追放後の連絡はご遠慮ください!ー無能聖女は溺愛系神獣とバカンス中ー
◆◆◆
事の発端は3か月前ーー
神聖教会の筆頭聖女マグノリエルはいつものように仕事をしていた。
「マグノリエル先輩!ちょっとご相談が…」
「ん?どうしたの?」
「ブリンネ村への魔物の侵入の件なんですが、今動ける上級調査員の空きはないって言われちゃいましたぁ。最速でも5日後らしくてぇ……」
「そうだねー…ブリンネ村の件なら中級調査員に騎士団の護衛をつけたら大丈夫だと思うから、もう一回アポとってみて」
「ふぇえ!ありがとうございますぅ!」
こうやって後輩からの相談にはノータイムで応じるのは、聖女の鑑。
今日も今日とて気づけば詰所に残っているのはマグノリエル一人。
勤勉と言えば聞こえはいいが、マグノリエルは昔から自分を要領の悪い人間だと思っていた。
(もう10年も聖女をやってるのに全然だめね…)
むしろ年々帰るのが遅くなっていく。
もはや筆頭聖女になって以来、一度も定時で帰れた試しがない。
コンコン。
ノック音で我に返る。
開いたドアに銀髪の美丈夫が立っていた。
「今日も残業だな、ノール」
「レノ……じゃなくて、レノシュ様!」
レノシュはかすかに眉をしかめた。
「もう教会に残ってるのはお前だけだ。そんな畏まった呼び方はよせ。ほら、晩飯」
机に置かれた弁当箱にマグノリエルの顔がパッと輝く。
「いつもありがとー、レノ!」
レノシュも椅子を引き寄せてマグノリエルの隣に座る。
「たまにはお前とゆっくり飯が食いたいんだがな、家で。我が契約者様は仕事熱心でいらっしゃる」
「ううっ!いつもごめんね、レノ!隣国から逃亡した魔物の調査案件がクローズ出来たら少し余裕出来るから…」
「先月は祭具の紛失事件が終わったらって言ってたぞ」
「うっ!」
レノシュはため息をつく。
「ここの連中はお前に頼りすぎだ。どっちも元は別のニンゲンの担当だったろ?なんでお前がやるんだ?」
マグノリエルは苦笑するしかない。
それはマグノリエルにもわからない。
聖女の業務は多岐に渡るが、特に各街を守る結界の補修業務は何故か炎上しがちだ。
しかも、ここ1年は結界が耐用年数を迎える前に壊れることも増えており、余計に多忙を極めている。
一人で対処しきれずに途方に暮れてそのまま教会に来なくなる聖女も多い。
そうならないようにマグノリエルは日頃から後輩の指導を頑張っているのだが、手ごたえは薄い。
レノシュの大きな手のひらがマグノリエルの髪を撫でる。
「お前は人の尻拭いばっかりだ。俺との契約だってそうだった。…お前はよく頑張ってる」
「レノー!」
マグノリエルはレノシュのたくましい胸板に抱き着いた。
「そんなこと言ってくれるの、レノだけだよぉ~!ハァー!世間は夏季休暇期間だっていうのに、私はずっと教会にこもって仕事仕事仕事仕事……えぇ~ん!私もバカンス行きたい~!」
「……婚約者は今年もお前をバカンスに誘わないのか?」
名ばかりの婚約者のことを考え、マグノリエルは苦笑する。
「あの方は忙しいから…」
聖女の勤め先である神聖教会は各地の王家と連携して、人々を魔物から守っている。
そのつながりを強化するために適齢期の筆頭聖女は王家に嫁ぐしきたりがあるのだ。
マグノリエルも例外ではない。
グランツニカ王国の筆頭聖女であるマグノリエルの嫁ぎ先は、第一王子のディートハルトだ。
25歳になったら結婚することになっているが、未だに手を握ったこともない。
マグノリエルが激務すぎてデートの日程に仕事が入ってしまい、ディートハルトも王子という立場上、リスケジュールができず、流れたデートは数知れず。
教会上層部も少しは考えてくれたらいいのに。
「せめてデートの日くらいは休ませてくださいよ!」
10代の頃はマグノリエルも文句を言いまくった。
「もうちょっとしたら余裕できるからそれまで耐えて」
上層部はそんなことを言ったが、職場環境は一向に改善されなかった。
「ごめんね!聖女はどこも人手不足で…!今、育成中だから…!」
ごめんで済めば教会はいらないという話である。
20を過ぎてからはなんかもう、文句を言う暇があったら書類の一つでも片付けようと思うようになってしまった。
そうこうするうちにディートハルトもマグノリエルに遠慮してかデートに誘わなくなっていった。
思えば、この1年のデートらしいデートといえば教会の会議室で話す程度だった。
レノシュはマグノリエルの髪をサラリと耳にかける。指の腹が耳の縁を浅く撫でた。
「なあ、俺が連れてってやるぞ?俺なら一晩で南国のビーチまで行ける」
レノシュの声は甘い。
「ふぇえん!でも今日中に北部鎮守の森の警備計画書に目を通さなきゃ…」
「その案件も元は別のニンゲンの担当だったはずだ」
「仕方ないよ。誰かがやらなくちゃいけない仕事だもん」
「その誰かがお前である必要はないって言ってるんだ」
「…」
「ハァ。お前の婚約者も大概だ。可愛いマグノリエルがこんな目に遭ってんのにどうして放置するのかね。この国の権力者だろ?」
「王子としての立場があるからこそ、私情で教会の人事に口を挟まないんだよ」
レノシュは無言でマグノリエルの頭を撫でた。
そう、全部仕方のないことなのである。
マグノリエルはそう自分に言い聞かせた。
◆◇◆
数日後ーー。
「マグノリエル!筆頭聖女の任を解き、あなたとの婚約を破棄する!」
壇上に立つディートハルトからこの言葉を突き付けられた時のマグノリエルの心境は
(ハァーー?)
