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06 舟渡し

 夜が更けた。

 空には雲が重々しく垂れ込め、月がすっかりと隠れている。


 人家の密集する狭く暗い裏通りに、びゅうと風が吹き抜けた。

 冬が去り、この頃は寒さを忘れつつあったのだが、今夜はそれが嘘のように寒い。

 近所の住人たちはすでに寝静まり、辺りから聞こえてくるのは、通りを吹き抜ける風の音と路傍の物陰を走る鼠の音だけだ。


 今宵のような暗夜は舟渡(ふなわた)しをするうえで、非常に都合が良い。

 闇に乗じて襲撃も逃走も容易になるし、風は物音や声を遮ってくれる。

 そして冷える夜は、道端で酔漢と出くわす可能性が大きく減るからだ。


(今夜は絶好の仕事日和だな)


 幸運を噛みしめ、ランドルはゆっくりと傭兵たちのねぐらへ向かっていく。

 いまのランドルの姿は、汗と垢の染みついたぼろい外套(がいとう)を纏った物乞いの姿となっている。

 フードの下の頭髪を髪油と砂埃(すなぼこり)で乱して、ぼんやりと目を開き、腰を丸めて(はち)を手にする姿は、じつに堂に入ったものだ。


 ランドルは傭兵たちのねぐらの前に立ち、手にしている角灯を戸口の脇へと置いた。

 このねぐらは出稼ぎ労働者たちを詰め込む宿舎で、空き部屋になっていたところを傭兵たちが勝手に居着いてしまったらしい。

 ランドルは息を殺して耳をそばだてると、部屋の中の気配をわずかに感じ取った。


(さて、仕事の時間だ)


 規則正しく二回、少し間をおいてさらに二回、ランドルは扉を叩いた。

 返事はなかった。警戒されているのか、屋内の気配がにわかに消える。

 構わずもう一度、さらにもう一度とノックを繰り返し、哀れな声で呼びかけた。


「どうかお恵みを。どうかお恵みをくだされ」

「うるせえ、いまは夜中だぞ!」


 釣れた。屋内から罵声があがり、人が近づいてくる気配がある。

 扉の覗き窓が乱暴に開かれ、声の主と目があった。『燃えさし亭』で目にした熊男だ。


「お恵みくだされ。どうか、お恵みくだされ」


 かすれ気味の縋るような声で、物乞いに扮したランドルが言った。


「お恵みを、お恵みを。どうかパンを一切れ。どうか小銭を少々。何卒、何卒……」

「いかれてるのか、乞食野郎! 恵んで欲しけりゃ時間くらい弁えろ! いいか、てめえにくれてやる物なんてねえ、とっとと失せろ」


 覗き窓が閉まり、熊男が扉から遠ざかっていく気配がする。

 だがランドルは動じない。それどころか、わずかに口元を緩ませた。

 追い打ちをかけるように扉を叩く。今度は先ほどより大きく、叩く間隔も短い。


「お恵みを、お恵みを!」


 呼びかけながら、ランドルは鉢を地面に置き、外套の下に隠していた剣を抜いた。


「――よっぽど死にたいみてえだな」


 叩きつけるような足音が、怒りを堪えきれない声とともに引き返してくる。


「だったらあの世に送ってやる!」


 (かんぬき)が外れる音が聞こえ、熊男が棍棒を片手に勢いよく扉を開いた。

 彼が最後に見たのは、古びた扉であったか、鬱陶しい物乞いの姿であったかはわからない。

 扉が開くと同時、ランドルの鋭い突きが熊男の太い喉笛を刺し貫いた。


(まず一人)


 膝から崩れ落ちる熊男を(かわ)し、血に染まった剣を戸口脇に置いていた角灯と持ち替え、すぐさま暗い屋内へさし向けた。

 正面に一人、距離およそ六メートル。才槌頭(さいづちあたま)が寝台に腰掛けている、目が合った。

 あと一人の青白男は死角に隠れているのか、姿が見えない。


「手入れだ、衛兵の手入れだ!」


 才槌頭が叫び、寝台傍に無造作に置かれた剣へ手を伸ばした。

 だが遅い。剣を目視した時点で、相手がそう動くことをランドルは読んでいた。

 才槌頭が剣を掴む。その瞬間を狙いすまして、ランドルの手が高速で動いた。


 投擲剣が闇を切り裂き、剣を手にして向き直った才槌頭の胸に深々と突き立つ。

 凍ったように動きが止まった。致命傷だが、油断をしてはいけない。

 間を置かず二本目の投擲剣を打ち、敵の突き出た額を捉えた。


(二人目、あと一人)


