01 ランドルという男
大陸ウェスタリア。
その王都に一人の男がいる。
男の名はランドル、二十七歳。高い身長に白い肌の引き締まった躰、栗色の短髪に鳶色の鋭い瞳、鼻筋の通った顔立ちと、なかなかの美男である。
しかし、傍目にもわかるほどの漲る自信――傲慢と呼べるほどの気性が表れた面構えと、傭兵然とした堅気ではない身なりが、彼の恵まれた容貌に少なからず翳りをもたらしていたことは否定しようがないだろう。
三年前から王都に居着いたランドルの暮らしぶりは遊び人そのもので、定職に就かず、剣を佩いて盛り場に繰り出す放蕩三昧。
大酒を飲み、博打を打ち、娼婦を買う、の三拍子だ。
当然、驚くほどに金が消えていくことになる。定職をもたない者には、あまりに豪勢で放埒なその生き様は、この王都においてはならず者と同義であった。
当然、噂にもなる。――なるが、それとなく尋ねてみる者がいても、ランドルは笑ってはぐらかし、巧みに話題を切り替えてしまう。
「あの人は大層金離れがいいが、いったいどのようにして稼いでいることやら。なにやら後ろ暗い稼業に足をつっこんでいるのではないか」
「なんでも、えらく腕が立つらしい。あの人が裏通りで厄介な連中に囲まれたところ、全部まとめて叩きのめしちまったのを見たってやつがいる。それだけ強ければ、用心棒なり、借金の取り立てなり、儲かる仕事もあるんだろう」
ランドルが贔屓にする酒場や賭場の者たちは口々に噂をするが、本当のところは誰も知らないし、知ろうともしなかった。素性がわからない上に喧嘩っ早い男ではあるが、誰彼構わず傷つけて回るような危険人物というわけでもない。
なにより、白日の下にないものを余計な好奇心で探ろうとすることが、いったいどういう結果をもたらすことになるのか。
そんなことは王都に住み暮らす者であれば、誰しもが弁えていたからであった。
◇◇◇
厳しい冬が明け、日ごと暖かさを増していく春のある日のこと。
今日も馴染みの娼館『蛇穴』で一晩を明かし、昼前になってようやく起き出したランドルが、お気に入りの娼婦の見送りを断り、昨夜の酒気をわずかに残して上機嫌で店を出ようとした際のことである。帳場に立つ女番頭にそっと呼び止められた。
「おや、ランドルの旦那。もうお帰りですか。もう少しゆっくりされていけば良いのに」
「そうしたい気持ちは山々なんだが、このままいたら躰がもたねえよ。なに、引き止めてくれなくても、王都にここより良い店はねえ。日を改めてまた来るよ」
「ふふ、お上手なんだから。そう言ってくれると店の娘たちも喜びますよ。――ところで、じつはうちの主人から、旦那に言伝を頼まれてまして。じつは……」
「いや待て、言うな。それ以上は聞きたくない!」
ランドルは大いに顔をしかめた。
『蛇穴』の女主人は、ランドルの仕事の仲介人でもある。
彼女からこのような連絡があるのは、仕事の斡旋があるときにほかならない。
しかし、いまのランドルは仕事を引き受ける気分に到底なれないのだ。
「そうはいっても旦那、困らせないでください。せめて話だけでも……」
「悪いが無理だ、すまん!」
引き止める女番頭の言葉を打ち切って、ランドルはすぐさま店を飛び出した。
話を最後まで聞かないことによって、なにか結果が変わるかもと思ってそうしたわけではない。こうして連絡を寄越してきた以上、あの女主人は絶対に自分に仕事を任せるつもりなのだ。
あれがそういう女であることを、ランドルは身に沁みてよく理解している。
考えるだけで憂鬱になるが、観念して受け入れるというのも彼の性分に合わないのだ。
もやもやとした気分を抱えながら、ランドルは家路につくことにした。
