表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/30

27 正義なき戦い

 橋での乱闘騒ぎから十日が過ぎた。

 夜が深まり、辺りはすっかり静まり返っている。


 白亜海峡に臨む王都北部の港、その外れにある打ち捨てられた倉庫にランドルはいた。

 広い倉庫の中央で空の木箱に腰掛け、ただ一人、仇敵を待っている。


 明かりはほとんどなく、光源といえば、持参したたったひとつの角灯と、窓から差し込む月明かりくらいだ。この広い倉庫を照らすにはあまりに不充分だが、これでいい。

 いざ戦いが始まれば、平時に比べて五感ははるかに高まる。

 過度な光はむしろ不要であった。


 ランドルは力を抜いて、シスが手配した倉庫の内部を改めて見回した。

 倉庫はまるで盗賊に押し入られたあとのように荒涼としていて、所々に木箱が雑然と積まれたままになっている。当然、その中には価値あるものが収められているはずもなく、いまはただ埃を被って、新たに中身が収められるのを待っているに過ぎない。


 あるいは、いまランドルが人目を(はばか)る目的のために使っているように、この場所がこれから先、まっとうな使い方をされることはもうないのかもしれないが。

 いずれにしても、戦いの場所としては申し分なかった。


 そのとき、暗闇に音が響いた。外から窓が短い間隔で叩かれているのだ。

 標的を見張っていたポストフからの合図である。

 それは標的が一人でこの場所へ向かっていることを示していた。

 やがて音が止んだ。役目を終えたポストフが立ち去ったのだ。


 いったいどれほど待っただろう。決して長い時間ではない。

 だがその間に倉庫内の空気は張り詰め、さながら決闘場のように様変わりしていた。


 そして倉庫の重い扉が音を立て、ゆっくりと開きはじめる。

 現れたのは、ローブを纏った一人の黒い影。


 ランドルのいる倉庫の中央から入り口までは距離があり、その姿は判然としない。

 しかし、それは相手のほうも同じなのだろう。黒影は入り口で立ち止まったまま、内部の様子を窺っていた。やがて覚悟を決めたのか、来訪者が歩きはじめる。


「待ちな、中に入ったら扉をきちんと閉めろ。育ちを疑われるぞ、貴族の坊ちゃん。ここには代わりに閉めてくれる使用人はいない。それに話が外に漏れて困るのはお前のほうだ。罠を疑ってるなら、そのまま尻尾を巻いて逃げ出せばいい」


 しばしの逡巡があって、扉が閉ざされた。暗闇が再び濃くなり、来訪者が歩き出す。

 一歩、また一歩、長靴(ちょうか)の足音が静寂に響いた。

 黒影が倉庫の中央まで来ると、窓から注がれる月明かりが闇を払い、その姿を露わにする。


 闇に溶ける黒いローブを纏い、白い仮面で顔を隠した幽鬼然とした長身の男。

 見間違えようのない異貌――夜回り仮面ことアルベール・ケネルであった。


 顔も(からだ)も覆われているが、ランドルは眼前の男が、先日自分を襲った男と同一人物であることを確信した。相手のほうも、仮面の奥からこちらをじっと見ている。

 木箱に腰掛けていたランドルは身軽に立ち上がった。


「よう、やっと会えたな。アルベール・ケネル殿。また会えて嬉しいぞ。いきなり知らない相手から手紙が届いて驚いただろ。それとも恋文を期待させたかな? もしそうなら、悪いことをした。ま、許してくれ」


 冗談めかしてランドルが声をかけるが、返事はなかった。

 夜回り仮面――ケネルは言下(げんか)に腰へ手を伸ばし、ラピスラズリのような深い青に輝く剣を抜き放つ。それはまさしく巧みな早業だった。


 しかし、それと同時に――否、それよりさらに早く、ランドルは剣を抜き終えていた。

 先に動いたのはケネルであったにも関わらずだ。両者は剣を構えて対峙する。


「おいおい、ここに来たってことは手紙を読んだんだろ。だったらお前がすることは剣を抜くことじゃないはずだ。手紙の内容を忘れたっていうなら思い出させてやる。『夜回り仮面ことアルベール・ケネル殿。お前の所業を知っている。黙っていてやるから、金を持ってこい』と書いて送ったんだ。どうだ、思い出したか」


