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二次元旅行記

作者: 夏川優希

 俺の周りを白衣の研究者たちが取り囲む。これから世紀の大実験が行われようとしていた。

「田中さん、具合はいかがですか、体調は大丈夫?」

 眼鏡をかけた優しそうな女性が俺に話しかける。俺はとびきりの笑顔で子供みたいに元気良くうなずいた。

「もちろん! 楽しみすぎてちょっと寝不足ですけど」

 俺の返事を聞いてその女性も満面の笑みを浮かべる。研究室内の緊張がここにきて一気に高まってきた。それが伝染して俺の手にもじわりと汗がにじむ。俺の隣で何やらパソコンで作業していた背の高い男が立ち上がり、緊張をごまかすような大きな声を上げた。

「ではそろそろ始めましょうか。世紀の大実験を!」

 それを合図に皆が持ち場へとつく。俺も目をつむってその時を待った。

「それでは行きます、3……2……1……!」

 カチッと小さな音が響き、俺の意識はスウッと遠のいて行った。



 目が覚めて最初に見たのは見慣れたあの風景だった。何度も、何度も見てきた、でも決して届かなかった世界――

「とうとう来たんだ、2次元の世界に」

 実験は成功だった。俺はとうとう夢だった『せいとかい!』の世界に来れたんだ。

 『せいとかい!』というのは漫画売上1000万部、アニメや映画が大ヒットした今一番熱い作品で、名前の通り女子高生たちが生徒会を舞台に大活躍する、という話だ。この実験に参加できると聞いたときは天にも昇る嬉しさだった。実験には危険が伴う、生死の危険すらあるかもしれないといわれた時でさえこの決心は揺るがなかった。


『田中さん、どうですか2次元の世界は?』

 耳に装着していた小型のマイク一体型イヤホンから聞きなれた研究者の声が聞こえる。俺は興奮を隠すことができず、鼻息を荒くして声を上げた。

「すごいです、本当にあの世界だ……」

『おそらく実験成功です! それでは、田中さんの思うとおりに、色々と行動してみてください』

「了解しました!」

 俺は元気よく返事し、あたりを見回した。

 ここは生徒会のメンバーらが使う通学路だ。腕時計をチラリと見た。針は6時を指している。3次元の世界の時間ではまだ朝だが、あたりは明るく温かい。一体この世界の時間は何時なんだろう。

 そんな事を思い、あたりをキョロキョロ見回しながらふらふらと学校の方へ歩いていると、遠くから砂煙をあげながら走る謎の物体が接近してきた。

 俺はそれを見てニヤリと笑う。

「あぁ、カッちゃんはまた忘れ物したのかぁ」

『どうしたんです、彼女は?』

 少しノイズのかかった音が俺の耳をくすぐる。

 そういえば研究所の人たちは漫画やアニメの世界に疎いという事だった。だから俺のような部外者が実験台として選ばれたわけだが。

 俺はどんどん近くなってくる砂煙を見ながら得意げに答える。

「カッちゃんはですね、せいとかい!のドジっ娘担当で、いつも忘れ物をしてはああやって砂煙を上げながら走ってるんですよ」

『どうしてアスファルトの上を走っているのに砂煙が?』

「え……?」

 俺は戸惑ってしまった。確かに地面はアスファルトだ。でも、たとえ室内で走ったとしてもカッちゃんの後ろには砂煙が影のようについてまわる。そういう『お約束』なのだが……

『ですから、アスファルトなのに――』

『所長、田中さん困ってますよ。漫画なんですからその程度の描写にいちいちケチつけないでください』

 女の声が少し離れたところから所長を諌める。

 俺は頭が真っ白になった。

「今、なんと?」

『へ?』

「貴様……今、『漫画だから』と言ったな?」

『言いました……けど……』

「口を慎め! いいか、俺は『漫画なんだから』と言われるのが大ッッ嫌いなんだ!! 冷めるんだよ、そういう事言われると! あと、これは漫画ではなくアニメだ、色もついてるし動いてるんだから。お母さんみたいな間違えをするなッ!」

