30 昏き王都
とある初夏の昼下がり。
ワルド衛兵局長の舟渡しを終えてから数日が過ぎた。
あれからランドルは借り部屋に籠もり、ひたすら躰を休めていた。
怪我を負ったというわけではないし、衛兵の目を恐れ、身を潜めているわけでもない。
にも関わらず、昼夜を問わず寝台の上で過ごすのは、彼なりの考えがあってのことだ。
仰向けになった視線の先には、古びた天井が広がっていた。
窓の外から聞こえてくる喧騒とは対照的に、狭い室内には物音一つしない。
そんな中、部屋の扉が小さく叩かれた。
聞き慣れない音だ。シスからの遣いで時折訪れるポストフのものとは明らかに違う。
来客の予定はない。そもそも近所づきあいなど、ろくにしていないのだ。
ランドルは音もなく戸口に向かい、誰何もせずに扉を勢いよく開け放す。
そこには見慣れた娘が一人、立っていた。
「なんだ、お前か」
思わず漏らした反応に、シスがむっとして叱りつける。
「こら、親しき仲にも礼儀あり。先日も言ったはずですよ」
「誰と誰が親しい仲だ。――まあいい、帰れよ」
「入れよ、の間違いでしょう。少しの間、お邪魔しますね」
部屋主の意向など無視して上がりこむシスに、ランドルは舌打ちしながらも、あえて追い返すようなことはしなかった。
「ずいぶんと殺風景な部屋ですね。お金には困っていないんですから、もう少し良い部屋に住んだらどうですか。必要でしたら、こちらで手配しますよ」
フードを外し、生活感の乏しい室内を見回して無遠慮な提案をするシスを尻目に、ランドルは寝台へ腰掛けた。来客をもてなすための茶菓など、この部屋には置かれていない。
「余計なお世話だ、どうせ外に出ている時間のほうが長い。天井と壁があるなら寝るのには困らんし、掃除の手間も省ける。これで充分なんだよ。――で、今日はなんの用だ。わざわざ俺の暮らし向きを確かめに来たわけじゃないだろ」
「ええ。今日は事後報告を、と思いまして」
シスは部屋の端に寄せてある椅子を中央へ引っぱり出すと、静かに腰掛け、姿勢を正した。
雪白の顔貌に妖しく輝くルビーの双眸が、ランドルをまっすぐ見つめる。
「まずは改めてお礼を言わせてください。今回の一件、お兄さんの力無くしては達成することは不可能でした。そうでなければ、わたしは繋留会に対して多大な代償を支払うことになり、王都での勢力を大きく失っていたでしょう。お兄さん、このたびの依頼の完遂、本当にありがとうございました」
そう口にして、シスは頭を下げた。
これにはさすがのランドルも面食らった。
いまのシスの態度には、いつものからかいや尊大さのない、真情からの感謝と敬意がはっきりと示されている。彼女の下で働いて数年、大きな仕事をいくつもこなしてきたランドルではあったが、これほど明確にかしこまった態度を取られたことは一度もなかった。
それゆえ、ランドルの口から出た返事もまた、本心そのものであった。
「お前の礼なんざいらん、気色悪い」
今度はシスが瞠目して、やがて小さく笑った。鈴を転がすような声だった。
「そうですね、わたしとお兄さんの仲です。無粋な言葉は不要でしたね」
「そうだ、感謝は言葉で示すもんじゃないからな。報酬をたっぷりと弾んでくれさえすれば、俺はそれでいい」
「ええ、もちろんです。いつもどおり、うちのお店へいらしてください。お金も、それ以外も御用意して、お兄さんをお待ちしておりますから。――さて、そろそろ本題に移りましょう」
「ん? 俺としては聞きたいことは聞けたから、事後報告とやらはいらんぞ」
そう言って面倒くさがるランドルを、シスが睨みを利かせて黙らせた。
「わかったよ。だが短くまとめてくれ」
「ではそうします。先日のお兄さんによるワルド衛兵局長襲撃を皮切りに、ほかの遣り手によって二件の舟渡しが行われました。どちらも、ワルドほどの難敵ではなかったのは間違いありません。その結果、三名もの日光会幹部が短期間でこの世から消えました。日光会は勢いを大きく失い、繋留会の表稼業に対する大規模手入れは立ち消えになりそうです」
