ギルド登録の試練
案内された部屋は、思ったより殺風景だった。木製のテーブルと椅子がいくつか置かれただけの簡素な部屋。窓からは王都の街並みが見えるが、特に装飾などはない。
「お待たせしました」
入ってきたのは、50代くらいの男性職員だった。髭を生やした厳格そうな顔つきで、ギルドの制服を着ている。
「私はフランク、新人指導担当です。まず、冒険者という職業について説明させていただきます」
フランクは慣れた様子で説明を始めた。
「冒険者とは、ギルドに登録して様々な依頼を受ける職業です。主な仕事内容は、魔物退治、護衛任務、調査・探索、薬草採集、運搬などです」
修人は真剣に聞いた。これが自分の新しい職業になるかもしれない。
「冒険者にはランクがあります。G級からS級まで8段階です。新人はG級からスタートし、実績を積んでランクアップしていきます」
「どのくらいでランクアップできるんですか?」
「個人差がありますが、G級からF級へは1~2ヶ月程度です。ただし、昇格試験があります」
フランクは続けた。
「報酬は依頼内容とランクによって決まります。G級の薬草採集なら1日2~5銅貨程度、F級の魔物退治なら1匹につき1~3銅貨といったところですね」
修人は計算した。宿代が1泊2銅貨程度と聞いたので、薬草採集だけでは生活が厳しそうだ。
「それと、安全のため、基本的にはパーティを組んで活動することを推奨しています。一人での活動も可能ですが、危険度が高くなります」
パーティ。つまり仲間が必要ということだ。でも、修人のような新人に組んでくれる人がいるだろうか。
「では、適性検査を行います。まず体力測定から」
体力測定と聞いて、修人は嫌な予感がした。運動不足の体で、どこまでできるだろうか。
最初は腕立て伏せだった。
「できるだけ頑張ってください」
フランクの指示で、修人は腕立て伏せを始めた。1回、2回、3回...
10回で既に息が上がった。腕がプルプルと震えている。
「はあ、はあ...」
15回でついに限界が来た。腕に力が入らない。
「15回ですね。次は腹筋です」
腹筋も散々だった。20回でギブアップ。学生時代は50回くらいできたはずなのに、社会人になってからの運動不足が如実に表れた。
「懸垂は...」
「1回もできません」
修人は正直に答えた。懸垂は学生時代からできなかった。
フランクは淡々と記録していく。その表情からは「また運動不足の新人か」という諦めが読み取れた。
「次は基本的な武器の扱いについて確認します」
武器と聞いて、修人は少し期待した。ゲームの知識があるので、なんとかなるかもしれない。
「まず剣です」
フランクが差し出したのは、木製の練習用の剣だった。重い。思ったより遥かに重い。
「基本的な構え方は...」
フランクが手本を見せてくれる。足の幅、剣の持ち方、上体の角度。意外と複雑だった。
「やってみてください」
修人は真似してみたが、うまくいかない。剣の重さで腕がブレる。足の位置も安定しない。
「うーん...」フランクは困った表情を浮かべた。「弓はどうでしょうか」
弓も散々だった。矢はあらぬ方向に飛んでいく。的に当たったのは10射中1回だけで、それも運が良かっただけだった。
「杖は...」
「魔法は使えません」
修人は記憶操作のことは隠しておいた。まだよく分からない能力だし、下手に公表するのは危険かもしれない。
フランクはため息をついた。
「キリヤさん、正直に言いますと、戦闘系の冒険者は難しいかもしれません」
予想していた結果だったが、やはりショックだった。
「ただし、冒険者の仕事は戦闘だけではありません。薬草採集、鉱石採掘、運搬、調査など、戦闘以外の仕事もたくさんあります」
「そういう仕事でも冒険者になれるんですか?」
「もちろんです。実際、戦闘専門の冒険者は全体の3割程度です。残りは支援系や非戦闘系の冒険者です」
それを聞いて、修人は少し安心した。戦えなくても冒険者になれるのなら、なんとかなりそうだ。
「では、とりあえずG級冒険者として登録いたします。ギルドカードをお渡しします」
フランクが差し出したのは、金属製の小さなプレートだった。「キリヤ・シュウト G級」と刻まれている。
「これが身分証明書代わりにもなります。紛失しないよう注意してください」
修人はギルドカードを受け取った。ついに冒険者になったのだ。
「さて、新人冒険者の研修制度について説明します」フランクが改まって話し始めた。「当ギルドでは、安全性確保のため、新人は必ず4人1組のパーティを組んで活動することが義務付けられています」
「4人1組?」
「はい。経験者が新人を指導し、新人同士も協力し合う制度です。これにより事故率が大幅に減少しました」
なるほど、安全のための制度なのか。
「ちょうど今、3人組のパーティが4人目のメンバーを必要としています。紹介しましょう」
フランクは修人を1階のホールに案内した。ホールには多くの冒険者がいて、依頼の確認をしたり、情報交換をしたりしている。
「あそこにいる3人組を見てください」
フランクが指差したのは、テーブルに座っている3人組だった。金髪の女性騎士、茶髪の若い男性魔法使い、赤髪の軽装の男性。どう見ても主人公パーティっぽい組み合わせだった。
「リーダーのエレナさんは騎士の家出身、カイルくんは魔法学院出身、ジンさんは王都出身の斥候です。全員が先月登録したばかりですが、非常に優秀な新人たちです」
優秀な新人たち。修人は不安になった。自分のような何の取り柄もない人間が、そんな優秀な人たちと組んでも足手まといになるだけではないか。
「紹介していただけますか?」
「もちろんです」
フランクは修人を連れて、3人のテーブルに向かった。
