表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

不通の城


 名護家といえば、地方都市に合併されたこの字、永峯では、昔から一目置かれる旧家である。その家の長女の林は、俗に言うお嬢様だ。

 しかし、地域のお年寄りに拝まれて居心地悪い思いを度々するのは、それだけが理由ではない。名護の家が代々、地域の祭事を司る巫者の一族だからだ。



 それで、と林は口火を切った。

 「兄貴からの伝言って何なの」

 脇息に腕と顎を乗せ、林は今にも『障られ』まくった体を横たえたいという気持ちを抑えていた。

 その目は桂を見ているようで見ていない。

盛大に黒く汚れてしまった畳と、濡れ雑巾で頑張る桂の手に注がれている。

 他の家のようにフローリングならよかったのに。旧家とは、伝統美にこだわりすぎて融通が利かないものである。汚れが染みついていけない。


 「その椅子の花について依頼したいんですって」

 根気よく、とんとんと汚れを雑巾に移しながら、何てことなくのたまう彼に、林は思いきり顔を歪めた。


 頭のどこかで悟ってはいたが、やはり邪悪な鉢植えを部屋にもってきたのは兄らしい。

 『育ててみろ』というだけの明朝体の文字印刷が傍らに置いてあり、何事かと探っていたらこれだ。

 畳と心身への損害をどうしてくれる。


 (自分で探ればいいのにーー)

 情報を寄越さず、高見の見物を気取っているところがまた厭らしい。

 あああ。だんだん腹が立ってきた。


 だが、怒りをぶつける相手は桂ではない。怒鳴り散らしたい気持ちをぐっと抑え、林は右手を伸ばして言いつけた。

 「桂、スマホ」

 打てば響くとはこのことか。はいと気持ちのよい返事と殆ど同時に、黄色いハンカチごとずっしりと握らされた。

 投げられたボールをとってくる反射速度より速いのでは、と知り合いが絶賛するストレスフリーさだ。桂は林の沸点の具合をうまく把握していると言えた。



 軽く礼を告げて、林は二枚目のハンカチを返しながら、電話アプリを起動する。


 接続のコールが二回、五回。

 林は耐えた。

 思い切りどやしてやらないといけない。

 まだ出ない。

 接続のコールがもう五回、十回。

 ぷつ、とつながったような音を感じるや否や、押し殺していた怒りを解き放つ。

 「兄貴!! 一体どういう…」

 しかし、それは不燃に終わってしまった。

 相手は全く答えない。そればかりか、耳には雑音ばかりである。

 挙げ句の果てには、

 『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』

と無機質な声が届く始末。


 林は無言でスマホを投げ捨てた。


 なんだあの雑音は。

 同じ敷地内でなぜ圏外なのだ。

 自室でどんな電波を流しているのだ。


 そういえばと、林は以前泣きついてきた使用人の訴えを思い出す。なんでも、食事を運ぼうと兄の部屋の襖を開けると、そこには宇宙と比喩すべき黒い無の空間が広がっていたそうだ。


 そう、名護 圭は引きこもりである。

 高校二年生という青春真っ盛りの年頃に、屋敷の離れに閉じ籠ってしまった。

 もとから食事は部屋に運ばせていたし、無口な兄との雑談など覚えのない林をはじめ、両親も使用人も誰も気づかずにいた。

 情けないことに、高校からの連絡で彼の籠城が発覚し、名護家は静かに揺れることになった。


 前兆や理由も全く掴めない。

 離れに行くと神隠しに遭う者が出る。

 同じ敷地内でありながら電波が届かないことはしょっちゅう。加えて、襖を開けるとーーーー。

 離れへ続く回廊さえ、寄りつく者はいなくなり、食事を運ぶ役目をめぐって呪詛が飛び交う混沌。


 両親は途方に暮れた。

 何をどうすればいいかわからず、立ち尽くしていた。そうして一年が経過した。

 しかし、何の心境の変化か今、兄は家業の手伝いだけは様々な形でこなすようになったという。

 両親は安心してまた国内を飛び回りに行ってしまった。

 


 とりあえず、林は文字印刷の裏に『何のつもり』と書き殴った。そして、また桂に言いつけようと腰を浮かす。

 すると、再び前触れなく襖が開いた。

 「お嬢様、言伝て承ります」

 現れたその使用人は、年の近いくだけた桂とは違い、ぱっきり腰を折った。

 林が幼い頃から知っている、三十代半ばの女性だ。屋敷内でも信頼は篤く、圭が住まう魔境にも涼しい顔で出入りする猛者である。


 彼女は、自然と背筋が伸びてしまう林から裏紙を受けとると、またぱっきり腰を折って部屋を辞した。

 「それではお嬢様、硝子戸を開けておきますよう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