プロローグ
乾いた大地に馬蹄が轟き、悲鳴を踏み潰して行く。
剣槍が閃き火花を散らす。
一際大きな馬に跨り先頭を駆ける騎影に、数に勝る陣が切り裂かれていく。
漆黒の鎧に身を包む騎士が銀槍を振るう度に鮮血が舞い上がる。
首を刎ね、腕を断ち、足を切り落とし、胴を両断する。
斬り伏せた敵兵の血で大地が朱に染まる。
「怯むな! 敵は少数だ。押し包め!」
頭目らしき男の声に励まされ騎影が三つ、躍り出た。
悪夢を振りまく強敵に、己を鼓舞しようと三者三様の雄叫びを上げる。
銀線が閃き、雄叫びの一つが断末魔の叫びへと変わる。
返す切っ先に二人目の首が紅い放物線を描いて宙を泳ぎ、続く一撃に武器を手にした右腕が土煙を上げた。バランスを失った三人目の騎手が、後続する馬蹄の下へ消える。
「流石、ウォレス兄。向かうところ敵なしだ」
漆黒の騎士に続く青年は口笛を吹きつつ賞賛すると、怯んだ敵に対して矢継ぎ早に矢を射掛けていく。
弦が鳴る度、悲鳴が上がる。矢筒が空になった事を確認すると、佩いた剣を抜き放った。
先頭の二人によって切り裂かれた陣を、後続の騎馬隊が槍を振るって広げていく。
頭らしき男が崩れる味方を叱咤するも、黒衣の騎士は止まらない。
全身に返り血を浴びて疾駆する様に死神の姿を重ね合わせた山賊たちは、遂に潰走を始めた。
それも無理からぬ事であろう。百人以上もいた味方が、この時既に半数まで討ち減らされていたのだ。
山賊たちにしてみれば、当初、敵の数は十分の一に満たなかったのである。油断もあったが、何よりも大きな誤算だったのは、敵の一人が一騎当千の強者であった事だろう。
数に劣る敵と侮っていたのが事実とはいえ、その代償が己の命では割に合わぬというものだ。
「おのれぇぇぇッ!」
武器を捨てて逃げ散ってゆく不甲斐ない味方に、頭である男が歯噛みする。
逃げ惑う味方の一人を斬り捨て、「逃げる者は斬る!」と、威嚇するも黒衣の騎士への恐怖が勝るのか押し止める事ができない。それはつまり、男の方が黒衣の騎士よりも弱いと言われたに等しい。
男は己が生命を矜持との間で天秤に掛けた。
個人戦における勝敗は時に運という要素も大きく関わってくる。ならばたとえわずかでも勝利の可能性はあるはずだ。
男は目の前の現実を受け入れることができなかった。
そして揺れ動く天秤は、幻想という重りによって後者へと傾いた。
槍をしごくと馬腹を蹴って疾走する。最早、この流れを覆すには黒衣の騎士を討ち取るほかない。
迫りくる黒衣の騎士に対し、気合い一声、槍撃を繰り出した。頭を張るだけあって、男の槍先は鋭い。
二合、三合と打ち合ってみせる。薙ぎ、突き、払う。
しかし、決着の時はすぐに訪れた。黒衣の騎士の膂力は凄まじく、槍を合わせる毎に腕が痺れ、辛うじて防御するも体勢が保てない。善戦するも十合と保たずして限界が訪れた。
判断を誤ったと気づいた時にはもう遅い。
「せぇあぁぁぁぁッ!」
気合いと共に放たれた一撃に胸を貫かれ、男は声もなく絶命した。
部下だけでなく愛馬にも見捨てられた男は、この戦闘における最後の死者として、その身を地に横たえた。
「いやぁ、お疲れ様です。ウォレス兄。まさに獅子奮迅の活躍でしたね」
弓で百中の腕を見せた青年は、愛想の良い笑顔で、兜を脱ぐ黒衣の騎士に話しかけた。
脱いだばかりの兜を小脇に抱え、黒衣の騎士、ウォレスが馬首を向ける。
鍛え上げた長身に、黒髪黒瞳の端整な顔立ちをした青年だ。
「お前の弓の腕前も相変わらず大したものだよ。トッド」
「いえいえ、それほどでも」
茶色の髪の下に満面の笑みを浮かべてトッドが応える。
つられて笑うウォレスは、少し遅れて到着した仲間たちの無事な姿を一通り確認すると、声を張り上げた。
「皆もよくやったな! 初めての実戦で戸惑いもあったろうが、よく頑張った! 誰一人欠けることなく無事に帰還できるのも、皆が日頃からしっかりと訓練してきた賜物だろう。帰ったら酒を奢るぞ!」
その言葉に、戦闘を終え、安堵と高揚にその身を浸していた新米兵たちが沸き立った。
(やっぱり、地方で終わるような人じゃないよな。ウォレス兄は!)
トッドが心中で独りごちる。
実戦経験のない新米ばかりを率いて十倍する敵に突撃を仕掛け、勝利の果実をもぎ取ったのだ。並みの事ではない。
ウォレスの勇壮な出で立ちと、彼に対する絶対の信頼があればこそ、新米兵たちも気後れすることなく戦えたのだ。
何事もそつなくこなすトッドは、弓、剣、共にかなりの腕前だ。そこいらの騎士とであれば、互角以上に戦える自信がある。
しかし、自分にウォレスのような真似はできないだろう。
トッドは黒衣の騎士に尊敬の眼差しを向けた。
太平三〇一年当時、ウェスタニア大陸各地では貴族を中心とした大きな政権争いが発生していた。当初、中央で始まったこの争いは、他領を巻き込み拡大の一途を辿った。その結果、大陸は群雄割拠する戦乱の様相を呈し、治安維持機構はその機能を停止。各地で盗賊や山賊による被害が相次いだ。
自らの責任を放棄し、己の支配する領土の拡大と、欲望の充足のために奔走する領主たち。民草の生活を顧みるどころか、一方的な搾取を繰り返す為政者の存在は、領民にとって賊徒と何ら変わらぬものであった。とはいえ、強大な権力を持つ彼らに逆らうことなど出来ようはずもなく、ならばせめて群盗の脅威だけでも退けようと、領民は自ら武装し身を守るようになった。
その中にあって、ウォレスらの集団は少々趣を異にする。
領主の子弟を中心とした組織であり、ウォレスは領民から信頼を受ける数少ない貴族の一人であったのだ。
この頃、彼を最も信頼していたのは、あるいはトッドであったかもしれない。
トッドもまた平民の出であったが、ウォレスらとの関わりの中で多くの技能を習得し、中でも弓の腕前は領内随一との評判を得るほどであった。
作物の刈り入れも終わり、冬の足音が近づきつつあるこの日、領内見回りの任を無事完遂した一行は、中心都市ステアへ向け意気揚々と引き揚げたのだった。