23 待ち伏せと尾行①
ワルド衛兵局長の舟渡しを引き受けてから、三日目の夜。
ランドルはポストフとともに、とある高級料理店にいた。
狙いはもちろん、同じ店内にいるワルドを渡すことである。
本来であれば、依頼を引き受けてすぐに実行したかったのだが、そうもいかない事情があった。ランドルは標的を店内で襲う計画を立てたのだが、ワルドが足を運ぶのは高級店ばかりであり、常連からの紹介なしでは入れない店がほとんどである。
そのうえ、遣り手の息がかかっている店は明らかに避けられていた。
シスの手配があったとしても、どの店でもすぐさま、というわけにはいかなかったのだ。
「こいつは旨い。これならきっと毎日でも飽きないぞ」
ポストフは目の前の肉料理を口にして舌鼓を打った。大層ご満悦である。
いまのポストフは大店の若旦那風の格好をしており、一方のランドルは若い騎士風の格好で、仕立てのいい瀟洒な服を身につけている。両者とも、これがなかなかさまになっていた。
だが変わったのは服装だけではない。
顔貌のほうも、本来のものからすっかり様変わりしていた。
『蛇穴』の化粧師の力で、目元や唇の印象、肌つやは見違えるようになった。
そこへかつらをかぶせ、眉毛や黒子なども無理のないように加える。
その結果、仮に二人を知る者と通りですれ違ったとしても、凝視されない限りは気づかれることはないほどになった。変装は完璧だ。
非の打ちどころがない偽装を施されたランドルの顔を見て、ポストフは笑顔をつくったまま不用心を指摘する。
「駄目だな、表情が硬くなっている。これじゃせっかくの変装も台無しだ、おたくらしくもない。いまからそんな調子じゃ、どんな頓馬な護衛だろうと、おたくが近づけば剣に手を伸ばすってもんだ。せっかくの機会なんだ。少しは気を抜いて、高級店の味ってやつをたらふく味わっておくといい」
そう言って酒を一口飲んだ。
「ご忠告どうも。だが大一番が控えてるんだ、にこやかに、とはいかないだろ」
「そりゃ俺はおたくの事情を汲んでやれるが、肝心のお相手からすればそんなのお構いなしだからな。この場にいるのがおたく一人ならそれも構わないが、俺がいるのを忘れてくれるな」
「わかってる」
「なら、改めてくれ」
舌打ちしそうになるのを堪え、ランドルは努めて笑顔をつくった。
「やればできるじゃないか。店の格式にふさわしい表情になったよ。これを機に、おれといるときはいつもその顔でいてくれ」
「やかましいぞ」
笑顔を貼り付けたまま、ランドルはポストフを睨んだ。
それからしばらく、二人は食事を続けた。
酒杯を傾けながら、さりげなくポストフの背後へと注意を向ける。
広いホールの奥の席に、ワルドと護衛の騎士二人の姿が小さく映った。
白髪頭に厳めしい顔つきの壮年の騎士。これから命を奪う相手の顔を改めて目に焼き付ける。
ランドルの瞳が鋭く光り、ゆっくりと座席を立った。
「それじゃ、上手くやれよ」
食事を続けるポストフに見送られ、ランドルは席を外す。
ホールの奥を折れたところに厠が設けられていて、そこへ向かうのだ。
途中、ワルドたちの席をちらりと見たが、食事の手がいまだ動いていた。
(席を立つのが少し早かったかもな……)
悔やんでみたが、どうにもならない。
すでに計画は動き出したのだ。あとはもう腹を括るしかない。
厠へ入ると、ランドルは室内を念入りに見回していく。
充分すぎる広さが設けられた個室の厠には、壁掛けと床置きの角灯が複数灯され、入室者が不便をしないようになっている。備えつきの鏡や手水鉢は立派なもので、部屋の隅では消臭のための香まで焚かれていた。換気と明かり取りのための窓は小さく、ここから逃走するのは難しいだろう。残念ながら身を隠せるような場所はなかった。
(ここが厠だという事実を除けば、俺の借り部屋より居心地がいいな。そのへんの安宿よりもよっぽど清潔だ。とはいえ、あまり長く留まると店の連中に不審がられちまうからな。ワルドのやつめ、年相応に膀胱の我慢が利かなくなっているといいが……)
