[掌編]いまひとたびの
多分、僕は「自分」と言えるものを持たない人間だろう、そしてそのことに何の疑問も意識も抱かない。
僕は大きな存在の中の部分や部品として生まれ、そうして死んでいく人生なのだと思う。
例えば今ならば学校の中の上でも下でもない、果てしなく特徴の無い背景の一部のような、いわば「その他大勢」と割り振られるような、無個性の一人。
多分、実際の多くの人間は仮にそういう外からの評価を戴いていようと、内面では他者との区別を望み、そういう部分にはなるまいという意志を持っているのかも知れない、でも僕にはそういう意志はまるでなかった。
卒業して社会に出ても、どこまでも何かの部品、それも取り替え可能な規格品であることから出ようとは思わなかった。
僕は高校の部活で合唱をしながら、その中で失敗せず、かと言って周囲を引き離すほど上手すぎることのないよう、ただ集団の一部になりきるような高度を保って歌を歌っていた。
——合唱コンクールの都大会に出た時の場面から、この話を始めないといけないようだ。
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それぞれ都内の高校から参加した合唱部の生徒たちが、舞台で歌い、あるいは客席で他校の歌を聴いていた。
僕は何かに思い入れのある人間では無かったけれど、複数の人間の声が織物のように紡がれる合唱の不思議さにだけは何か信じられるものがあった。
幾つかの出場校の歌を聴く中で、唯一、出場校の一つに気にかかったものがあった。
自分は元々おかしいのだという自覚は持っていたのだが、それは僕の気持ちを落ち着かなくさせた。
歌は気にならなかったが、その出場校の合唱部は、舞台上で整列した生徒の制服が揃っていなかった。
……例えば人数を揃えるために他校と合同でエントリーするという例は認められたこともあったが、それなりの人数で助っ人が必要になるほど人が足らなかったようにも見えない。
それは平均化した面の中にぽつりと穿たれた穴のように見えた。
僕は目を閉じて歌声を聴くことにだけに集中した。
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そしてもう一つ、語りはじめなければならないのが、僕のいる近未来である「この時代」のことである。
僕の生きる時代の特徴だろうか、世界の先進国での人口減少による問題がクローズアップされてきて、どんどん進む少子化への有効策として、とうとう出された答えが実現可能な技術での「人造人間」の解禁というものだった。
「人造人間」といっても、錬金術でもないし、機械の構造を持った人間のことでもない。
人間の生体組織で構成された九割九分、ほぼすべて人間そのものである。
唯一の違いは男女による妊娠と出産という経路以外によって誕生したことだ。
解禁以前からもあった体外受精技術を含む、従来の女性から誕生する人間は「ナチュラル」と呼ばれ、それ以外の経路で誕生した人間は「アーティフィシャル」……「アーティー」と略称されていた。
幾つか複合的な技術が並行して「人造人間」は産み出されているけれど、誕生後の「ナチュラル」と「アーティー」を調査する限り、両者に違いは無かった。
「アーティー」には技術など発達でいくつかの世代があるらしいが、解剖学的な部分ではおおよそ完成されていた。
ほぼ人間と同等の寿命を持ち、普通の子供として育ち、成長して普通に社会に出ていく。
唯一、成人になる時に当人の「権利」として「アーティー」であることを知らされる。
里親である養父母のいるものはその口から、公的機関による通知で知る者もいた。
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次に、あの日の放課後、下校する途上のこと。
いくつかの商店の連なるアーケードを僕は駅に向かって一人歩いていた。
いつもと何も変わらず、ほとんど定刻通りに。
「あの」突然少女が僕に話しかけてきた。
「あの、本当にごめんなさい。どこかで……お会いしたこと、ありませんか」
何かの悪戯なのか、いや、見ると少女はとても緊張をしている。
何かの押し売りか宗教の勧誘なのかは分からないけれど、同じ年頃の女子が一人で行うものなのか。
「いえ……ちょっと分からないです」確かに顔に見覚えはないのだけど、とても強い違和感を感じた。
「私に見覚えありませんか」半ば泣きそうな顔で言われたけれども、まるで覚えがない。
「……やっぱり分かんないです。」
彼女の困惑しているのはわかったけれども、どうしようもなかった。
僕はその場から立ち去ろうとして口を開けかけたけれど、彼女の方は思い切ったように口を開いた。
「あの……合唱コンクールの都大会に出場してましたよね」
それは確かだった。
彼女も出場校の部員の一人だったそうで、僕のことを会場で見かけて覚えていたのだという。
「迷惑でなければ、お話できませんか」
