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07 仮面の魔術師

 ランドルが傭兵たちのねぐらから出たとき、裏通りに風が吹き抜けた。

 その思わぬ強さに、とっさに俯き、フードを押さえてやり過ごす。


 顔を上げると、視界の端になにかを捉え、そちらへじっと目を凝らした。

 暗夜の下、少し離れた路地裏から染み出すように現れた黒い人影。


 幽鬼。それがその存在を目にしたときのランドルの印象であった。

 顔の上半分を隠す白い仮面。それを際立たせるような黒一色のローブで長身を包み、頭部はフードで覆っている。まさに幽鬼や死神のような格好だ。

 ただし、この怪人は剣を()いていた。本当に幽鬼や死神として見るなら、この部分にけちがつけられるだろう。


 二人が対峙した距離はおよそ十メートル。

 いまのランドルは物乞い風の外套(がいとう)を纏い、フードも被っている。

 この暗夜であるから、顔をはっきりと見られる心配はない。


 不気味に立つ怪人の手が、すっと持ち上がった。

 人差し指の先に燐光のような淡い光を宿し、宙になにかを記しはじめる。

 怪人の筆記によって刻まれたそれは、ランドルが見たこともない文字。

 火文字のように揺らめいて、見る者を虜にするかのように妖しく輝いている。


 ランドルほどの手練れがわずかの間とはいえ、この奇妙な怪人とその行為に目を奪われていたのは迂闊であった。かがり火が蛾を惹きつけるように、あの輝きにも、なにか人を惹きつけるだけの魔性の力が備わっているのかもしれない。


火紋(ひもん)! しまった、野郎、魔術師か!)


 魔術師。それは世界の理を解き明かし、一時的にとはいえ、自らの意志と技能でそれを改竄(かいざん)する異能の存在。魔力と呼ばれる力を自在に操り、常人には到底不可能であることを成し遂げる。歴史上、彼らは常に畏怖の対象となってきた。


 だがウェスタリア大陸広しといえど、その数は決して多くない。

 魔術は誰でも修められる類いの力ではないからだ。

 その力の危険性ゆえ、多くが土地の支配者の管理下に置かれるか、その目を逃れて隠棲することになる。


 そうした存在である魔術師が、いま目の前にいる。

 このような状況で出くわすことが、どれほど異常なことか。


 いずれにせよ、魔術を行使することは、剣士でいうところの抜剣に等しい。

 出会い頭にこれを行えば、明確な攻撃行為である。

 ゆえにランドルは剣を抜き放ち、怪人目がけて駆け出した。


 ランドルは魔術のことをよく知らない。

 扱える者が少なく、見せびらかすものではないのだから当然のことだ。

 過去に魔術師と戦ったことはあるが、魔術にはさまざまな手法や系統があり、一概にあれこれと言えるものではない。だが火紋と呼ばれる、燃えるように揺らぎ輝く文字や紋様を用いる魔術の存在は聞き及んでいた。

 だからといって、目の前の怪人がどのような術を行使しているのかは不明だ。


 一つだけわかっているのは「魔術師と戦う際には先手必勝」、これに尽きる。


(魔術師を相手に様子を窺って、得することなんてなに一つねえ! 目を合わせたり、指を差すだけで呪いをかけるような連中だ。一気に距離を詰めて叩き斬る!)


 そう判断して行動したことは、決して誤りではない。

 が、すでに遅かった。


 怪人が三つの文字を記し終えた途端、その瞬間を待ちかねていたかのように、火紋が輝きを増した。火紋の名を冠するとおり、それはまるで炎のように力強く、ランドルの瞳に、そして世界へと刻まれ、その異能の力を顕現させる。


 突如、怪人がランドルを指差した。

 その指先に宿る淡い光が青く閃き、光の矢となって放たれる。

 一条の尾を引いて闇を切り裂く光は、まさに流星だ。


 だがランドルは術の発動を待たなかった。見てからでは死んでいただろう。

 怪人の指先が閃いたときには、姿勢を低くし、横へ逸れた。指を差されたからだ。


 目を合わせない、指を差されない、名前を呼ばれないことは、ランドルが知る数少ない魔術への対策法だ。そして真髄でもある。


 襲いかかる流星を、ランドルは紙一重ですれ違う。

 あれが命ある者に死をもたらす輝きであることは、生者が目にすれば本能でわかる。

 そして危険はまだ去っていない。


(この野郎、速い!)


