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混迷の池


 不意にがたりと体勢が崩れ、瓜野は慌てて肘で体を支え直した。

 どうやら、一瞬間、睡魔に取り憑かれたらしい。

 夜中も夜中だしなと気恥ずかしさをごまかすように周りを見渡した。

 見るからに、木造一間の小屋で、何人かが寝泊まりできるように畳が敷いてある。


 確か、ホテルから池に行ってずぶ濡れになったところで、近くの小屋の主が寄っていけと声をかけてくれたのだったか。

 そのまま帰れるような濡れ方ではなかったので、服が乾くまでありがたく小屋に上がらせてもらうことにしたのだ。夏のこのむっとする気温ならすぐ乾くだろうと、小屋の主であるじいさんやアツシやタカトの話す声をぼんやり聞いているうちに、うとうとしていたらしい。



 ――――そういえば、どんな夢を見ていたのだっけか。 

 ふうふうと荒い息を収めきれず、瓜野は靄のかかった頭を働かそうとする。

 夢は思い出せなかった。

 思い出せたのは、少年に連れられて三人で池を探っていたところまでである。

 なぜ濡れたのだろうと考えると、頭痛が強く主張してきた。



 ――――ところで、少年は、どこに行ったのだろう。



 少年に関して言えば、考え出すとおかしなことはいくつもあった。


 まず、少年はどこからホテルに入ったのだろう。

 自分たちと同じ正面玄関から入ったことは有り得ない。少年は瓜野の目の前から突然現れたのだ。ホテルの床には壁紙の残骸などが散乱していた。こっそり瓜野に近づいたり、追い越したりしていたら、さすがに歩く音で気づく。かと言って、裏口も考えにくい。正面玄関がかろうじて入れたくらいで、裏口につながりそうなところはもっとびっしり草が生えていたし、その草もとげのついた太めのものがまばらに混ざっており、少年のTシャツに短パンという軽装で辿り着けたのか疑問だ。


 だいたい、あいつ、サンダル履いていなかったか。いや、スリッパだったっけ。裸足ではなかったと思うけど・・・。

 すらりと伸びる白い手足や切りそろえられた短い黒髪、大体の服装は覚えている。

 だがここで、あの少年の顔や指先、足下など細かいところが全く思い出せないことに気がついた。



 瓜野はアツシとタカトにも聞いてみようと、体を起こしかけた。一人で考えれば考えるほど、思考が沼に沈んでゆくようだ。

 しかし、二人の姿はない。

 そういえば、自分が寝ぼけたあたりで、小便してくると仲良く連れだって外に出たのだった。

 じいさんは、相変わらず寝ているのか、起きているのかわからない俯き加減でじっと座ったままだ。

 あの二人とは、言葉をよく交わしていたのに。

 

 気まずい。瓜野はもう帰ろうかとまたもや腰を浮かせたが、じいさんが口を開くのが先だった。

 「あの池の話は聞いたんだったか」


 小屋を借りている身としては、応じないともっと気まずい。他の二人が戻ってきたタイミングで帰ろうと密かに心に決めて、腰をまた落ち着けた。

 「河童と幽霊が出るくらいは」

 じいさんは目を瞑ったまま、言い伝えがあると簡素に告げる。池に纏わる言い伝えとやらを聞く流れだろう。へえ、どんな言い伝えですか、と瓜野は頬をひきつらせながら空気を読んだ。


 じいさんは実に静かに語り出した。

 「昔、あのホテル一帯が村だった頃のこと、ある家に托鉢僧が宿を求めてやってきた。山を越える最中、夜も更け足止めを食らったたのだろう。家の者は貧しかったがこれも縁だと坊主に馳走を出してもてなした。その歓待ぶりは、正月にとっておいた餅をだすほどだったという。坊主はあくる朝、礼を言って旅立った。しかし、錫杖を忘れていったことに気づいて、家の者が追いかけ、近くの池に辿り着いた。坊主の姿はなかったが、池のほとりに托鉢の笠が置いてあり、それをめくると黄金が光り輝いていたという」


 再び石のように黙りこくるじいさんも、見た目は托鉢僧のようなものなので、言い伝え自体は何だか現実味を帯びていた。

 ややあって、瓜野は「笠こ地蔵と似てますね」と言うだけに留めておいた。


 とにかく、帰らないと。

 二人はまだ戻ってきていない。

 あいつらを待ってられるかと、焦燥感が募ってくる。


 口早に礼を言って、早くここから逃げなければという思いが過り、雷にでもうたれた心持ちになって瓜野は呆然とした。


 ――――そうだ。自分は逃げたいのだ。

 何から、と考え始めれば、疑問が狂おしいほど湧いてくる。


 なぜ少年の服や手足以外、思い出せないのか。

 なぜ自分たちはびしょ濡れになっているのか。

 じいさんはなぜこんな夜に家にも帰らず何をするでもなく小屋にいたのか。

 自分は、小屋や池までどうやって来たのか。

 そして――――トイレもない小屋の外で用を足しに行っただけの、アツシとタカトはなぜいまだに戻って来ないのか――――――・・・。


 

 突然、じいさんが勢いよくたって両手を掲げた。

 「うまれーせー」

 ――――なぜ、服はいつまでたっても乾くきざしもないのか。

 「うまれーせー」

 ――――なぜ、自分の息はいまだ整わないままなのか。

 「うまれーせー」

 ――――なぜ、ホテルからこの小屋まで、こんなに暑い夜に自分は汗一滴掻いていないのか。



 がぼり。


 呼吸が苦しくなって、吸うと思い切り肺に水を吸い込んでしまった。

 目を開けると、周りは藻や水ばかり。

 驚いて口が開き、また水が入り込む。


 ――――苦しい・・・。


 そうだ。

 自分たちは少年にホテルから池に案内されて、突き落とされたのだ――――。

 

 瓜野は死に物狂いで手と足を掻くと、くるりと上下が入れ替わった。

 どうやら頭から飛び込んだ体勢のままになっていたらしい。

 そのまま上に向かおうと苦しい息を止め、必死に手を上に上に掻いていく。

 思ったよりすいすいと体はたやすく水上へと向かっていった。

 ふと下を見る。


 がぼり。

 また息が乱れた。



 池の底知れぬ下には、巨大な黒いものと――――頭と両足を逆さまにしたアツシとタカトが縮こまるように浮かんでいた。

 あれに捕まってはいけない。

 本能でそう感じて、瓜野は水上に顔を出すことに専念した。




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