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記憶喰らいの王座  作者: 高野マサムネ
第1部 覚醒編
4/12

森の孤独

ガルバンの記憶から得た情報によると、王都ルミナスまでは徒歩で2日の距離だった。しかし、その道のりは危険に満ちている。特に夜は危険な魔物が活動するため、野宿の場所選びが重要だった。


修人は荷車から使えそうな物を集めた。ガルバンが落としていった小さなナイフ、水筒、少しの食料。毛布やロープも見つけた。どれも貧相だが、ないよりはマシだ。現代日本では当たり前だった便利な道具が、ここでは貴重品だった。


森に入る前に、修人は自分の状況をもう一度整理した。


ここは異世界エルドラシア。自分は記憶操作という特殊な能力を持っている。目標は王都ルミナスに到達すること。そこで冒険者になれば、この世界で生きていけるかもしれない。


現実的な問題として、食料と水の確保がある。ガルバンから得た乾燥肉は数日分しかない。水筒の水も少量だ。森で補給できるかもしれないが、安全な水源を見つける必要がある。


森の中は薄暗かった。高い木々が空を覆い、太陽の光はわずかしか差し込まない。足元は枯れ葉や枝が散らばっており、歩きにくい。時々、根っこに足を取られそうになる。


現代日本で運動不足だった修人には、この森歩きは予想以上に辛かった。30分も歩けば息が上がり、1時間歩けば足が痛くなる。普段どれだけ体を動かしていなかったかを痛感した。会社でエレベーターを使い、電車で通勤し、デスクワークばかりの生活。体力の衰えは深刻だった。


『ゲームの主人公みたいにはいかないな』


修人は苦笑した。ゲームの中では、主人公は最初から何時間でも歩き続けることができる。重い装備を身につけても、平気で走り回る。でも現実は違う。体力には限界がある。


歩きながら、修人は記憶操作の能力について考えた。ゴブリンとガルバンの記憶を読むことができた。でも、どうやって発動するのか、どんな制約があるのか、まだよく分からない。


相手に触れる必要があるようだが、必ずしも成功するわけではない。ガルバンの荷物を触ったときは記憶が読めたが、木の枝を触っても何も起こらない。生物だけなのだろうか。それとも、記憶を持つ存在だけなのだろうか。


また、記憶を読んだ後、少し頭が痛くなることに気づいた。軽い偏頭痛のような感覚だった。能力の使用には何らかの代償があるのかもしれない。使いすぎると危険かもしれない。


森の中で、修人は様々な音を聞いた。鳥の鳴き声、風で揺れる葉の音、遠くから聞こえる動物の声。どれも東京では聞くことのない自然の音だった。最初は美しく感じたが、だんだんと不安になってきた。


都市部で生まれ育った修人には、この静寂が逆に不安を感じさせた。常に何かの音がある都市とは違い、森の静寂は時として恐ろしく感じられる。特に、突然音が止まったときは、何か危険が近づいているのではないかと身構えてしまう。


途中で小さな川を見つけた。修人は水筒に水を汲み、喉を潤した。冷たくて美味しい水だった。東京の水道水とは全く違う、自然の味がした。ミネラルが豊富で、体に染み渡るような感覚だった。


しかし、水を飲みながら、修人は不安になった。この水は本当に安全なのだろうか。病原菌などはいないのだろうか。現代日本では考えなくてもよかったことが、この世界では生死に関わる問題になる。


ガルバンの記憶を思い出した。彼も旅の途中でこの川の水を飲んでいた。特に問題はなかったようだ。この世界の人々の体は、ある程度の病原菌に対して耐性があるのかもしれない。


川のほとりで休憩していると、修人は自分の姿を水面に映して見た。


顔は確かに自分だが、服装が全く違う。粗末な麻の服を着ている。現代の眼鏡もなくなっているが、なぜか視力は良好だった。異世界転移の際に、体が変化したのだろうか。それとも、この世界の魔法の影響だろうか。


肌の色も少し違うように見える。日焼けしているわけではないが、より健康的な色になっている。筋肉量も微かに増えているような気がする。異世界転移の副作用なのかもしれない。