 流星に乗じて、怪人側も距離を詰めてきた。

 ランドルが肝を冷やすほどだ、尋常な速さではない。

 怪人が剣を振り上げ、その異様さに気づく。剣身が青く輝いているのだ。

 ラピスラズリのように深い青色は、吸い込まれてしまいそうになるほど美しい。


(あの剣は絶対にまずい)


 ぞくりと悪寒が走る。それは紛れもない死の予感である。

 だが胸騒ぎに身を竦ませていては、待っているのは死だ。

 反射的に(からだ)が動いていた。並の剣士ならそのまま斬り割られていただろう。

 瞬きすら許さぬ一撃を、ランドルは見事に防いだといってもいい。


(おい、冗談だろ……)


 防御は完璧だった。にも関わらず剣は、鋼鉄の柱に何度も激しく打ちつけたかのように傷み、大きくひびまで入っている。

 さすがのランドルも戦慄した。


 ――だがこのランドルという男、ここで黙って押し切られる男ではない。

 生来の負け嫌いである彼は、弱気に駆られて守りに入るということが大嫌いである。

 相手にいいように斬りつけられておきながら、狙うところのない後出しの剣を繰り出して敗北するくらいなら、それこそ死を選ぶような男であった。


 怪人の次の手に先んじて、ランドルが猛然と斬りかかる。

 剣の損耗に気づいていようが関係なかった。

 だが渾身の一撃は防がれ、ついに剣身が限界を迎える。折れてしまったのだ。

 次の斬撃はもう防ぎようがない。怪人が剣を大きく振りかぶった。


(待ってたぜ、この瞬間を)


 とどめの一撃を繰り出そうとする怪人へ、飛び退りつつ、折れた剣を投げつける。

 小振りになった分、投げやすくて良い。捨て鉢ではない、狙い澄ました渾身の投擲が、勝利を確信していたであろう怪人の左肩を打った。

 剣身の大部分が失われたとはいえ、高速で投げつければ立派な武器となる。

 現に、怪人はその痛みと衝撃に怯み、思わず後退する。


 勝機と見るや、ランドルは左右の腰間から投擲剣を抜き放ち、すかさず打った。

 はじめの一本は打ち落とされたが、つづく一本が右上腕を捉える。

 怪人は上半身の左右を潰され、もはやろくに剣を振ることもできないだろう。


 ランドルは最後の装備である短剣を抜き、敵にとどめを刺すため躍りかかった。

 怪人が迫り来るランドルに怯み、さらに後ずさりする。


『スクトゥム!』


 怪人がなにかつぶやいた。

 よく聞き取れなかったし、知ったことではない。逃す気など毛頭ないのだから。


 ランドルが怪人の左胸めがけて短剣を突き出す。

 これで勝負は決した――はずであった。

 短剣の刺突、その切っ先が敵の心臓を捉えようとしたとき、異変が起きた。


 切っ先が怪人の手前で、がきんと音を立て、阻まれたのだ。

 透明な壁のようなものに短剣が突き立っているのだと、気づいたときにはもう遅い。

 鋭い破砕音とともに生じた衝撃波がランドルを襲う。

 彼の躰は数メートルは吹き飛ばされ、地面に転がっていた。

 目まぐるしく起こる奇怪な事態に、状況がまったく飲み込めない。


 ぐらぐらと揺れる視界と痛みに耐えて上体を起こすと、吹き飛ばされた向こう、怪人の姿が変わらずそこにあった。

 その物腰には、先ほどまでの狼狽は微塵もなく、まるで勝ち誇るかのような堂々とした佇まいとなっていた。仮面で覆われていない口元に、笑みが浮かんだように見えた。


(やられた、誘い込まれたのか――くそ、いい気になりやがって!)


 それは勝手な思い込みに過ぎなかったが、おそらく事実であったに違いない。

 それほど完璧に決まった反撃であった。


 思い返してみれば、戦いのはじめ、怪人が記した火紋は三つだった。

 おそらく一つの火紋が一つの魔術となっているのだ。事実、使われた魔術も三つ。

 流星、青い剣、そして見えない壁。

 魔術を二つまでしか見ていない状態で決着を急いだのは、明らかに無警戒であった。


 怪人の手が持ち上がり、再び火紋を記しはじめる。

 負傷のため、手間取りながら記された一つの火紋が輝きを放った。

 怪人の指先が、いまだ立ち上がれないランドルへと向けられ、稲光のように青く閃いた。


 ――流星がくる。だがわかったところで、いまの状態では(かわ)せるものでもない。

 ランドルが上体を倒す。だが間に合わず、光が左肩を撃ち抜いた。

 熱した鉄棒で刺し貫かれたかのように、肩が焼けるように痛む。

 だがこの痛みが逆に、ランドルのふらつく視界を覚醒させた。


 膝をついてなんとか立ち上がると、怪人がまたも火紋を記しているのが見える。

 敵はもう近寄ってくる必要などないのだ。絶体絶命の窮地であった。

 しかし、いまランドルの頭にあるのは死の恐怖ではなく、屈辱と怒りであった。


(この野郎、必ず一発叩き込んでやる!)


