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【つづく】天楼国物語~新米道士と科挙試験~  作者: 月食ぱんな
新米道士と過去の恋
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004 価値観の違い

 依依イーイー凛玄リンゲンに告げられた例の場所、杏山あんざん内にある泉に向かうと、既に愛しい人の姿があった。


 凛玄は泉を囲む石の上にあぐらをかいて座っている。

 そして僅かに吹き込む風により、滑らかに波打つ水面をぼんやりと見つめていた。


 依依はそんな凛玄の姿を木の幹の合間から半身を覗かせこっそりと眺める。


 物憂げな表情で水面を見つめる凛玄は儚げで今にも消えそうだ。

 その姿を目に映した依依は途端に心に抱えていた怒りが急速に静まるのを感じた。


(今更嫌いになんてなれないってことか……なんか自分にむかつく)


 生まれてからずっと頼りにし、その背中を追い続けた依依にとって最愛の人物。

 それはあんな事があってもやっぱり凛玄なのだ。


 掌門(しょうもん)に別れろと念を押され、凛玄に近づけないよう道長の任まで押し付けられた。だからこれは諦めるしかない恋心だと依依は理解している。けれど心ではまだ凛玄の姿を目に移し、胸が高鳴る気持を捨てきれない。

 そんな自分の厄介極まりない思いを再確認し、依依はどう表現していいかわからない、複雑な感情を抱える。


「依依、いるんだろ」


 依依の気配に気付いていたらしい凛玄が水面を見つめたまま、依依に静かに声をかけた。


「うん、いる」


 何となくいつものように明るく駆け寄る事がためらわれた依依。

 わざとらしく、凛玄から顔をそむけゆっくりと凛玄の座る岩場に近づく。


「依依、ここに」


 いつものように凛玄は自分の隣にある平らになった場所を叩く。


「ここでいい」


 依依は凛玄が座る岩の上に敢えて登らない事にした。

 その代わり、凛玄の足元で顔を背けたまま腕を組み岩に背を預ける。


「もしかして、怒っているのか?」

「わりとね」

「俺も今朝聞かされたんだ。だから怒っている」

大師兄だいしけいが怒っているのは、掌門に対してでしょ?私は大師兄に怒ってる」

「俺に?」


 頬を膨らませる依依の脇にストンと凛玄が降り立つ。


「言っておくが、俺は思蘭スーラン公主に色目を使ってない。以前光玄こげん部の任務で思蘭公主の護衛についた。どうやらその時俺を気に入って下さったそうだ」


(そういう事じゃないんだけど)


 依依は凛玄のお気楽な勘違いにがくりとなる。


「私はそこに怒っているわけじゃないよ。凛玄兄様が私を妾になんて言うから。私はそこに怒ってるんだけど」

「でもそうするしかお前と一緒にはなれない。まさか公主様を妾にというわけにはいかないだろう?」

「それで、凛玄兄様は私を妾にしてどうするつもり?」


 凛玄は依依の肩を掴みくるりと体を回した。そして依依としっかり顔を合わせる。


「今と同じように、お前を一番大事にする」

「無理だよ」

「無理ではない」


 大真面目な顔を依依に向ける凛玄。

 その表情はやましさのかけらを微塵も感じさせぬ清らかなもの。むしろいさぎよすぎるくらいだと依依は思わずため息をつく。


 何故ならその潔さがそのまま価値観の違いに直結するからだ。そしてそれはきっとこの先永遠に交わる事はなく、依依と凛玄の間に立ち塞がるのである。


「凛玄兄様。私の両親は杏山で生まれ育った杏玄流の道士だったけど、でも庶民みたいなもの。だから私の身分が思蘭公主様に到底及ばないのは理解している。でもだからこそ私は普通がいい」

「普通?」


 訝しげな顔を依依に向ける凛玄。


「普通に一番好きな人と結婚して、その人も一番私を好きでいてくれる。ささやかでもそういう人生がいいと私は思っていたし、今だってそう思ってる」

「俺は依依を一番に思っている」

「でも公主様とも婚姻を結ぶわけでしょ?」

「それは杏玄流の為に仕方のない事だ」

「そうだね。確かに仕方がないことだと思う。けど、妾となり生きる人生なんて私にとっては認めがたいってこと」


(そう。私は好きな人を誰かと共有するのは嫌)


