果ての冬虫夏草
昆虫とは、一生の間にいろいろな進化のような変化を遂げて、やがて成虫へと変化し、羽ばたいてゆく。そして、彼らは人間とは比べるまでもなく短い人生を、本能とともに全うする。そんな彼らを、我々人間は嘲笑うかのように、日々踏み潰しては笑っている日々である。私たちは、昆虫を殺すことに罪を感じない。罪を感じるどころか、時にはその昆虫の生命の灯火を、己が吹き消したことすらも気づかないのだ。それを、認可された存在こそが、我々人間なのである。高等知能とともに感情を持ち合わせて誕生し、それらを進化させていくことで今日の人間が存在するわけではあるが、その過程で人間の間には倫理、道徳が誕生した。これらは、人は殺してはいけない、人の嫌がることはしてはいけないと言う、まるで自分が神にでもなったのかのように上からものを言ってくるケッタイな存在である。しかし、今日の人間たちはこれらの考え方に頭を垂れ、それらを自身の正当化に使っている。そして、その傲慢な人間が己を正当化するために払われる犠牲は、否定される人間だ。倫理によって否定された人間はその瞬間より人間としての尊厳を何者かに剥奪され、人として欠陥していると言う烙印を押され、その人生を全うしなくてはならなくなるのだ。そして、その烙印を押された人間は、翼をもがれ、その人生を倫理に踏み潰されることとなる。そして、私はその一人だった。
私が誕生してから、この世は二十一年間が経過したが、その間にも倫理というやつは随分とその形を変えていったようだ。どの時代にも分け隔てなく存在し、その倫理に従い、頭を垂れる人間に微笑み、それに背をむける存在を破壊し、否定するための十字架を与える。皆が、わたしをみて一様に言った。
「お前は間違っている。」
「お前は無価値だ。」
「なぜお前は俺に従わないんだ」
「なぜお前は人の嫌がることしかしないんだ」
「なぜ、お前は存在するんだ」
幼少期よりこの言葉をかけられ続けた身としては、今更それを覆そうと言う気にもならないが、いやに癪に触る言葉である。あの言葉たちは、私の逆鱗に触れ続けてきたが、私は決してその口を開かなかった。なぜなら、口を開いたが最後、倫理とやらの十字架に磔にされてしまうことが容易に想像できていたからである。なぜ、私はこの世に存在するのだろうか。もちろん、理論を用いて存在の証明をすることは容易である。私は、私の父母の性行為によりこの世に存在として誕生し、そして一定の時を経て母体という母なる大地より誕生し、少年期にていわゆる感情、思想というやつを身につけ、やがて外界へと飛び立つのだ。だが、倫理とは残酷なものである。我々は、感情を身につけている間に、倫理という絶対的存在をこの脳に書き込まれるのだが、人間によってはその倫理を完全に脳みそに書きこむことができず、その足りない情報を経験というものから形成してしまう。そうして、完全な存在と不完全な存在がこの世に誕生するのだ。そして、より残酷な問題は、自分が完全か不完全かどうかは、外界に出なければ自覚することができないのだ。神は皆に平等などと謳う輩は一定数いるが、そんなことはない。神は、不平等な存在である。なぜなら、神が人間を創造したのではない、人間が、他者を攻撃するために生み出されたものこそが神なのだから。そうして、不完全な人間は他者との差を標的にされ、倫理という名の絶対正義のもとに淘汰されるのだ。まるで笑い話じゃないか。結局、高等知能を得たと言っても、所詮我々人間も昆虫となんら変わらないのだ。生態系のピラミッドのように、強者が弱者を糧とし、世界が機能している。であるならば、所詮昆虫と同じ存在でしかないと定義できる我々人間が、どうして同じ仲間である昆虫を容易に踏み殺し、その様を嘲笑うことができようか。
