第11話 - 「副官の苦悩、将軍の悩み」
二度にわたる勝負の末、グスタフは初めて訪れたサーディアスに好敵手を見出していた。戦を娯楽と考えるイトアニアの猛将にとって、それは何よりも重要な要素である。
数に劣るサーディアス軍が長々と戦闘を続けるはずもなく、度々奇襲を仕掛けては引き上げて行く。
尤も、敵の数が少ないこともあって自軍の損害はさほど大きくない。
負傷者は五十名近くに上っていたが戦死者はおらず、戦闘に参加できる騎士隊の人数は未だウォレス率いる軍を上回っていた。
グスタフとしては、ウォレスとの勝負に決着を付けられない事こそが最大の不満であったが、同時に騎士隊への損害を軽視する訳にもいかなかった。何せ皆、貴族の子弟である。後々、イトアニアに帰還してから厄介事の種になりかねない。
サーディアス領内に入ってからというもの、第二陣から第五陣の徒の兵と補給部隊の行軍は遅れるばかりであり、これもグスタフを苛立たせる要因となっていた。
「将軍、第二陣との距離が開き始めております」
背後から届いた声に、グスタフの苛立ちが加速する。声の主が誰であるかなど、顔を見るまでもなかった。副官のローゼン・フラムである。
「ではローゼン。お前が最後尾の補給部隊について押し上げて来い! 最後尾の脚が上がれば、前にいる連中も速度を上げざるを得まい!」
グスタフは忌々しさを隠そうともしない。
ローゼンは尚も食い下がったが、結局、意見を聞き入れられぬまま馬を返すことになった。
(あるいはこの戦、負けるかもしれん)
ローゼンは胸中で呟いた。
グスタフの命を受け、再び補給部隊の元へと向かう途中である。
馬上から視線を巡らせ領民兵の様子を窺う。
疲労を色濃く張り付かせたその表情は、朝から続く曇天を写し出したかのようだ。
その大半が砦や防壁の建設を中断して集められた領民たちである。
ろくな食事も与えられず重労働を強いられてきた彼らに、兵士としての質を求める方がどうかしている。従軍中の待遇が普段のそれよりも良いからといって、そうそう体力が回復するはずもない。
サーディアス併合の暁には一時帰郷と税の軽減が約されており、その点で意欲こそ高いのだが、如何せん弱った身体が気持ちに追いついていない。
敵に比して数こそ勝るものの、『兵士の質』という点でいうならばサーディアス軍の方が圧倒的に上であろうことは疑いようがなかった。
(数に劣るサーディアスが取れる策はそう多くない)
度々行われる奇襲は、その少ない策の内の一つだ。
他に考えられる手としては、サーディアス領内奥深くへとイトアニア軍を誘い込み、その上で後方を遮断して補給を絶ち、持久戦へと持ち込む策だ。いずれ冬が来る。サーディアスの冬がイトアニアのそれと比べ、厳しいものであることは疑いようもない。兵士たちが耐えられるはずもなく、食料が尽きる前に撤退を余儀なくされるのは火を見るよりも明らかだ。
(将軍もそれが分かっているからこそ、焦っているのだろうが……)
こういう時こそ、焦りは禁物なのだ。余裕をなくせば敵の術中に嵌り易くなるものだ。
(……しかし、グスタフなぞの心配をするとは、我ながら矛盾しているな)
ローゼンは自嘲の笑みを浮かべた。
ローゼンはイトアニアの生まれである。若くして騎士となり領主と領民のために尽くしてきた男だが、彼が当初仕えていたのは現領主ブロス・アラニアではない。
先代領主クラウゼ・アラニアこそが彼の仕えた主であった。
十二年前。当時、中央で権勢を誇っていた奸臣にしてアロスの父であるマヌアス・ライゼアから、イトアニアは多大な糧秣を供出するよう要求されていた。先代領主クラウゼは、領民の生活を圧迫するとこれを拒絶。抗戦も辞さぬ構えであった。