だった。
怒りや悲しみより、『何言ってんだこいつ』が勝った。
だが、ディートハルトはこんな冗談をいう男ではない。
まして貴族院会議の会場ともなればなおさらだ。
この日、マグノリエルは筆頭聖女として貴族院会議に招聘されていた。
ぶっちゃけ行きたくなかった。
「穴だらけの警備計画書に赤入れてる最中なのに…!」
この予定に関しては元々決まっていたことだからスキップすることはできない。
「これだけ頑張っているんだ。役職報酬のアップとかじゃないか?」
「お金より休みが欲しいんだけど…」
レノシュに背中を押されて臨んだ貴族院会議がコレである。
マグノリエルは口から出かかった罵詈雑言を押さえて、何とか聖女らしく尋ねた。
「理由をお聞きしても?」
「あなたには筆頭聖女としての能力がないからだ!」
ディートハルトが手を叩くと舞台袖に控えていた魔術師が進み出た。
「こちらが今期の担当案件の数です」
空中に青い魔法文字が浮かぶ。
1位セレナ 100件
議員席にどよめきが走る。
「100件だって…!?」
「まだ、下級聖女なのに!?」
その下にズラリと聖女たちの業務実績がスクロールされていく。
そして末尾に赤い文字が光る。
最下位マグノリエル 5件
「えっ、筆頭聖女なのに最下位だなんて」
「それでも筆頭聖女なの?」
ディートハルトがこれ見よがしにその文字を指さす。
「しかも案件のすべてが炎上していると聞いているぞ!件数も少なく質も悪いなんて筆頭聖女として恥ずかしくないのか!」
「いや、これには訳が…」
「言い訳とは見苦しい!」
王子の怒鳴り声にマグノリエルはびくりと言葉を飲み込む。
「この1年、魔物被害が顕著に増加している。これも筆頭聖女の君がだらしないせいなんじゃないのか?」
王子の攻撃ターンは続く。
「さらに、今期の予算案には君への特別報酬の増加が盛り込まれていた。国益を損ねておきながら金だけは受け取るのか?国民の血税から捻出した金だぞ!」
貴族院たちの視線が冷たい温度を帯びていく。
「長年私や国を欺いてきた罪は重い!お前は聖女資格はく奪の上、国外追放の刑に処する!」
「聖女資格はく奪!?」
マグノリエルは息をのんだ。
神聖教会において聖女資格はく奪は破門とほぼ同レベルの処罰だ。
わかる人にはわかる。
12歳から聖女として働いてきたマグノリエルにはあまりにひどい仕打ちであると。
「そんなこと、王子の一存では…」
「教会長も承認済みだ」
議席に座る教会長は重々しくうなずいた。
教会長は今後3年の役職報酬の増額を条件に、マグノリエルの聖女資格はく奪の書類に判を押した。当然、その財源は増額されるはずだったマグノリエルの役職報酬だ。
「ま、待ってください、王子!お慈悲を!お慈悲を!それだけはご容赦ください!」
声を上げたのはマグノリエルの兄伯爵だった。
議席から立ち上がろうとして、近衛兵に抑えつけられる。
王子は伯爵を冷たく一瞥すると、近くの席に控えていた聖女を呼んだ。
「下級聖女、セレナ」
立ち上がったセレナは今日も髪もメイクもいつも以上に気合が入っていた。
「愛らしく優秀なセレナこそグランツニカ王国の国母ーー私の伴侶になるべき存在だ。セレナ、こちらへ」
「ごめんなさぁい、先輩♡聖女としても女としても王子様に選ばれちゃって♡」
すれ違いざまにマグノリエルにだけ聞こえる声で勝利宣言。
マグノリエルが驚いて声も出ない間に、セレナはディートハルトの横に並び立った。
「私はグランツニカの第一王子として彼女を上級聖女に強く推薦し、次の筆頭聖女を選ぶ会への出席を認める。これをもってあなたは用済みだ、マグノリエル!この決定に異議があるものはいるか?」
議席からは何の声も上がらなかった(兄伯爵はいつの間にか近衛兵につまみ出されていた)。
静かなる満場一致。
ディートハルトは満足げにうなずいた。
それを合図に近衛兵たちがマグノリエルをつまみ出そうとにじり寄る。
「お引き取りいただけないと力づくでも出て行っていただきますよ、元筆頭聖女様?」
マグノリエルは困惑が抜けきらない表情で議員席をきょろきょろと見回し、壇上に目を向けた。