水面に映る自分の顔を見つめながら、修人は現代日本での生活を思い出した。毎朝同じ時間に起き、同じ電車に乗り、同じオフィスで働く。単調で退屈な日々だった。でも、安全で予測可能な日々でもあった。


今の状況は正反対だ。危険で予測不可能だが、刺激的で冒険に満ちている。どちらが良いのかは分からない。でも、少なくとも今は生きている実感がある。


午後になって、修人は初めて魔物と一対一で遭遇した。


「シャー!」


茶色い毛玉のような生き物が、牙を剥いて威嚇してきた。ガルバンの記憶によると、これは「アースラット」という下級魔物だった。大きさは猫程度だが、牙と爪が鋭い。単体では弱いが、群れで行動することもある。


修人は手に持ったナイフを構えた。でも、戦闘経験などない。剣道も空手もやったことがない。ゲームの知識はあるが、実際の戦闘とは全く違う。どうすればいいのか分からない。


アースラットが飛びかかってきた。修人は反射的に横に避けたが、バランスを崩して転んでしまった。アースラットは地面に着地すると、すぐに振り返って再攻撃の構えを見せた。


「痛っ!」


膝を地面に強打して痛みが走った。アースラットは修人の隙を見逃さなかった。再び飛びかかってくる。修人は這いつくばりながら、近くの石を掴んだ。


アースラットが飛びかかってきたとき、修人は石を投げつけた。運良く命中し、アースラットは気絶した。完全に運任せの攻撃だったが、結果的に成功した。


修人は恐る恐るアースラットに近づき、触れてみた。


またしても記憶が流れ込んできた。この魔物の短い生涯、森での生活、他の動物との争い。そして、人間への本能的な恐怖。アースラットの視点から見た森の風景、食べ物を探す苦労、天敵から逃げる恐怖。


『みんな、必死に生きているんだな』


修人は妙に感慨深くなった。この小さな魔物も、自分なりに一生懸命生きていたのだ。食べ物を探し、危険を避け、種族を存続させるために戦っている。人間と変わらない。


アースラットは気を失っているだけで、死んではいなかった。修人はそのまま立ち去ることにした。殺す必要はない。この魔物も生きる権利がある。


しかし、歩きながら修人は考えた。この世界では、こうした判断が命取りになることもあるかもしれない。情けは人のためならず、という言葉もある。でも、今回は見逃すことにした。


夕方になって、修人は野宿の場所を探し始めた。ガルバンの記憶によると、森の中では夜になると危険な魔物が活動し始める。ダイアウルフ、シャドウキャット、ゴーストなど。どれも昼間の魔物より強力で凶暴だ。安全な場所を見つける必要があった。


大きな木の根元に、洞窟のような窪みを見つけた。中は意外と広く、雨風をしのげそうだった。入り口は狭いので、大型の魔物は入ってこれない。修人はそこで一夜を過ごすことにした。


窪みの中を調べると、以前にも誰かが使ったことがあるような痕跡があった。焚き火の跡、食べ物のかすなど。冒険者が使っていたのかもしれない。


修人は入り口近くに小さな焚き火を起こした。ガルバンの記憶で見た方法を真似したのだ。火打ち石と火口を使って、慎重に火を起こす。現代日本ではライターやマッチを使っていたので、原始的な方法は初体験だった。


何度も失敗したが、ようやく火がついた。小さな炎が闇を照らす。火があると、少し安心できる。動物や魔物の多くは火を恐れる。また、心理的な効果も大きい。


夜になると、森は昼間とは全く違う表情を見せた。様々な鳴き声が聞こえてくる。不気味な光が時々見えることもある。遠くから狼の遠吠えのような音も聞こえた。


修人は毛布にくるまりながら、焚き火を見つめた。炎がパチパチと音を立てて燃えている。原始的だが、美しい光景だった。現代日本では味わえない、自然との一体感があった。


焚き火を見つめながら、修人は現代日本での生活を思い出した。会社の同僚たち、家族、いつもの通勤電車。今頃、みんな心配しているだろうか。それとも、修人がいなくても普通に生活が続いているのだろうか。


