国語は常に面倒臭い
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
注意事項2
限度って難しくて面倒臭いんですよ。
人の数だけあるから。
数学という学問の良いところは、誰が見ても大抵同じ回答が返ってくるところ。出た答えが『1』ならば紛れもなく『1』だし、『100』ならば『100』だ。
そこに解釈の余地は毛頭なく、議論の申し立ては受け付けない。非常に公平で、誰が見ても分かりやすい解の形。
けれども国語というのは、誰が見ても同じ回答は帰って来ない。言葉一つとっても類義語が数多に存在する。其れが文を成すと、全く同じ答えは帰って来ない。
解釈の余地があり、議論に発展する事も大いにある。
だから国語とは面倒臭い。面倒臭くて仕方がない!!
この世には『限度』というのが存在する。常に釣り合った対価でないと問題が発生する。一例を上げると『やめて欲しい』と言いわたら、その行動を辞めれば良い。間違っても殴ったり、殺そうとするのはご法度という事だ。
俗に言う普通の人、つまりは大衆と同じ様に考えを持ち、同じような結果に帰結する輩はこの理論が通じるので余り問題では無い。けれどもこれが精神異常者、俗に言うメンヘラとか、ヤンデレというのはこの理論が全く通じない。薬物中毒者の様にこの限度の理解が出来ない。
寄り添う分かりやすく言うと『やめて』と言われただけで泣き喚くし、暴力を振るう、はたまた死のうとする。
人の回答が数学と同じくらい、誰が見ても同じ答えであったら良いのに。そうすれば相手を黙らせる事が出来るのに。
そんな事を考えながら今日も動画のコメント欄を見る。
人間、限界を超えるとメンヘラやヤンデレになるって言うのは分かるけど、歩くだけで骨折する様な人と、どう触れ合えば良いのだろう。何時もそう思っているよ。
あぁ、国語は面倒臭いなぁ!!
「あぁ、メンヘラ? 限度にもよるけれど、妄想を住処としている人は『私達は両思いで、同棲している。喧嘩の一つもない』そんな理想郷の住人だよ。
だからそこに現実押し付けると、気が触れて出鱈目な事言ったり、最終的に本当に理想郷に行こうする。死のうとするって事だよ」
以下何でも許せる方向け。
個人の意見飛び交います。私の発言が許せる方のみ宜しくお願いします。
話が通じない人と限度の釣り合いが取れない人が嫌いなんです。何よりも面倒臭い。本当に面倒臭い。
とある動画の主様が
『限界超えたらヤンデレとか、メンヘラになっちゃう。それはもうしょうがないよ』
なんて仰ってました。『普通の人』はそうでしょう。
限界超えると何するのか分からないのが人間なので。
※パターンが無限大なので『限界』とはなんなのか、何とも言えないんですけど……。
けれどもガチのメンヘラ、ヤンデレって、その限度を軽く超えてくるんですよ。
『それは嫌だからやめて』と言ったら、泣き喚くし、暴力振るうし、挙句死のうとするんです。
歩くだけで骨折訴えるレベルです。
私も空想の住人ですけれど、現実もよくよく見ているつもりですよ。
根拠として、現に生々しい小説投げてますし。
例え嫌いになろうとも、薄汚さを知った上で人間と向かい合わなくてはと、常に思ってますよ。
それでも『顔が可愛ければ許せる!!』なんて人は良いんですよ。むしろそういう人の相手をしてあげて下さい。
ただ私は無理だし、多くの方は無理なのではないかと。
そんな事を思ったんです。