『あ……ご、ごめんな……さい』

 腹の虫が治まらず、もう一つ嫌味を言ってやろうと口を開きかけたとき、所長の優しい声が耳に飛び込んだ。

『すいませんね田中さん、そのくらいにしておいてあげてください。我々は漫画には疎いので、どういう事が無礼に当たるのか分からないのですよ』

「そう……ですか、大きい声を上げてしまってすいません」

 漫画やアニメの事になるとどうも感情的になってしまう。俺は呼吸を落ち着かせながら砂煙を上げるカッちゃんに話しかけようとタクシーを止めるときのように右手を挙げて道の方へ身を乗り出した。

「カッちゃーん! ストップストップ!」

 俺が声をかけると後ろ向きに重心を移動させ、踵を地面に押し付け、カッちゃんはものすごい砂煙を上げながら俺から10メートルほど過ぎたところで停止した。

「なんですかぁ?」

 妙に間の抜けた顔を見て俺はしみじみと2次元の世界に来たんだという事を再確認した。テレビ画面の奥で笑っていた彼女が、今こうして目の前にいる事が半ば信じられないが。

「お兄さん? 大丈夫?」

 声もカッちゃんだ。テレビで見たときと何も変わっていない……

「カッちゃん……なんだね」

「はぁ。そうですけど」

「凄い……本物だ……」

「偽物がいるんですか?」

 気の抜けた声を発するカッちゃんを見て、俺の中の何かが壊れた。

「すごいぞ、カッちゃんと会話している! やった、誰でもない、カッちゃんは今俺だけを見ている!」

「えっと……え?」

 カッちゃんは首を傾け、一歩後ろへ下がった。その距離を埋めようと俺はカッちゃんの方へ少しずつ歩を進める。

「カッちゃんだ! 俺は人類で初めてカッちゃんと話したんだ! すごいぞ、カッちゃん可愛いカッちゃん――」

「ひゃあ! うわああぁぁぁ、不審者! 不審者さんです!」

 カッちゃんはそう叫ぶと、また砂煙を上げながらすごい勢いで走って行ってしまった。俺はカッちゃんと話せた余韻を噛みしめつつ、また学校の方へ足を進める。

『田中さん、今のはちょっとヤバいんじゃないですかね』

 若い男の声が小型イヤホンから漏れ出す。

「何がですか?」

『いや……だって、あの話しかけ方はどう考えても不審者でしたよ』

 男の訝しげな声に、俺は声を上げて笑った。

「大丈夫だよ、カッちゃんは穏やかな子だし、全然怪しんでなかったでしょ」

『いや、めっちゃ怪しんでたじゃないっすか』

「あー、もう、ゴチャゴチャうるさい! 大丈夫だって、この世界の事は俺が一番よく分かってんだから!」

『まぁ……そうっすね。すいません、もう口出ししないっす』

 それだけ言うと一瞬ブツンとノイズが走り、後は静かになった。おそらくマイクの電源を切ったのだろう。これで静かにこの世界を探検できる。



「ここが学校か」

 案外早くたどりつけた。学校の時計を見ると、4時10分過ぎくらい。ちょうどみんなが生徒会活動をしている時間だ。俺はキャッチボールをしている野球部を横目に校舎へ入っていった。