 死んでも一矢報いてやろうと、ランドルが地面を蹴った。そのときである。


「おい、そこでなにをしている!」


 突然、怪人の背後から声がした。

 巡回中の衛兵が二人。角灯をさし向け、こちらの様子を窺っている。

 振り返った仮面の怪人と、その手に握られた剣を見て、衛兵たちは瞬時に気を張り詰めた。


「止まれ! 貴様ら、そこから一歩たりとも動くんじゃあない!」


 衛兵による大音声の一喝が響く。別の一人はすでに呼び子を吹き鳴らしていた。


(まずいな。連中、殺られるんじゃないか)


 怪人は負傷しているとはいえ、あの流星の魔術がある。

 衛兵たちではひとたまりもないだろう。駆けつける応援によって、いずれは取り押さえられるだろうが、それまでに死体をいくつ積み上げるかわかったものではない。

 ランドルは衛兵が大嫌いであるが、まっとうに職務を果たした者が、命を落とすのはさすがに気分が悪い。その要因となるのが自分の仇敵であれば、なおのことである。


 だがその心配は杞憂に終わった。

 ランドルを放り出して、怪人は自身が現れた路地裏へと駆け込み、姿を消したのだ。


「そこの仮面のやつ、止まれ! おい、貴様もじっとしていろ!」


 衛兵の一人が逃げた怪人を追いつつ、呼び子を吹いていた一人が走り寄ってきた。

 すかさず身を翻し、走る。

 一歩踏み出した瞬間、ランドルは自分の状態を思い知ることになる。躰がまるで鉛のように重いのだ。興奮状態のせいか、痛覚はだいぶ麻痺しており、痛みはさほど問題ではない。

 しかし足を繰り出すたび、血が滴り落ちて気が遠くなるのが、はっきりとわかる。


 後方から衛兵の足音が聞こえる。いずれ追いつかれるのは間違いない。

 だが先述のとおり、このランドルという男、負けることが大嫌いなのである。

 彼にとって「苦しいから諦めてしまおう」だとか、「意地を張っても仕方ない」などという賢いが軟弱な考えを選択することは、死ぬよりもはるかに辛いことなのだ。

 ゆえに諦めることはしない。


 裏通りを駆け抜け、竜吼川(りゅうこうがわ)の西岸へと出ると、後方からまたしても呼び子が鳴った。

 すぐ近くからもだ。このままでは囲まれてしまうのは目に見えている。

 一か八か、賭けに出るしかない。橋を渡ることにしたのである。


 橋長は二百メートル弱。一度渡り始めれば、引き返すことはできない。だがやるしかない。

 半分を過ぎたあたりで、後ろを振り返った。しつこく追ってきている。

 だが気のせいか、先ほどまでの熱が入っていない。嫌な予感がした。


 そしてすぐに思い知ることになる。橋向こうから応援の衛兵が現れたのだ。

 挟み撃ちとなった。

 衛兵たちが剣を抜き、前後から迫ってくる。もう一刻の猶予もない。


「観念しろ、その怪我では逃げ切れない。無駄な抵抗はよせ!」


 ここまで追ってきた衛兵が、職務として至極当然の警告を発した。

 だがこの言葉は、ランドルにとって挑発にしかならない。


「俺の限界を勝手に決めるんじゃねえ!」


 意を決したランドルが欄干(らんかん)を乗り越え、竜吼川へ飛び込んだ。

 かなりの高さがあり、少しの間を置いて夜の闇に大きな水音が響く。

 すぐさま衛兵が追いついて川面をのぞいたが、じきに波紋は消えて黒一色となった。


「――馬鹿者め」


 衛兵はつぶやいて舌打ちした。

 これから河岸付近の捜索をすることになるが、無駄になることがわかっているからだ。

 大怪我を負って川へ飛び込むなど、自殺行為でしかない。

 衛兵はため息を漏らすと、駆けつけた応援と合流し、その場を離れた。


◇◇◇


 それからしばらくして。

 人気(ひとけ)のない河岸に一人の男が上がった。濡れ鼠となったランドルだ。


 逃走の際に竜吼川に飛び込むことは、これがはじめてのことではない。

 シスの手配により、事前に河岸の数カ所に着替えが隠されていて、この場所もその一つだ。

 衛兵の姿はまだ見えないが、あまり時間をかけてはいられない。


 簡単な手当と着替えを済まし、すぐにその場を後にする。その足どりは蹌踉(そうろう)としていた。

 ここから借り部屋まで、普段なら二時間弱。いまの負傷を考えれば倍近くかかるかもしれない。それはいまのランドルにとって、果てしない道のりに思えた。

 だがぐずぐずしてはいられない、やるしかないのだから。


(――このまますごすごと引き下がってたまるか。この借りは必ず返してやる。仮面野郎め、次に会ったときがお前の命日だと思え)


 全身から怨嗟(えんさ)(ほとばし)らせ、傷ついた躰を庇いながら、ランドルは家路へついたのであった。

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