17 深夜の訪問客②
前回の終わり方
ランドルの借り部屋に魔術師の娘ノナが訪れる。
夜回り仮面のことで協力するためだ。
ひと悶着ありつつも、二人はひとまず和解するのだった。
ランドルは部屋の片隅で小物置きと化している椅子を、ノナに勧めた。
彼の部屋には食卓や作業机などという文明的な家具は存在しない。食事はもとより外で済ます男であるし、書き物などもってのほかだ。椅子は備えつけのものである。
蝋燭に火を灯し、窓を閉める。用心のためだ。
密室がつくられるとランドルは寝台に腰掛け、二人は向かい合う形となった。
「それでだ。俺に会いにきた理由っていうのは……」
「その前に」
ランドルの問いかけを、ノナが片手をあげて制した。
「なんだ?」
「用心が不足しているよ」
そう言うとノナの指先が光を宿し、宙になにか記しはじめた。
火紋魔術の行使である。
記し終えると文字が強く輝きを放ち、部屋中の空気が一瞬で変わったような気がした。
「なにしたんだ?」
「〈密会〉の魔術だよ。どれだけ壁が薄かろうと、密室内の音を外に漏れないようにできる」
「すごいじゃねえか、女と寝るときに便利そうだ」
「くだらないことを言う男だね、きみは……と言いたいところだが、この術が生まれた経緯は実際そういう理由かららしい。魔術師のなかにもきみの同類がいるわけだ。そう考えると、少し複雑な気分だよ」
「なにを澄ました顔して偉そうに言ってやがる。そんな術を覚えてるってことは、お前だってどうせ……」
ノナが小さく口を動かすと、ランドルの声が途絶え、著しく品性に欠ける言葉は誰の耳にも届くことはなかった。
「……………………ッ!」
異変を察知し、抗議の声をあげるが、これもまたかき消えてしまう。
寝台から立ち上がることで、ようやく状況を理解する。
足音も衣擦れの音も消えてしまっているのだ。
身振り手振りで抗議を続けるが変化は起こらず、やがて面倒になってきたため、ランドルは観念した。その様子を見届けたノナは小さく手を動かして、この状況を破る。
「失礼。聞くに堪えない言葉をきみが口にするとわかり、先手を打たせてもらった。このように〈密会〉の魔術は密室内の音を消すこともできる。ぼくがこの術を使えるのは、色々と便利な使い道があるからだ。理解してくれたかい」
「ああ、俺が悪かったよ、すみませんでした!」
渋々ながら謝るランドルを見て、ノナの気は済んだらしい。
座り直して、小さく咳払いをした。
「とにかくだ、早く用件を済ませるとしよう。まずは経緯の説明からだね。ぼくは魔術師協会の一員としてここへ来た。シスからの連絡で、王都市内の辻斬りや押し込みに、協会の魔術が悪用されていると聞いてね。事件そのものはどうでもいいが、協会が騒ぎに巻き込まれる可能性があるなら話は違ってくる。そこで上層部は内密に動きはじめた。ぼくはその遣いというわけだ」
「事が公になると魔術師連中も迷惑するから、さっさと下手人を片付けたいわけだな」
「そういうことだ。一応断っておくが、きみたちのような闇社会の住人について、こちらもある程度は把握しているから気遣いは無用だ。遠慮なく話してほしい」
シスが自分から連絡を取ったからには、この言葉に嘘はないはずだ。
そして魔術師協会というのは、陽の当たる世界のものではないらしい。
「早速だが、件の魔術師と交戦したときの状況について、改めてきみの口から直接聞かせてほしい。きみがシスへ語ったこと、語り忘れていたこと、思いつく限りのことすべて、ぼくに話すんだ。どんなに些細なことも漏らさずにね。あらましはシスから聞いているが、人伝ではなく直接というのが重要なんだ。きみにとっては思い出したくないことだろうが、ぼくは自分の役割に必要なことなら、手を抜きたくない性分なんだ。よろしく頼むよ」
そう言うとノナは両手の指先を合わせ、目を閉じてしまった。それが傾聴の姿勢らしい。
夜回り仮面との一件は、ランドルにとって耐えがたい屈辱である。
口にするのはおろか、思い出すだけでも腸が煮えくりかえるほどだ。
しかし、ノナが語った自身の役割に対する真摯な姿勢は、ランドルにとって納得できるものだったので、彼は逆らず順を追って話すことにした。
夜回り仮面との遭遇、火紋の筆記、流星の如し光の矢、青く輝く魔剣、そしてランドルの短剣の刺突を阻み、吹き飛ばした不可視の守り。どれをとっても忌ま忌ましかった。