「えーっと、一つだけお聞きしたいんですけども……
私が辞めちゃって大丈夫ですか?組織、回ります?」
静寂。
ディートハルトがふっと噴き出す。
「あはは。この期に及んで何を言うかと思えば!なんだい、あなたは自分一人でこの国の教会を支えているとでも言いたいのかい?」
「いえ、そういうわけでは…」
「無能がひとり抜けたくらいで組織が回らなくなるわけないだろ?歯車1つが欠けて止まるようじゃ組織の意味がないだろ。そんなこともわからないのかい?」
「せめてマニュアル書くために1か月…いえ、1週間くらい残った方がいいと思うんですけど」
「そんなことしなくて良くないですかぁー?先輩ができたなら私でもすぐできちゃいそうですし♡」
セレナの能天気な返事にマグノリエルの焦りが募る。
「で、でも、同僚の皆さんのためにもせめて引き継ぎはしませんと……」
「しつこいぞ!要らないといったら要らないんだ!現時刻を以ってお前はクビだ!1時間たりとも猶予はない!」
「それって……」
マグノリエルはふっと肩の力を抜いた。
この場でこれ以上話してもどうにもならないようだ。
ならば、大人しく上の命令に従うだけだ。
「承知しました。謹んでお受けいたします」
マグノリエルは踵を返しかけ、ちらりと王子を振り返る。
「あ、万が一にもないとは思いますけど、退職後に連絡とかやめてくださいね?」
「ふん!誰がお前なんかに連絡するか!」
「本当ですね?絶対ですよ!」
「そんなに連絡が欲しいのか?無様な奴め」
「…絶対に連絡しないと確約していただけるんですね?」
「ああ、絶対に絶対だ。もうすでに口もききたくないからな!いいからさっさと出ていけ!」
マグノリエルは深く息を吸い込んだ。
すぅっ。
「よっっっし!!神様ありがとう!」
マグノリエルがガッツポーズを突き上げる。
腹の底からの歓喜の声に議会は騒然とする。
さらにーーー
「お、呼んだか?」
何の前触れもなく、銀髪の美丈夫がマグノリエルの横に立っていた。
議席から悲鳴が上がる。
「守り神様!?どうしてここに!?」
レノシュは平然とマグノリエルの肩を抱く。
その金の瞳は下々の者達に答えることもなく、マグノリエルに愛おしげに向けられる
「レノ!聞いて!やっと定時で帰れるよ!」
「そいつは僥倖」
レノシュはマグノリエルの亜麻色の髪に唇を落とす。
「グランツニカを出るんだろ?俺も行くよ」
「なりませぬ!!」
グランツニカ王国教会の教会長が悲鳴を上げる。
「あなた様はグランツニカ王国と契約した神獣様です!この契約がある以上、この国を出ることなんてできないはず!!」
「俺の契約者はノールだ」
「えっ!??」
マグノリエルはキョトンと首を傾げる。
「前の教会長から承認をいただいておりますよ?『神獣様が国相手の契約更新を拒否して、私との個人契約なら承諾してくれるらしい』って相談したら『それでいいからさっさと進めろ』って」
「そんなバカな!」
「私も何度か念押ししたんですけどね。契約書は保管庫にありますので確認してくださいね」
教会長に非難の視線が集まる。
契約書の内容を、今年赴任したての教会長は前の教会長から引き継いでいなかった。
「じゃ、そういうことだから」
レノシュはマグノリエルの耳に顔を寄せて囁いた。
「愛の逃避行に行こう、ノール」
マグノリエルはレノシュの顔を見つめ返した。
ほんのりと耳が赤い。
レノシュはにやりと笑うと、その姿は巨大な白狼に変わった。
乗りやすいようにと身を低くして待ち、マグノリエルはひらりとその背にまたがる。
「それでは皆様、お先に失礼しま~す!」
マグノリエルの元気な退勤の挨拶。
白銀の狼は元聖女を乗せて教会の天窓から飛び出す。
そのシルエットは沈みゆく夕日に溶けてやがて見えなくなった。
◆◇◆
神聖教会グランツニカ本部
上級聖女のレナは、初めてのA級案件を任されたばかりだった。
北部中核都市の結界の修繕。
いよいよ、明後日というところで北部第一支部から連絡が入った。
手順書をなくした、と。
前の儀式が20年前だからいつの間にか消えていたことに直前になって気づいたらしい。
