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02 渡し守

 大通りへ出て酔漢を馬車に乗せると、ランドルはあてもなく王都を徘徊しはじめた。

 当初の予定では『蛇穴(じゃけつ)』を出て、そのまま借り部屋に戻る予定であったのだが、さきほどの騒ぎを収めたあとにはすっかりそんな気分でなくなってしまい、気晴らしに王都を散策しようと決めたのである。


 もっとも、定職に就かず毎日を遊び歩いているランドルには、いまさら王都に知らぬところなどほとんど残っていない。彼が周りに話していない仕事をするうえでも、土地勘がない者ではとてもやっていけないという事情もあるからだ。

 ランドルが王都に居着いて三年。木組みの建物が連なる美しい街並みは、いまやなんの感慨もなくなってしまった。


 目的もなく遊び歩き、王都の北地区、港を見渡せる小さな高台に流れ着いた。

 東屋の腰掛けで一息ついたときには、すっかり夕暮れ時になっている。

 半日近く時間を潰して、さすがのランドルも少し疲れてしまった。

 高台からは王都の北に面する白亜海峡を一望することができ、やわらかく吹きつける風が火照った(からだ)に心地よい。わずかに潮の香りがした。


 西の空ではちょうど日が沈んだところで、茜色の空がじわじわと薄墨色に染まっていく様子を、ランドルはしばらくぼんやりと眺めていた。

 そろそろ帰ろうかと腰を上げたとき、突然、背後に気配を感じた。


「こんな所にいましたか、お兄さん」


 鈴を転がすような美しい声音のなかに、どこか人をからかうような、そして男を(そそのか)す甘い響きをもつ娘の声だ。

 振り返れば、そこには見知った姿があった。


 臙脂(えんじ)色のクロークに薄く小さな躰を包み、目深に被ったフードから覗くのは、血が通っているのか疑うほどの雪白の肌と薄桃の唇。顔の上半分は隠れているが、それでもその風貌は儚く可憐な少女のように見える。

 だが彼女がそんな可愛げのある存在ではないことを、ランドルは嫌というほど知っていた。


「げ……」


 思わず声が漏れた。

 ランドルの反応に、娘は心外そうに口を尖らせる。


「げ、とはなんですか。げ、とは。傷つくじゃありませんか。わたし、ぜひともお兄さんに会ってお話しがしたいと、うちの番頭から伝えてもらったはずですよ」

「いや、生憎(あいにく)だが聞いてないんだ、用事があって慌てて店を飛び出したもんでな」


「そうですか、どうやらお互いの認識に相違があるようですね。ですが、いまこうしてお兄さんとお話しできているわけですし、良しとしましょう。それでですね……」

「待て、俺は当分立て込んでいるんだ、仕事を受ける前提で勝手に話を進めるな」

「毎日放蕩三昧の人がなにを言ってるんですか」


 呆れたように言葉を返す娘は、娼館『蛇穴』の若き女主人であり、ランドルの仕事の仲介人でもある。


 名をシスという。


「はっきり言っておくが、仕事の話なら、いまは受けるつもりはないからな」


 決然たる態度でランドルは告げた。

 相手の要求を断るときは一言目が肝心である。迷いや気後れ、そういった弱みを早々に見せようものなら、相手は目敏く食らいつき、否が応でも自身の要求を通してしまう。

 ところが、シスはそうしたランドルの態度を意に介さず、まるで母親が聞き分けのない息子に無計画を指摘するかの如く、呆れと哀れみの視線を向けた。


「断ってこれからどうするつもりなんですか。お金、来週くらいには底をついてしまうんじゃありませんか? うちのお店で遊ぶだけの余裕はもうないと思うんですけど」

「ちょっと待て。なんでお前が俺の懐事情を知ってるんだ……おいまさか、俺が寝てる隙に勝手に財布を……」

「人聞きの悪いことを言わないでください。そんなことしなくてもわかるに決まっているじゃありませんか。いったい誰がお兄さんに仕事を任せて、誰が報酬を支払い、そして報酬の使い道の大部分たる店の主人が誰なのか、ちょっと考えてみてください」


 ランドルの生きがいは大酒を飲み、博打を打ち、娼婦を買うの三拍子。

 稼ぎの大部分は、シスの言うとおり『蛇穴』で娼婦を抱くのに費やしている。

 もとより宵越しの金は持たぬ主義だ。博打で儲けた金などは、気を良くして、酒場で居合わせた客にまで奢ってすぐに使い果たしてしまう。

 ランドルのそうした金遣いを、シスは当然把握しており、財布の内を見透かすことなど朝飯前なのである。思わず身震いがした。


「わかってくれたようですね。お兄さんにお金を与えるのも、お兄さんからお金を受け取るのもこのわたしです。お兄さんの財布の紐と下半身は、わたしに握られているのも同然なんですから。そのことをよく覚えておいてくださいね」

「ぐ、こいつ」


 得意になっているシスの口元を睨みつつも、彼女の言葉はすべて事実であるので反論することもできない。


「よろしい。それでは、お仕事の話をしましょうか」

「…………」


「お兄さん、わたし返事がいただけないと寂しいです。挨拶と返事は人づきあいの基本なんですよ。やり直しますね――それでは、お仕事の話をしましょうか」

「――ああ、わかったよ。どうぞ聞かせてくれ。だが受けるかどうかは別だからな」


 ぶっきらぼうにランドルが返す。

 ついさきほどまで茜色を残していた空は、いまや完全に濃紺に染まりきっていた。

 辺りを見回して誰もいないことを確かめてから、シスは話を切り出した。


「なんの(とが)もない一人の女中が、凶悪な手口で殺されました。やったのは流れ者の傭兵三人組です。王都に居着いたときから評判の悪い連中だったようですが、このところ、度が過ぎるようです。お兄さんには、この連中の『舟渡(ふなわた)し』をお願いしたいのです」


