第66話 黒のウェディングドレスの意味
「関係者様の観覧エリアはこちらになります」
「ど、どうも」
会場スタッフの方に礼を言って、言われた席に座る。
まだ開場前のコンサート会場の上階の席。ステージ正面に位置するのが、関係者席に通される。
関係者席と言うと、てっきり前方の近い席なのかと思ったが、意外な事にステージからは遠い。
「ここがコンサートの関係者席か。関係者席って、要は記者の人たちも座る席だから、ステージと客席の反応の全体が一様に見れる位置になるんだって」
「なるほど。確かに、ステージの近くに身内がいるのが見えたら、集中が削がれるか」
授業参観で親が観てたら気恥ずかしいのと一緒だな。
「けど、無料で歌姫ラピスのコンサートに来れるとはラッキーだぜ」
「父さんと母さんは、仕事の都合で帰国できないから、どうせ2枚余ってたしね」
今回、瑠璃が用意してくれたコンサートの関係者席は3名分。
家族分という事で申請してくれたようで、あまった2枚で優月と珠里を誘ったのだ。
「しかし、こうして見ると、本当に瑠璃って歌姫ラピスなのね」
「最近は、お兄ちゃんの一心に絡みついている印象しかないぜ」
受付時にもらったコンサートのパンフレットに描かれた、歌姫ラピスとしての顔と、妹の瑠璃としての顔。
以前の俺は、それを同一視していた感があり、そのため瑠璃との心の距離が出来てしまっていた。
だが、あの部屋の存在のおかげで、兄妹としての距離と言うものが、お互いがお互いを労わり、大事に想っていたからこそ生まれたものであることが解ってからは、以前のような心のモヤモヤは払しょくされた。
その点だけは、セックスしないと出られない部屋に感謝してもいい。
本当にそこだけはな。
あと、こんな事に巻き込んだ駄目女神様は許さん。
「けど、俺って恵まれすぎてるよな……」
ふと、口をついて独り言が出てしまう。
「そうね。妹が歌姫ラピスってだけでも凄いのに、更にこんな美人に囲まれてるんだから」
「そうだぜ一心。このハーレム野郎め」
優月と珠里が茶化しながら、両腕にしがみ付いて来る。
「本当にそうだよな。俺は恵まれすぎてるよ。こうして、家族にも周りの交友関係にも恵まれて。本当にありがとうな、優月、珠里。俺は幸せだよ」
「ど、どうしたんだ一心?」
「さ、さぁ? 何これチャンス?」
優月と珠里が、自分たちの半ばふざけたじゃれ合いに、俺が本気で返してきたことに戸惑っている。
しかし、俺の方は全然別の事を考えていた。
先日の東横さんとのやり取りが頭の影にチラつく。
何不自由ない家庭で育ち、妹は有名人で、そのコネでコンサートを楽しむ俺に対し、東横さんのように、親の愛情すら満足に得られずに孤独に苛まれている子もいる。
その事に、言い知れぬ罪悪感のようなものがふと頭の中をよぎるのだ。
って、いかんな。今は、瑠璃のコンサートを楽しまないと。それこそ、チケットを用意してくれた瑠璃に失礼だ。
俺は、頭を振って思考を切り替える。
「ん? スマホに連絡が」
コンサートに集中するためにマナーモードにしようかと思ってスマホを見ると、通知が来ていた。
『お兄ちゃん。助けて』
俺は、迷いなくあの部屋を展開し、瑠璃の名を相手に選んだ。
◇◇◇◆◇◇◇
「ありがとう、お兄ちゃん。来てくれるって信じてたよ」
はにかんだ笑顔で、瑠璃が俺の前に立つ。
「す……凄い衣装だな」
「今回のコンセプトは、ウェディングドレスだからね」
ウエストラインから、フランス人形のようにスカートがふわりと広がるプリンセスラインのウェディングドレスを身にまとった瑠璃が、微笑みかけてくる。
「けど、珍しいな。黒色のウェディングドレスなんて」
「そこには、ちゃんと意味が込められてるから」
「へぇ~、どんな意味が」
「そんな事より、お兄ちゃん。助けて欲しいの」
「お、おう。そうだったな。どうしたんだ? 瑠璃」
しかし、コンサート開演直前に切迫したようなメッセージを飛ばしてきたが、見た限り瑠璃は元気そうだが?