「当日じゃなくてよかった。今からマグノリエル様に相談すれば十分間に合うはず……」
そうポジティブにかんがえていた。
そこにバタバタと走り込んでくる上級聖女。
「た、大変!マグノリエル様が…国外追放されちゃった!」
レナは机に突っ伏した。今のは嘘だ。嘘だと思いたい。
(一体、誰に相談すればいいんだろう?)
上級聖女の顔を次々に思い浮かべるが、答えられそうな人はいなかった。
◆◇◇◆
グランツニカ崩壊の第一歩はレナの担当案件だった。
「そうだ!最近、似たような案件があったはず!その手順書を参考にしよう!」
レナは資料室から目当ての手順書(ver. 1.0)を見つけ出した。
「ちょっと古いし、用意した祭具と違うな。でも、ここだけを読み替えれば大丈夫なはず」
レナは腹をくくって北部中核都市に向かった。
結論。
ダメだった。
「あの手順書、最新版はver. 3.0だよ!」
青い顔をした筆頭聖女代理のアスカに叱られたのは北部中核都市から帰還した後だった。
まもなく修復した結界が崩壊したという連絡が本部に届いた。
「だだだ、大丈夫!ver. 3.0を作った時も同じ状況だったから。あの時は担当してた上級聖女が飛んで大変だったな……あれを巻き取ったのもマグノリエルさんか。ということは、業務日誌が残っているはず!」
几帳面なマグノリエルは毎日業務日誌を書いていた。
マグノリエルの業務日誌は彼女の引き出しの中にぎっしり詰め込まれていた。
「あった!」
3年前の該当のページを開いてアスカは絶望した。
「字が汚すぎて読めない!!」
マグノリエルは当時炎上案件2つを同時並行していた。
あまりの忙しさゆえ、きっちりと書いている暇がなかったのである。
「アスカ先輩。そんなにデカいやらかしなら、報告書があるんじゃないですか?」
「それだ!」
二人は報告書を管理しているであろう教会長の元へ向かった。
「報告書?…悪いけど秘書官に聞いてくれ」
教会長は報告書の所在地さえ知らなかった。
そして秘書官に案内された先はぐちゃぐちゃの本棚。
「3年前の報告書はたぶんそこら辺の箱だと思います。…頑張って探してください」
アスカは床に崩れ落ちた。
アスカとレナは夜通し大量の書類箱を開けたが、報告書は見つからなかった。
◆◇◇◆
修復ができないとなると、もう一から結界を作り直すしかない。
しかし、それほどの技術を持つ経験豊富な上級聖女を即座に派遣するだけの余裕が、グランツニカにはなかった。
アスカはどうにかこうにか調整し、別案件に対応中の上級聖女リリアンを割り当てすることに決めた。
「リリアンの案件はあと2週間はかかる。それまでは市民への影響がないように騎士団を手配しよう」
中核都市ほどの規模を守るにはそれなりの人員が必要だ。
アスカはB級案件に向かっている最中の部隊を北部中核都市に向かわせるよう騎士団長と交渉した。
スライド式に各部隊の行き先の調整が発生するので騎士団長には嫌な顔をされたが、何とかなった。
これで2週間は持つだろう。
アスカはぐったりした状態で本部に帰還した。
ここでようやく自分の担当案件に戻れる。
そう思ったが、机に積まれた確認依頼の書類の山を見てさらに心の疲れが蓄積した。
いつもの3倍の厚みだ。
「マグノリエルさんが確認してた分が私に回ってきてるからだ…」
全部に目を通すころには朝だった。
アスカは初めて教会の仮眠室を借りた。
数日後。
アスカはディートハルトから申し送りの手紙を受け取った。
猛烈に嫌な予感がするのでできれば開きたくなかった。しかし、国の偉い人からの手紙の受け取り拒否なんてできるはずもない。
『北部中核都市の結界修復を急ぐように。来週セレナを連れて慰問に向かう予定ができた』
「オェッ」
手紙を読み終えたアスカはえづき、トイレに駆け込んだ。
その日、アスカは猛烈な吐き気を理由に早退した。
そして翌日、教会にアスカの姿はなかった。
レナはアスカの自宅に迎えに行ったが、もぬけの殻だった。
◆◇◇◆
「えっ!?次の筆頭聖女代理は私ですか!?」
辞令が下ってからのリリアンは早かった。
その晩のうちに婚約者に手紙を書いた。
『愛しいあなたへ。