倫理は、人は人をころしてはいけないと言うが、その根拠とやらは存在しないのだ。人は、人を殺してはいけない、人は、人を殺して食べてはいけない、人は、人間以外の存在を奪っても良い。これらは全て、倫理というやつが言っていることだ。この世は、全て奴の足元で機能しているに過ぎない。しかし、人間は、時に自分より下の存在の人間を殺しても許される。それもまた、倫理によって許された一つの事実なのである。そして、俺は、倫理によって羽をもがれた昆虫だった。俺は、人が人を食ってはいけない理由が本気で理解できない。自分が正しいと思うことは、皆にとっての正しくないことだった。私は、その存在の全てを、倫理によって否定されたのだ。他の皆が地中で正しく成長するなか、俺は地上に出た時、その背中に羽は存在しなかった。これは、俺が悪いのか?それとも、俺が実は正しい存在なのか?それはおそらく死ぬまでわからないのだろう。いや、死んだとしてもおそらく永遠に理解することはないのだろう。それくらい、不完全進化を遂げた俺にも理解はできる。しかし、俺だって一つの存在だ。俺は、羽がもがれただけの、哀れな昆虫なのだ。俺は、羽のある奴らに食われないように、いつも怯え、媚びへつらいながらこの世に存在し続けられる他方法がないのだ。だから、仮に彼らに全てを奪われたとしても、俺はそれに頭を垂れ、感謝しなければいけないのだ。最低限、俺と言う人格を持ち続けるために。
だから、私には何もないのだ。しかし、それに不満を抱いていないかと問われれば、それは違うのだろう。ある程度の知能を持って生まれた以上、倫理という絶対正義にかしづかなければ生きていけないと言うことぐらいは俺にだって理解できるのだ。だから、俺はまだここにいるのだ。それができなかった他の連中は、皆羽付きの奴らに襲われ、倫理に提供され、その肉体を十字架に貼り付けられ、彼らの酒池肉林を盛り上げるための余興と成り果てた。俺は、ああはなりたくない。だから、見せかけだけでも、俺はあいつらにこの頭を垂れ続けてやるのだ。しかし、俺にだって限界というやつはあったらしい。最近は、俺の脳みその中で誰かが囁くようになった。誰かが、存在するのをやめろと囁いている。俺の中の深層心理にこびりついた倫理が、俺を否定し始めたのだ。この身に染み付いてしまった少量の倫理は、俺の中でその存在がなくなることなく、俺自身をずっと蝕んでいたのだ。そして今、俺を乗っ取れると踏んだ倫理のやつは、俺の体を奪おうと俺の脳みその中で囁き始めた。あいつは、よくこう言った。
「お前は正しくない」
「お前は存在するべきでない」
「お前は、何者でもない」
そう言った甘美な言葉が、俺の脳の中で常に再生されるようになった。それを払拭するために、俺は他のみんなの目を盗んで自分の体を傷つけてみた。それは、ほかのなににも代替することのできない、甘美な快楽だった。体から流れ出る血を眺め、舐めるたびに自身の存在証明を行うことができ、俺は俺なんだと言う実感が湧いた。しかし、羽付きのやつらはそれをすぐさま発見し、倫理に言いふらしていた。そうしてまもなく、倫理の奴が羽付きの奴らの大群を率いて俺の元へとやってきた。そして、奴らはこう語った。
「今ならまだ間に合う」
「今ならまだやり直せる」
「可能性は無限大」
「お前は、今悪いものに乗っ取られているんだ」
「お前は、お前の言うことを聞いちゃダメだ」
なるほど、俺は間違っているのか。少なくとも、彼らにとっては、俺は正しい手順で進化をしなかった不完全な存在なのだろう。そして、あいつらにとってあいつはいつでも踏み潰して嘲笑うことのできる黒蟻程度の存在でしかないのだろう。しかし、奴らはこの黒蟻に最後の慈悲をかけているのだ。最後の最後に、あいつは黒蟻の俺に羽を植え付けようとしているのだ。
そうして俺の中の少量の倫理も、あいつらの言う通りにしろと喚いていた。俺は、それを聞くや否や、己の首を自身の手でかきむしり、出血を喜び、横にあった窓から俺は身を乗り出し、飛び降りた。体が沈んでいるのを感じながら、俺は無性に嬉しかった。俺は、倫理には屈しなかった。俺は、俺を持ち続けた。俺は、倫理を否定できた。そんなことを考えているうちに、俺の体は地面に叩きつけられ、瞬く間に肉の塊となった。
そんな俺の姿を、倫理のやつはなぜか笑いながら指をこちらに向け、こう言い放った。
「あいつは自分で自分を殺した。それはやっちゃいけないことだ。あいつは、大馬鹿者だ」
薄れゆく意識の中、なぜ倫理の奴がそんなことを言ったのか不思議に考えていると、肉塊となった俺の体からは、なぜか一つの植物が生え始めていた。
そいつは、俺の中で育っていた倫理だった。結局、倫理のやつから俺は逃げることはできなかった。俺は自分の命と代償に自分を保持しようとしても、結局倫理のやつは俺に自由を許さなかった。その様は、冬虫夏草そのものだった