 返事はない。脅迫に応じるつもりは毛頭ないようだ。


「ま、金がないならそれでもいい。そっちはお前を釣り出す口実だ、俺の本命は……」


 眼前の敵を見据え、瞳の奥に鋭い光が宿る。


「――お前の命だ。神妙にしろなんて言わねえ、お前はここで死ね!」


 その言葉とともに、ランドルが地面を強く蹴った。

 暗闇に一筋の光芒が(はし)る。

 瞬きすら許さないほどの速さで放たれたランドル渾身の一閃に、ケネルが大いに肝を冷やしたことは間違いないだろう。


 これをケネルが紙一重で(かわ)すことができたのは、幸運だったとしか言いようがない。

 彼が熟達した剣士であることは間違いないし、すんでのところで躱すことが出来たのも、その高い技量があったからに違いはない。


 だが仮に、同じことをもう一度やるということになれば、おそらく無事では済まない。

 それほどまでにランドルの放った一撃は尋常なものではなかった。

 先の戦いでの屈辱から、積もりに積もらせた激情を乗せた一撃である。


 しかし、偶然があったにせよ、攻撃を躱したケネルもやられてばかりではない。

 迫る脅威を頭が理解するよりも早く、自然と躰が対応に動いている。

 すぐさま体勢を立て直すと、ランドルの追撃を防ぎ、反撃に転じた。


 徐々に勢いづいていくケネルの攻勢に、ランドルはじりじりと後退していく。

 それを可能にしているのが、ケネルが握っている輝く剣だ。

 武器を強化する魔術〈瑠璃の輝き〉によって剣身に濃青の光を宿し、異様な力が満ち満ちている。その切れ味はもはや業物という言葉では足りない。魔剣と呼ぶのが相応しかった。


 たった一度打ち払われただけで、ランドルの剣は大きく刃こぼれしている。

 先の戦いの再現になったかのようだ。だが……


「おらあっ!」


 大音声の気合いを発し、ランドルが荒々しく空間を横薙ぎにした。

 剣の損耗など知ったことではない、と言わんばかりの一撃である。

 飛び退ったケネルが、すかさず敵へ指を向けると、その指先が青く閃いた。


 〈ほうき星〉が放たれる。隙だらけのランドルに襲いかかるのは死を運ぶ光だ。

 しかし、ランドルはこれを予期していた。攻撃を空振ると、剣の勢いに振り回されるかのように倒れ込み、地を転がる。


 星が空を切った。

 起き上がりざま、すばやく投擲剣を打ち、追撃に動こうとするケネルの出鼻を(くじ)く。

 これはランドルが事前に想定したとおりの流れである。完封と言ってもいい。


 ――しかし。

 ケネルが指を二本、天へ掲げた。頭上の左右に大きな星が現れる。


(くそ、まずいぞ)


