15 監視開始
正午の鐘が王都に鳴り響いた。
シスからワルド衛兵局長の監視依頼を引き受けた翌日、ランドルはポストフとともに、王都中部にある料理店でテーブルについていた。
大通りに面した二階の個室で、窓から外を眺めながら二人は酒を飲んでいる。
ここは監視には絶好の場所だ。
春のさわやかな日差しに照らされた人々を眺めながら、二人は料理を平らげていく。こうしていると、平穏な午後を過ごす一介の市民のようだ。
「せっかくの良い天気だ。酒と飯をたらふく腹に入れて、このまま解散してえな」
酒を一口飲んだランドルが、そうこぼしてしまうのも無理はない。
今日のランドルはいつもの傭兵然とした格好ではなく、シスから借り受けた仕立てのいい商人風の服を着ている。
もとより容姿は悪くなく、鍛え上げた躰は姿勢もいい。
きちんと身綺麗にして着飾れば、格式ある店へも自然に出入りすることができる。
「気持ちはわかるが、俺もおたくも仕事中だからな。酒はほどほどにしておくことだ」
言いながらも、ポストフは運ばれた料理を次々と胃袋に収めている。
「そりゃお前が、酒より飯、だからだろ」
「そのとおり。だが幸いなことに、俺の好みは監視という仕事と相性がそう悪くない。嫌ならおたくも趣味を変えることだな」
「必要に応じて人の欲が変えられるもんなら、もう少し世の中は生きやすくなってるだろ」
「何事も、まずはやってみることからだよ」
酒を控えるように言っておきながら、ポストフは杯の酒を飲み干した。
彼が酒に酔っているところを、ランドルはこれまで見たことがない。
「ところでだ、件の衛兵局長についてなんだが、いったいどんな悪さをしてるんだ?」
「なんだ、シスから聞いていないのか?」
「話の流れで深掘りしなかったんだよ。疑ってるわけじゃないが、王都の治安を良くしようとしているやつが悪党っていうのが、どうも飲み込めない」
「まあ当然の考えだな。だが悲しいことに、聞こえがいいことを口にする人間が清廉潔白とは限らないのが世の常だ。遣り手が議会貴族と金で繋がっているように、あのワルドや日光会にも色々と事情があるのさ」
「というと?」
ポストフは食事の手を止めると、ゆっくりと説明をはじめた。
「二年前の大暴動が終結した後、前任者が急死したことでワルドは衛兵局長の地位についた。やつのやり方は、探索、尋問、刑罰、すべてが苛烈と評判だ。そのなかでも刑罰だ。衛兵に捕らえられた者が貴族以外、つまり一介の市民やよそ者であれば、その処罰は衛兵局長の裁量によって決まることはおたくも知ってるだろう。前任者からワルドに変わり、大きく増えた罰がある。それがなにか予想つくか?」
回答を求められたが、ランドルにはまったく見当がつかない。
「さあな、島流しか死刑あたりか?」
ポストフは目を閉じ、ゆっくりと首を振る。まるで罪人を憐れむように。
「鉱山送りさ。暗い坑道の中、ひたすら涌き出す水を汲んで過ごすことになる」
鉱山労働は非常に激務であり、管理者が大金で人を呼び集めても、すぐに去っていくような過酷さである。罪人向けの水替作業は、その中でもっとも過酷といわれる。
「――一度送られれば三年と身が持たない地獄って言われてるな。事実上の死刑じゃねえか。いや、下手すりゃ死んだほうがましかもしれねえ」
「そうだ。これが極悪人への刑罰としてなら理解できるが、実際はそうじゃない。無宿者程度でも罪人更生の名目で送り込む。送り先は王都から東にあるヴァール鉱山だ。そこを管理するドルジェル家と衛兵局長のワルド家が、祖父の代から昵懇の間柄でな」
「言いたいことがわかったぞ。ドルジェル家は過酷な労働にあてる働き蟻を得て、ワルドのほうはドルジェル家からの贈り物が驚くほど豪華になるわけだな」
つまりワルドは衛兵局長の地位を利用して、秘密の副業に励んでいるのだ。
そして扱われているのは、罪人とはいえ、人の命である。
「理解が早くて助かるよ。そして今回の脱法営業に対する摘発強化も、王都の治安改善のためでなく、働き蟻確保や土地の接収あたりが目的というわけだ。ワルド以外の日光会幹部も似たようなもので、それぞれ自分の都合があるのさ。末端の会員たちはうまく煽られて、会の掲げる政策に同調してるだけだろうがね」
「なるほどな。たしかにワルドに関しては、憐れむ必要はなさそうだ」
ポストフは理解を得られたことに満足し、頷いた。
「そもそもの話、いま王都の治安が悪化しているのは、二年前の遠征中止の不始末が原因だ。そしてそんなことは、ワルドや日光会、王宮の連中も皆知っている。知ってて、その責任を遣り手に押しつけたんだ。なにせ、遣り手が悪党なのは間違いない。叩けばいくらでも埃が出てくる躰だ。だがそんなことをすれば、不要な恨みを買うのは避けられない。で、俺たちがこうして動くことになったというわけさ」
ひと仕事終えたとばかり、食事を再開しようとしたポストフの手が止まった。
「――噂をすれば影、か。お出ましだ」
ポストフの視線を追った先、通りの向こうから一台の箱馬車が向かってくるのを捉えた。
馬車の客車は飾り気こそ控えめながらも洗練された立派なつくりをしており、成金商人にはだせない気品を湛えている。牽引する葦毛馬の毛色は白一色に染まり、馬格も立派だ。
貴人が乗っていることは一目瞭然である。
