12 賭場帰りの出会い②
前回の終わり方
賭場からの帰り道、ランドルはギンロという男とともに、もめ事を収める。
ところが周囲の目が冷たい。ギンロの腕に前科者の烙印があったからだ。
だがランドルはそんなことに構わず、ギンロに声をかける。
それからしばらくして、二人は酒場の奥のひっそりとした席で酒を飲み交わしていた。
そこで改めてギンロに礼を言われ、彼の素性を打ち明けられたのである。
それを聞いたとき、ランドルは少なからず驚いた。
「しかし、まさかお前さんが『首輪つき』、――おっと悪い。衛兵の密偵だったとはな。さすがに俺も気づかなかった」
首輪つきとは、王都の治安を預かる衛兵の手先、密偵に対する蔑称である。
その多くが後ろ暗い過去を持つ前科者であり、赦免などを条件に衛兵たちの手足となって、王都に潜む犯罪の探索にあたるのだ。
「あっしらのような密偵が嫌われているのは、重々承知で……ご存じの通り、首輪つきなんて言われているのも、御上の犬として働いているからです。理由はどうあれ、密告者が嫌われるのは当然のことですから。お気を悪くさせて申し訳ない」
「いや、俺のほうこそ悪かった。だが、いいのかい? 密偵が簡単に正体を明かして。普通は隠すもんだろう」
「こいつは恩人であるランドルの旦那を、男と見込んで打ち明けさせて貰ってますんで」
ギンロはランドルの目をまっすぐに見据えて答えた。
そう言われてしまっては、ランドルも悪い気はしない。
「そうか。ま、もともと言いふらすつもりもないけどな。それにしてもだ、俺はてっきり密偵ってやつは、正体を隠すために、ああした騒動に首を突っ込まないもんだと思っていたが、違うもんだな」
正体を隠して王都の犯罪を嗅ぎ回り、ときに犯罪者へ接触を図り、その罪を告発する密偵という存在が、犯罪者たちから警戒と報復の対象となるのはいうまでもない。それゆえ、本来は通りでの大立ち回りなどは避けるのが常道のはずである。
先刻の騒ぎも、危急の事態ではないのだから放っておくのが密偵としては正しいはずだ。しかし、ギンロはそうしなかったのである。
「それが性分なもんで。あっしが手出ししなくとも、あの娘は助かったでしょう。けど理不尽な目にあってるやつがいれば、一秒でも早く助けてやりたいってのが人情ってもんです。もっともそのせいで、あっしは上役たちからずいぶんと厄介がられていますが……」
人のためにはなっているが、組織的な治安維持にあたる衛兵たちからすれば、密偵としてのギンロの行動は至極迷惑なものに違いない。
だがランドルはそこが気に入った。
「衛兵の連中からすればそうだろうが、俺はお前さんの行動、立派だったと思うぜ。俺はつまらん遊び人だが、それでも一人の男からの賞賛として受け取ってくれ」
「ありがとうございます。旦那にそう言ってもらえるなら、あっしとしても光栄です」
「そいつは言い過ぎだろ。それといい加減、旦那ってのは――ま、それでいいか」
年上であろうギンロに下手に出られるのは正直居心地が悪いが、冷やかされてるわけでない以上、あまり無下にするのも忍びない。観念して受け入れることにした。
「旦那のような侠気溢れる人は、いまの世の中、そういるもんじゃありません。ご存じのとおり、いまの王都は荒れに荒れ、人の心から余裕が消えちまっています。旦那に助太刀していただいたとき、あっしがどれほど嬉しかったことか」
「せっかく褒めてもらって悪いが、俺は自分のやりたいようにやってるだけだ。だが、お前さんが言うとおり、人の心に余裕がない、ってのもわかる。善良な連中まで冷たい連中に変わっていってる、とでも言えばいいのか。なにせ抗う力を持ってないんだ、自分の身を守るために無関心にならざるを得ないんだろ」
「まったく仰るとおりで。二年前の遠征中止直後に比べればだいぶ落ち着きましたが、それでも王都は厄介な連中で溢れたままです。ようやく捕まえたかと思えば、すぐに新しいやつが現れちまう。早いところ、なんとかしなきゃいけません」
