10 秘密の風呂、依頼の秘密②
前回の終わり方
『蛇穴』の沐浴場で混浴することになったランドルとシスの二人。
ランドル「聞きたいことがあるんだが……」
シス「なんでしょうか」
「今回の舟渡しの件、いろいろ考えたんだが、依頼人は目撃者の大店の主人以外、考えにくいんだよな。ポストフが探し出した傭兵三人が、目撃された犯人と同一であるか、面通しをするには大店の主人の協力がどうしても必要になる。面通しなしでお前が舟渡しを行うわけはないという俺なりの信用もある。それに一介の目撃者にしては、やけに込み入った事情までお前が把握しているのも妙だ。そもそも被害者の遺族には、渡し守を雇うような大金も、遣り手に接触する伝手もないだろうしな。どうだ?」
シスが呆れたように口を開く。
その声色は冷ややかで、突き放すような棘が含まれている。
「お兄さん。前にも言いましたけど、遣り手が依頼人の正体を明かすわけないじゃないですか。お兄さんがいくらお馬鹿さんでも、そこのところはきちんと弁えてくれていますよね」
「わかってるって。聞いておいてなんだが、お前は肯定も否定もしなくていい。あくまで俺の推測が当たっているとしたうえで、話に乗ってくれればいいからさ」
「いいからさ、と言われましても、こちらは全然よくありませんが……まあしつこく食い下がられても面倒です。あくまで一般論としてお付き合いしてあげます」
「よし、それでだ。目撃者かつ依頼人である大店の主人と、殺された女中の間にはなんの関係もないんだろ。にも関わらず、わざわざ大金を積んで渡し守を雇うなんてことあるか?」
「あるか? と言われましても、お兄さんが勝手に言ってるだけじゃないですか。ただ、そうですね……こういう風に考えることはできませんか。自分の女遊びへの後ろめたさが原因で、無辜の女性を見殺しにしてしまった。せめてその罪滅ぼしに傭兵たちを亡き者に、と考えが及んでも不思議ではないんじゃありませんか?」
「まあ気持ちの流れとしては理解できるが、実行に移すとなると極端だろ。気が弱いんだか、強いんだかよく解らんやつだ」
大店の主人が抱えたであろう苦悩については、想像するに容易い。
だがいくら悪党とはいえ、人殺しの依頼を行い、その報酬に大金を支払うとなれば、大抵の者は躊躇ってしまうだろう。計画はしても、実行に至るのはなかなか難しい。
「人間なんですからそういうものでしょう。一介の商人が、今回のような事件に偶然巻き込まれてしまったとき、端から見て適切でわかりやすく、一貫した行動をとれるほうが稀です」
「そんなもんかね」
「そんなものですよ。もっとも、これはお兄さんの推測に則ったうえで、一般論を語ったまでですからね」
「わかってるって。参考までに聞いただけだ」
ランドルは答えに満足して、それ以上の追求はしなかった。
しばしの沈黙が続き、二人は水に浸かった。
窓外からは青雀の鳴き声が聞こえてくる。夜が明けたのだろう。
不意にシスが立ち上がり、浴槽を跨ぐと、その背中へランドルが声をかける。
「なんだ、もうあがるのか」
「お兄さんと一緒だと落ち着きませんから。お兄さん、混浴のときは他人の、とくに女性の躰をじろじろと見るものじゃありませんよ」
「そいつは自意識過剰ってやつだ」
そう言いながらも、ランドルの視線は浴槽を出たシスの尻へ向けられていた。
肉感の乏しい臀部を眺めながら、改めて落胆する。
「女性は男性のいやらしい視線に気づけるものなんです。現に、わたしが気づいていないと思って、お尻をじろじろと見ている人がいます」
「いるのか、そんな物好きが」
白々しい答えを聞いたシスが急に振り返り、その見下ろす目と視線が合った。
見下ろすというより、見下げるのほうが正確かもしれない。
「いましたね、ここに。仕方のない物好きさんが」