御者台には二人の男が座っていた。
一人は無機質な外套を纏った御者。こちらは一介の使用人に過ぎないとランドルは睨んだ。
そして隣に座るもう一人。これは間違いなく騎士であった。
短く刈られた赤毛に、巌のような巨大な体躯。
開いているのか曖昧なほど細い目に、緩やかな孤を描く口元をした四十絡みの男だ。一見すると、穏やかな表情を浮かべて馬車に揺られているように思うが、その実、入れ違う人々や進路の物陰へ鋭い視線を巡らせているのをランドルは見逃さなかった。
威風堂々と進む馬車は、やがてランドルたちのいる店の向かいにある高級料理店の敷地へと入っていく。馬車が停車し、御者台にいた赤毛の騎士が客車の扉を開けた。
出てきたのは、恰幅のいい壮年の貴族だ。
顔つきは厳めしく、その態度は厳然を通り越し、傲然とさえしている。
髪は白髪交じりどころか白いほうが多くなっているとはいえ、その歩様はしっかりとしたもので、一度剣を抜けば生半なならず者たちに後れを取ることはないだろう。
「奴さんが王都の衛兵局長、アレクシス・ワルドだ」
テーブルから葡萄をつまみながらポストフが呟いた。
「思ったより老けてるな」
「悪巧みばかりしてると、余計な気苦労を抱える必要もあるんだろう」
ポストフが口にしたとき、客車の反対側からもう一人、男が現れる。
金の長髪の細身の男で、歳は二十代半ばだろう。その整った顔立ちには活力と自信が満ちており、社交界ではさぞ人気があるであろう美丈夫だ。
姿を現した際の一瞬、鋭い視線を周囲へ配っているのが見えた。
こちらも護衛の騎士であることは疑いようがない。
三人が店内へ入ったのを見届けると、二人は目線をテーブルへと戻した。
「――あれはきついな」
ランドルは遠目で見ただけの三人を苦々しげに評する。
その評価を測りかねたポストフが疑問を挟む。
「相手は標的一人、護衛が二人。前回は傭兵たちを三人同時に相手しただろう。やはり相手が騎士ともなると、おたくでも厳しいのか?」
「標的のワルドってやつだが、こいつはまず問題ない。剣の腕は素人じゃなさそうだが、ご立派な肩書きに恥ずかしくない程度、ってところだな。俺が一対一でやれば、百回戦っても絶対に負けない自信がある」
騎士を相手に大層な自信ではあるが、ランドルにはそれを口にするだけの実力があることをポストフは充分に知っているので、茶化すような真似はしない。
「――だがさすがのご身分だな、侍らせてる二人はかなりのもんだ。あの二人に守られている標的を仕留めるのは、さすがに厳しいものがある」
「勝ち気なおたくがそこまで言うんだから相当だな」
ウェスタリア大陸における騎士は、ごく一部の例外を除いて高度に武術を修めている。
たとえ平凡な騎士であっても、その実力は生半な傭兵や平民出の衛兵とは比較にならない。
それは現在の貴族のほとんどが、かつての大戦における功労者の子孫であるからであり、その高貴な血筋には非凡な武勇こそが求められるからだ。
「一対一ならもちろん俺が勝ってみせるが、二人になると無理だ。肝心のワルドも素人ってわけじゃない。やつが外に出るときは、いつもあの二人を連れているのか?」
「以前は一人で出かけることも珍しくなかったようだが、最近は常にあの二人と一緒だ。摘発強化の件を踏まえて用心しているらしい。命を狙われることをしている自覚はあるんだろう」
現にこうして狙われているわけだから、ワルドの判断は的確だといえる。
用意した護衛の戦力も申し分ない。
さすがに衛兵局長だけあって、闇社会への対処をよくわかっているのだ。
「この分だと、仮に護衛の顔ぶれが変わったとしても、腕前が大きく落ちることは期待しないほうがいいな。シスのやつ、厄介な仕事を押しつけやがって」
「おたくが舟渡しを実行するわけじゃないんだ、そう機嫌を悪くするもんじゃない。それにしても、遠目で見ただけで相手の実力を測れるっていうんだから、剣士ってのは末恐ろしいな。俺には魔術と大差なく思えるよ」
「そうでもない、測ると言っても立ち振る舞いから見抜けるのは、素人かそれなりか、熟練か程度で、それより先は占いみたいなもんだ」
「占いと言っても、よく当たるなら大したものだ」
この時、あくまでポストフは正直な感想を口にしただけなのだが、これが良かった。このランドルという男、自分が一目置く者から他意のない賞賛を送られると、すぐに気をよくする。実に単純な男なのだ。
「ま、俺くらいになると難しいことじゃない」
「それじゃ頼りにさせてもらおう。連中の監視はこれからしばらく続くんだ。並大抵の連中では無理でも、おたくならなにか糸口を掴めるかもしれん。シスもそのつもりで、おたくにこの仕事を任せたんだろう。お互い面倒な仕事になるが、力を貸してくれ」
「よし、そこまで言われちゃ仕方ねえ。引き受けた以上は必ず成果を上げてやるさ」
胸を叩いて大見得を切るランドルであったが、その心意気は長く続かなかった。
次第に退屈しはじめ、密偵たちが日々どれほど苦労しているかということを、実感することになるのだった。
本作における「騎士」という言葉ですが、江戸時代における「武士」くらいの意味合いで使用しています。
衛兵のほとんどは訓練された平民ですが、幹部は騎士が務めているという設定です。