24 待ち伏せと尾行②
厠での待ち伏せ失敗から二日が過ぎた。
あれから難局打開の妙案は思い浮かばず、やむなく計画を続行することとなった。
この日の昼食時に、ランドルたちが入店できる料理店をワルドが訪れたのだが、このときはワルドが厠へ立つことはなかった。やはり前回が順調に行き過ぎただけなのだ。
しかし、それでも駄目だった。この現実は覆しようがない。
夕暮れ時、ランドルとポストフは衛兵局の門前にほど近い料理店の二階で酒を飲んでいた。
「さて、どうしたものかね……」
ポストフが唐突につぶやいた。
ランドルからの返答を期待して、そうしたというわけでもないのだろう。
彼とて、現状の厳しさを正しく理解しているはずなのだ。
黙々と大通りの監視を続けるランドルを見て、ポストフは切り出した。
「もしも不可能だと判断したなら言ってくれ。善後策を講じるなら早いほうがいい」
真面目くさった顔で言った。冗談で言ってるわけでないのは明らかだ。
しかし、それが却ってランドルの気に障った。
「おい。俺がいつ不可能だと言った? 一度や二度、うまくいかなかったからって、できないと決めつけるのは早いんじゃねえのか」
反射的にランドルは声を荒げていた。
「食ってかかるのはよしてくれ。仮の話をしただけだろう」
「仮の話でやる気を削ぐのはやめろ。俺なら可能だから引き受けたんだ」
「そのことが気がかりなんだよ。ワルドの件は不可能だと、一度は俺とおたくで判断して、現におたくはそれをシスに伝えた。ところが次の日になれば、気が変わったと言って引き受けることになっている。おかしいじゃないか」
ランドルははじめて、ポストフの洞察力を鬱陶しく思った。
だがまともな神経の人間であれば、誰であろうと不審に思うだろう。
おそらくシスもあの場では口にしなかっただけで、ランドルの翻意にはなにか理由があると思っているに違いない。
「――別に。人間なんだ、気が変わることくらいあるだろ」
「そうかい。気まぐれにしてはずいぶんと入れ込んでいるように思うが」
「なんだ、今日は妙に踏み込んでくるな。俺からなにか探るよう、シスに言われたのか?」
予想外に食い下がってくるポストフに、ランドルは目を細めて尋ねた。
「いいや、シスは関係ない。むきになってるようだから、差し出がましい提案をしたまでさ。おたくは俺にとっても、それなりに代え難い同僚だからな」
ポストフの忠言を受けて、ランドルにもいくらかの冷静さが戻ってきた。
「――すまん、俺が悪かった。だが俺が自棄を起こすと思ってるなら心配いらない。たしかに前の店は駄目だったが、店が変われば状況も変わる。そうでなくとも、この世界には巡り合わせってものがある。そいつが訪れるのをじっと待つんだ。いや、俺が引き寄せてみせる」
自信ありげに口にはしたものの、これが希望的観測であることの自覚はあった。
だが必ず成し遂げるべきことがあるとき、たとえ光明を見いだせない逆境の中にあっても、胸を張って立ち向かうことの大切さをランドルは知っていた。
さもなくば早々に、賢さという名の恐怖に囚われ、なにもしないことを選ぶだろう。
ランドルはそれを怖れた。怖れることを怖れたのだ。
「ま、おたくが大丈夫だというなら信じよう。お、丁度良いところに」
ポストフが目線で示す先に、見慣れた馬車を認めた。衛兵局の門を出るところだ。
「そら、行動開始だ。いまはただ、俺たちにやれることをやろう」
◇◇◇
料理店を出た二人は、別れて馬車の尾行を開始した。
襲撃することを考えなければ、馬車の尾行そのものは難しいことではない。
夕暮れ時のいま、通りを行く人や馬車の数は多く、御者台や客車の中から距離を置いてついてくるだけの存在に気づくことは難しい。尾行者が手練れであればなおさらだ。