 依依は口に出し、ハッキリとその気持を再確認する。

 それに庶民は庶民なりに結婚に理想を抱き、それを叶える未来があってもいいはずだ。


「じゃ、どうしたら」

「私と凛玄兄様は住む世界が違う。だから私は凛玄兄様と結婚は出来ない」


 依依はきっぱりとそう告げ、自分の言葉が心に突き刺さり涙がじわりと目尻に滲む。


(もうやだ、だけどこうするしかないじゃん)


 依依は自分の肩に乗せられた凛玄の大きな手のひらを無理矢理剥がす。


「俺の気持ちはどうなる」

「自分でどうにかして下さい」


 依依は言い逃げをしようと凛玄に背中を向ける。


(私だって自分の事で精一杯なの!!)


 依依はつい溢れ出た涙を、乱暴に深衣しんいの袖口で拭う。

 そして凛玄に対する名残惜しい気持ちを振り切るように一歩足を踏み出した。


「俺はお前以外を愛せる自信などないし、お前を手放すなんて嫌だ」


 凛玄は背後から依依をしっかりと抱きしめた。

 依依にとって、大好きな人に抱きしめられるという状況は生まれてはじめての経験だ。


(私だって、凛玄兄様が好き。大好きだよ。でもだからってどうする事も出来ないじゃん)


 依依は堪え切れず声を上げて泣きだしてしまう。

 いつもは照れながらも嬉しい気持ちが勝っていた凛玄からの愛の告白。


 それが今はズシリと重く依依の心にのしかかる。


(だって妾になんてなりたくない)


 依依にとって二番は絶対に無理だし何よりそういう婚姻関係は嫌だと思う。

 そして何人も妻を持つ事が当たり前だと思う凛玄とは一緒になったとしても、また価値観の違いから揉める事はこの時点で既に容易に想像できた。


「依依、お願いだ。俺から離れていかないでくれ」

「じゃ、杏玄流を捨てて私と逃げて下さい」

「それは……」


 凛玄が依依を抱きしめる腕を緩める。依依はその瞬間、思い切り凛玄の腕から逃げ出す。そして凛玄と距離を取り大きく息を吸い、覚悟を決める。


「杏玄流と私。凛玄兄様はどっちを選ぶんですか?」


 依依は究極の選択を凛玄に迫る。


「その質問はずるい」

「はい。ずるいです。だって私は凛玄兄様……大師兄が杏玄流を捨てるなんて選択を取れない事を知っていますから」

「そうだ、俺は杏玄流も依依も同じくらい大事だ。だからどちらかなんて選べない」

「その答えはずるいですよ、大師兄」

「最初にずるい質問を俺にぶつけたのはお前だろう」

「そうですね。でもどちらも捨てたくないから私を妾にしよう。その考えが私には理解出来ないし、どうしても受け入れがたいんです。それに今後大師兄は私に飽きたらまた新しい女性を妾として娶る可能性だってあるって事じゃないですか。そんなの私は嫌です」

「妾なんてただの名称なだけだ。俺の心はお前にある。それを信じられないのか!!」


 凛玄は苛々とした声で依依に迫る。

 依依は凛玄が自分に近づいた分、後ろに下がる。


「大師兄は杏玄流の大事な跡取りです。だから私を無理矢理妾にする事も出来る。でもこうして私の意思を尊重する機会を与えて下さった事に感謝します」

「答えになっていない」

「私はこれからも一人の道士として、杏玄流の繁栄を祈っています。この度は思蘭公主様とのご婚約、おめでとうございます」


 依依は頭を下げ、そして凛玄に背を向け走り出す。


「依依!!」


 静かな森に響き渡る自分の名前。

 出来ることなら今すぐ振り返り、謝罪し、凛玄の胸に飛び込みたいと依依は切に願う。


(だけど、それはしちゃいけないこと)


 凛玄が杏玄流を捨てられないように、ここで生まれ育った依依もまた杏玄流の人間だ。

 掌門が凛玄と依依の婚姻を認めない。そう態度で示したのだからそれに従うという選択しか依依には取れないし、知らない。


(凛玄兄様、大好きです)


 依依は頬を伝う涙にも構わず、がむしゃらに森の中を駆け抜ける。

 この涙と共に、凛玄への想いが綺麗サッパリ断ち切れますようにとひたすらに願いながら。

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