「ちょっと、お兄ちゃん成分が枯渇していたから充電させて。今の私は空っぽなの」
しおしおと、瑠璃は床に大げさに倒れ伏してみせる。
「何だそりゃ」
「あー、お兄ちゃん成分が充電できないとステージに上がれないー。コンサートが中止になったら、ファンの表情は曇り、子供は泣きだし、今泉社長が方々に土下座行脚して、背広のパンツの膝が擦り切れることに!」
「空っぽって言う割に、すげえ早口で喋るじゃん。何がして欲しいんだ?」
俺は、半分諦めながら瑠璃にリクエストを尋ねる。
「結婚式ごっこしよ、お兄ちゃん」
「ああ、こんな衣装を着たからしたくなったのか。しかし、俺の方はこんな格好だしな……」
瑠璃の方は花嫁衣裳俺の方は、コンサートに来た時の格好のままだ。
屋外コンサートではないが夏なので、Tシャツにハーフパンツという動きやすい格好なので、とても結婚式ごっこには向かない気がするが。
「じゃあ、妹の結婚に反対して、結婚式場本番に乗り込んで花嫁の妹を奪いに来たお兄ちゃんって設定で」
「そんな事をしでかしたら、両親親族から絶縁されるわ」
それって、実際に現実でやっちゃうと慰謝料がエグい事になる奴じゃん。
ごっことは言え、そういう周囲を巻き込む系のお話は嫌だ。
「え~、私はそっちの設定の方がキュンと来るのに」
「けど、こっちの方がいいだろ?」
そう言って、俺は仮想ウインドウを走らせる。
「んん⁉ お兄ちゃん、カッコイイ……」
瞬時に切り替わった俺の純白のタキシード姿に、瑠璃がくぐもった悲鳴を口元で抑えつつ、褒めてくれた。
「いい……私の黒のウェディングドレスと対をなす白いタキシード。お兄ちゃん解ってるね」
「さらに、こう」
俺はさらにパパパッと仮想ウインドウを走らせる。
「キャ! バージンロード!」
本当に、この部屋はなんでも出来るな。
瞬時に、レンガ造りで正面に鮮やかなステンドグラスが輝くチャペルが現れた。
「本来は、父さんが瑠璃の横を歩くんだろうけど、今はごっこだから俺で我慢してくれ」
「ふふっ。兄妹が2人きりでこっそり上げる結婚式みたい」
エスコートポーズをとった俺の腕に、するりと瑠璃が腕をかけ、ゆっくりと一歩ずつバージンロードを歩く。
ごめんな父さん。
娘を持つ父親の夢だろうが、先にやらせてもらっちゃいました。
「私……今、幸せだよ、お兄ちゃん」
「そうか」
バージンロードを歩き切り、本来なら神父から誓いの言葉を問われる場で、2人で見つめ合う。
「小さな頃からの夢がかなったよ……」
「瑠璃の夢は歌姫になることじゃなかったのか?」
「実現可能性で言えば、お兄ちゃんとこうして結婚式を挙げられる可能性は0パーセントだったから。両方の夢を叶えられた私は本当に幸せ者だよ」
瑠璃が涙ぐみながら、俺の方を見て笑う。
瑠璃は完全に花嫁に浸りきってるな。
衣装やセットは本物みたいなものだから、それだけ没入できるのか。
「お兄ちゃん、私ね。もう私の夢は叶ったから、これからは皆に幸福を分け与える事に尽力しようと思うの。歌姫ラピスとしての活動もそうだけど、これからは慈善活動にも力を入れようと思ってて」
「それはいい考えだな」
2人きりの式なので、式次第もなく、自由に2人で話をする。
「そういった慈善活動を発展させて、アヤメ様を祀る宗教法人の設立へ繋がって」
「そこは、考えなくていいかな……」
まだ、その話を諦めてなかったのか瑠璃は。
やり口が、大学とかのボランティアサークルに偽装した宗教勧誘と一緒じゃないか。
「けど、俺も何かしたいと思っていたんだ。世の中には、幸せが足りない人が多いんだなって思いしらされてさ。さっきも、瑠璃に呼び出されるまで、その事で凹んでて、優月や珠里を心配させちまった」
「それは私も思う。ファンの子から貰うファンレターにも、『ラピスの歌があるから、この辛い現実を生き続けることが出来る』っていう言葉があるのをよく見るんだ。そういう人の慰めになるのは嬉しいんだけど、直接、その人の悩みや苦しみを解消してあげることは出来ないんだなって歯がゆく思う事もある」
俺の独白に当てられてか、瑠璃も真剣な顔で返す。
「って、ごめんな重い話をしちゃって。結婚式っぽくも無いし、コンサートに向けてテンション上げて行かなきゃいけないのに」
「ううん。私、お兄ちゃんの助けになりたいの。だから、お兄ちゃんのやりたいことがあった全力で応援するよ」
「瑠璃……」
「この部屋の管理権限をもってしても、出来ない事なんでしょ? なら、私がラピスであることを全面的に利用して」
瑠璃には、色々とお見通しって訳か。
「じゃあ、瑠璃。俺の考える慈善事業に出資をして欲しいんだ。内容は」
「うん全額私が出資するよ」
「はや! まだ、何も内容を言って無いだろ」
事業内容をプレゼンしようと思ったのに、即座に被せるように瑠璃が全額出資を決める。
「だって、お兄ちゃんだもん。私利私欲のためじゃなくて、みんなのための事業なんでしょ?」
「それは、そうだな」
「じゃあ、問題ないよ」
たしかに、歌姫ラピスとしての資力がある珠里からしたら、訳の無い金額ではあるだろう。
事業に関して、セックスしないと出られない部屋の機能で調達可能な物については、こっちで準備するつもりだし。
ただ。
「あんまり身内だからって、そうやってお金をホイホイ出すのはダメなんだぞ」
俺は、兄っぽく妹の瑠璃の軽い決断を咎めた。
こういうお金のことで、せっかくの瑠璃との仲がこじれるのは嫌だったし。
「それ、事務所や先輩芸能人の方からも口すっぱく言われた。でも、私はお兄ちゃんにエッチをちらつかせながらお願いされたら、それこそ全財産出しちゃうだろうな」
「……それは無いから安心しろ」
「なんだ残念~」
瑠璃の本気とも冗談ともつかぬ発言に、俺の方はどぎまぎするしかない。
「じゃあ、出資のお礼だけはもらおうかな」
「お礼?」
瑠璃の言葉に俺の方は思わず身構える
またショタ版セクサロイドを出せとか言うんじゃないだろうな?
