ゲーム世界転生作品の大半が失敗に終わる理由。
本文は、特定の作品を揶揄する意図で書かれたものではありません。あくまでも、この世界観を使い、描かれている作品の平均的なものに対しての考察であるとして、お読みください。
転生して、ゲームの中の世界へ。
粗製乱造される、よくある設定。
使いまわされる理由は「初期ブースト」のためであるが、失速するのもまた、この効果の影響が大きい。
ここでいう初期ブーストとは、もちろんワクワク感。
本来不遇な目に合うはずのキャラに、主人公が憑依することによって逆転し、成り上がっていく。その姿が分かりやすい=一般ウケしやすい。
サクサク読めるし、それなりに気分もよい。
しかし、それは必ず失速する。理由も主人公の側にある。
「この世界はゲームなんかじゃなく、現実なんだ」
作者が、読者をなんとかだまし続けようと唱える呪文。
わざわざそれを主人公に言わせるのは、作者自身も自分が造り上げた世界観に、空虚さと不安を覚え始めている裏返しに過ぎない。だからこそ必死に自分で自分を洗脳し、読者にも同意を求め始める。
転生した主人公だけが持つ特権。
その世界における「事前知識」。
「攻略本」有りのゲーム進行は、サクサク進む。
序盤は、その爽快感と全能感に酔いしれるが、それはすぐに限界に達する。攻略本のあるプレイは、ゲームの世界を楽しむのではなく、すぐに「作業」へと変わるからだ。
「あと×回、こうすれば、〇〇が現れるはずだ」
こんな気の狂ったセリフが羅列され始めると、いよいよである。
ゲーム転生は、鬼門である。
出逢う前から、仲間たちの性格や生い立ちを知り、それを計算して立ち回る。やってることはクズや詐欺師にも近い。主人公は、ゲーム世界における現在にではなく、永遠に過去のゲーマーとして、その世界でも「作業」し続ける。―― 読者の興味が失せるのも、時間の問題でしかなく、一度読むのと止めると、二度と開く気にもなれない作品へと変わる。
対比として、主人公以外の転生者を登場させる。
彼らは、その世界を必ず「ゲーム」として生き、荒らす。
それを主人公が成敗し、諭す。
うん、完全にゴミだ。
主人公の「善」のふんぞり返りぶりにも吐き気がする。
しかも、彼らは「この世界はリアルである」という読者への説得装置として、登場させられる。どちらかといえば、「物語に相応しい主人公」は彼らの方であり、作業マンである主人公は、ただのゲームマスターの位置付けでしかないのに、だ。
短いボリュームで、この設定を生かすのであれば、主人公側がゲーム世界の荒らし屋を演じ、現れた別の転生者に成敗され、目が覚める。―― とした方が、まだ読めるだろう。
カタルシスには、必ず抵抗や抑圧などの負荷が必要で、それがふり払われた瞬間に快感が訪れる。ゲーム転生は、入れ替わる前の主人公のキャラの不遇を、主人公が跳ねのけることにより、最初のそれを達成する。だが、それ以降も同じ「設定」への抵抗や抑圧であり、主人公にはほとんど負荷がなく、また「先に勝利が確定した闘争」が続くため、「最初の快感」を超える達成感は、構造として作りづらい。
ゲーム転生作品の欠陥は、主人公が「永遠に説明を重ねる」点にもある。歴史世界への転生であれば、「読者が勝手に勉強しろ」という風に説明を省くことも出来るので、まだもつ。しかし、ゲーム世界の場合は、そうもいかない。主人公は必然的に「参謀タイプ」になっていくしかなく、戦闘・その他すべてに参加し始めると「欲張り過ぎだろ、このバカ」となる。
そんな欲張りが多すぎるのが、この「ゲーム転生」で、それゆえにほとんどの作品が「途中で投げられる」ことにもなる。
―― ゲーム転生設定は、ざっと短く書いて、どんでん返しを起こすのが、最もキレイな終わらせ方であると、筆者は考えている。もちろん異論は受け付けるものとする。
追記)「いきなり出だしから攻略に失敗し、悪いルートに入る」という設定は、メタ的で面白いかもしれない。ただし、この設定のお目当てである「初期ブースト客」は得られなくなるため、この展開に飽きている「メタ的な読者」を囲い込む必要も出てくる。
チュートリアル・モード→いきなり失敗→知らないルートへ→七転八倒→「この世界はゲームじゃない」→同じく失敗した転生者との遭遇し、共闘→ こんな流れか?
ポイントは、苦難の部分を主人公が持つ「ズレたメタ視点」で、いかに調理するか。出だしの不快感をメタ・ギャグで時折中和しつつ、仲間を得て、最初のそこまで大きくない成功を得る。しかし、不安は残り、それでもサクセスしていく。―― あ、やっぱりこれヒューマンドラマ・ギャグだな。
こどもの頃、家にゲーム端末がなく、友人の家で「友人のプレイ」を見続けさせられている少年が時折いたが、「自分でプレイ」させてもらえない限りは、やはり自然とその足も遠のいて行った。
同じゲームをプレイしている人間が、別の攻略の仕方をしているのを観察するのはそれなりに面白いが、「自分がプレイしないゲーム=ゲーム転生作品」を見続けさせられるのは、前者のそれと何ら変わりはない。