話を聞き終えたノナは、しばらくの間、目を閉じたまま思索にふけっていたが、やがてゆっくりと目蓋を持ち上げ、琥珀色の瞳を覗かせる。
「なるほど、やはりシスから聞いたとおりだね、夜回り仮面が使ったのはすべて火紋魔術だ。できれば間違いであってほしかったんだが」
「夜回り仮面が魔術師協会の身内ってことでいいのか」
「残念ながら、そういうことになる。きみが目にした火紋魔術というのは協会で生み出された魔術で、これを扱えるものはすべて協会に所属している」
「協会を抜けたやつや、問題を起こして追い出されたやつはいないのか」
「協会を脱会することは、すなわち死を意味する。追放処分もあるが、処刑の言い換えだよ」
どうやらランドルの予想以上に、魔術師協会という組織は容赦がないらしい。
「まあそういうわけさ。火紋魔術を使う以上、きみが見た魔術師は協会の所属で間違いない。ここからが本題だ。魔術師協会といっても、すべての魔術が所属者全員に共有されているわけではない。特定の派閥や個人にしか知られていない魔術、要するに秘術があるわけだ」
ノナはランドルの反応を確かめながら、滔々と言葉を続ける。
「夜回り仮面が使った三つの魔術のうち、二つは協会の所属者であれば、誰であっても修めることができる。光の矢を放つ〈ほうき星〉と魔力を武器に付与する〈瑠璃の輝き〉だ。だがきみを打ち負かした魔術〈山彦の盾〉はそうはいかない。あの術はね、とある魔術師が失伝であったものを解き明かし、蘇らせたものだ。それが半年前のこと。だが研究に際して、予想よりはるかに費用が嵩んだため、やむなく希望者へ金銭と引き換えに伝授することになったんだ。ところが、術の高い価値に反して、協会内では不評でね。伝授された者はわずか数名に限られているんだ」
ようやく話の流れが掴めてきたランドルは、期待のあまり身を乗り出した。
「よし、まずはその魔術を蘇らせたやつを呼び出そう。協力を拒んだら、俺が乗り込んでいって締め上げてやる。ノナ、お前が連絡をつけてくれ」
「その必要はない。――というより、すでにきみに協力をしている」
「ん?」
言葉の意味が飲み込めず、ランドルはつい間の抜けた返事をしてしまった。
「〈山彦の盾〉を蘇らせたのは、ぼくだと言っている。ぼくが遣いに選ばれたのはそういうわけさ。だからぼくには夜回り仮面の正体も、おおよそ見当がついているんだ。現在は協会の調査部が密偵を放ち、情報の裏を取っている最中だ」
これにはランドルも呆気にとられた。
思考が追いつき、耳にした言葉が頭の中で意味をなすと、沸々と怒りが湧いてきた。
「肝心な情報ははじめに言ってくれ。これまでのやりとりはいらなかったじゃねえか」
「こういった話は誤解を招くのを避けるため、順を追って進めることが大切なんだ。それに結果だけ口にするのは、ぼくの性分に反する」
「ま、それはいい。それで夜回り仮面の正体ってのはどこのどいつだ。話してもらうぜ」
ランドルの口調から軽薄さが消えた。
ノナもそれを感じ取ったのか、部屋の空気が張り詰めていく。
「名前はアルベール・ケネル。貴族の次男さ。家督を継ぐ立場にないから魔術の道へ入ったようだが、剣のほうも熱心で相当の実力だと聞く」
「そいつがなんで悪党を襲ってるんだ? 貴族のお坊ちゃんが渡し守をやっているのか」
「ケネルは渡し守ではないだろう。どこの遣り手とも繋がっている様子はないそうだ。それどころか、彼が付き合っているのは遣り手の敵である日光会のほうさ。どうやら相当熱を上げて政策を支持しているらしい。もっとも、彼は王宮議会に参加する立場にはないから、ただの支援者に過ぎないけどね」
「日光会と付き合いがあるなら、たしかに渡し守ではないだろうな。だったらなおさら、ケネルが悪党を襲う理由がわからないぞ」
それを聞いて、ノナが意外そうな顔をした。
「本当にわからないのかい? 犯行現場に『天誅』と書かれた仮面をわざわざ残していくような男の行動理由が」
「ああ、さっぱりわからん」
ランドルは即答する。本当にわからないのだ。
ノナはその様子を興味深そうに眺めながら言葉を続ける。
「アルベール・ケネルは若く理想に燃える男だ。世の中のあるべき形が頭の中にあり、剣と魔術の優れた力をもっている。そんな人間が日光会に出入りし、王都の治安を取り戻すという活動に触れればどうなる。彼の理想の炎は燃え上がっただろう。だが彼自身は議会に参加することはできない。さて、そんな男が大人しく日光会の支援活動だけで満足できると思うかい?」