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困惑しながら了承した。
例えば僕が何かを期待していたのか?と言われればそうともいえるのだけれども、この話はそういう話ではなかった。
学校で女子と話すこともあるけれども、積極的に接してくる者はあまりいなかった。
別段、浮いていたり疎外されていたりということもなかったはずだけれども「話しかけにくい」とは言われていたので、学外の人間から話しかけられるのは意外で、僕にしては珍らしく好奇心がくびを もたげた。
「変に思われるでしょうね、本当にごめんなさい」駅への道から外れた、街を流れる川沿いの遊歩道を二人で歩きながら話をした。
「コンクール、お疲れ様でした、結果は残念でしたけどね……」
彼女の話は行ったりきたりして、なかなか本題の用件に入るまで時間がかかったけれども、要は会場で見かけて以来気になっていた、友達になって欲しい……そういう内容を伝えられた。
彼女の名前はサクヤといった。
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「アーティー」を巡る話には、本当かどうか分からないものが多い。
ある程度の年齢になり、世の中のことに興味が出てくると半端な情報であれこれと話が出てくる。
曰く、「アーティー」には感情が無い、喜怒哀楽が乏しい、理数系には強い、体温が一定、生活サイクルが変わらない。
僕はこれらの特徴に当てはまり、低学年から「お前はそうなんだろう」と言われた。
実際、僕自身も自分は機械仕掛けの「ニセモノ」の人間なんじゃないか、という意識を持っていた。
これらについては国中のメディアを通じて広報がなされ、デマの類であるとされた。
すなわち「アーティー」の精神構造は「ナチュラル」と同等で、古典的なアンドロイドやロボットのような計算機じみた特徴ではない、云々と。
「ナチュラル」と同様に感情を持ち、計算間違いをし、寝坊もするし不眠にもなる。
そして「アーティー」の肉体には皮の下、体内には血が流れ、遺伝子情報のほとんど全てが「ナチュラル」と同じであることが強調された。
そして里親と政府以外には、成人するまでは果たしてどちらの人間であるのかが一切分からない。
「もしかしたら自分はそうなんじゃないか」と思い内心怯えている未成年は多いようだ。
毎年、自分の正体を宣告され、ショックを受ける「アーティー」が少なからずいるらしい。
僕にはさほど重要な問題には思えないんだが。
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僕は元来、決まったサイクルを変更したりするのを好きじゃない。
決まった時間に帰ることやそのルート、ほとんど変化のない日常が変わるのは嫌だった。
ところが不思議なことに、サクヤさんと連絡を取り合うようになり、下校時に落ち合って川沿いのルートを並んで歩くようになった、そのことは嫌じゃなかった。
デートと呼べるものかといえば、それは微妙だった。
二人とも制服で川沿いの遊歩道をただ歩き、お互いに帰るべき方向の枝道で分かれる、そんなことが何日か続けられた。
サクヤさんは無口な僕にあれこれと話しかけてきた。
本の話、映画の話、漫画の話。
女子にしては珍しい好みのものばかりだった。
「つまらないですか?」サクヤさんは歩きながら言ってきたことがあった。
「そんなことないです」と僕は答えた。
「良かった」サクヤさんは笑って、それから付け加えた。「いつも表情が変わらなくて不安で。……笑顔を見せてくれませんか」
「……上手く笑えないんです」と答えたけれども、彼女は上手くする必要なんかないんです、と言うのでぎこちなくも微笑んでみた。
「ありがとうございます」彼女はそう言った。「無理せず、自然に笑えばいいんです」
僕にとって自然なことには笑い顔ははいっていないけれども、それは黙っておいた。
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「アーティー」を巡る噂の一つで、「アーティーには予め精神にブレーキがかけられている」というのがあった。
この件については公式の見解が出されていない。
古典SF小説の『ロボット』における「ロボット三原則」の「アーティー」版が予め組み込まれているのではないか、とされている。
つまり誕生する時に、「誰かを傷つけたり殺害したりできない」「自死ができない」というような原則が刷り込まれている、という話。
これについて政府は明確な回答を出していない。
仮に本当ならば、「アーティーの基本的人権を侵害している」と言われかねない。
「思想はおろか、思考を検閲している」と。
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「これを付けてみてくれませんか」と、ある日のサクヤさんは僕に言いながら一つのキーホルダーを渡してきた。