 シスの言う舟渡しとは、王都の闇社会における殺しの隠語である。

 すなわち、それを頼まれるランドルの仕事とは、殺し屋ということにほかならない。

 こうした殺し屋は、その存在を知る者たちからは『(わた)(もり)』と呼ばれる。

 生者の世界と死者の世界を分かつ川を、その腕によって標的を向こう岸――つまり死者の世界へと送ることから、いつからか呼ばれるようになった。


 そしてシスのように渡し守たちを束ね、殺しの依頼を仲介する者がおり、これを舟と岸をつなぐ(もや)い綱の意味から『()り手』と呼ばれた。なんの因果か、娼館を監督する女のことも遣り手と呼び、シスは二つの意味で遣り手と呼ばれる存在であった。


「いや待て。三人だと?」

「はい。いくらお兄さんでも、三人同時は難しいですか」

「舐めるな。傭兵風情(ふぜい)、相手が五人に増えたところで問題ねえ。俺が言いたいのは、お前、良心的な遣り手だよなってことだ。お前は気に食わんやつだが、少なくとも俺はそう信じてやってる。だが前回の舟渡しから、まだ二月程度しか立っていない。間隔がせますぎる。ごろつきの腕を一、二本へし折ってやるのと、人を三人も『(わた)す』のとでは訳が違うんだぞ。お前、俺を『血狂(ちぐる)い』にするつもりか。ほかのやつに頼め」


 ランドルの抗議はもっともで、シスのような遣り手は渡し守を何人も抱えており、同じ渡し守への舟渡しの依頼は、通常なら充分に間隔をおいて行う。

 人をその手で殺めるという行為が及ぼす、心身への負担は生半可なものではないからだ。


「その点についてはわたしも悪いと思うのですが、いまの世の中、こうした依頼が絶えないんですよ、悲しいことに。そういったわけで、なかなか手が足りていない状況なんですが、標的が三人と聞いても二の足を踏まないほどの腕利きとなれば、わたしは真っ先に、お兄さんの顔を思い浮かべてしまうんです。どうか引き受けてもらえませんか」

「断る。人手が足りないのはお前の都合だ、俺は知らん」


「そんな……来週以降の生活はどうするつもりなんですか。うちのお店の大切な常連でもあるお兄さんが顔を見せなくなったら、店の()たちもきっと悲しみますよ」

「金ならなんとかする。とにかくいまはやる気が起きないんだ。やらんと言ったら俺はやらん。男に二言はない」


 ランドルはシスを厳しく見据えて言い切った。厳然たるその表情には、普段の傲慢で軽薄な気配は微塵もなく、その瞳には固い決意が宿っている。


「そうですか……それなら仕方がありませんね」


 シスは一度ため息をついて、しかし恬然(てんぜん)とした表情で答えた。

 まるでランドルの返事を予想していたかのようだ。だがこの娘が直接足を運んだ依頼を断られて、黙って引き下がるとは到底思えない。それが不気味であった。


「――なんだ、俺を脅すつもりか」

「失礼ですね、そんなことしませんよ。お兄さん、耳を貸してください」


 シスがランドルの隣に立つ。身長差があるため、ランドルは仕方なく身を屈めてやった。


「お兄さんがもしやる気になってくれるなら、報酬のお金とは別に、うちの店で『ご満悦特別奉仕』でおもてなしさせていただきます」

「――え?」


 ランドルの表情が真剣そのものになった。


「ほら、思い出してください。以前に二度、うちの店の娘たちが格別丁重にご奉仕に励んだ、あれですよ、あれ。お兄さんときたら、もう一回だけって何度もせがんで、うちの娘たちをずいぶん困らせたって聞いていますよ。あれを追加報酬としてご用意させてもらいます。それも前より、すごいやつをです」

「す、すごいやつってのはどういう?」

「それは依頼を終えたときのお楽しみですよ。でもあれを知ってしまったらお兄さん、いまよりもっと、うちの店から離れられなくなってしまうかもしれません……それで、どうしますか? ほかにお願いできる人がいないわけではないんですけど、わたしとしてはお兄さんほどの頼れる人が引き受けてくれると、嬉しいなって思うんです」


 ランドルは沈思した。返事に詰まってのことではない。シスが口にした「前よりすごいやつ」という心躍る言葉が示す行為とは、いったいなんであるのか。

 そしてそれを自分がどう味わいつくすことになるのか。


 たぎる妄想に身を委ねてのことである。


「――そこまで言われて女の頼みを断るのは男が廃るってもんだ。いいぜ、引き受けた」


 ランドルの瞳に炎が宿っていた。自信に満ち溢れ、気っ風よく言ってのける姿は、事情を知らぬ者が見れば、爽やかにすら感じるであろう。


「嬉しいです。やる気、出してくれたようですね」

「やる気なんてのは行動力のない腑抜けの使う言葉だ。男はやるか、やらないか、そのどちらかしかない。そして俺は当然、やる男だ。任せとけ」


 さきほど口にしたばかりの自分の言葉など、記憶にないかのように言ってのけるランドルに、シスの口元が緩んだ。


「さすが、お兄さんですね」

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