店の外に出ると、すっかり高くなった陽の光が、敷き詰められた石畳を照らしていた。
『蛇穴』は大通りから折れた枝道にあり、辺りには娼館をはじめとするいかがわしい店が建ち並んでいる。この一帯は、そのまま娼館通りと呼ばれていた。
日が暮れると、客引き女の甘えるような呼び込みと、下半身の猛りを抑えきれない男たちの下卑た声で騒がしい一帯であるが、いまはそうした光景が幻であったかのように静かだ。
(気が進まねえ。だがそろそろ懐が寂しくなってきたのも事実だ、ああ、どうして金ってやつは使うとなくなっちまうんだ)
舌打ちして顔を上げると、前方の娼館から、足下が少しふらついた労働者風の男が出てきたところであった。今日は仕事が休みであるのか、ランドルと同様、昨晩を娼館で過ごし、二日酔いのまま店を出てきたわけである。
その酔漢が曲がり角にさしかかろうという際、角の向こうから二人組の大男が現れた。
それに気づいて、酔漢が慌てて身を端に避けようとする。
だが大男たちは、それに気づいてなお、速度を緩めることもなく肩をぶつけ、哀れな酔漢は壁に打ちつけられるはめになった。
「こ、これはすみません」
酒が抜けていなくても意識ははっきりしているのであろう、酔漢はすぐさま頭を下げた。
「すみません、じゃないんだよ。どう落とし前つけるつもりだ、てめえ」
謝る酔漢の腹に、大男の岩のような拳がめり込んだ。
苦悶に表情を歪めて躰を折った酔漢の背中に、大男の肘が打ち下ろされる。
あっという間に地面にたたき伏せられた酔漢へ、大男二人は一切の遠慮もなく蹴って踏んでを繰り返し、罵声を浴びせた。
酔漢は躰を丸めて急所を守りながら、この苦難が過ぎ去るのを祈ることしかできない。
騒ぎに気づいた何人かの通行人は皆、足早に去ってしまう。
盛り場――それも娼館通りでのもめ事など、関わっても面倒なことにしかならないことをよくわかっているからだ。
(まったく、嫌なことってのは続くもんだな。金を払って気持ち良くなりに行ってるのに、肝心のことが終わってみりゃ、気分は最悪じゃねえか)
ランドルは拳を握り締めると、躊躇うことなく騒ぎの渦中へ足を進めた。
「待ちな。その辺にしといてやれよ」
言い放ったランドルへ、大男たちの鋭い視線が向けられた。
「なんだてめえは。関係ねえだろ」
「通りすがりのお節介だよ。少しばかりぶつかったくらいで、その仕打ちはやり過ぎだと思ってな。お前ら、その立派な図体は見せかけじゃねえんだろ。それ以上は勘弁してやってくれねえか?」
「こっちは肩ぶつけられて痛い思いしてんだ。この野郎、この時間になっても、まだ酒が残ってやがる。言ってみれば、俺は酒に酔ったこいつに暴力を振るわれたってわけだ」
「そいつはちゃんと謝ってただろうが。それに少なくとも避けようとしてたそいつに、構わず突っ込んだお前らはなんなんだ。気晴らしはそれくらいで充分だろ、許してやれよ」
ランドルの言葉に、大男の顔が赤黒く染まった。
「てめえ何様のつもりだ? 誰に許されて場を仕切ろうとしてやがる。二度は言わねえぞ、痛い思いをしたくなけりゃあ、引っ込んでろ」
大男が凄みを利かせてランドルを睨む。激情を宿した獣のような眼光を受ければ、たとえ武装していたとしても大抵の者は竦んでしまうだろう。
しかしこのランドル、ここで怯むような男ではない。
ランドルは決して人並み外れた正義感を持ち合わせているわけではない。
むしろ法の観点から見れば、人よりはるかに過ちを犯してきた。
彼がいまこうして、名も知らぬ酔漢に救いの手を差し伸べているのは、溢れる勇気や慈悲、悪行を見逃さぬ正義の心に拠るものではない。
自分以外の存在が、目の前でいい気になって理不尽を押し通そうとしている。
