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19 前科者②

前回の終わり方

ランドルは監視依頼からの帰り道、衛兵の密偵であるギンロと再会する。

酒の席でさまざまな話をして、ランドルはギンロという男に深く興味をもった。

ランドル「聞かせてくれよ。お前さんのこと。もちろん、嫌じゃなければな」

 ランドルが自分から他人の過去に触れるなど滅多にないことだ。

 過去を探られたくないのは自分だって同じことだし、他人の事情をあれこれ聞きたがる性質(たち)でもない。なぜギンロの過去を尋ねたのか。それはランドル自身、わからなかった。


「いえ、お聞き苦しい話になるんですが、どうしてだか、旦那には聞いてもらいたくなっちまう。あっしも、もう若くはないからですかね。――ご承知のとおり、あっしは若い頃、盗みの(とが)で遠島を喰らった身でして」


 ギンロは酒を口にすると、意を決して己の前科を打ち明け始めた。

 平然として見えるが、その実、口にするのは躊躇があるのだろう。当然のことである。


「昔、田舎から王都に出て来たばかりのあっしは、働けども働けども金が足りず、そのうちに、自分の手が届くものはなんだって自分のものだと思い込む、本当にどうしようもないやつだったんです」


 目を伏せて、ギンロは顔を歪ませた。

 ギンロのような者は、決して珍しい事例ではない。


 出稼ぎのため王都を訪れた若者が、活力漲る若き日々を労働に費やして、見返りとして得られるのはわずかな日銭のみ。

 彼らがいなければ、王都市民の円滑な暮らしは成り立たないが、彼らの働きの価値を認める者はおらず、感謝の念もない。

 そこにひずみが生じるのは、必然とすらいえる。


「やがてお縄になって島に送られ、王都に戻ってきたときには、すっかり心を入れ替えてやり直そうと思いました。ですが、なかなか上手くいきません。前科者なんてどこも雇いたがりませんし、島での長く厳しい暮らしが顔や態度にも表れていたんでしょう。堅気の人々からは怖れられるばっかりでして……」


 ランドルは黙ってギンロの話を聞いている。

 目の前の男が、慰めの言葉を求めているのではないことなど、わかりきっていたからだ。

 なにを言っても適切ではない気がして、下手な言葉を口にするのは(はばか)られた。


「このままだと、また盗みに手を出しちまうかもしれない。そんな不安がよぎったとき、密偵にならないかと声をかけてくれたのが、あっしの前の上役(うわやく)です。悪の世界で培ったものを人の役に立ててみないか、とね」


 重苦しげに己の罪を語っていたギンロの表情が綻んだ。


「はじめは気乗りしなかったんですが、いざ手伝ってみると、なかなかやりがいがある。あっしのやり方は、衛兵局のお偉方が求めるような慎重でお行儀のいいものじゃありません。けれど恩人はそれを咎めず、信じて任せてくれました。自分で言うのもなんですが、あっしの働きで、性質の悪い悪党どもを捕まえる手伝いができたと思ってます」


 その出会いがギンロの人生を変えたのだろう。

 先行きの見えない厳しい冬が去り、やりがいを得て、彼の人生が色づき始めた。

 だがそんな日々はいつまでも続かない。


「ですが、二年前の征伐遠征中止による大暴動。その収拾にあたっていた恩人は、暴徒と化した傭兵たちに襲われて亡くなっちまいました。代わりにあっしの上役になった人は、悪い人じゃあないんですが、どうも反りが合わなくて」


 困っている者を見つけたら、すぐさま助けの手を差し伸べるギンロのような者は、密偵として扱いづらいのが新たな上役の本音だろう。そしてそれは無理もないことだ。


「やめたいとは思わないのかい? 恩人への義理は充分に果たしただろ。もし王都に残るのが嫌なら、故郷でも新天地でも、好きなところへ行ってやり直せばいい。いまのお前さんになら絶対にできる」


 ランドルの提案に、ギンロは微笑して首を振った。


「そいつが不思議なことに、やめようとは思わないんですよ。及ばずながら、悪党を捕らえる手伝いをしてるとね、薄汚い盗人だったあっしでも少しはましなやつになれた、そう思えるときがあるんです。前科者がなにを言ってるんだ、と思われるかもしれませんが……」