ランドルの計画はこうである。
厠にあらかじめ籠もっていたランドルが、厠に来たワルドを入れ違いざまに始末する。
護衛を突破して標的を渡すことが不可能なら、標的が一人になるところで襲えばいい。
もし護衛の二人が近くに控えていれば、主を失った動揺を突いて強行突破しようという荒技だ。単純な手法であるが、それゆえに上手く運ぶ可能性はある。
だがやはり運を天に任せるところが大きいのも事実だ。
実際に標的が厠に入るかは不明だし、違う客が先に来てしまうかもしれない。
またランドルがあまりにも長く厠に留まっていれば、店の者に不審がられてしまう。
かといって、何度も同じ方法を試すには時間が足りない。
期日までに、この手法を三度試せればいいほうだとランドルは考えている。
――ランドル自身、内心ではこの計画が厳しいことを理解しているが、ほかに方法を思いつかないのだから仕方ない。自分はやると決めたのだ。決めた以上、賢しら顔で出来ない理由を口にするのはなんの意味もない。あとは事を為すだけだ。
ランドルは目を閉じ、静かな厠の中で心を落ち着けた。
どれほどの時間が経っただろう。
五分、いや十分であろうか。
突如、厠の外に変化があった。研ぎ澄ませた聴覚が、扉越しに足音を捉えたのだ。
足音はたしかにこちらへと近づいてきている。
(――来た!)
厠の前で足音が止まった。
この扉の向こうにいるのが、誰かはわからない。
扉を開けたとき、そこにいるのがワルドであれば戦いが始まる。
護衛は近くに控えているだろうか。もしそうであれば死闘は避けられないだろう。
剣士として、そして渡し守として、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたランドルにとってさえ、それは死地に赴く思いであった。
しかし、数日前の早朝。
裏通りの地面に伏したギンロの亡骸を見たとき、ランドルはとうに覚悟を決めている。
躊躇うことなく、扉を開けた。
(――こ、こいつは!)
扉の向こうにいた人物は、ランドルの想定していない人物だった。
目の前に現れたのはワルドではなかった。けれど知らない客でもない。
そこにいたのは護衛の一人、金髪の若い騎士であった。
ランドルとしては、護衛者が護衛対象から離れ、厠へ来るとは考えていなかった。
あるいはワルドが厠へ入室する際に、事前に安全を確認しにきたのかもしれない。
いずれにしても、馴染みの店の厠の中を確認するほど、厳戒態勢を敷いているとは考えてはいなかった。とんだ見込み違いである。
だが想定外の事態に呆然となったのは一瞬のことだ。
「失礼」
会釈して若い騎士と入れ違うと、少し離れたところにワルドと中年の騎士が立っている。
――通りがかりに斬りかかれば、剣は届くであろうか。否、少し遠い。
ランドルの剣が届く前に、ワルドの傍らに控える中年の騎士に阻まれるのがおちだろう。
しかし、今なら護衛は一人だ。厠の中にいる若い騎士はわずかに遅れる。
最善の機会ではない。しかし、この機会を黙って見逃す手もないだろう。
(やるしかねえ)
通路を歩いて行くランドルが、ワルドの横を通りすがろうとする、その時であった。
戦いを目の前にして鋭敏となった感覚が、わずかに気配を感じ取ったのである。
(――いる! 俺の後ろに!)
ランドルが戦慄したのも無理はない。
厠へ入ったと思っていた若い騎士が、少しの距離を置いてランドルの背後を音もなく歩いている。ランドルが腰に佩いた剣へ手を伸ばせば、即座に二方向から騎士たちの剣が襲いかかるのは間違いない。待っているのは死だけだ。
(――くそ)
こうなっては標的の目の前をみすみす通り過ぎるほかない。
貫徹の意志を固めたばかりで中止の決断を下すことは、ランドルにとって屈辱以外のなにものでもなかった。
だが肝心の問題は、この計画では日を改めたところで、結果が変わりそうにないことだ。
根本から計画を練り直す必要があるだろう。
怒りに奮い立つランドルの行く先には、早くも暗雲が垂れ込めていた。




