第9話 - 「いざ戦地へ」
「ワルアからの報告によると、敵の大将はグスタフ・グレイクだそうだ。兄のバルドスほどではないがイトアニア切っての猛将だ。色々とお誂え向きの敵ではあると思うが、自信のほどはどうだ?」
ウルシアは手綱を握り直すと、並んで馬を進めるウォレスに質問を投げ掛けた。
戦場に設定した地点へと向かう途中である。
「自信と言われてもな。正直やってみないと分からん。俺としては、自分に役者としての適正があるかどうかの方が心配なんだがな」
「それは確かに私も心配しているところだが、上手く演じきってくれんと困るぞ。今回の策は、お前とワルアの役所が大きいのだからな。……しかし、何気に自信がありそうではないか。お前よりグスタフの方が強いようならば演技などする必要もないのだからな」
「確かに。でもまあ、ウォレス兄なら心配ないでしょ」
姉の意見に相づちを打つと、トッドは馬足を速めてウォレスの隣に並んだ。
絶対の信頼を向ける姉弟に、ウォレスは肩をすくめた。
「何せ一万二千の敵に千五百で挑もうってんだから、正面からまともにやりあったんじゃ話にならないしねぇ。対戦相手にも恵まれたことだし、ウォレス兄には頑張ってもらわないとね」
トッドは、圧倒的不利な戦に向かう者とは思えぬ陽気さだ。
「ウォレスがいて良かったなトッド。もしこやつがいなければ、今回のウォレスの役所はお前がやることになっていたぞ」
「うへぇ。そいつは勘弁だ。とてもじゃないけど自信ない。しかも敵さんうちらと違って食料にも余裕があって、長期戦もいけますってんだからまったくもって参るね」
軽口を叩きながら戦場へ向かう。
この時、サーディアス軍の兵士たちに不安の色はなかった。彼らを率いる将軍と軍師、そしてその補佐役の三人に対する信頼と、故郷を守ってみせるという決意に闘志が漲っていたのがその理由である。あるいは、余裕の表情を見せる指揮官たちの姿に安心感を抱いていたのかもしれない。
『宰相記』と呼ばれる物がある。後にサーディアスで宰相の職を担ったウルシアの手記の事だ。人物批評や料理のレシピ、当時の出来事など、その内容は雑多なものであるが日記と呼べるほど日常的には書かれていない。それらの内のいくつかは既に失われているが、現存するものの中に、彼女がサーディアスへと帰郷した頃の記述が見受けられる。それによると、彼らがイトアニア軍を撃退すべく軍を発したのは太平三〇一年の十月七日、イトアニア軍と初の遭遇を果たしたのは、さらに十日後の十月十七日のことであった。
一方、対戦相手たるイトアニアにも周辺領にその名を轟かせた将軍が三名いる。バルドス、グスタフのグレイク兄弟とグラハム・カストールである。
バルドスはこの年三十七歳。グスタフは三十四歳である。共に頑強で大柄な男たちであった。宰相記にもわずかながら記述が残されており、それによれば二人は類人猿のような顔立ちで、特に弟グスタフは不快な言動の目立つ男であったという。
このうちグラハムは南方方面軍の指揮官としてイトアニアの首都カルナスを離れており、中心都市周辺域防衛の役目は専らグレイク兄弟が担っている。
グレイク兄弟が武に偏っているのに対し、グラハムはどちらかといえば知に寄った男であった。
そして今回、イトアニア領主ブロス・アラニアからサーディアス侵攻作戦の指揮を任されたのは、グスタフ・グレイクである。兄バルドスと比べ知勇共に劣るものの、その勇猛さは万人の認めるところであった。
武に偏りすぎるきらいはあるが、その分、勢いに乗った時の破壊力、突貫力は凄まじく、事実、過去いくつもの軍がグスタフによって粉砕されている。
「圧倒的な戦力差だ。区々たる戦術など必要ない。サーディアスの身の程知らず共など、圧倒し蹴散らしてくれるわ」
何やら予感めいたものがあったのか、いつになく不安気な様子を見せるバルドスに対し、グスタフはそう語って出陣している。
グスタフ率いる兵力は、貴族の子息を中心に組まれた騎士隊五百と、領民兵一万。それに補給部隊千五百を加えての合計一万二千である。