 才槌頭の息の根を止めたランドルは、すぐさま次の攻めに移る。

 青白男の姿は見えないが、だからといって時間をかけてはいられない。

 こちらにとって時間は有限だが、相手は朝まで籠もっていても構わないのである。


 外套を脱いで束ねると、剣を掴む。

 屋内の死角に向かって外套を投げ込むと同時、ランドルは姿勢を低くして踏み込んだ。


 視界が開けた瞬間、死角に潜んでいた青白男の姿を捉える。

 相手は投げ込まれた外套に一瞬気を取られ、奇襲の機会を逃した。

 だが間抜けというわけでもない。


 一瞬の遅れを経て、青白男の鋭い斬撃がランドルを襲う。

 刃風が頭をかすめた。すんでのところで躱したランドルは相手の次の手を許さず、すくい上げるようにして一撃を見舞う。

 これを青白男は飛び退いて躱した。背後の寝台へ目も向けずに飛び越え、その際もランドルの追撃を阻むようにして構え直している。なかなかの手練れだ。


 仕切り直して、二人は部屋の中央へゆっくりと身を移す。

 その際、ランドルはさりげなく視線を巡らせ、戦場となる室内を把握した。


 部屋は大きめの一室限りの間取り。家具は粗末な寝台と古びた木箱くらいで、詰め込み部屋であった名残(なごり)である多くの寝台は、そのほとんどが部屋の奥に雑然と積まれている。

 空き部屋であったのを占拠してから一度も掃除などしていないのか、ほこりが積もったままの部屋の床には、室内装飾であるとばかりに酒の空き瓶が捨て置かれている。

 斬り合いになったとき、足場が悪いことは憶えておくべきだろう。


 深酒をして嘔吐することを見越しているのか、ランドルの足元すぐ近くには空桶が置かれていた。存外、用意のいいところがある連中だ。

 戸口はランドルの側にあり、窓は小さい。相手の逃げ道はすべて塞がっている。


 二人は部屋の中央で足を止め、対峙した。

 睨み合う状況になってはじめて、この襲撃を不審に思う余裕ができたのであろう。

 測りかねた様子で青白男が口を開いた。


「お前、衛兵じゃないな。なにが狙いだ? このまま俺とやり合っても死ぬだけだぞ、水に流してやるからこのまま失せろ。俺もお前ほどのやつと無駄に斬り合いたくはない」


 ランドルは答えない。これから自分があの世へ送る人間と言葉を交わす必要など感じていないからだ。なにより目の前にいる男は、どうやら自分より格上のつもりでいるらしい。


 急にやる気が湧いてきた。


 提案への返事は、言葉ではなく嘲笑で示してやる。青白男が舌打ちをした。

 張り詰めた空気の中、部屋の中ほどに置かれた蝋燭の灯りが静かに揺らめいた。


 それを皮切りに静寂が破られる。動いたのはランドルである。

 ランドルが足もとに置かれた空桶の内側を強く蹴り上げた。

 桶が勢いよく宙を舞い、青白男の顔面めがけて飛ぶ。


 が、相手も素人ではない。

 最小の動きでこれを防ぎ、迫る攻撃に備える。見事なものだ。

 しかし、相手が悪かった。

 桶が視界を塞いだのはほんの一瞬であったが、勝負を決するには充分すぎた。


「ぐうっ」


 電光石火の早業で迫ったランドルの剣が、滑り込むように青白男の手首を断つ。

 切り離された両手とともに、剣が床を叩いて音を立てた。

 後ずさりながら、青白男は必死な声をあげる。


「待て、待ってくれ! 俺と……」


 言葉はそこで途切れた。

 相手の言葉を待たず、ランドルの剣が青白男の心臓を刺し貫いていた。

 もとより命乞いや遺言など聞いてやるつもりなどない。


 この連中が手にかけた女中には、それが許されなかったのだ。

 この連中にそれが許されないのは当然のことだろう。


(これで三人)


 依頼は完了した。あとは無事にこの場を離れるだけである。

 剣を拭って鞘へ収めると、外套を纏い、投擲剣を回収して戸口へ向かう。

 半身が路上へ飛び出したままの熊男の死体を屋内へ引きずり込み、扉は開けたままにしておく。こうすれば明日の朝、死体が発見されるはずだ。


 一部屋に他殺死体が三体。発見者と家主には面倒をかけることになる。

 心の中で詫びを入れつつ、ランドルは自らが作り出した惨事の現場を後にした。

投擲剣を「投げる」ではなく「打つ」としていますが、手裏剣術での表記を参考にしています。

違和感や間違いがあったらすみません。

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