大至急私と結婚して、私をあなたのいる国に連れて行ってください。私への愛情が示せないというのなら婚約はなかったことにしてくださいませ
あなたのリリアンより』
翌日、早馬でやってきた婚約者はリリアンに質素な指輪を差し出した。
「こんなものしか用意できなくてごめん。でも、結婚式の段取りは整えて来たよ!来月になるけど、いいかな?」
リリアンは婚約者に熱い抱擁を返した。
リリアンはマグノリエルの仕事量を間近で見て来た。
いくら特別報酬があろうと、筆頭聖女になんてなりたくないなと内心憐れんでもいた。
そのお鉢が自分に回ってきてしまったのだ。もう逃げるしかなかった。
リリアンは教会長に手紙を書いた。
『一身上の都合により、来月末で辞めさせていただきます。引継ぎについては本部に戻り次第調整させていただければと存じます』
その後、リリアンは北部中核都市の案件が終わったら退職する方向で話をつけた。
◆◇◇◆
遠方のリリアンから届いた手紙に教会長は頭を抱えた。
マグノリエルを除いて、グランツニカ本部には5人の上級聖女がいた。
なのにこの短期間で2人も上級聖女がやめてしまうだなんて。
(…いや、まだ大丈夫だ。上級聖女は各支部にも一人ずついる。調整次第でどうにでもなる)
次の筆頭聖女が正式に決まるまで、教会長が案件の管理を行うと宣言したことで、聖女たちの不安は何とか収まった。
宣言通り、教会長は秘書官たちに指示を飛ばして、案件の進行状況を徹夜でまとめさせた。
そして、騎士団長たちと相談の上、案件の割り振りを自ら行った。
とにかくA級案件からカバーしていった。
C級案件の8割が手つかずになってしまうが、こればかりは仕方ない。
「神聖教会総本山からの人員補充があればまだ立て直せるぞ…!」
◆◇◇◆
下級聖女のミリーは1か月間、A級案件の補佐に回っていた。
「大変だったけど、すごく勉強になったな…!」
ミリーはA級案件に関わっている間、放置し続けていた自分の本来の業務にやっと戻った。
「えーっと、ブリンネ村ってなんだっけ?」
ミリーは業務日誌を見返して思い出した。
上級調査員の空きがなくて困っていたのをマグノリエルに相談したのだ。
「そうだそうだ。マグノリエル先輩の言うとおりに中級調査員の空き状態について問い合わせて回答待ちだった!」
ミリーはブリンネ村からの報告の手紙の束を見て嘆息した。
(まあ全部読まなくていっか。所詮C級案件だし)
ミリーはマグノリエルの助言通りに中級調査員と騎士をアサインしてブリンネ村に向かわせた。
ブリンネ村への到着連絡の手紙が届いた翌日に、中級調査員から血の付いた報告書が届いた。
『ブリンネ村はすでに住民が殲滅されて魔物の巣窟になっています。大至急軍を送ってください。近くの村まで逃げてきましたが、この周辺にも見慣れない魔物がうろついています。結界のエネルギーの消耗が激しく、数日と持たないかもしれません。同行した騎士は私を庇って重傷を負いました。この村には戦える者がいません』
ミリーは即座に教会長にエスカレーションした。
その中級調査官からは追加で3通の報告書が届いた。
『ブリンネ村北東の森には世界殲滅暗黒邪龍が封印されているという伝説があり、その封印が緩んであふれた瘴気から魔物が生まれている』
それが中級調査員の調査結果だった。
3通の手紙を読み終えた教会長は頭を抱えた。
「いや、ハルマゲドラゴンってなにーー!?」
そんなもの聞いたことがない。
教会長は三徹目の秘書官を王家の古文書館に派遣し、ハルマゲドラゴンについて調べさせた。
ハルマゲドラゴンについての記述を見つけるのに3日を要した。
ハルマゲドラゴンは建国間もないグランツニカ王国の領土で暴れまわっていた邪龍だそうだ。二代目国王が神獣レノシュと協力して湖に封印したと書かれている。その湖の場所の正確な地図は残っていなかったものの、その記述と照らし合わせるとブリンネ村の方角と一致していた。
『奴が通った道は瘴気で汚染され、そこから魔物が生まれる。しかも本人は散歩好きで放浪癖がある。絶対に森から出しちゃいけない。3か月でグランツニカは魔物の巣窟に変わる』