三万を数える兵と向こう五年は戦える食料を蓄えていたのである。
長駆遠征してくる中央軍に対し、勝算は十分にあった。
また、クラウゼには三人の息子がいた。いずれも頭脳明晰、正義感溢れる青年たちは領民の信頼も厚く、生きていれば立派な領主となったに違いない。
一方、野心家のブロスはクラウゼの甥という立場に過ぎず、領主の地位が巡ってくる可能性は極めて低かった。そこでブロスは己の野心のためにマヌアスと密約を交わした。
クラウゼら反中央政権派の排除と多大な糧秣の供給を条件に、イトアニア領主の地位を認めさせたのである。
その計画は見事に成功し、ブロスはイトアニア領主の座についた。この時の暗殺実行犯と目されているのが、グスタフ、バルドスのグレイク兄弟であり、現在、南方方面軍の指揮官を務めるグラハム・カストールであった。
近衛騎士の一人としてクラウゼに仕えていたローゼンは、事切れる直前の主君から『領民たちを頼む』との言を受けていた。
それ故にローゼンは他の騎士たちを説得し、ブロス一派の下で領民の負担が軽くなるよう奮闘することを誓い合ったのである。
グスタフが戦場に倒れるというのであれば、それはむしろ歓迎すべき事であった。
(しかし、だからといって領民たちを死なせるわけにはいかん)
そう思えばこそ、グスタフの副官という不本意な任を受けたのである。
だが、グスタフ自身に意見を聞き入れる気がない。
道幅が狭くなってきていることに関し、奇襲に備えるよう再度注進してはみたものの、結局「臆病者は後方で補給部隊の護衛でもしていろ!」と一喝されただけであった。
これはグスタフが武力一辺倒の人物であることを表している。
戦である以上、兵士たちが死ぬのは避け得ない。
ローゼンの心にもまた、暗雲がたれ込めていた――。
「いよいよだな。ウォレス」
焚き火の明かりが夜闇の一角を切り取り、兵士たちの姿を赤々と照らす中、果実酒で満たされた杯を片手にウルシアが微笑する。
ウォレスが退却戦を繰り広げて数日。イトアニア軍はウルシアが企図した通りの進路で行軍を続けている。
グスタフ率いる第一陣と第二陣の距離は徐々に開き始めていた。
「明日が正念場となるだろう」
ウルシアは杯を傾け喉を潤した。
「本当に役割分担はこれで良いのか?」
不安顔で確認するウォレスに、ウルシアが片眉をつり上げる。
「私を信用できないと?」
「いや、そんなことはないんだが……」
「では何だ? まさか今更、女に剣は似合わんなどと戯言を言ったりはせんだろうな?」
じと目で応じるウルシアの声が、冷気を纏い始める。
狼狽えるウォレスを横目に、トッドはこんがりと焼けた羊肉を頬張った。
今のところ二人の間に割って入る気はないらしく、両手に持った羊肉と麦酒で胃袋を満たしてゆく。二人が発言する度に視線を移すトッドの口元には、悪戯小僧らしい笑みが浮かんでいる。
二人の言わんとする事と、その心境を十分に理解した上で楽しんでいるのだ。
「どうにも要領を得んな。言いたい事があるなら、はっきり言え。ウォレス」
返答に窮したウォレスが視線で助けを求めるも、トッドは我関せずとばかりに新たな肉を手に取った。
援軍のないことを悟ったウォレスは、どう言ったものかと悩みつつもウルシアと向き合った。
「俺はこれまでにグスタフと三度やり合った」
「うむ。それは聞いておる」
ウルシアは、それで? と視線で促し、千切ったパンをスープに浸し口へと放り込む。
「あー、だからだな。あの男はかなり強い。腕力は俺に劣らないし、槍の腕もかなりのものだった」