「そこのお兄さん!」

 凛とした綺麗な声が俺を呼び止める。声の方に顔を向けると、濡れたような黒い髪の美少女が俺にいぶかしげな視線を送っていた。

「剣道部の京子さん!」

 俺は気づいたら叫んでしまっていた。

 京子さんは生徒会のメンバーではないので登場回数も少ないのだが、その美しい容姿や男前な言動により、一部のファンから熱狂的な支持を受けている。

 アニメではなかなか見ることが少なかった京子さんにこんなにすぐ会えるとは思っていなかった。

「どうして私の名を知っているのですか?」

「そりゃあ、京子さんを知らないわけないでしょう! そんなヤツはにわかです、にわか!」

「ちょっと意味が分かりませんが……ところで、お兄さんはどういった方ですか?」

「僕、田中です!」

「いえ、そういう事ではなくて……職員の方ではありませんよね? すいません、学校のセキュリティー上、お客様にはネームプレートを付けていただくことになっているのですが――」

 俺はかなり慌てた。長らくこのアニメのファンをしているがそんな設定知らないぞ!

 何とかごまかそうと必死で頭を回転させる。

「ええっと……すいません、もらい忘れちゃったみたいで」

「ではご案内いたしましょう」

「いえ! 結構ですよ、自分で行けますので」

「そうですか、では私はこれで――」

 ホッと胸をなで下ろしたとき、乾いた土のようなものが俺の鼻を刺激した。風にのってグラウンドの砂が入ってきたのかと思ったが、風は吹いていない。

 その時、曲がり角からカッちゃんが飛び出してきて俺を指差して叫んだ。

「京子ちゃん! 気を付けて、不審者だよ!」

「何ッ! こやつが香澄を襲った不審者……!」

 京子は切れ長の綺麗な眼で俺をキッと睨みつけるとどこからともなく日本刀を取り出した。

「いや、ちょっ……待っ」

「問答無用!」

 素早く鞘から刀を抜くと、何のためらいもなく俺にとびかかり、刀を一気に振り落す。

「うひゃあああ!」

 着ていたシャツが破れ、肩から血が流れ出す。痛い。でも動けないほどではなかった。

 驚いて後ろへのけぞり、しりもちをついたが、おかげでそれほど深くは切れなかったようだ。

「チッ、仕留め損ねたか」

 京子は虫けらを見るような目で俺を見下し、再び刀を振り上げた。蛍光灯の光を反射して刀は鈍く光る。

「うっ、うわああああ!」

 俺は立ち上がり、走った。

「待てッ!」


 京子は大抵の事はうまくやるが、足だけは遅い。俺は足に自信があるわけではなかったが、それでも京子を巻くのはたやすかった。

 後ろに京子が迫っていないことを確認し、右手で肩を庇いながら壁にもたれかかり、そのままズルズルと座り込んだ。

「……おい、見てんだろ。頼むから……返事してくれ」

 しばらくすると、ブツッというノイズが耳に走り、音質の悪い声が発せられた。

『ハイ、どうしました?』

 若い男の声だ。その呑気な声は俺の神経を逆なでする。

「どうしました、じゃねぇよ! 見てたろ? 京子に切られた!」

『見てましたよ。いやぁ、驚いた。彼女はいつも人を斬るんですか?』

「斬るよ、でもこれはアニメだから切られても次の場面では回復してる! なのになんで俺の傷は治らない!?」

『あれぇ? 『アニメだから』って言葉嫌いじゃなかったんですかねぇ』

「緊急事態なんだ! 意地悪しないで答えてくれよッ……」

『分かりましたよ。でも僕が答えるまでもないじゃないですか』

「どういう事だ?」

『そりゃ、その世界はアニメの世界ですからね。他の人物はアニメの世界の法則に基づいていますけど、田中さんは違う』

「斬られても、100トンハンマーで殴られても死ぬ――って事か」

 とんでもないところに来てしまったという事に俺はこの時ようやく気がついた。この世界には機関銃ぶっぱなつ体育教師や、怪しい薬品を使って人体実験を繰り返す科学部などぶっ飛んでるヤツだらけだ。生身の人間じゃ命がいくらあっても足りない!