そのことが気に食わないのである。
そしてそうと決めたからには、たとえ相手が誰であろうと一矢報いてやらねば気の済まない直情漢、それがランドルという男であった。
「引っ込むのはそっちだよ。お前らが頭を冷やして、そこの酔っ払いとの一件を手打ちにしてやれば、俺は気分良くうちに帰って、お前らも好きなように午後を過ごせる、この酔っ払いは助かって万事丸く収まるんだ。俺もこれ以上は言わねえぞ、その辺にしておけ」
大男たちの返答はなかった。
彼らは互いに顔を見合わせて、倒れ伏す酔漢を跨ぎ越したかと思うと、前に立つ大男が言葉もなくランドルの顔面へその豪腕を振るった。
その岩のような拳が全力で叩きつけられれば、間違いなく骨や歯は砕け、その顔面は二度ともとの形に戻らないであろう。
もしこの場に野次馬がいれば、思わず声をあげ、目の前で起こるだろう凄惨な光景から目を背けていたに違いない。しかし、このときこの場にいたのは当事者の四人のみである。
ゆえにこの光景を目撃した者は、ほかに誰もいなかった。
ランドルは稲妻の如く身を沈め、迫る拳を躱すと、すれ違いざまに柄頭で一撃を見舞った。
大男が顔を歪め、鳩尾を押さえながら膝をつくと、ランドルはその首筋に手刀で鋭く打ちこんだ。ここまで一瞬のことである。
ぬかずくように倒れる大男を、別の大男は黙って見ているほかなかった。
目の前で起きた早業に、膨れ上がった獣性は早々に萎んでしまったようだ。
「続けるか? 俺はどっちでもいいぞ」
ランドルが不敵に大男を見据えた。
「いや、俺たちが悪かった。見逃してくれ」
残った大男は倒れた仲間を担ぎ、引き揚げようとする。それをランドルが止めた。
「おい待ちな。忘れてるぞ、置いていけよ」
ランドルが自身の胸を指先で二度叩いて促す。
大男は苦々しげな顔をして、懐中から取り出した財布を投げて寄越した。
「よし、これで手打ちだ、忘れてやる。それと俺がお前らの立場なら報復は考えないけどな」
「――言われるまでもねえ」
そう言って、大男は連れを担いで、重い足取りで去っていった。
(ありゃ、近いうちに仲間を引き連れてまた来るな)
そう確信しつつも、一度手打ちを宣言した以上、追いかけて叩きのめすのも気が進まない。
その時が来れば、またねじ伏せて金を巻き上げてやればいい。
地面に転がった酔漢は嵐が去ったことに気づき、戸惑いながら様子を窺っている。
「平気か。お互い散々だったな」
「――あ、ありがとう。おかげで助かったよ」
ずいぶん手ひどくやられていたが、口をきける程度には無事らしい。無抵抗で急所を守ることに専念していたのが良かったのだ。
とはいえ、このまま一人で歩いて帰らせるにはあまりにも忍びない。
「おい、金は持ってるか」
「え、ああ。けどお礼に出せるのはこれっぽっちしか」
酔漢の差し出す使い古した財布には、わずかばかりの金しか残っていない。
なけなしの金で娼婦を抱いた帰りに襲われたこの男を、ランドルは哀れに思った。
とても他人事とは思えなかったからだ。
「勘違いするな。その怪我じゃ、歩いて帰るのも大変だから辻馬車に乗っていけと言いたかったんだ。だがこの懐具合じゃ無理だな。仕方ねえ、俺が出してやるよ」
「でもそこまでしてもらうわけには……」
「気にするな。どうせ拾った金だ、惜しむようなもんじゃない」
ランドルはさきほど大男たちから巻き上げた財布を見せると、酔漢を支え起こしてやった。
「それに気の向いたときくらいは人助けもしないとな……とりあえず大通りまで肩くらいなら貸してやるよ」
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