外国のコミックめいた狼があしらわれた図柄の、アクリル・プレート。
手に持ったまま戸惑っていると、リュックに……と言って、一度、僕の手からキーホルダーをとり、僕の背負っている通学用リュックのポケットについていたジッパーの引手金具の穴に紐を通して勝手に取り付けた。
僕はプレゼントをありがとう、と言った。
でも、この時既に、違和感はあった。
数日後の夕方、並んで歩いていた僕たちの前に、見知らぬ女子が現れた。
僕らを見て絶句していたけれどサクヤさんに歩みよって片腕を掴みながら「何をやってるの?」言った。
サクヤさんはそれまで見せたことのない険しい表情で現れた女子に何かを言っていたが途中で僕に向かって言った。
「ごめんなさい、今日はこれで……」
そう言い残すと二人で別の道に行ってしまって、それがサクヤさんを見た最後になった。
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例えば「アーティー」を巡る噂の一つに、「ナチュラル」に提供する移植用臓器を「栽培」するためのアンダーグランドの事業ではないか、という都市伝説があった。
もちろん政府は否定するけれど、根強い陰謀論としてまことしやかに世間で語られている。
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そして翌日からサクヤさんは現れなかった。
何かあったのかな、と思いながらしばらく待ち、そしていつもは二人で歩くルートを一人で歩いた。
数日後、代わりに、僕と同じ年頃の男子が僕の前に立ち、しばらく見つめてきた後、声をかけてきた。
「はじめまして、俺はサクヤの友人です。サクヤは来ません。もう来ないと思います。彼女から手紙を預かってきてます」
そう言って彼は僕にそれを渡してきた。
川沿いの遊歩道にある遊園広場のベンチに座り、僕は手紙に目を通した。
『ごめんなさい。
あなたの気持ちをまったく考えずに自分の気持ちだけで動いてきました。
あなたの人生に乗り込んでかき回してしまったことを。
もうあなたの前には現れません。
あなたは優しくて良い人でした。
サクヤ』
「彼女から説明は、ちょっと難しくてね。俺から説明します
「俺たちは×××県の——町の小学校と中学校を過ごしてきた仲間うちのグループなんです。——町は……ニュースで知ってるかな、一昨年。豪雨災害で集落がひどい目にあって。その時に俺たちの家族や友人、それぞれに大事な人を亡くしてしまった。住むところも仕事も無くして、みんな途方にくれたりしてたね。
「サクヤはね、付き合ってた彼氏がいたんだ。マコトっていう。同じ地方の町で生まれ育って、小さい頃からの幼なじみ。そして俺にとっては親友だった。……その豪雨災害の時に、全て過去形になってしまった。あいつとあいつの家族も。
「災害後、町のみんな、それぞれ再出発のために前を向いて歩き出そうとしてきた。町を去る者や復興を目指して土地に残る者。俺たちみたいな学生は学業を続けるために復旧と復興のできる間は他の場所に避難して生活しながら。
「俺たちは亡くなったみんなのために泣きまくって絶望して、それから町を治してもう一度みんなで昔を取り戻そうとして。サクヤは本当に頑張ってた。悲しくて仕方ないのに、それよりもしっかりと立ち上がって。
「避難した自治体の用意した寮で生活しながら、そこから編入した高校で勉強を続けた。同時にそこで合唱部にも入り、高校生活を完走しようとしていたんだと思う」
そういえば、と思い出した。
合唱コンクールで出場していた高校のことを。
被災地と姉妹都市関係にある自治体が手を上げて学業の継続が困難な市民などの受け入れなどに加え公立高校に生徒を編入させる措置をしていた。
出場校の中で着ている制服にバラ付きがあったところを思い出した。
サクヤさんはきっとその中にいたのだろう。
「合唱コンクール都大会に出場まで行って、その会場には被災地の校友として、俺たちも見にいった。あんな災害の後でも前向きに歌いきって、俺たちはサクヤのことが誇らしかった。
「コンクールが終わった後、彼女と連絡をとった友人のひとりがサクヤさんの様子がおかしいって。『マコトがいた』って言ってるって。
「俺たちは「どうしていきなり」って思いながら、なだめるつもりで彼女と連絡をとったり会ったりしてたんだけど。
「途中から『勘違いだった、どうかしてた』って言って落ち着いたように思った。それから連絡はしていたけれど、次第に返信とかが少なくなって行った。
「同じ高校に通ってる同郷の友人を通して、サクヤの近況をそれとなく聞いてみると、コンクールの後、部活に顔を出さなくなって、すぐに一人で下校するようになっているっていうんだ。
「寮の方にも門限ぎりぎりで帰ってる様子で、その前の様子から仲間内で心配になってねお節介を承知で探したんだ、そしたら……
「俺たちはサクヤと会っている君を見かけたんだ。すべてを理解した。」
理解?