勝ち誇るような物言いに対し、ランドルは黙ってやり過ごすことにする。
「まあいいでしょう。わたしはお先に失礼しますね。あ、それと……」
浴室の扉に手をかけたところで、シスは振り返ることなく話を続ける。
「これは余談になるのですが、目撃者である大店の主人、関係が冷え込んでいた細君とは離縁になるそうですよ。なにやら婚家を交えてひと騒動あったようです。商売で成功を収めていたというのに、追い出されることになるなんて、婿養子というのは大変ですね」
思わせぶりに言い終えると、シスはそのまま浴室を出ていった。
一人取り残されたランドルは、浴槽の縁にもたれ、今回の依頼を思い返す。
傭兵たちが理由もなく暴行をはたらき、その末に罪なき女中が死んだ。
目撃者は罪悪感か義憤か、はたまたその両方からか、舟渡しの依頼人となり、傭兵たちは討ち果たされた。
被害者は死んだ。加害者たちも死んだ。では依頼人はどうか。
シスは依頼人が離縁することになったと言った。
元々、夫婦関係が上手くいってなかったようだが、実際はそれだけではないのだろう。
舟渡しを依頼するには、多額の金がいる。標的が三人となればなおさらだ。
それは大店の主人といえど、決して軽々しく動かせる額ではないし、まして秘密裏に動かすことなど不可能だろう。依頼人は立場の弱い婿養子らしく、婚家で騒ぎになるのは避けられない。
当然、これだけの金をいったいなにに使ったのだ、という話にもなる。
依頼人がどう答えたのかはわからない。だがどう転んでも、笑顔で終える話にはならなかったはずだ。そして離縁に繋がったのだろう。
やはり不幸になった。
結果、この一件に関わって得をしたのはランドルとシスの二人だけだ。
皆が不幸になる中で、この二人だけが痛みではなく、大きな利益を得ている。
傭兵たちの所業は間違いなく悪であったが、それはランドルたちも同じことだ。
夜の闇に乗じて人を斬り、それによって大金を手にする者がいるなら、それは悪以外にないだろう。
善人が泣き、悪党が死に、別の悪党が残って笑う。正義など、どこにもありはしない。
はたして、それでいいのか。自分はなにがしたいのか。
時折、ランドルの胸中にそんな考えがよぎることもある。
だが結局は、いつも同じ考えにたどり着いて、思い悩むことをやめてしまうのだ。
(俺は神や正義の代行者じゃない。誰にも指図はさせねえし、誰の責任にもしねえ。俺は、俺が決めたことを、俺のやりたいようにするだけだ)
ゆえにランドルにとって渡し守とは、自分が気に入らない悪党を斬って金を貰い、その金で良い女を抱いて、旨い酒を飲み、博打で一喜一憂する。そのためだけの暗い稼業だ。
それが悪であろうとも、いまさらその生き方を変えることもできない。
いつか彼は返り討ちにあうだろう。あるいは衛兵に捕らえられるかもしれない。
だが彼はその瞬間が訪れたとき、正義を口にして慈悲や許しを乞うことだけはしないと、固く心に決めている。
ランドルは自分の意志で人を殺めることを選んだ。
だからその罪は彼だけのものだ。
ほかの誰かや正義などというなにかに、肩代わりさせたりはしない。
「それにしても……」
言いさして、浴室からいなくなったシスの姿を思い返す。
「シスのやつ、あれで成人してるっていうんだから、すげえ話だ。そっちの気があるやつからすると生唾ものなのかもしれんが、俺はそっちに興味ないからな……そう考えると、なんか損した気になってくるのか? いや、やっぱりないな……」
本人が聞けば憤慨しそうな下劣な寸評を口にして、ランドルは冷水の張られた浴槽深くへと躰を沈めたのであった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
今回で序盤が終わり、次回より中盤がはじまります。
今後も読んでいただけると嬉しいです。