説明するシスの口調は滑らかで、その表情はずいぶんと明るく見える。
さして興味もなかったが、ランドルは浮かんだ疑問をシスに投げかけた。
「その辺の事情はよくわからんが、幹部が一遍に殺されたんだ、残りの連中が黙ってないだろ。しばらくすると、またひと悶着あるんじゃないか」
それを聞いたシスは思案する様子も見せず、半ば確信めいた様子で答える。
「そうはならないでしょう。日光会はたしかに急進的な組織ですが、その過激さの源にあるのは、秩序や安寧を求める心に根ざしたものです。会員の大部分は、過激であるのは思考や言葉のみで、実行力はありません。そして今回の一件で、数少ない実行力ある者たちがいなくなりました。先頭に立って導く者がいなければ、残るのは烏合の衆に過ぎませんよ」
「そんなもんかね。俺なら黙ってないと思うがな」
「お兄さんならそうでしょうが、多くの人はそうじゃありません。それは弱い生き方かもしれませんが、賢い生き方でもあります」
それが賢い生き方であるなら、自分はさぞ愚かな存在なのだろう、とランドルは思う。
珍しくシスの言葉が正しく思えた。
「日光会の残党が腑抜けなのはわかったが、王宮のほかの連中は? お膝元で衛兵局長が暗殺されたんだ。軽い扱いじゃないだろ」
「それもご心配には及びません。というのも、ワルドが日光会で積極的に活動をはじめるようになって、彼を邪魔に感じていた王宮の人間は少なくなかったんです。王宮議会の中にも、繋留会の上客は少なくありませんから。面倒な敵がいなくなりさえすれば、残り火の始末は王宮にいるお得意様たちが上手くつけてくれます。ほかならぬ彼ら自身のために」
貴族と遣り手の暗い繋がりを改めて実感し、ランドルは顔をしかめる。
「聞いてて嫌になってくるな。しかしそうなると、ワルドが暗殺されたのに、誰も弔い合戦に乗り出さないことになる。殺した俺が言うのもなんだが、裏で悪事を働いていたとはいえ、なんとも憐れな話だ」
「いつの世も、担ぎ上げられた人間の死後なんてそんなものですよ」
「なるほど、明日は我が身だ。俺もお前の甘言には乗らないことにする」
シスと目が合った。互いの口元がそっと緩む。
「かくして、悪は今日も世に蔓延り、王都の治安は乱れたままです。そのために誰かが泣き、誰かが笑い、そしてそれにより稼ぐ者たちがいます」
「くそみたいな話だ。自分がその一端を担ってると思うと、ぞっとする」
「自覚があるようでなによりです」
「当たり前だ、正義で人が殺せてたまるか。そんなことが出来ると思ってるやつは、もはや善人でも悪人でもない。ただの狂人だ。――さて」
用は済んだと立ち上がり、身支度を始めるランドルを見て、シスが呼び止めた。
「おや、お兄さん。客人を置いて、どちらへ行かれるつもりですか」
きょとんとするシスを眺め、ランドルは当然とばかりに笑った。
「大仕事を済ませたあとだ、息抜きが必要だろ。血に狂わないための一番の方法といえば、良い女を好きなだけ抱くことに限る。そして王都で一番の娼館といえば、お前の店を措いてほかにないわけだ。だからいまから『蛇穴』に乗り込んで、精が尽きるまで派手に遊ぶんだよ。そのためにここ数日、こんなしけた部屋に籠もって、精を溜めておいたんだからな。それじゃ、いってくる!」
躰の内から活力を迸らせて、ランドルは部屋を飛び出していく。
一人残されたシスのため息が、寂れた部屋に小さく響いた。
最後までお読みくださりありがとうございます。
本作はこれで完結となりますが、いずれまたランドルが主役の中編も投稿できたらと思っています。
次回作がどのような作品になるかは未定ですが、ご縁がありましたら、また読んでいただけると嬉しいです。




