14 王都の闇社会②
前回の終わり方
ランドルは夜回り仮面の情報を伝えにシスを訪ねる。
シスから夜回り仮面の件は進行中だと告げられ、
代わりに舟渡しではない特殊な依頼を受けてみないかと誘われる。
シスは依頼の内容を語る前に、背景となる王都の闇社会について説明した。
そのほとんどはランドルも既知のものであったが、確認を含めてのことだろう。
シスのように舟渡しを仲介する遣り手と呼ばれる存在は、王都に幾人も存在し、それぞれが縄張りと配下をもっている。遣り手にとって殺しの仲介とは裏稼業であり、表向きの看板をきちんと掲げている。シスの場合であれば、娼館の営業がそれだ。
表と裏、両面の稼業において順風満帆の遣り手たちが、その勢いのままに他の縄張りへ手を伸ばせば、王都に血の雨が降ることになるのは言うまでもなく、それはいかにもまずい。
いたずらに闘争を引き起こすことは、陰の世界に生きる遣り手たちにとっても望むものではないからだ。そこで各自の縄張りを調整する会合が開かれることになるわけである。
これを『繋留会』と呼ぶ。
名の由来は、遣り手たちが配下の渡し守を商売敵の元へ軽率に送りこまないようにするため、「渡し守の舟を繋ぎ止めておくこと」を意識させるためにつけられたという。
シスも王都東地区にある娼館通りの長として繋留会に参加している。
すべての遣り手が集うわけではないが、王都に隠然たる勢力をもつ遣り手であれば、参加しない道理はない。繋留会に顔を出さない遣り手は、協調する気なしとして、ほかの野心的な遣り手に攻められる大義名分を与えることになるからだ。
つまり王都の闇社会における趨勢は、実質的にこの繋留会によって決まっている。
◇◇◇
ここからが本題となる。
先日この繋留会で、とある議題がのぼった。
『日光会』と呼ばれる新興の王宮議会派閥が、遅々として進まない王都の治安回復をはかるため、より強硬な手段を採用してでも解決に臨むべきと、議会で提言したのだ。
日光会は手始めに、王都における犯罪の温床になっているとして、飲食業や宿泊業、貸席業などにおける脱法的な営業に対する摘発を強化するというのだ。
槍玉に上げられた業種というのは、遣り手たちの代表的な表稼業である。
そして脱法的な営業というのは、私営娼館の営業や売買春の斡旋などの性風俗営業を指す。
王都では娼館の営業は違法となっているが、例外として王宮から許しの出た公営娼館が存在している。ただしその代金は、大部分の市民にとって気軽に足を運べるとは言いがたい。
その受け皿になっているのが私営娼館だ。
私営娼館はそのほとんどが公営娼館より安い金額で遊ぶことができ、その趣向も店によってさまざまだ。とはいっても、違法であることに変わりはない。
そこで抜け道を使うのである。
例えば、とある男が浮世の荒波から逃れ、束の間の息抜きを求めて宿を訪れたとする。
客は女中から世話を受け、その真心のこもった応対と暖かな笑顔、弾む会話の末に、客と女中の間に行きずりの恋が生じたとしても、それを赤の他人が咎めることなどできはしない。
市民の自由な恋愛を禁ずる法は王都にはないからだ。
シスの営む『蛇穴』をはじめとする私営娼館は、このように表向きはごく普通の宿泊業などと偽って営業されているのである。
もっとも、こうした建前を官憲は言うまでもなく把握しており、さまざまな事情や多額の袖の下を使うことで、目こぼしされてきたのだ。
為政者たる王宮の貴族たちと、城下の遣り手たちの暗い繋がりである。
しかし、その状況が一変することとなった。
新興派閥である日光会が推し進める脱法営業の摘発強化は、遣り手たちの資金源となる表稼業を潰そうということだ。すなわち王都の闇社会に対する宣戦布告にほかならない。
遣り手たちと裏で繋がりのある貴族たちは摘発強化に反対の立場をとっているが、王都の治安回復は王宮議会にとっても急務、あまり強く反対することができないのが実情だ。
このままだと夏が終わるまでには、摘発強化は可決される見込みだという。
そのため繋留会は、日光会の急先鋒たる貴族に対し、渡し守をさし向けることにしたのである。重要かつ非常に困難な舟渡しとなることは確実だ。
そしてその大役を担う遣り手として、近年頭角を現しつつあるシスが選ばれた。
出る杭を打つため、彼女の失敗を予期して押しつけられたのである。
◇◇◇
ここまで黙って話を聞いていたランドルは渋面を隠そうともしない。
「――おい、話を聞いてる限りじゃ、お前たちの表稼業のために、俺に貴族を始末させようとしているとしか聞こえないぞ」