「結婚式ごっこの続き」
「なんだ、そんな事ならお安い御用」
「結婚式のフィナーレって言ったら、やっぱり誓いのキスだよね」
安堵しかけた俺に、急転直下の爆弾が投げ込まれる。
「ちょっと待て瑠璃。え? 本気で?」
「うん。フリじゃなくてちゃんとした口づけ。ほっぺにチューはNG」
聞き返した俺に、誤解の余地がないように瑠璃が答える。
「そ、そんなの実の兄妹で出来る訳ないだろ!」
「逆だよお兄ちゃん。兄妹なんだから親愛のキスみたいなのあるじゃない」
「豊島家にそんな文化無いだろが!」
「チッ、じゃあ出資の件、どうしようかな~」
「ぐ……」
瑠璃が、愛を誓う教会で、最低な駆け引きをしてくる。
お金のことを盾にされると、こちらとしては弱い。
シチュエーションも相まって、まるで、存続の危うい教会への支援のために支援者のおっさんに迫られる修道女にでもなった気分だ。
「な~んて冗談だよ。ちゃんとお兄ちゃんの事業には金は出すよ」
「な、なんだ。冗談か良か」
「隙あり」
「む!」
瑠璃から冗談だと聞いて胸を撫でおろし、つい身体を弛緩させた直後に、瑠璃に唇を奪われる。
黒い新婦が純白の新郎に覆いかぶさるように抱き着いて来る。
キスを新婦からするなんて、本来の結婚式とは真逆だ。
真逆。
純白ではなく漆黒のウェディングドレス。
純白のウェディングドレスには、『あなた色に染まります』という意味があると聞いたことがあるなと、唇を放し、してやったり顔で笑いかける瑠璃を眺めながら思い至った。
◇◇◇◆◇◇◇
「ちょっと一心。何ポケーッとしてるの。瑠璃のコンサート始まるわよ」
「……あ、ああ。ありがと優月」
「どうしたのよ? さっきからボーッとしちゃって」
気付くと、コンサート会場は満員御礼で、開演を今か今かとファンたちが待ちわびている所だった。
あの部屋から戻って来た時の記憶が曖昧だ。おかしいな、あの部屋の記憶消機能はオフにしていたのに。
「みんな~、今日は来てくれてありがとう!」
「うおおぉぉぉおおお! ラピスぅぅううううう!」
「こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう!」
ぼんやりとした頭だったが、瑠璃がステージに登場したのと、それに呼応するファンたちの熱狂により、嫌でも意識が覚醒してくる。
「あ、出てきた。頑張れ瑠璃~、じゃなくてラピス~!」
「おお。コンサート衣装は黒のウェディングドレスか。格好いいぜ」
「まぁ、一心としちゃったから純白は着れないのかもね」
関係者席という事で、階下の席とは違って落ち着いた雰囲気という事もあり、優月と珠里は関係者っぽく、瑠璃のコンサート衣装についての感想を言い合っている。
「でも、黒は黒でウエディングドレスとして有りだって聞いたことあるぜ。私も肌は小麦色だから黒も似合うかと思って調べたことあるんだ」
「白玉さんは顔に似合わず、本当に乙女だよね」
「うっさいよ優月っち!」
優月に茶化されて、珠里が顔を真っ赤にして照れ隠しする。
と、ここであの部屋で俺も疑問に思ったことについて珠里が知っていそうだったので、尋ねることにする。
「なぁ珠里。黒のウェディングドレスってどういう意味があるんだ?」
「黒のウェディングドレスには『あなた色以外には染まりません』って意味があるんだぜ。一生を添い遂げる覚悟って奴だな」
「そ……そうなんだ」
後日、この瑠璃のステージ衣装については、エンタメ各所でも話題となった。
記事には、黒のウェディングドレスをラピスが着たのは、『自分は歌と結婚している』、『私は何物にも染まらない』という歌姫ラピスとしての覚悟を示したものだという考察が書かれていたが、瑠璃が込めた意味は本当は違うんだよなと思いつつも、それを指摘する訳にいかず、一人で抱えることになった。
まったく。
お兄ちゃんの手を焼かせる妹だ。