとの状態だ。

 疾風の如き速さで岩肌ばかりの景色が流れ去っていく中、ウルシアが右手を掲げた。


 一瞬遅れて落雷にも似た轟音が鳴り響き、両軍を分断すべく大小無数の岩や丸太が降り注ぐ。


「何だとッ!?」

 グスタフが焦りの声を上げた。


 馬足を早めて危地を脱しようとするグスタフ以下数騎を、振り向きざまに放たれた矢が押し止める。猛将の両脇を占める騎士たちが血飛沫を上げて転げ落ちた。


 先頭を駆るグスタフは矢を払い落とすことに成功するも、速度が落ち岩陰へと姿を消した。

 猛将は愛馬を御して落石を避けると、檄を飛ばし慌てて後退を図ったが、元来た道は既に閉ざされていた。


 罠に(はま)ったと気づき唸るグスタフを、不安な面持ちで貴族諸子が取り囲む。


「だから警告してやったろうに。人の忠告は素直に聞くものだぞ。狒々(ひひ)殿」

 愚かな敵将に対し、ウルシアは即席の壁越しに声を降らせた。


「ここから出せ! 卑怯者めッ!」

 グスタフが鬼の形相でがなり散らす。


「生憎、お主らのような欲望まみれの獣共に、かける情けなど持ち合わせておらぬ。己が罪業、とくとあの世で償って来るがよい!」

 ウルシアは冷徹な声音で応じると、再び右手を掲げた。


 その合図を受けて両の崖上にサーディアス軍一千名が姿を現した。

 手にした桶で、濁った液体をぶち撒ける。


 狭い空間に閉じ込められた男たちは、降り注ぐ液体に顔を(しか)めた。覚えのある匂いが服に染みを作っていく。


「なっ!? やめろッ!」

 液体が油であると知り、次に起こるであろう事態に思い至った男たちは、口々に悲鳴を上げた。


 ここにきて漸く、グスタフは己の敗北を悟った。


 これまで北の弱小国に興味を示したことなどなかった男である。

 サーディアス側の工作もあって、その詳しい兵力が判明していなかったにも関わらず、大群を擁したことで奢り、油断しきっていた。


 唯でさえ数の少ないサーディアス軍である。

 反撃を行うに際しては、常に全軍を挙げてのものと考えていたグスタフは、愚かにもウォレス率いる三百騎を全兵力だと思い込んでいたのである。


 これまで力押しで敵軍を粉砕してきたことで、それを己の実力と履き違えた男は、それが単なる幸運の産物であったことを知ったのだ。


 混乱をきたした男たちの頭上で、矢の先端に火が灯される。


「放てッ!」

 鋭い声と共にウルシアの右手が振り下ろされた。


 自らを勝者と疑わなかった男たちに、無数の矢が襲いかかる。


 槍を振り回し、楯をかざして防ごうとするも、火矢の雨を払い除けることは不可能であった。


 ある者は急所を射貫かれて絶命し、またある者は打ち払う矢から火が燃え移り、死のダンスに踊り狂う。助けを求める同胞に抱きつかれ死出の旅路を共にする者、炎にまかれ近づく仲間を手にした槍で突き殺す者もいる。

 炎に怯えた馬は騎手を振り落とし、駆け出した先で他の騎士を踏み潰した。


 グスタフは飛来する矢を叩き落とし、理性を失った愛馬をなだめると、突破口を探して視線を走らせた。

 閉ざされた空間は今や阿鼻叫喚の地獄と化していた。


 炎を背負い恐慌をきたした部下が一人、助けを求めて駆け寄せる。


 グスタフの服にもまた、油でまだら模様が描かれている。

「俺を巻き込むな! 愚図がッ!」


 鋭い刺突が鎧の隙間を貫いた。

 崩れ落ちる男には目もくれず、血糊を振り払う。


 立ち籠める黒煙が視界を塞ぎ、充満する異臭が鼻を突く。

 グスタフは幾度となく死線をくぐり抜けてきた猛将だ。辺り一面を敵に囲まれた状況から生還したこともある。これまではいかなる事態に陥っても、それを楽しむだけの余裕すらあったくらいだ。


 死地にあって生を拾い上げることには長けている。その自信があった。


 だが、今回はいつもと感覚が違う。

 猛将は死の影が忍び寄る気配を感じていた。


 最早、帰還後のことなど考えている余裕はない。グスタフは、火だるまとなって行く手を遮る部下たちを右に左にと斬り倒し、出口を求めて馬を駆った。


 暴風と化した槍先が猛将の周囲を赤く染め上げていく。


 しかし、血河の絨毯を敷き詰めたグスタフの命運も、長くは保たなかった。

 全身に炎を纏った馬の体当たりを受け、愛馬共々燃え上がる。


「ぬぅぐおぉぉ―――――ッ!!」

 馬から転がり落ちたグスタフは、炎に巻かれ凶獣の咆吼を上げた。


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