ランドルは断固拒否の構えをとって牽制する。
しかし、シスは苦笑してこれに応じた。
「いえ、違いますからご安心ください。というのも、わたしとしてはこの件、じつは乗り気ではないんです。政治的背景を理由とした舟渡しは色々と面倒に繋がりますから。ほら、以前に一度、お兄さんには大貴族を渡してもらったことがありましたよね」
「ああ、お前に唆されたやつな。あんな面倒、もう二度とごめんだ」
以前こなした大仕事を思い返し、ランドルは苦々しげな顔つきで答えた。
「あの件ではわたしもずいぶんと苦労することになりました。ですが渡世の義理というやつで、今回のような繋留会から任された役目については、簡単に断ることはできません。降りるにしても手順を踏む必要があるんです」
「これだけの努力はしたが駄目でした、埋め合わせするから勘弁してくださいってやつだな」
「埋め合わせについてはお金と縄張りの問題です。さらにいえば、わたしの繋留会での発言権の低下ですが、これについてはお気になさらず」
「お前に言われなくても気にしない。――確認なんだが、そもそも今回の標的っていうのは、本当に悪党なんだろうな? 王都の治安を回復したいなんて、むしろ良いことじゃねえか。相手が悪党でないなら、殺しじゃなくても俺は関わらないぞ」
「悪党でないならこうして頼んでませんよ。わたしもお兄さんを本気で敵に回したくはありませんから」
渡し守は悪党以外を斬らない。遣り手も斬らせてはいけない。
それが王都の闇社会でのしきたりである。
だが近頃では、そのしきたりを馬鹿げた因習として平然と無視する渡し守や遣り手が増えてきているのが実情だ。
そんな中、ランドルはそれを重視し、シスもそのことをよく弁えている。
人に従うことを嫌うランドルが、同業者たちから因習と蔑まれるような古いしきたりを大切にするとは、なんともおかしな話であった。
「――それで結局、俺になにをさせたいんだ?」
「ポストフくんと組んでいただいて、半月ほど、標的を監視してもらいます。仮にお兄さんが舟渡しを実行するならどうするか、それが知りたいのです。お兄さんが調べ上げた有益な情報を手土産にすることで、わたしはいくらかの代償と引き換えに、この役目から降りるつもりでいます」
つまりシスが抱える一番の渡し守が舟渡しを試みたが力及ばず断念し、その過程で得た情報を繋留会に引き継ぐことで誠意を示す。という体裁で面倒事を避ける腹づもりなのだ。
「ううん、たしかに舟渡しではないが、気は進まないな」
ランドルからすれば、自分が力を尽くした結果、失敗したことにされるのである。名前が外部へ知られるわけではないが、面白くないことに違いはない。
「そう仰らずに。それにこの件、じつはお兄さんにとっても無関係ではないんですよ」
唐突なシスの言葉に、ランドルはその意味を飲み込めなかった。
「は? なに言ってるんだ、完全にお前だけの問題だろうが。勝手に俺を巻き込むな」
「わたしが巻き込むわけじゃありません。ですがお兄さんが引き受けてくれないと、日光会による摘発強化や繋留会からの制裁によって、わたしは縄張りをすべて失ってしまうかもしれません。当然わたしの店である、『蛇穴』も店を畳むことになります。そうなったらお兄さんも困るでしょう?」
ランドルはシスに言われてようやく、今回の件が他人事でないことを理解した。
困るどころではない。死活問題である。
「おい、そうやって協力を迫るのは汚いぞ。というか、どうしても俺じゃなきゃ駄目なのか? 腕は落ちるが、俺以外の渡し守がいるだろう」
「じつはお兄さんに断られることを見越して、うちが抱えてる渡し守の二番手と三番手に頼んでみたんですよ。ですが、標的の素性を口にすると、どちらも急用があるから故郷に帰ると言い出しまして……」
「ええい、情けない連中め」
ランドルは頭を抱えた。しばし黙考すると、観念して顔を上げる。
この男にとって、下半身事情はすべてにおいて優先されるのだ。
「仕方ねえ、人望のないお前のために力を貸してやるか。監視だけなら引き受けてやるよ」
恩着せがましく言うが、シスのことなど微塵も考えていないことは言うまでもない。
「ありがとうございます。お兄さんのそういうところ、わたしは好きですよ」
「お前の世辞と愛はいらん。そのかわり報酬はしっかりと弾めよ。――で、肝心の標的は?」
シスの口元に微笑が浮かんだ。
「今回お兄さんに監視をお願いする相手ですが、名前はアレクシス・ワルド。王都衛兵局の局長を務める男です」
依頼を引き受けて、わずか三十秒ほど。
ランドルは自身の安請け合いを悔やんだ。