「衛兵のことは正直好きじゃねえが、よくやってるほうだろ。少し前にも、市内で騒がれてた大物を捕まえたらしいじゃないか。俺は噂話には疎いんだが、最近はどんな厄介者が世間を騒がせているんだい?」
ランドルがこう尋ねたのは、あくまで話の流れから口にしただけで、ギンロからなにか情報を引き出そうとしてのことではない。
だが、これが思わぬ光明となった。
「そうですね――お話しできる中では、やっぱり夜回り仮面ですかね」
「――夜回り仮面?」
はじめて耳にした言葉が、ランドルの忘れがたい記憶と瞬時に結びつき、あの夜の忌ま忌ましい怪人の姿が目蓋に浮かぶ。
「知らねえな。だが仮面って呼ばれるくらいだ、舞台衣装でも着て悪さしてるのか?」
素知らぬ反応のランドルである。胸中にたぎる怒りをおくびにも出さないのは、後ろ暗い稼業をもつ者としての、普段からの心構えゆえだ。
「人相書き――いや、人相と言っていいのかはわかりませんが、それによると仮面は白の味気ないものらしいですね。長身に黒いローブ、剣で武装しているのが確認されてます」
間違いなく、あの夜の怪人である。自分とあの怪人――夜回り仮面の戦闘を衛兵に目撃されたが、それが大事になっていることをランドルはいまになるまで知らなかった。
あるいは自分の他にも襲われた者がいるのだろうか。
「まるで幽鬼みたいな格好だな。それで、そいつがなにやったんだい? 前に見た芝居じゃ、そんなやつが美女を攫って監禁してたが」
「殺しです、それも何人も。二月ほど前から、夜中に民家への押し込みや、裏通りで待ち伏せしての殺しが、判明しているだけで五件、合わせて八人全員がやられています」
先日襲われたランドルが生きているのだから、実際には全員ではないわけで、このことは夜回り仮面もさぞ悔しかったに違いない。ランドルはそれだけで胸がすく思いであった。
しかしそのことを、ギンロに自慢するわけにもいかない。
「それだけやって一人も逃がしてないなら相当の腕だな。だがなんでその夜回り仮面がやったってわかるんだ? 犯行は夜中って言ったよな。まさか全部、目撃されたわけでもないだろ」
「それがご丁寧なことに、自分がやった証として仮面を残していくんです。もちろん、予備の仮面でしょうが。『天誅』なんて言葉が書かれていまして。きっと衛兵を挑発しているつもりなんでしょう。舐めた野郎ですよ」
吐き捨てるギンロの顔は苦渋に満ちている。
「だがそんなに殺してるやつが、二月も逃げ回ってるんじゃ、衛兵たちも大変だな。街中で相当言われてるんじゃないか?」
「それがそれほどでもないんですよ。夜回り仮面が狙うのは、いつ捕まってもおかしくなかった悪党ばかり。実際、捕縛の手配を進めてる悪党が斬られたこともありました。こう言ってはなんですが、市民は襲われた連中があの世へ行ってくれて、むしろほっとしているようです。それどころか、夜回り仮面を英雄視する者もいるくらいでして……」
襲われた側のランドルとしては複雑な思いだが、そのことより、夜回り仮面が悪党ばかり狙っていることが気にかかった。
もしかすると、あの怪人も自分と同じ渡し守なのかもしれないという疑念が頭をもたげる。
「なるほどな。衛兵たちからすれば、そいつを見逃すわけにはいかないんだろうが、善良な市民に危害が及ばないなら、それほど危険ではないんだろ? 悪党たちは震えて眠ることになるかもしれんが」
平然とした表情でランドルは言った。
自分の味わった屈辱を度外視すれば、そう思ったのは事実である。
「――大きな声では言えませんが、あっしもそう思っていました。つい先日までは……」
「どういうことだ?」
「さっきも言ったとおり、夜回り仮面が殺したと思われる連中は、評判の悪い悪党ばかりだったんです。それこそ、血の匂いをさせているような。ところが先日の殺し、あれにはだいぶ疑問が残るんですよ」
ギンロは言葉を切って、酒を一口飲んだ。