「――お前さんは立派にやってるよ。俺よりも、いや、自分は立派だと思い込んでいるやつらよりよっぽどな」


「へへ、ありがとうございます。旦那はやっぱり、あっしが思ったとおりの人です。あっしが『旦那』と呼ばせてもらってるのは、この人は、と思ったからにほかなりません」

「よせ、はじめから勘定は俺が払うって言ってるだろ。褒めてもなにも出ないぞ」


 二人は大笑いして酒を飲み干し、それきり過去については触れなかった。

 追加の酒と料理を頼み、様々なことを話した。

 馴染みの酒場のこと、博打の儲け話に、女の好み。そうした日常の些細なことだ。


 やがてギンロが、ふと思い出したように話題を変えた。


「そういえば、旦那には以前、夜回り仮面のことをお話ししたことがありましたね」


 興味深い話題がぽっと切り出された。しかし、その正体をすでに掴んでいるランドルは平然とした態度で返す。


「――ああ、例の悪党ばかりを狙うやつか。そいつがどうかしたのか」

「あっしも個人的に追いかけているんですが、近いうちに進展があるかもしれません」


「なに、正体がわかったのか?」

「いえ、そこまでは。ですが次に現れるのはどこか、あっしにはなんとなく予想がつくんですよ。やつは王都各地に出没してますが、襲われた被害者は衛兵からとくに睨まれてたやつばかりなんです。こいつはいくらなんでもおかしい」


「――夜回り仮面はなにかしらの方法で衛兵の情報を得ている、って言いたいのか?」

「ええ。こいつはきっと偶然じゃありません。だったらこちらも、それを見越して網を張ってやればいい。それが仮に身内の恥を(あば)くようなことになっても……」


 ギンロの細められた目の奥に、きらりと鋭い光が宿った。

 夜回り仮面は、衛兵局長のワルドから悪党の情報を受け取っている疑惑がある。

 だからギンロの推測はおそらく間違っていないだろう。

 そのことから、彼が優秀な密偵であることが読み取れた。


 だがギンロが夜回り仮面にたどり着いたとき、彼に捕らえることができるだろうか。

 否、とても不可能であろう。


「ま、あまり無理はするなよ」


 そう言ってギンロに酌をしてやると、階下から一際大きな歓声があがった。

 吹き抜けから階下を見下ろすと、この店一番の踊り子が舞台に上がったところだった。

 ランドルも彼女の淫靡な踊りにすっかり魅了された男の一人だ。


「あ、あの娘はすごいぞ! こんな遠くから見てたら駄目だ、絶対に近くで見たほうがいい。あの娘の踊りは乳の嵐だ。とにかくすごいんだって。ほら、何してる、急げ!」

「あ、旦那! ちょっと待ってくださいよ」


 ギンロを連れて、ランドルは階下へ急いだ。

 狂乱にも近い歓声を上げる観客の一部となった二人は、それきり夜回り仮面のことなど頭から抜け落ちてしまい、蠱惑的な踊りと、それに合わせて次々と運ばれてくる酒にすっかりと夢中になってしまったのだった。


◇◇◇


 結局、夜明け前まで飲み明かした二人は、千鳥足になりながら小路を歩いていた。

 あたりは暁闇(ぎょうあん)に包まれ、市民が起き出してくるのはもう少し先のことになるだろう。


「旦那、ごちそうになりました」


 ふらつきながら隣を歩くギンロが言った。


「いいってことよ。俺のほうこそ、酒の相手がいてくれて助かったぜ」

「へへ、そういうことなら、またご一緒させてください。あ、そうだ!」


 妙案が浮かんだとばかりに、ギンロが声を上げた。


「探索で星を挙げることができたら、あっしのような者でも褒賞として金一封が貰えるんです。事がうまく運んだら、また一緒に飲みに行きましょう。今度はあっしに奢らせてください」

「そいつはいいな。酒を飲みながらお前さんの成功が祝えて、おまけにただとくれば、断る理由がない。楽しみにしてるよ」


 二人は笑い合うと、その後の帰路はどちらも自然と言葉がなくなってしまった。

 やがて暗闇の小路を突き当たると、道が二手に分かれている。

 二人はそれぞれ、行く先を目線で示した。


「それじゃあ、ランドルの旦那。あっしはこの辺で……」

「ああ。ただ(ざけ)じゃなくてもいい。また近いうちにな」


 二人は別れ、各々の家路についた。

 再会の日取りは決めていないが、同じ王都に暮らしているのだ。遠からず会えるであろう。


 どこかで猫が鳴いた。

 王都はいまだ、闇に包まれている。

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