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13 王都の闇社会①

 ギンロと飲み明かしてひと眠りすると、ランドルは『蛇穴(じゃけつ)』へ向かうことにした。昨晩、ギンロから耳にした夜回(よまわ)り仮面の情報をシスへ伝えるためである。


 借り部屋を出るときには、すでに昼過ぎになっていた。

 前日とは打って変わって気温も下がり、雨が絶え間なく降り続いている。

 『蛇穴』へ顔を出すと、馴染みの女番頭が明るい声をかけてきた。


「おや、ランドルの旦那。今日はお早いですね。せっかく来てくれたのに悪いんですが、今日はいつものあの()は非番の日なんです」


 『蛇穴』は王都の娼館としては、かなりの高級店にあたるが、女番頭をはじめ、娼婦や女中たちも、ランドルに対する接し方には一切の気兼ねがない。

 それだけ気心が知れた間柄ということもあるし、堅苦しい応対はランドルも好まない。


「悪いな。客として顔を出したかったところなんだが、今日はあいつに用があるんだ。いま会えるかい?」


 女番頭は、店の主人であるシスと常連であるランドルの稼業がどのようなものか、すっかり心得ている。舟渡(ふなわた)しの詳細まで把握しているわけではないが、すぐさま事情を察した。


「旦那のほうから、うちの主人を訪ねてくるのは珍しい。けど生憎(あいにく)、いまは外出していましてね。しばらくかかると思いますけど、お待ちになりますか?」

「そうさせてもらうよ」


 店の奥へ通されると、女番頭が呼び集めた手空きの女中や娼婦たちから、手厚い歓待を受けることになった。ランドルは店一番の上客であり、女主人であるシスの客人でもあることは店の者なら誰でも知っているからだ。


 今日は遊びにきたわけではない、そう思ってはじめのうちは気軽に女たちと接していたランドルであったが、次第に心地よくなってきて、十分も経つと、ここを訪れた目的がすっかり頭から抜け落ちてしまった。


 そしてシスが戻った知らせを受けたとき、気がつけば二時間も経っている。

 ところが、待たされた感覚はまったくないのだ。

 女たちのおそるべし手並みを感じ取るには、ランドルはまだまだ若く、単純すぎたのだ。


 女中の案内を受けてシスの書室へ入ると、部屋の主はいましがた戻ってきた様子を見せず、来客を出迎えた。


「よく来てくださいました、お兄さん。どうやら長い間お待ちしてもらったみたいですね。それで今日はいったいどうされました?」


 シスはいつも身につけている臙脂(えんじ)色のクロークを脱いで、自身の肌の色と同じ白のドレス一枚の姿となっている。なにげなく部屋を見回すと、隅の外套(がいとう)掛けには雨露にほんのりと濡れたクロークが掛けられていた。

 ランドルの視線に気づくと、シスがうんざりしたように笑う。


「ああ、番頭から聞いているでしょうが、今日は朝から会合やら人を訪ねたりで、ひと息つく暇もなかったんです。この雨の中、参ってしまいます。――ですがお兄さんのほうから、わたしを訪ねてきてくれるなんて、珍しいことですね。なにか良い知らせでもあるのかと、期待してもいいのでしょうか?」


 そう口にして、ルビーの瞳が妖しく輝いた。


「そのことなんだが、シス。お前、俺を襲った仮面野郎について、情報を集めるって俺に言ったよな」

「ええ、お約束しました」


 ランドルの問いかけに対し、シスが訝しげに返事をした。


「そしてそれは、舟渡しの仲介とその管理をする遣り手の領分に違いないよな」

「はい」


 その返事を聞いて、ランドルは勝ち誇ったように笑う。

 いままで散々、彼女によってやり込められてきたランドルであるが、ここが逆襲どころと攻勢に転じることにした。


「そうかそうか。じつはだな、いつまで経っても例の仮面野郎について、お前から情報が来ないもんだから、俺なりに動くことにしたんだよ。そして掴んだ、やつの情報を! 俺の仕事じゃないにも関わらずだ! いやあ、こいつを調べるのには、なかなか苦労したなあ。ま、俺がいざ腰を上げれば当然のことだが。シス、お前もなかなか忙しいのは理解してやるが、これからはもう少し、自分の仕事に励んでくれよ」


 偶然耳にしただけの情報を自分の手柄だと言ってのけると、ランドルはシスに近寄って、彼女の頭部をぺしぺしと叩いた。


「ちょ、ちょっと。やめてください! 不敬ですよ、お兄さん」


 鬱陶しげにランドルの手を払いのけたシスが、乱れた前髪を手櫛で整える。


「それでお兄さんが掴んだ夜回り仮面の情報というのは、どんな内容ですか?」

「そうだろう、そうだろう。知りたいよな、夜回り仮面のことを。――ん?」


 シスの口から「夜回り仮面」という名前が出て、いままさにそれを教えてやろうとしたランドルは出鼻を挫かれた思いになる。


「――おい、なんでお前が夜回り仮面のことを知っているんだ」


 ランドルの問いかけに、シスはさも当然のごとく答えた。


「なんでもなにも、名前だけでしたら、お兄さんが大けがをしてこの店へきた翌日には突き止めていますよ。その驚きようを見る限り、お兄さんが持ってきてくれた情報というのは、どうやら、あまり踏み込んだ内容というわけでもなさそうですね」

「だったらなんで黙ってたんだ! 情報はすぐ共有するもんだ、今後の信用に関わるぞ」


 ランドルの抗議はもっともであるが、シスのほうは苦情を受けても恬然としている。


「なんで、と言われましても。あの怪人が衛兵や市民の間で、夜回り仮面と呼ばれていることをお兄さんにお知らせしてどうするのですか? わたしに求められているものは、件の人物との果たし合い、その手はずを整えることだと考えていたのですが、違ったのでしょうか。もしお兄さんがわたしの密偵たちに混ざり、積極的に情報収集をするつもりがあるのでしたら、手抜かりを認めて謝罪します。そのうえでご協力を心から歓迎しますよ」