そう言って、ノナは憫笑を浮かべる。
その表情を見れば、彼女がケネルに良い感情を持っていないことは明らかだった。
「――それで夜回り仮面をはじめたっていうのか? 金や恨み、腕試しのためじゃなく、世直しのつもりで悪党を斬って回ってると?」
「おそらくね。ぼくは彼じゃないから、本当のところはわからない。どうしても事実が知りたいなら本人に直接訊ねるしかない」
ノナはこの話題はこれまでと、会話を打ち切った。
動機はさておき、わからないことはほかにもある。
「なら次の質問だ。俺はやつに襲われた。やつはどうして俺に目をつけたと思う? 俺が渡し守だと知っているのか」
「それについてだけどね。きみが渡し守であることはおろか、そもそもきみのことなんて彼は知らないだろう。戦いから一月経っても、再度襲撃がないことがその証拠だよ」
「だが事実として俺は襲われたぞ。わけがわからん」
ノナは頷いて、ランドルに憐れみの視線を送る。
「あの夜、ケネルの狙いはきみじゃなかった。彼の狙いはきみと同じく、傭兵三人のほうだったんだよ。その三人は女中殺しの以前から評判が悪かったそうじゃないか。そして向かった先できみと出くわした。きみが襲われた理由は、渡し守だからではなく、傭兵たちの仲間だと誤解されたからだろう」
ランドルが夜回り仮面に襲われたのは、深夜、傭兵たちのねぐらを出た直後だ。
状況的に考えて、傭兵たちの仲間だと思われても無理はない。無理はないのだが……
「冗談だろ。おれはあの野郎の早とちりで死にかけたのか……」
怒りを通り越して、乾いた笑いが出そうになった。
ノナは笑いを堪えられなかったようで、口を手で押さえている。
ランドルは威圧の視線を送ってノナを黙らせると、根本的な問題に気がついた。
「ちょっと待ってくれ。そもそもやつはどうやって王都各地にいる悪党の情報を手に入れているんだ? 渡し守じゃないなら、遣り手の情報網は使えない。まさか各地の酒場に出入りして地道に調べ上げてるのか」
もしそうなら、敵ながら称賛するほかない。ランドルは密偵たちの苦労を思い知ったばかりなのだ。だがノナの答えは予想外のものだった。
「そんなことをする必要なんてない。人に頼めば済む話だ。日光会にいるだろう、座っていても王都中の悪党の情報を、手中に収めることのできる存在が」
「――衛兵局長のアレクシス・ワルドって言いたいのか」
「そのとおり。なんでもワルドはケネルやその父と、ずいぶん親しい間柄らしい」
頭痛の種になっている二人の敵が裏で繋がっている可能性を聞かされ、ランドルは驚くよりも先に不審に思った。なにか作為を感じたのだ。
シスやノナに利用されているのではないかと、わずかに疑念を抱く。
だがその考えを見透かしたように、ノナが指摘する。
「色々と疑いたくなるのは当然だが、魔術師協会にはきみを騙す理由はないよ。ぼくがこうして話しているのは、シスが協会と取引して、きみに意趣返しの機会を与えたからだ。きみが意趣返しを望まないというなら、アルベール・ケネルはこちらで片をつける。むしろ外部の人間を気にしなくていい分、こちらにとっては都合がいいくらいだ」
ノナの言い分はもっともである。
考えても埒が明かないため、ひとまず疑念を振り払う。
「いや、夜回り仮面は絶対に俺がやる。手を出さないでもらうぜ」
強くノナを見据えて、ランドルは自分の意思を表明した。
「承知した。今日の用件はこんなところかな。ケネルの件、続報があるまで待機してくれ。裏が取れるまで勝手に動かないように。あ、それと……」
退室しようと席を立ったノナだが、ふと、なにかを思い出したかのように静止した。
「――あの、一つ聞いてもいいかな?」
「ああ、俺に答えられることかはわからんが」
ノナは一度顔をそむけ、答えを聞くのを躊躇うかのように、訥々と切り出した。
「――その、非常に聞きづらいことなんだが、正直に答えてくれると助かる。ぼくって――そんなに臭うのか? これでも人並みに清潔にしているつもりだったが、なにぶん自分の体臭のことだからわからないんだ。ひょっとして、ぼくはいままで周りの人間に気を遣わせていたのか? 頼む、どうか本当のことを教えてほしい!」
体臭の件は思いつきのはったりだとランドルは何度も説明したが、疑心暗鬼に陥ったノナはなかなか納得しない。
やがて面倒に堪えかねたランドルは、不安を拭いきれない哀れな娘を無視して、部屋からつまみ出すのであった。