 察したが、もう遅い。

 ケネルが指を振り下ろすと同時、星が(またた)いた。

 左右から一斉に光線が撃ち下ろされる。当然、ランドルの知らない魔術だ。


 躱すことは難しく、躱し損ねれば、当然、死が待っている。

 しかし、このランドルという男、どうしようもなく絶望的な状況に陥ると、意地でも一矢報いようとする性質(たち)だ。そしていまがそのときであった。


 未知なる魔術の脅威に対し、迷わず前へ飛び出した。

 ランドルのすぐ背後で光線が交わり、その交差点が魔力による小爆発を起こす。

 狙って躱したわけではなく、彼の気質と未知の魔術の回避方法が偶然重なっただけだ。


 だがそんなことは知ったことではない。

 飛び込んだランドルの斬り下ろしが、ケネルの腕を浅く切り裂いた。


「おい、魔術はいくつ仕込んできた? 無制限に溜めておけるわけではないだろ。ネタが尽きれば、そのときがお前の命の尽きだ。精々手札は大事に使えよ」


 死にかけたランドルが歯を見せて不敵に笑い、再び躍りかかった。

 その勢いは微塵も弱まっておらず、捨て鉢のものでもない。


 しばしの間、激しい攻防が繰り広げられた。

 暗闇の中を瑠璃色の剣閃が幾度も閃き、時折、その軌道が歪に歪む。

 そして次第に、瑠璃色の手数が少なくなっていった。


 剣を交えるうち、ケネルが彼我の実力差を正確に飲み込みつつあったからだ。

 得物を傷めたランドルが魔剣を振るうケネルと互角に戦えているというのは、純粋な剣技において、ランドルが相手の数段上を行っていることは間違いない。

 木剣で真剣と戦っているに等しい状態なのだ。


 不意に生じた先の戦いにおいても、ケネルは〈瑠璃の輝き〉による剣の強化という優位を得たうえで敗北しかけている。否、剣での戦いにおいては事実として敗北している。

 しかし、二人の戦い自体は最終的にケネルが勝利を収めかけたことから、彼は劣勢に陥ったことを深く捉えることはなかったのだろう。


 それがいまになって、はっきりと思い知らされることになった。

 あのときの窮地は、決して偶然などではなかったと。


 だがケネルにも意地があるのだろう。

 彼とて生半可に剣を学んできたわけではない。名門貴族の次男として生まれ、幼少の頃より厳しい教育を受け、鍛錬を積んできたのである。


 奮起して勢いを盛り返したケネルの鋭い一撃が、ランドルの剣をついに叩き折った。

 すかさずランドルが残された柄を投げつけるが、ケネルがそれを難なく防ぐ。

 この手は先の戦いのように上手くいかなかった。


 勝機と見て、一気呵成(いっきかせい)にたたみ掛けるケネルの連撃に、武器を失ったランドルは後退することしかできない。攻撃が速まるにつれて、次第に体勢が崩れていく。

 そしてついに、すくいあげるように斬り上げた一撃がランドルの足下をもつれさせ、近くに積まれた木箱へ寄りかからせることになった。


「思い知ったか、下郎(げろう)。私に楯突いたこと、地獄で後悔しろ」


 勝利を確信したケネルがはじめて口を開いた。

 仮面に覆われていないその口元には、明確な狂喜が浮かんでいる。


天誅(てんちゅう)!」


 歓声とともに、ケネルの凶刃が(きら)めいた。

 鋼のぶつかり合う音が倉庫中に響き渡る。


 振り下ろされた瑠璃色に輝く魔剣は、倉庫の床を鮮血で染めることなく、宙を舞う。ランドルがあらかじめ木箱の陰に忍ばせていた予備の剣が、このときを待っていたとばかりにその力を示したのだ。

 勝利を確信したケネルが振るう魔剣の一撃を、それを狙い澄ましたランドルが、ごく平凡な剣によって弾き飛ばしていた。


 たった一撃。だが充分すぎる働きを済ませたランドルの剣は、その役目を終えたかのように砕け散っていた。

 ランドルは残った柄を地面に放ると、またもや木箱の物陰から新たな剣を取り出し、ケネルへと剣先を向けた。


「予備の武器を用意しちゃいけない、なんてことはないだろ。そっちは魔術を仕込んで、使ってきてるんだ。卑怯とは言わないよな?」


 返事はない。ゆっくりと後ずさるケネルを見て、ランドルが笑った。


「どうした? ようやくご機嫌な声を俺に聞かせてくれたのに、まただんまりに戻ったのか。これから先はなにが最期の言葉になるかわからないぞ、よく考えてから口を開け。神に祈ってもいいし、辞世の句を詠んでもいいが、命乞いだけはやめておけよ」


 やはり言葉はなかった。さりとて反撃の素振りもない。

 いまはただ、終焉が訪れるのを少しでも先延ばしにしようとしている。


「――とはいえ、だ」


 なにか思いついたかのように、ランドルが語り始める。


「丸腰になった相手をなじった上で斬るってのも、俺の主義に反するからな。機会をやるよ。お前の横に積まれた木箱、その陰にも予備の剣が隠してある。もしお前にその気があるなら、構えるまで待っててやる。お前も剣士の端くれだろ、改めて剣で片をつけよう。だが今度は魔術抜きだ。どうする?」