教会長はハルマゲドラゴンの再封印をS級案件に昇格した。
早速緊急会議の場が設けられる。
レノシュが失踪した現在、グランツニカにいる神獣はクリステただ一体。
「しかしクリステ様は、北部鎮守の森でのS級案件で負傷され、療養中です」
「確か3年前だろ?」
「とんでもない深手を負ったのです。目覚めるのにあと1年かかります」
「1年も待っていられないぞ!」
「ならば、フレンシア王国に神獣を借りてはどうです?」
王子の提案を騎士団長は即座に却下する。
「フレンシアは仮想敵国です。神獣の護衛と称してグランツニカに軍を送って来るでしょう。奴らに国土を踏ませるわけには…」
「ならばどうするのだ?」
代案はなかった。
一刻の猶予もないため、王子は即日でフレンシア王国への手紙をしたためた。
フレンシア王国は寛大にも神獣の派遣を承諾した。
『ただし、我が国の神獣が負傷するリスクは徹底的に排除してほしい。拠点となるブリンネ村の奪還は絶対条件』
「これはこちらに恩を売りつつ、ちょっとでも神獣に何かがあれば開戦の口実にするつもりだ!」
騎士団長は憤慨した。
しかし、この申し出を受け入れる以外の選択肢はなかった。
第二回の緊急会議では軍の組織について話し合われた。
「A級案件2件と北部鎮守の森の防衛にあたっている騎士団の人員を半分ずつ削ることは可能です」
「なるほど、それだけいれば一個連隊を組織できる。ブリンネ村奪還作戦に必要な人員の試算に足ります」
「よし!ならばそれで!」
三日に渡る検討の末、ブリンネ村奪還作戦の要綱がまとまった。
「北部第二大隊の到着まであと二日。到着次第、作戦開始だ!」
◆◇◇◆
しかし、北部第二大隊がブリンネ村に到着することはなかった。
代わりにやってきたのは悲報を携えた伝令だった。
「えっ!?北部鎮守の森の防衛ラインが突破された???人数を半減しても今までの人員で回るように組みなおしたはずだが!?」
ブリンネ村奪還作戦の前線基地でディートハルトは叫んだ。
「いえ、2か月前に警備計画に変更がございまして…。北部第二大隊は近辺の街の防衛に当たっております」
「はぁ?警備計画の変更だとー!?何故それを会議で言わなかった!?」
報告に来た上級聖女は申し訳なさそうに肩を縮こまらせた。
「マグノリエル様が警備計画のチェックの途中だったのですが…。アスカ様とリリアン様が相次いで筆頭聖女代理を辞した際のごたごたで、その件が漏れてしまったらしく…」
ディートハルトは舌打ちした。
「あの無能め…!どれくらいで収束できる予定だ?」
「すでに北部の村落に被害が出ており、被害拡大を食い止めるので精いっぱいです」
ディートハルトは天を仰いだ。
作戦は組み直しとなった。
北部防衛のためにさらなる人員配置の変更が必要だった。
ブリンネ村奪還作戦に投下できる人員は当初の計画の3分の2となった。
「まだ、希望はある…」
ディートハルトは帝王学をみっちり仕込まれており、戦術学にも明るかった。
『聖なる歌声』作戦を提案した。
これは各部隊に神聖教会の教会員ないし聖女を1人つけて聖歌による身体能力強化と即座の治療を行うある種のゾンビ戦法だ。
古代グランツニカはこの作戦で、帝国軍5万を1万の兵で退けたと言われている。
ディートハルトはブリンネ村奪還作戦の先陣に立った。
彼の率いる部隊に従軍する聖女はもちろんセレナだった。
「頼むぞ、俺の聖女」
「任せてください!」
セレナは息を吸い込み、聖歌を歌い始めた。
王子は体に力がみなぎるのを感じた。
そして…
「殿下、私にはバフがかかっていないのですが」
副官が言った。
「私もです」
部隊の兵士たちもそれに続いた。
「セレナ、どういうことだ!?できるって言ったよな?」
セレナはその可憐な肩を縮こまらせた。
「ごめんなさい…身体強化の聖歌をこんな多くの人数にかけるのは初めてで…。聖歌は知ってるし、人数が増えたところでやり方は大して変わらないって思ったんだけど…」
いつもなら愛らしいと思えるその媚態に、ディートハルトは怒りで拳が震えた。
「お前、治癒魔法はどれくらいできる?千切れた腕を付け直したことは?」
