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第10話 - 「初戦」

 翌、十月十七日。


 前日とは打って変わって朝から雲に身を隠した太陽は、一日の仕事を放棄するつもりでいるのか、昼近くになっても未だその面差しを見せずにいる。


「さすがに陽射しがないと涼しいですね。まさに運動日和! 戦日和! 今日辺りイトアニア軍と会えると良いんですけどねぇ」

「普通、陽射しはあった方が良いんじゃないのか?」

 ピクニックにでも出かける調子で言うトッドに、すぐ隣で手綱を取っていたウォレスは眉根を寄せた。


「嫌だなぁ。ウォレス兄。涼しいくらいじゃないと汗掻くじゃないですか」

 当然じゃないですかとばかりに、トッドがうそぶく。


 そんなトッドの願いが天に通じたのか、前方から一騎、騎影が近づいてきた。


「申し上げます!」

 馬から飛び降り、ウォレスらの前に片膝をついた若者が声を張り上げた。

「イトアニア軍。前方二〇キロの地点にて捕捉! 事前の情報通り、グスタフ将軍率いる貴族の騎士隊を先頭に、こちらへ向かっております! その数、およそ一万二千!」


「さすがはイェルンってところですかねぇ。ウォレス兄。この分だと二時間後にはぶつかる事になりそうですよ」

「そうだな。情報と補給は戦の要だ。あの男が敵でなくて良かったよ」

 二人は斥候からの知らせに視線を交わした。


「名演技を期待してますよ」

 片目を瞑ってみせるトッドに、ウォレスは肩をすくめた。


「それじゃ皆、事前の打ち合わせ通りに頼むぞ!」

「劇団サーディアスの初公演ですからね。無事成功させましょう」


 二人の声に、兵士たちは無言のまま槍を掲げる。その瞳には決意と覚悟が宿っていた。


 サーディアス将兵による、命がけの公演の幕が開こうとしていた――。



 両軍が初顔合わせを果たしたのは、領境から直線距離にして約二十キロの地点である。


 サーディアスは領土の七割以上を険しい山岳部が占めており、両軍の遭遇地点もまた渓谷内の狭隘(きょうあい)な坂道であった。乾燥し固くなった路面に緑はなく、崖の上方に存在する樹木は朽ちかけているのか、生命の息吹を感じ取ることはできない。


 もの悲しい気配の漂う中、百歩ほどの距離を置いて向かい合う両軍諸将の声を、乾いた風が運んで行く。


「サーディアス軍大将、ウォレス・シュレッテンだ。イトアニア軍と見受けるが、如何なる理由で軍を進めるか! ここは既にサーディアス領である。即刻、軍を引き返し冬に備えるがよろしかろう」


「俺はイトアニア軍大将、グスタフ・グレイク。そちらに逃げ込んだ重罪人の引き渡しを再三に渡って要求したはずだ。警告の使者も既に送っておる。しかし、一向に応じる気配を見せぬ。重罪人を匿うことは我らに対する敵対行為に等しきものだ。さらに犯罪者共の黒幕がサーディアスにいるとの噂もある。この上は武力を持って真偽をただし、我らイトアニアの脅威を排除するまでの事だ。大人しく道を空けるか、罪人共を引き渡すか選ぶがよい!」

 ウォレスの言を受け、グスタフが吼える。


 一方、罪人を匿ったという言われ無き罪科に、ウォレスは冷淡な口調で返す。

「イトアニアは噂を元に他領へと攻め入ったと? そのような口実で大義が立つとでも思っているのか? ありもしない罪科を理由に戦端を開く愚かしさを、周辺領より笑われる前に引き上げた方がよいのでは? 今ならこちらも口を(つぐ)んでおいて差し上げるが如何なものか?」


 ウォレスは相手を挑発するような行為をあまり得意としていない。この台詞はそれを見越したウルシアが授けた物言いである。無論、これはまだ序の口であった。

 両者の間で、毒と敵意と侮蔑の篭もった言葉の矢が応酬される。


「――畜生とて勝てぬ戦いはしないものだ。大軍に刃向かう愚かしさは万人が認めるところ。サーディアスの領主がうつけでないのなら、我らの意を汲み取るだろうよ」

「心配ご無用。賢者の考えは凡人では理解出来ぬもの。それ自体は恥じることもないが、軍を引き上げぬとあらば後々後悔することになるぞ?」

「どうあっても罪人は引き渡さんのだな?」

「何度言われようと罪人を匿った事実などない! 言いがかりなどやめていっそ、ウーツ鋼を寄こせと本音を言ってはどうか? 欲の皮の厚いイトアニア貴族にはその方が似合いというものだろう」