そしてランドルの目を見据えると、ゆっくりと語りはじめる。
「先日殺された男は、昔から気が短い男として有名だったようです。短気を起こしての喧嘩が原因で前科もついてます。殺される数日前にも、酒場で酔って大喧嘩をやらかしまして、相手の骨を折っちまってます」
「聞いてる限りじゃ、襲われたのはそれほど不思議とは思えないがな」
「先を急がないでください。近所の連中によると、男はたしかに問題の多いやつだったそうですが、誰彼構わず喧嘩を吹っかける狂犬でもなかったようです。さっき旦那とあっしがもめ事に割って入ったように、他所からやってきたならず者が無茶苦茶するのを許さず、力ずくで止めたこともありました。先日の酒場での喧嘩も、一概にそいつに非があったとは言い切れず、相手側にも少なからず落ち度はあったそうですよ。ですから近所の連中は、男が無惨な殺され方をしたことに、なんとも複雑な思いのようでした」
「なるほどな。ろくでなしには違いなくても、殺されるようなやつでもない、と」
「ええ。ですがその男は夜回り仮面に斬り殺されちまった。『天誅』と書かれた仮面が遺体の上に置かれて。こいつがあっしには、どうにも気に食わねえ」
酒の入ったギンロの目の奥が鋭く光ったのを、ランドルは見逃さなかった。
「たしかにひどいやつには違いありません。けど、お裁きなしで殺されちまうほど、ひどいやつだったとも思いません。どこの誰とも知れないやつが、夜の闇に乗じて勝手に裁きを下しちまうなんて、あっしには許せません」
自身の渡し守としての所業について、すっかり心の整理をつけているランドルではあるが、面と向かって放たれたこの言葉は相当に効いた。
ギンロはランドルが渡し守であることを知らないのだから、無論、当てつけで言っているわけではない。だからこそ、その真情が胸を打つのだ。
「これはあっしの勘に過ぎないんですが、夜回り仮面は殺しを重ねるうちに、善悪の判断が段々厳しくなっていってるんじゃないか、と思うんですよ。これが続けば次に斬られるのは、さらに罪の軽い人間かもしれません。やつにかかれば、前科者のあっしも、きっと近いうちに斬られちまうでしょう。ま、それは別に構わないんですが……」
自嘲気味にぼやいて酒を飲み干したギンロに、ランドルは酒をついでやる。
ギンロが懸念する殺しの暴走は、傭兵や渡し守の世界でも、ままあることだ。
殺しを重ねるうち、次第に本分も大義名分も忘れてしまい、殺すことへの躊躇いが消え、やがては殺すこと自体が目的になってしまう。そしてそのことに本人は気づかないのだ。
これを王都の闇社会では『血狂い』という。
それはランドルが渡し守の世界に身を置く中で、もっとも怖れていることだ。
「――つい色々と聞いちまったが、このことでお前さんが怒られたりしないのかい?」
「いまお話ししたのは、別に機密事項ってわけじゃありませんから。とはいえ、相手がランドルの旦那と見込んでお話ししたことです、いたずらに言いふらさないと信じてます。それに、なんでもかんでも秘密にしてちゃ、密偵は情報収集なんてできません」
「なるほどな。聞いたからには、怪しい話を耳にしたら、お前さんに届けろと」
「へへ。さすが旦那、話が早い」
酒を飲み干したランドルに、今度はギンロが酌を返すと、なにやら酒場の入り口のほうが騒がしい。どうやら団体客が入ったようだ。じきに店も混み始める頃だろう。
「ま、気には留めておくよ。それよりだ、なにか追加で頼もう。男二人が向かい合って、しけた話を肴に飲んでいたら、立派な営業妨害だ。衛兵たちが飛んできちまう」
「そいつはいけない。いま以上に、上役に睨まれたらたまりませんよ」
この日、二人は夜明けまで飲み明かした。
衛兵の密偵であるギンロという男に、なぜここまで気を許したのか。
それはランドル自身にもわからない。
たしかなことは、彼にとってこの出会いは決して悪いものではなかったということだけだ。