「元の世界に……戻してくれ」

『まぁ、データは取れましたし良いですけど……田中さんは良いんですか? まだ主要人物たちと対面してないのに』

 俺はハッとした。目の前には生徒会室。耳を澄ますと生徒会メンバーの笑い声が聞こえてくるようだ。そうだ、一生に一度のチャンスを逃して良いのか。生徒会メンバーに凶器を所持している者はいないし――

「……待ってください。生徒会メンバーたちに……会ってきます」

『ですよね。帰りたくなったらまた呼んでください』

 ブツッと言う音により、また沈黙があたりに充満した。

 俺は肩を押さえながら立ち上がり、生徒会室にゆっくりと近づいて戸に手をかけた。一度深く息を吸い込み、一気に戸を開け放つ。


 そこにはいつも見ている生徒会室の姿があった。4人の生徒会メンバーが一様に俺の顔を見つめている。俺の中で沈んでいた気持ちが一気に浮上してくるのを感じた。

「あぁ! 生徒会メンバーだ……本物だ」

 メンバーの1人が恐る恐る、といった感じで口を開いた。

「どうしたんですか? 血……出てますけど」

 その言葉に、自然と笑みがこぼれる。

「ミクちゃん! ミクちゃんはやっぱり優しいなぁ」

「なんで……名前知ってるんです?」

「みんなの事なら何でも知ってる! ミクちゃんはおとめ座、身長153センチで好物はプリンだよね」

「えっ……なんで……」

 ミクちゃんは手を口に当て、目を見開いた。

「ちょっと、いきなり入ってきてなんなのよ! 本当に気持ち悪い!」

 次に、ツインテールの少女が俺を指差し、軽蔑したような視線をこちらに向ける。

「アヤちゃんの生ツンデレ! 本当に可愛いなぁ」

「ヒッ……」

 予想外の反応に驚いたのか、アヤちゃんは口を閉ざした。ここは頬を赤く染めるところなのに、なぜかアヤちゃんの顔は真っ白だ。色白なのも可愛い。

「ちょっと、先生呼んで。不審者よ」

「ハイ……」

「やっぱり会長はしっかり者だね! ところで、不審者ってのは? 俺がやっつけてあげるよ」

 俺が一歩歩み寄ると、みんなは一歩後ずさった。こんな事じゃ一向に距離が縮まらないじゃないか。

「どうして逃げるの?」

 俺の問いに、アヤが叫んだ。

「あんたが恐いからに決まってるでしょ! だいたい、なんでそんなに目が小さいのよ。頭も大きいし、鼻も変だわ! まるで怪物よ!」

 アヤの叫びに俺は怯んだ。壁にかかっている鏡に映った己と、目の前の生徒会メンバーを比べる。確かに俺の目は彼女たちに比べると小さく、頭も大きい。完全にこの世界から浮いている。

「そん……な。せっかくここに来れたのに……」

 俺はまるでゾンビのように腕を突出し、足を引きづりながら彼女たちに近づいた。鏡に映る俺の姿は完全に悪者だ。

「来ないで! 来ないでよ!」

 その時、風を斬るような音が耳に入った。目の前の鏡に、銀色に光る長い刀身が映っている。それは何のためらいもなく、女子高生を襲おうとしている悪者に向けて振り下ろされようとしている。

「うわあああぁぁぁぁぁ!」





「うわあああぁぁぁぁぁ!」

「大丈夫ですよ、田中さん! 落ち着いて」

 俺は肩で息をしながらあたりを見回した。立体的な四角い機械がいたるところに設置されている。目の前には、心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでいる女性科学者がいた。彼女は俺と同じような顔をしている。

「良かった、帰って……これたんだ」

 肩には血が滲んでおり、酷く傷むがギリギリのところで京子の刃からは逃げられたようだ。

「どうでした? 二次元探検の感想は」

 笑顔を浮かべた所長が、海外旅行の土産話を聞くような調子で俺に尋ねた。

 とっさに浮かんだ正直な感想が口から飛び出す。


「彼女たちとは……住む世界が違いますよ」

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