 ケネルが恐る恐る木箱へ視線を向けた。わずかに迷いを見せたあと、ゆっくりと木箱へと近づき、その物陰から剣を取り出し、構えた。


「よし、それでこそ男だ。こうなったらあとは剣で決めるだけだな。いいか、魔術は使うな。余計な真似をするんじゃないぞ」


 そういって口元を綻ばせる。

 ランドルがケネルに剣を与えたのは、慈悲の心からではない。当然、油断でもない。

 これは復讐を遂げるためだ。


 そしてケネルが剣を手にしたことで、その達成は目前となった。

 倉庫が静寂に包まれる。対峙する二人の剣士を中心に、緊迫した空気が渦となって異界を作り上げていく。雌雄を決する睨み合いは長いようで、数瞬のことだった。


「覚悟!」


 ランドルが気合いを発し、地面を蹴った。

 稲妻の如き鋭い斬撃が、ケネルへ襲いかかる。

 名のある剣士がこの場に立ち会っていれば、完全に勝負がついたと確信したに違いない。


 だが機先を制されたはずのケネルはいまだ動かず、その口元が嘲笑に歪んだのを、ランドルはたしかに目にした。

 この瞬間、勝負が決まった。


『スクトゥム!』


 ケネルが叫んだ。それは勝利の言葉だ。

 先の戦いでランドルを退けた防御の魔術〈山彦(やまびこ)の盾〉を発動するための呪文である。

 その言葉が発されると、不可視の障壁が顕現して敵の攻撃を防ぎ、衝撃波で反撃するのだ。

 まんまと相手を罠へ誘い込んだ愉悦の感情を乗せて、ケネルの声が倉庫に響き渡る。


 ――響き渡るはずであった。

 だがケネルの声はなぜか空気を震わせることはなく、従ってその呪文が魔性の力を呼び起こすことはない。


 いまこの場で力を揮うのは鋼の力。すなわち、剣の力だ。

 ランドル渾身の一撃が、勝利を確信したケネルの両手首を斬り落とす。

 続けて、足首も斬りつけた。逃がすつもりはない。


 事態を飲み込めないケネルであったが、躰から溢れ出る血潮と焼けるような痛み、そして床に落ちた己の両手を見て、ようやく理解が追いついた。


『うわああああああ!』


 悲痛な叫び声をあげた。しかし、その声が静寂を破ることはない。

 声が聞こえない。否、声だけではない。足音も、剣が床に落ちた音もしなかった。

 音という音が、この空間からいつの間にか消えているのだ。


 ランドルが片手を上げると、やがて抑揚に欠ける若い娘の声が暗闇に響き、この異様な状態が解かれたことを告げる。


「お疲れさま。これでぼくの仕事は完了だね。〈密会〉の魔術の力、これできみもわかってくれただろう」


 声の主は魔術師の娘、ノナであった。

 彼女は魔術で身を隠し、この戦いをはじめから見ていた。

 戦いに加勢することはせず、彼女がケネルに伝授した火紋魔術〈山彦の盾〉の発動を、密室の音を消す魔術〈密会〉により妨害するため待ち構えていたのだ。


「それにしてもきみの読みは完璧だった。〈山彦の盾〉をいつ発動するかはわからないのに、きみはケネルが追い詰められるまで術を発動しないと言い張った。ぼくはてっきり初手で使ってくると思っていたが……」

「ま、その可能性はもちろんあった。だがこいつは自分の剣の腕に自信を持っている。それに罠を張って成功した経験があるやつは、つい同じ手法に頼りがちになるんだ。敵を罠にかける快感っていうのは、いかんとも忘れがたいからな。だが同じ手が何度も通じる俺じゃない」


「それにはぼくの助けがあったことを忘れてくれるな。しかし、きみが助力を求めてきたのは意外だったよ。『一対一でなければ、負けを認めたようなものだ』などと言う手合いかと思っていた」

「なに言ってやがる。肝心なのは、自分が納得するかどうかだ。俺はこいつに剣で勝ち、魔術抜きって条件で再戦の機会を与えた。こいつの腕なら、魔術抜きでも少しくらい勝ち目はあったぞ。だがこいつは約束を破り、せっかくの機会をふいにした。そうなったらもう、なんでもありだろ。とにかく、敵の卑怯な手を封じるために、助けを借りても卑怯とは言わないだろ。なにより……」


 ランドルは言葉を切って、悪趣味な笑みを浮かべる。


「こいつを嵌めてやったとき、俺は最高に気分がよかった。お前だってそうだろ」

「もちろん」


 暗闇に響いたノナの返事は短く、そして静かなものだった。

 だがたしかに暗い喜びに満ちていた。


「ではそろそろ失礼する。ああそれと、事が済んだらそのまま去ってくれて構わないよ。死体は近くで待機している協会の者たちで片付けるから」


 この言葉を聞いて、ケネルは自身の置かれている状況をようやく正確に把握できたらしい。己の行いが魔術師協会にばれていること。

 そして協会が懲罰のため、すでに動いていることを。

 仮面で覆われていようとも、その絶望は隠しきれない。


「それではごきげんよう、アルベール・ケネル。きみの醜態はしっかりとこの目に収めさせてもらったが、せめて散りざまくらいは紳士らしくあることを願っている。どうか良き眠りを」


 そう言い残して、ノナの声は聞こえなくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