衛兵局を出た馬車は大通りを進み、やがて竜吼川のほとりに出た。
王都を南北に流れる竜吼川には昼夜を問わず大小の舟が行き交い、その川岸にはいくつもの店が櫛比している。ここは王都一番の商業区だ。
夕日が沈もうとしていた。
ランドルたちはワルドの馬車が竜吼川に架かる橋を渡り、その先の『黄金葦原』を目指すと予想していた。黄金葦原は潮見台の南に位置する地区で、潮見台とは趣を異にした貴族好みの高級料理店が軒を連ねているからである。
ところが、その予想はすっかり外れてしまった。
馬車は橋の手前で脇に折れると、川岸の建物の前に停車して乗客を降ろした。
ワルドたちは建物へ入っていく。その建物は竜吼川と、そこから繋がる運河の探索のための衛兵の詰め所で、船着場をもっている。それを確認して、二人は合流した。
「奴さんたち、舟を出す気だな。どこへ行く気だ?」
橋の欄干に手をかけ、夕闇に染まりつつある川面を見渡しながらポストフが呟いた。
監視についてから、ワルドたちが舟を出すのはこれがはじめてのことだった。
この変化が光明に繋がることを期待せざるを得ない。
「馬車を使わないってことは、そりゃ川岸に面した料理店だろうな。夏が近づいてくると、とくに繁盛する」
ランドルの意見にポストフも頷く。
「舟上で仕掛けるっていうのは、おたくとしてはどうだ?」
「足場が限られるのは不安だが、それは相手も同じことだ。現状、陸に比べて見込みがあるのはたしかだ。だがやれたとしても片道になる。帰ってくるのは無理だろうな」
「それなら駄目じゃないか」
ポストフの言葉に、ランドルは首を振った。
「いや、最後の手段としては悪くない。ほかにどうしようもなくなったら、俺はやるぞ」
しばらくして、船着場から一艘の舟が竜吼川へ滑り出た。
乗客はもちろんワルドたちで、舟はランドルたちが立っている橋をくぐる。
それを見送るとすぐさま尾行を再開する。今度は二人で行動をともにした。
舟はゆったりと竜吼川を下り、やがて潮見台方面へ繋がる運河、『沙魚川』へ折れる。
「これはひょっとして、『つつじ苑』へ向かうんじゃないか」
舟の後方、川岸を歩きながらポストフが言った。
一方、ランドルのほうはいまいち合点がいかない。
「『つつじ苑』? どこかの貴族のでかい庭園だったか。なんでまたそんな所に」
「庭園の主たる貴族さまは、当節では珍しいお招き好きでね。屋敷には立派な会食場があるのさ。そこに貴族や大商人を集め、上手いこと身を立てたらしい。そういうやつだから、いま勢いのある日光会と繋がりがあっても不思議じゃない。『つつじ苑』はその名のとおり、庭を彩るつつじが大層見事だそうだ。丁度いまくらいが見頃なんじゃないか」
「お前は乙女か、花のことなんてどうでもいい。で、そこは俺たちがもぐり込めそうか」
「来客が多いんだ、忍び込むのは可能かもな。しかし、仮に門をくぐれても、無用な血を一滴も流さずに事を終えて出てくるっていうのは難しいだろう。おたくは剣士であって、隠密ではないだろう」
「つまり『つつじ苑』に行かれたら、お手上げってことか」
「ああ。しかしまだ、奴さんたちが『つつじ苑』に向かうと決まったわけではない。そうでないことを祈るとしよう」
結局、その祈りは届かなかった。
舟は『つつじ苑』の船着場につけられ、ワルドたちは紅白のつつじに彩られた庭園を奥へと歩いて行く。どうやらポストフの読みどおり、日光会の集会があるようだ。
配置された守衛の数は思いのほか多く、鼠一匹、忍び込むのは不可能だろう。
その様子を、ランドルたちは遠くからひそかに見守ることしかできない。
日の沈んだ空は、すでに濃紺に染まりきっていた。