「ばかを言うな。そんな面倒はごめんだ」

「ですからお話ししなかったんですよ。とはいえ、お兄さんがそれだけ真剣に取り組んでいるのなら、今後はどんな小さな情報でも逐一連絡します。ですので、すぐにわたしからの連絡がつくように、小まめに居場所を報告してくださいね」


 そう言われてしまうとランドル、急に面倒くさくなってきた。

 いちいち外出先を告げ、誰かに行動を制限されるなど、まったく彼の性分ではない。

 承諾すると面倒になるが、かといって拒否するのもなにか気に食わない。

 返事に詰まるランドルを見て、その内心を見透かしたシスがため息をついた。


「とにかく、お兄さんがお求めになられている、夜回り仮面をいつどこで斬れるか、ですが、きちんと進んでいますから、もう少しだけわたしを信じて大人しくしていてください」

「もういい。わかったから、子どもみたいにあやすのをやめろ」

「ふふ、大きい子どもだと思えばお兄さんにも可愛げがあるのかもしれませんね」


 ランドルが睨みを利かせて抗議する。シスは微笑して話を本筋に戻した。


「ああ、それとですね。例の夜回り仮面は魔術師です」

「いや、そんなことは知ってる」


 切り出し方が解せなかったが、ランドルがそれを追求する前にシスは話を続ける。


「それで探索にあたって魔術師の力を借りることにしました。じつはその手配と根回しに時間を必要としていたんですよ。そこでお兄さんにはこの魔術師に会っていただきたいんです」

「信用できる相手で、必要なことなんだろうな。当たり前の話だが、俺の裏の顔を知ってる人間なんて、少ないほうがいいに決まってる」

「わたしのすることですから。そこはご安心ください」


 自明の理だと言い切られてしまえば、ランドルも頷くほかはない。


「――ならいいさ」

「では、相手方にそう伝えます。相手は多忙かつ気難し屋で、日取りの調整は難しいのです。近いうちに相手のほうからお兄さんに接触があるでしょう」


「いきなり会いたくなくなるようなことを言うな」

「それは向こうも同じだと思いますよ。とはいえ、相手は魔術師なんですから、少しくらい偏屈でも仕方ありません。もめ事を起こさないでくださいね」

「努力するよ。となると、また待ちか。しばらく暇になるな」


 ランドル、迂闊であった。口にして、自身の失言に気づいたときにはもう遅い。

 シスへ目を向けると、その白く端正な顔が悪戯っぽく笑っている。


「おや、それはちょうどいい。じつはお兄さんにお願いしたいことがあったところなんです」

「ふざけるな、今回ばかりはやらんぞ。前回と違って今度は金もあるんだ、(そそのか)したって無駄だからな」


 前回の舟渡しからまだ一月ほどしか経っていないうえ、標的が三人だったこともあり報酬の額も多かった。

 いくら金遣いが荒いランドルとはいえ、夏を越すだけの金は充分に残っている。

 だがシスはランドルの懐事情などすっかり把握している。

 話を振ってきた以上、首を縦に振らせる方法を持っているはずなのだ。


「そうですか……『ご満悦特別奉仕』は……」

「特別奉仕だと!」


 即座に食いついたランドルの全身には、すでに覇気が漲っている。

 あの快楽を味わう機会を見逃す手などありはしない。何事もやる気が肝心なのだ。


「いえ、『ご満悦特別奉仕』は、今回の報酬としてはご提供できないので、断られるのも無理はありませんと言おうとしたんです。――って、お兄さん、いったいどうされたのですか」

「帰る。もう知らん」


 瞬間的に膨れ上がった活力は、一瞬で(しぼ)みきってしまった。空しすぎるあまり、もはや怒りすら湧いてこない。ランドルのシスを見る目は、ただ冷め切っていた。


「すみません、思わせぶりな言い方をしましたね。でも『ご満悦特別奉仕』は、なにも出し惜しみしているわけではなくて、お兄さんのためを思って制限してるんです。間隔を充分に空けずにあの刺激に慣れてしまったら最後、お兄さんのお股についているものは二度とまともに機能しなくなりますよ。その若さでそうなるのはさすがに嫌でしょう。次回の特別奉仕は、趣向を少し変えたうえで、さらにご満足いただけるようにしますから。ね?」


 シスの言うとおり、あの特別奉仕を日常的に味わえば、間違いなくほかでは満足できなくなるだろう。そう考えると怖くなりそうなものだが、そうはいっても人間、一度覚えた快楽には逆らえない。ましてランドル、下半身の欲望には人一倍正直であった。

 やめることはできない。だが次回の約束があるなら、我慢することは不可能ではない。


「わかったよ、お前の失言については許すことにする。だが特別奉仕がないならなおさら、俺が依頼を受ける理由がないな」

「今回の依頼なんですが、少々特殊な事情がありまして、舟渡しではありません。気が咎めるような内容でもありませんから、どうか話だけでも聞いてくれませんか。もちろん、報酬は弾みますので」


 舟渡しでないなら血狂(ちぐる)いと化すことを怖れる必要もない。ランドルにとって、舟渡し以外の依頼というのも珍しいことだ。勃然と興味も湧いてくる。


「――わかったよ。だが気に食わなければ受けないからな」

「さすが、お兄さんです」


 シスは柔らかな笑顔を見せる。


 この後、ランドルが後悔することになるのは言うまでもない。

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