「千切れた、腕!?そ、そこまではやったことないけど、刀傷を治したことくらいなら…」
ディートハルトが吐き捨てる。
「……使えねぇ」
「えっ」
「ここは戦場だぞ!お前みたいな奴に俺の部下の命を預けられるか!!」
半べそをかくセレナをディートハルトは容赦なく詰めた。
そして、こなしてきた100の案件が、どれもちょっとした慰問や治療というC級案件未満のモノであったことをセレナは白状した。
「で、でも、数をこなしてきたのは本当なんですぅ…」
「こ、この…この顔と胸だけ女!いや、顔もよく見たらそうでもねえな!!遊びじゃねえんだぞ!お前がこんな無能だと知ってたら上級聖女に推薦なんかしなかった!」
王子としての品格も何もない罵倒だった。
当然作戦は延期となった。
セレナは本部へと送り返された。
別の聖女を呼ばなくてはいけない。
代わりの聖女を待つ間、被害は拡大するだろう。
そしてその聖女がになっていた案件をこなすだけの力量がセレナにあるかは大いに怪しかった。
「ああ、もうこれはダメです。レノシュ様に協力を仰ぎましょう」
騎士団長が最初に弱音を吐いた。
「マグノリエル嬢も!あと1件でもA級案件が増えたらパンクします」
教会長も同調した。
ディートハルトも認めざるを得なかった。
「この事態を収束できるのはマグノリエルしかいない!謝罪文を用意しろ!」
◆◇◇◆
マグノリエルは南の海に面したアズーリア王国にいるそうだ。
兄伯爵は彼女の居場所を教えることをかたくなに渋ったが、国家存亡の危機であることを伝えると渋々開示した。
ディートハルトは自ら王国一の駿馬にまたがり、アズーリア王国を目指した。
その手には王子の名の下に記された正式な謝罪文と、慰謝料代わりの国宝の指輪。
これがディートハルトに示せる精一杯の誠意だ。
三日三晩馬を走らせてディートハルトはアズーリアとの国境を越えた。
彼女は元筆頭聖女という肩書きから、アズーリアの王子の客として迎えられ、王家のプライベートビーチに滞在しているらしい。
アズーリアの王家にはマグノリエルに会いに行く旨の手紙を送った。返信を待っている暇はなかった。今頃返事がグランツニカに届いたころだろうか。
ディートハルトは王家所有の別荘のある区域までたどり着いた。
「意外と広いな…」
「止まれ!」
その行く手をアズーリアの近衛兵が阻んだ。
「通してくれ、俺はグランツニカの王子だ!」
「グランツニカの者は何人たりとも通すなというお達しだ!」
「なんと無礼な!」
ディートハルトは近衛兵と押し問答したが、一向にらちが明かなかった。
そこにまぶしいほどに純白の馬車が通りかかった。その車体には金色でアズーリア王家の家紋があしらわれている。
「何事だ?」
馬車から貴人が降り立った。
彼はディートハルトを見た。
「もしや、グランツニカのディートハルト第一王子ですか?」
「そうですが、あなたは?」
「このアズーリアの王太子です」
王太子は軽く一礼した。
「お目当てはマグノリエル嬢ですかな?」
「ええ。手紙を読みましたか?」
「勿論。そちらはお読みになっていないようですが」
王太子は近衛兵に目配せする。
近衛兵はラッパを吹いた。にわかに道が騒がしくなり、ぞろぞろと警備中の兵士が集まってくる。
「王太子、これは一体!?」
王太子は慇懃にほほ笑む。
「我々はマグノリエル嬢とヘッドハンティングの交渉中なのです。あなたのお手紙には『いくら母国といえど横入りはさせない』と返答いたしました」
「なっ!?」
「おい、この不審者をつまみ出せ」
警備兵たちがディートハルトの両脇をホールドする。
「こ、こんなことして許されるとでも…?」
「ここはアズーリアで、あなたに入国許可を出した覚えはありません。穏便に国外追放で済ませるのはあなたが王族であることへの最低限の敬意だと思ってください」
「待ってくれ!それじゃ、グランツニカはどうなる!見捨てるのか…!」
「知りませんよ。マグノリエル嬢一人いないだけで滅亡するってんならなんで追放なんかしたんです?ま、うちにとっては好都合ですけど。おい、連れていけ」
「はっ!」
「おい、やめろ!放せ!」