「びっくりするほど、マコトとおんなじ姿。双子か分身かというような」
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そうか、と僕は思った。
自分とマコトは「ナチュラル」ではない、「アーティー」だった。
いずれはっきりするかもしれなかったが、思わぬ形でいくつかの答え合わせが落ちてきた。
衝撃というほどのことはなかった。
「アーティー」の持つ特徴の一つに、「際立った個性的な特徴を組み込まない」という話がある。
遺伝子の水準で管理されているデザインは、容姿についてもコントロールできるものになっていた。
個性的な外見は望ましくないとされ、標準的な体型と容姿が割り振られ、将来の成長後の外形を定められていく、という。
容姿のバリエーションは膨大な数なはずだが、無限じゃない。
ある噂では、稀ながらも寸分違わない姿を持つ「アーティー」が発生することもある、という。
まるで分身のように同じである個体同士は、行政の定めた方針によって「アーティー」であることが周囲にばれないよう、里親の希望者たちへの割り振りで互いに離れた場所へと縁組されてゆく。
一定の年齢になるまで離れた土地に住まわせることによって、秘密を保てるようにしておく、というのである。
そういう噂は知っていたけれど、自分自身がそうなのだとまで考えた事はなかった。
……マコトの方ではどうだったろうな。
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「学区は違うけれど、サクヤは合唱コンクールで見かけて、君の存在を知ってしまった。マコトの姿そのものの。コンクールの後、出場校を知ってその校舎の近くまでわざわざ君を探しに通って、とうとう君を見つけた。
「いつ頃決意したのかは分からない。サクヤにとって君は帰ってきたマコトにしか思えなくなってきたのかもしれない。俺自身、こうして話している間も君の声を聞いたらマコトが帰ってきたとしか思えない。
「サクヤさんは「ナチュラル」と「アーティー」について知らないわけではなかったけれど、君が帰ってきたマコトのような……記憶を無くしてしまったのが、何かのきっかけでサクヤや俺たちのことを思い出すんじゃないかなんていう錯覚を抱いたようなんだ。
「君の前に現れてからは知ってる通り……マコトが身につけていたものや、あいつの好みや仕草を君にさせるよう誘導するようになった。
「サクヤの友人の一人が君たちが一緒にいるところを見つけて。その娘もマコトのことをよく知っていた。だからサクヤのやっていることを分かってしまった。
「友人の一人として謝りたい……サクヤのした事は間違っていた。君には本当にすまなかった」
悲痛な表情で謝る彼に僕は微笑んで返した。
「そんな、気にしないでください。どうぞ皆さんによろしく」
相手は戸惑い不思議な顔をしていた。
もっと別の回答を想定していたのかもしれない。
それ以上に交わす言葉も思い浮かばずに僕たちは別れた。
彼らは言った通り、それ以後僕の前に現れる事はなかった。
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僕とマコト、その他この国のどこかにいる「アーティー」のバリエーションたち。
型抜きされた成型品のように同じ形なのに、中の心は別々らしい。
僕にはマコトのことは分からない。
別の町で育ち生活し、別々の人間関係の中で「アーティー」同士に差異が生まれていっただろう。
友人たちに恵まれたマコトの心の中には人間的な、感受性豊かな海のような世界が育まれて行った。
僕はといえば。
同じ年月、生まれ成長しながら誰に必要とされるわけでもなく、とるに足らない人間である僕の方は心の中はどこまでも空っぽの人間にだった。
皆に愛され必要とされていたマコトがこの世を去り、どうして自分などがだらだらとただ生きているものなのか、まるで意味が分からない。
多数決で決まるならば、この世界から退場すべきだったのは僕の方だったのに。
でもそんなことばかりなのかも知れない、この世の中は。