グスタフ率いる騎士隊を第一陣、領民兵を中心とする第二陣から第四陣の指揮を貴族の子弟に任せ、最後尾に補給部隊が続いている。
サーディアス軍がほぼ全員騎兵であるのに対し、イトアニア軍で馬上にあるのは貴族のみであった。これは当時の風潮として、馬に乗るということが身分ある者のステータスとなっていた事による。
サーディアスは色々な意味で特異であったのだ。
兵士たちは一様に、イトアニアが武器商人たちから買い上げた装備に身を包んでいる。
グスタフが軍を率いてカルナスを発したのは、十月七日。奇しくもサーディアス軍の出立と同じ日であった。
通常、行軍は最も速度の遅い兵科に合わせて行われるが、全軍の九割以上が歩兵であるイトアニア軍の進軍速度は、サーディアスのそれと比べ、さながら亀の歩みのようであった。
イトアニア軍がサーディアスとの領境に達したのは、十月十六日の事である。
雲一つない青空の下、グスタフに固い口調で話しかける男があった。
中肉中背の男は、その容姿に然したる特徴は見られないものの、瞳に強い光りを宿し、きりりと口元を引き結んだ様は融通の利かない軍人のそれであった。
グスタフより大分年かさのようで、頭髪には白いものが混ざり始めている。
今回の遠征に当たって、兄バルドスの付けた副官であった。
「将軍、後続が少々遅れております。脚を落とされた方がよろしいのでは?」
男の言に、グスタフは鬱陶し気に顔を顰めた。
「当初の予定より進軍が遅れているのだ。俺に指図する暇があったら、遅れている兵士共を急がせろ!」
「しかし、兵士たちは……」
なおも言い募る男を遮るように、グスタフは声を荒げた。
「しかしではない! この遠征の指揮官は俺だ! 兄の言でお前を副官に付けてはいるが、だからといって貴様が俺より偉いわけではないのだぞ。もたもたしていては、サーディアスを併合する前に冬が来てしまうわッ!」
十月も半ばである。サーディアス領へ近づくにつれ、気温は下がりつつあった。
寒さは行軍を妨げ、力を奪う。
遠征自体に不安はないものの、サーディアスが無抵抗のまま降服するとは、さしものグスタフも考えていない。時間が経つほど、サーディアス軍は万全の迎撃態勢を整えることだろう。
(サーディアス如き弱小勢力に時間を掛けていては、このグスタフの面目が立たぬ!)
自軍の勝利を疑っていないグスタフにとって、どれほど戦を楽しめるかこそが重要な事であり、多くの報償と役得を得ることこそが最大の関心事なのであった。
「折角の戦だ。ローゼン。お前も少しは楽しんだらどうだ?」
グスタフの言を受け、ローゼンは恭しく一礼すると無言のままに馬首を返した。
「ちっ。つまらんヤツだ」
グスタフは舌打ち一つすると、外套の前を合わせ、不快な男の姿を視界から外した。
先行する斥候からは、未だサーディアス軍発見の報告はない。
「少しは骨のある奴がいると良いんだがな」
右手を顎に当てグスタフは呟いた。その目に湛えた光りは、餓えた獣のそれであった。
イトアニアは肥沃であるが故に、周辺領から狙われる事も多い。豊富な糧食は周辺領にとって喉から手が出るほどに、欲して止まぬものであった。
度々刃を交えたために、周辺領の将軍たちの力量や性格をグスタフは知っていたが、これまで歯牙にも掛けなかったサーディアスだけは例外である。
厄介者の左遷先だけあって領土的価値が極端に低かった事が、サーディアスを戦とは無縁の土地にしていたのだ。
シュレッテン家が領主となってからもそれは変わらず、先のような賊の討伐といった小規模な戦闘こそ時折行われていたものの、ウルシア、ウォレス共に今日まで戦という戦は経験していない。それはつまり、ウォレスらの噂が周辺諸領へ伝わる機会がなかったということでもある。
グスタフがサーディアス諸将について知らぬのも無理からぬ事であった。
「戦は期待出来んまでも、せめていい女でもいりゃあサーディアスくんだりまで来た甲斐があるんだがな」
グスタフは下卑た笑みを張りつかせた。