ディートハルトは無様に引きずられていき、そのまま国境から放り捨てられた。
◆◆◆
王太子はその足でマグノリエルのいるビーチに向かう。
マグノリエルは白く大きな狼にもたれかかって日光浴をしていた。
「マグノリエル嬢!今日こそは給料交渉させていただきますぞ!」
王太子の声に反応したのはレノシュだった。
即座に飛び起きて、人型に変身する。
王太子に詰め寄る。
「帰れ!」
「嫌で~す」
「あら、王太子殿下」
マグノリエルが砂浜から腰を浮かせる。
「無視しろ、ノール。俺が対処する」
「あっ、ちょっ…!」
レノシュは王太子の首根っこを掴み、大股でビーチを後にした。
そして問答無用で馬車に放り込む。
「俺が口説いている最中だ。横入りは許さん」
「あなた、ほんとやりたい放題ですね」
王太子も思わず苦笑する。
レノシュは宿敵だ。
この狼がさながらナイトのようにマグノリエルにピッタリとくっついているせいでヘッドハンティングが思うように進まない。
「あ、横入りといえば、グランツニカからの使者が来てましたよ」
レノシュの形の良い眉がぴくりと跳ねる。
「ハルマゲドラゴンの件か?」
「らしいですね。追い返しましたけど、マグノリエル嬢に伝えた方がよろしかったですか?」
「いらん」
「さすがにハルマゲドラゴンが復活したらグランツニカは滅ぶのでは?」
レノシュはふっと鼻先で笑う。
「ハルマゲドラゴンは地元が大好きだから国外に出ることはないさ」
「グランツニカは滅んでもいいんですか。とんだ神獣サマだ」
レノシュの薄い唇から牙が覗く。
「心配するな、王太子よ。何があってもこの国は守ってやるさ。俺の女がここのビーチを気に入ったみたいだからな」
レノシュの金眼の奥のほの暗い熱。
「それは大変心強い」
王太子は呆れ交じりのため息をつく。
なんて重たい男なんだ、と。
「ま、何にしても僕はヘドバン諦めてませんからね。宰相待遇が不服なら次は王妃待遇を提案しようかな」
「やってみろ、命の保証はできないが」
「ははは。また来ます」
「おう、来んな」
王太子の馬車が走り去る。
レノシュがビーチに戻ると、その足音にマグノリエルが顔を上げた。
「いつもの話?」
「まあな」
レノシュは静かにマグノリエルの隣に腰を下ろした。
「そろそろ聞いてあげようかな。王太子様もせっかく来てくださっているわけだし」
「まだいいだろ。もう少しバカンスを楽しもう」
レノシュの指が亜麻色の髪を優しく梳くとマグノリエルは照れたように顔を背けた。
「アズーリアの王太子様はよく来てくださるけど、グランツニカからは何の音沙汰もないね。……私がいなくても大丈夫だったみたいでよかった」
レノシュの手が止まる。
「なぁ、もし連絡が来たらどうする?戻るのか?」
「まさか!ちょっと気になっただけ」
「だよな?」
レノシュはマグノリエルの頬を撫でる。
近くに迫る金色の瞳にマグノリエルの心臓がドキリと跳ねる。
「レノ…な、なんか最近距離近くない?」
「そうか?こんなもんだったろ」
レノシュの口角が上がり、鋭い犬歯が覗く。
「照れてんの?まさか…俺のこと男として意識してる?」
「ち、違う…!」
「ふ~ん?そいつは残念」
レノシュはマグノリエルにグランツニカの窮状を教えるつもりは一切ない。
心優しいマグノリエルがハルマゲドンのことを知れば、どう動くかなんてわかり切っている。
マグノリエルはもう十分グランツニカに尽くした。若い時間をグランツニカに捧げた。
だからこれからは自分のために生きてほしい。
(その伴侶に俺を選ぶまではバカンスを続けてほしいもんだが)
ほんのり朱に染まった頬を掴んで口づけたい衝動をこらえながらレノシュはその額にキスを落とした。
「そろそろ昼飯時だ。うちに帰ろう」
マグノリエルははにかみながらレノシュの手を取った。
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ちな、レノシュは今回のことがなくてもいずれはマグノリエルを攫う気があったのか、マグノリエルが幸せならずっとそばで見ているだけでよかったのか。どう思います?ワイも知りたい