 形式上舌戦を振るいはしたものの、両者は端から戦うつもりでいる。

 自然、その言葉は互いに相手を挑発するものとなった。


 いい加減、我慢ならぬとグスタフが吼える。

「最後通牒はしたぞ! 愚かな選択をしたこと、あの世で後悔しろ!」

 馬腹を蹴りつけ、猛然と迫る。


「あれの相手は俺がやる。あとは任せたぞ」

 傍らに控えていたトッドに言い置き、ウォレスもまた漆黒の風となった。


 見る間に距離が縮まり、互いの間合いに入る。


 グスタフが幾多の命を刈り取ってきた槍を振り回し、渾身の一撃を叩き付ける。

 一方、ウォレスは鋭い槍捌きで迎え撃った。


 飛び交う槍撃の嵐に火花が散る。


 何せ道幅が狭いのだ。両軍の中央で戦う二人に下手に近づけば命取りと、敵味方とも動けない。


「ありゃ、思ってた以上のバケモンだわ。俺の役回りにならなくてホント良かった」

 刃風吹き荒れる一騎打ちを両軍兵士たちが固唾を呑んで見守る中、トッドは心底安堵した様子で洩らした。


 二人の卓越した戦士は、既に二十合以上を打ち交わしている。

 イトアニアの猛将の強さは、先の山賊頭などとは桁が違うらしい。


「中々やるではないか。ならばこれはどうだッ!」

 愉悦の笑みを浮かべ、グスタフが更なる一撃を繰り出した。


 ウォレスは上体を反らしてこれを躱すと、続く攻撃を槍で受け止める。

 ウーツ鋼の槍が甲高い音を上げた。


「良い槍だな。お前には勿体ない。俺が使ってやるから安心して死ね!」

 猛将の槍捌きがさらに速度を増し、ウォレスは防戦一方となる。


「流石は音に聞こえし将軍だけあるな」

 巧みな馬術と体重移動で槍先を躱したウォレスが唸る。


 トッドが何事かを後ろの兵士に耳打ちした。


 再び交差した刃が、周りに金属の音色を響かせる。


 余裕のない表情のウォレスと、喜悦に浸るグスタフ。

 戦いはグスタフが優勢に進めている。それに疑念を抱くイトアニア兵はいないように思われた。


 刹那、ウォレスは猛将の重い一撃を払い流すと、馬の横面に槍の柄を叩きつけた。

 強烈な打ちつけに、堪らずグスタフの馬が後ろ立ちになる。


「ぬぉおぉぉっ」

 猛将は振り落とされそうになりながらも、必死に体勢を立て直した。


 この時ウォレスが追撃の手を加えていれば、グスタフも無事では済まなかったであろう。

 しかし、ウーツ鋼の槍先が彼に襲いかかることはなかった。


 グスタフが愛馬を落ち着かせた時、既に対戦相手たる黒衣の騎士は視界から遠ざかりつつあったのだ。


「おのれ! 逃げるか!」

 敵前逃亡を図る敵将にグスタフが声を荒げた。


 号令一下、サーディアス軍に追いすがる。が、追いつけない。

 イトアニア軍はその大半が歩兵であり、グスタフ率いる騎士隊のみで追っては数の優位を失ってしまう。


 一方、逃げることに全力を注ぐサーディアス軍は兵士全員が騎兵なのである。

 追いつけという方が無理であった――。



「まずは一戦。ご苦労様です。ウォレス兄」

 トッドが口元に笑みを(たた)えて労いの言葉をかける。


「あと何度やる必要があるんだろうな」

 流石に気の抜けない相手であったのだろう。

 ウォレスは兜を左脇に抱え、槍を右肩に乗せると、少し疲れた様子で呟いた。


「グスタフ閣下をご案内しなきゃなりませんからね。少なくともあと二回は頑張ってもらわないと……」


 ウォレスは眉根を寄せてため息を吐いた。


「でも演技の方は中々でしたよ。撤退する時にちらっと見た感じじゃあ、グスタフ閣下はかなり怒ってましたからね。“おのれ、卑怯者! 逃げずに勝負せぬか~ッ!” ってね」

「そのまま、我を忘れてついて来てくれると良いんだがな。どうもアイツは暑苦しくてなぁ。作戦的に勝負に勝ってしまうわけにもいかんし……」


 ウルシアにも念を押されていることだ。


 ウォレスはトッドに愚痴を漏らすと、次いで皆に労いの言葉をかけた。尤も、先の戦闘で実際に戦ったのはウォレス一人であったから、皆一様に疲労の色は見えず、むしろ労われるべきはウォレス自身であった。


 サーディアスは険しい山岳地方だが、中心都市ステアに到る道は一つではない。とはいえ、兵数的にみてもその道全てに罠を仕掛けて対応するなど不可能である。

 狙った戦果を上げるためには、自軍にとって都合の良い場所までイトアニア軍にご足労願う必要があった。

 ウォレスの部隊は、そのための先導役を担っていたのだ。


 わずか三百騎を率いて敵軍の前に姿を現したウォレスが、敵大将のグスタフに一騎打ちを仕掛け、ほどよく槍を交えたところで撤退する。

 そのタイミングを伝える最初の方法が、ウォレスが敵将を賞賛するというものであった。


 トッドはその合図を元に全軍に退却指示を出し、こうしてまんまと逃げ果せてきたのである。サーディアスにとって、出だしは好調であった。

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