田中は家族に何と説明しているだろうか。「修人が病院で意識不明になった」と言っているのかもしれない。母親は実家で心配しているだろう。妹も驚いているはずだ。


『もう戻れないかもしれない』


そんな考えが頭をよぎった。異世界転移の方法は分からない。元の世界に戻る方法があるのかどうかも分からない。もしかすると、もう二度と現代日本には戻れないのかもしれない。


でも、不思議と絶望感はなかった。むしろ、新しい可能性に対する期待の方が強かった。


現代日本では、修人はただの歯車の一つでしかなかった。誰からも必要とされず、将来への希望もなかった。毎日が同じことの繰り返しで、刺激もなければ成長もなかった。


でも、この世界では違う。記憶操作という特殊な能力を持っている。この能力を使えば、きっと何かができるはずだ。人の役に立つことができるかもしれない。


『君の力を本当に必要としている世界がある』


病院で聞いた謎の声の言葉を思い出した。この世界が、自分を必要としている世界なのだろうか。確かに、記憶操作能力は様々な場面で役立ちそうだ。情報収集、真実の解明、犯罪の解決。


『お前なら...再び世界を救えるはずだ』


「再び」という言葉が気になった。まるで、以前にも世界を救ったことがあるような言い方だった。でも、修人にはそんな記憶はない。前世があったのだろうか。それとも、別の意味があるのだろうか。


焚き火の炎を見つめながら、修人は明日への準備をした。王都ルミナスまであと1日。新しい人生の始まりまで、あと少しだった。


森の奥から、遠吠えのような声が聞こえてきた。修人は身を縮めて、焚き火の近くで眠りについた。毛布にくるまりながら、ナイフを手の届く場所に置いた。


夢の中で、修人は不思議な光景を見た。古い城のような建物、見たことのない文字で書かれた本、そして自分によく似た人物。その人物は何かを必死に訴えかけているようだったが、声は聞こえない。


目が覚めると、空が明るくなり始めていた。森に朝の光が差し込んでいる。焚き火は燃え尽きて、灰になっていた。


修人は体を起こし、新しい一日の始まりを迎えた。今日中に王都に到着できるだろう。そこで、新しい人生が始まる。


明日、王都で何が待っているのだろうか。冒険者ギルド、新しい仲間、未知の冒険。全てが未知数だった。


修人は荷物をまとめ、森を後にした。今日が新しい人生の本当の始まりになるだろう。


道中で小鳥のさえずりを聞きながら、修人は歩き続けた。足は痛かったが、心は軽やかだった。現代日本での憂鬱な日々から解放され、新しい可能性に向かって歩いている。


数時間歩いた頃、遠くに大きな街の輪郭が見えてきた。高い城壁に囲まれた巨大な都市。それが王都ルミナスだった。


「ついに...」


修人は胸の高鳴りを感じた。新しい人生の舞台が、目の前に広がっている。記憶操作の能力を使って、この世界で何ができるのか。自分はどんな人間になれるのか。


全てはこれから始まる。


修人は王都に向かって歩き続けた。太陽が頭上に昇り、新しい一日が本格的に始まった。そして、修人の新しい人生も、本格的に始まろうとしていた。


森を抜け、街道に出ると、他の旅人たちとも出会うようになった。商人の一団、冒険者らしき武装した人々、普通の町民たち。みなそれぞれの目的を持って王都に向かっている。


修人は彼らを観察しながら歩いた。この世界の常識、文化、人々の考え方。学ぶべきことが山ほどある。記憶操作能力があっても、基本的な知識がなければ生きていけない。


午後になると、王都の城壁がはっきりと見えてきた。想像以上に巨大で立派な城壁だった。高さは20メートル以上あり、石で築かれている。門には衛兵が立っており、入城者をチェックしているようだった。


『いよいよだな』


王都ルミナスの門が、修人を新しい人生へと招いていた。

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