「ここいら一帯でグレイク兄弟の名を知らぬ者はないというしな。周辺領にその名を轟かせる男だ。それくらいは当然であろう……で?」
ウルシアは声音を一層低いものへと変えて先を促した。
ウォレスの背を冷や汗が伝い落ちた。これまでウォレスはウルシアと言い争って勝った例しがない。それどころか機嫌を損ねて口も聞いてくれなくなったことすらある。ウォレスにとって彼女を説得するというのは、何よりも難しい事柄であった。
「つまりだな。サーディアスであの男に勝てる者は、ごく限られるだろうって事だ」
「……なるほど。私の腕ではグスタフに対抗できないと、お前はそう言いたいのだな?」
半眼で睨みつける。
「言ったはずだ。お前には別の役目がある。そして、お前の次に剣に秀でるのは私だ。弓の腕前ではトッドがサーディアス一やもしれぬが、剣技では負けん。事実、五年前までお前とまともにやり合えたのは私だけだったろうが。この地を出た後とて、剣の修練を怠った事などないぞ」
日頃は冷静なウルシアだが、ウォレスと向き合うと昔から感情的になる傾向がある。
胸に苛立ちの炎を灯し、視線と言葉を氷の刃に変えたウルシアに、さしものウォレスも腕を組んで困り果てた。
彼はウルシアの身を案じているだけなのだが、直接的にそう言ったところで彼女の機嫌が良くなるとは思えない。
むしろ、「私には無用の心配だ!」と、声を荒げるのではなかろうか。
「……分かった」
ウルシアの意外な言葉に、ウォレスが喜色を浮かべる。
しかし、続く言葉に見事期待を裏切られた。
「私と勝負しろ! ウォレス!」
頭部をハンマーで殴られたように、ウォレスの身体が傾いだ。
隣で様子を窺っていたトッドは、笑いを堪えるのに必死だ。
明日の作戦ではウルシアがグスタフと対峙することになっている。
彼女が言ったようにウォレスには別の役目があり、黒衣の騎士の次に剣の腕が立つのは他ならぬウルシアである。他の者が槍を手にグスタフと対するよりも、ウルシアが事にあたる方が作戦の成功率が高い以上、この配役は当然のものであった。
「さあ、剣を抜け!」
腰に佩いた剣を抜き放ち、半身に構える。
それだけで、彼女の技量が見て取れた。
勝負はやってみなければ分からないものである。が、やはりサーディアスで彼女に勝る者はウォレス以外にはいないだろう。
彼女の言う通り、その技量は五年前とは比べるべくもない。
「わかった! 落ち着いてくれ! ウルシアの技量を疑うつもりはないんだ!」
慌てふためいたウォレスは、興奮する相手を宥めようと両手をつき出し、説得を試みる。
その言葉に、ウルシアはしぶしぶ剣を収めた。
ウォレスも武人である。久しぶりに彼女と剣を交えてみたい気持ちもあったが、明日の大事に支障が出てはまずい。
残念そうな表情を見せるトッドを横目に、ウォレスはため息を吐いた。
言うまでもなく、自分は彼女の能力を疑っているわけではない。単に心配しているだけなのだ。なのになぜその気持ちが伝わらないのか、ウォレスにはまったく理解出来なかった。
トッドは原因を知っている風なのだが、聞いたところではぐらかされるだけだろう。
釈然としない様子で杯を傾けるウルシアの横顔を見つめる。
その頬はうっすらと赤みを帯びている。長い睫毛に大きな瞳。艶やかな黒髪にすらりと伸びた四肢。
きっと彼女は勝利の女神というやつなのだろう。ふと、そんな考えが浮かぶ。
ウルシアと共にある限り、決して負ける事はない。と、そんな幻想を抱く。
あるいは、これはサーディアス軍の兵士全員が等しく持つ感想であったかもしれない。
第一幕はいよいよ大詰めを迎えようとしていた――。