「エレナさん、お疲れ様です。研修制度に従って、4人目のメンバーを連れてきました」
金髪の女性騎士、エレナが顔を上げた。美しい顔立ちで、凛とした目をしている。軽装鎧を身につけており、背中には剣を背負っている。
「新しいメンバーですか」
エレナの声は落ち着いているが、どこか困惑の色が見える。
「はい。キリヤ・シュウトと申します。記憶喪失で過去のことはよく覚えていませんが、冒険者として頑張りたいと思っています」
茶髪の若い男性が眉をひそめた。
「記憶喪失...ですか。僕はカイル・マクレガーです。学術都市アルケインの魔導学院出身です」
カイルの表情は明らかに不満そうだった。
「専門は攻撃魔法です。で、キリヤさんの専門は?」
「あー...その...」修人は困った。「まだよく分からないんです。戦闘はあまり得意ではないようですが」
カイルは露骨に嫌そうな顔をした。
「戦闘ができない記憶喪失者...ですか。正直に言って、僕たちの足を引っ張るのではないでしょうか」
「カイル」エレナが注意した。
「でも、エレナ。僕たちは魔導学院と騎士団出身の実力者です。そこに戦闘経験皆無の素人が加わったら...」
赤髪の男性、ジンも困った表情を見せた。
「俺はジン・ハーマン。王都の下町出身で、斥候が専門だ」ジンは修人に自己紹介してから、エレナに向き直った。「カイルの言うことも分かるぜ。実際、足手まといになる可能性は高い」
修人は居心地の悪さを感じた。明らかに歓迎されていない。当然だろう。優秀な3人組に、何の役にも立たない記憶喪失者が押し付けられるのだから。
「すみません...迷惑をおかけして」修人は小さく謝った。
エレナは困った表情を浮かべた。
「いえ、あなたが悪いわけではありません。これは、ギルドの制度ですから」
フランクが割って入った。
「カイルさん、ジンさん。確かにキリヤさんは戦闘経験がありませんが、それは最初は誰でも同じです。研修制度の目的は、経験者が新人を育てることにもあります」
「でも...」カイルは不満そうだった。
「それに」フランクは続けた。「パーティの人数が足りなければ、危険度の高い依頼は受けられません。4人揃えば選択肢が広がります」
エレナは責任感の強そうな表情で考え込んだ。
「...分かりました。制度に従います」
「エレナ...」カイルは抗議しようとした。
「カイル、ギルドの決まりです。それに」エレナは修人を見た。「誰にでも最初があります。私たちも、最初は何もできませんでした」
ジンはため息をついた。
「まあ、エレナがそう言うなら仕方ないな。でも、危険な依頼は当分無理だぞ」
カイルは納得していない様子だったが、エレナの決定に従うしかないようだった。
「分かりました。でも、せめて基本的な魔法くらいは覚えてもらいたいです」
修人は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。明らかに迷惑をかけている。
「あの...本当にご迷惑をおかけします。足手まといにならないよう、精一杯頑張ります」
エレナは優しく微笑んだ。
「大丈夫です。みんなで協力すれば、きっと良いパーティになります」
しかし、カイルとジンの表情は依然として不満そうだった。特にカイルは、「なぜこんな奴と組まなければならないのか」という気持ちが顔に出ている。
「では、まず簡単な依頼から始めましょう」エレナが提案した。「王都近郊の森でヒールハーブを10本採集する依頼があります。報酬は5銅貨。期限は3日です」
「ヒールハーブ採集なら、戦闘は最小限ですね」カイルが渋々同意した。「まあ、足手まといでも何とかなるでしょう」
修人はカイルの言葉に傷ついたが、反論できなかった。実際、戦闘経験もなく、特別な技能もない自分は足手まといでしかない。
「明日の朝8時にここで待ち合わせましょう」エレナが決めた。「今日はそれぞれ準備をして、早めに休みましょう」
修人は頷いた。ついに冒険者としての第一歩を踏み出すことになったが、前途多難な出発だった。
ギルドを出た修人は、まず宿を探すことにした。フランクに教えてもらった安宿街に向かう。
「亭主、安い部屋はあるかい?」
「旅の宿屋・のんびり亭」という看板の宿に入ると、太った中年女性が迎えてくれた。
「1泊2銅貨の相部屋なら空いてるよ。食事なしだけどね」
相部屋。つまり他の宿泊客と同じ部屋で寝るということだ。プライバシーはないが、背に腹は代えられない。
「お願いします」
部屋は6人部屋で、すでに3人の宿泊客がいた。商人らしき男性2人と、若い農民らしき男性1人。みな修人に軽く挨拶してくれた。
ベッドは藁のマットレスに薄い毛布という簡素なものだった。現代日本のホテルとは雲泥の差だが、屋根があって雨露をしのげるだけありがたい。
夕食は宿の食堂で取った。黒パン、野菜スープ、小さな肉片。これで3銅貨。高い気もするが、王都の物価はこんなものらしい。
食事をしながら、修人は今日一日を振り返った。
異世界に転移してから、まだ数日しか経っていない。でも、もう新しい生活が始まっている。冒険者登録を済ませ、仲間もできた。明日は初めての依頼だ。
記憶操作の能力についても考えた。まだよく分からないが、きっと役に立つ機会があるだろう。ただし、使うタイミングと方法を慎重に検討する必要がある。
部屋に戻ると、他の宿泊客たちは既に眠っていた。修人も藁のベッドに横になった。固くて寝心地は悪いが、森で野宿したことを思えば天国だった。
明日からが本当の冒険の始まりだ。エレナ、カイル、ジンという仲間たちと一緒に、この世界で生きていく。
『頑張らないと』
修人は決意を新たにして、眠りについた。新しい人生の2日目が終わり、3日目が始まろうとしていた。