ある野鳥の日常会話
12月頃、近くのため池にバードウォッチングに出かけて、一つのレンズに三種類のセキレイを収めることができた感動をふと思い出し、小説にしてみました。
普段は棲み分けして喧嘩も絶えない彼らですが、冬場は意外に仲良しで、こんなことを話していたらいいなぁ…的な妄想ストーリーです。
初冬の晴れた日の朝。
ため池のなだらかな岸辺に、似たような容姿をした三羽の鳥が佇んでいた。彼らは一様に、尾羽をひたひたと上下に振るわせている。
不意に、一羽の澄んだ声が響く。
「"キ"がこんな下流近くに来るなんて珍しいですね」
キと呼ばれたお腹の黄色い鳥は、うんざりしたように鼻を鳴らす。
「冬は食べ物が取れんのだから仕方ないだろう。上流にいけばいくほど寒い。食べ物も温かいところに集まる…となると、こうならざるを得ん」
一際甲高い声で、冬の世知辛さに不平を鳴らす。
彼らにとって食べ物とは主に昆虫類である。夏は食べ物に困ることは少ないが、この時期は毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際である。
「その気持ち、よく分かるよ。キほどじゃないけど、中流も似たような有様だしなぁ」
濁った声で相槌を打ったのは、目元と背中を真っ黒な羽毛に包む"セグロ"であった。
三羽の中でも明らかに異質な地声。しかし本気を出した時のさえずりは二羽に勝るとも劣らない。
「その点、"ハク"は恵まれているな。食べ物に困ったことなど、生まれてこの方一度も無いのではないか?」
露骨な皮肉を込めて、黄色い鳥はその矛先を一瞥した。
「そんなことないですよ。冬は私も苦労してます。それどころか、普段は上流の"それはそれは"素晴らしい食べ物を得られないだけ、損してるってもんです」
白い目元と鈍色の背中、ハクと呼ばれた彼は飄々と皮肉を返してみせる。
それを聞いたキは、とことことハクへと近づく。ハクも同様にキへと歩み寄る。
お互い「もう一度言ってみろ」と言わんばかりの剣幕で、強く尾羽を地面に打ちつけ合っている。
「まぁまぁお二人さん、睨み合ったって食べ物はやって来ないよ。無駄な体力を使わないよう、大人しくしてるのが得策ってものさ」
セグロのさばさばとした仲裁に、白と黄色の鳥はぷいっと顔を背けた。
「冬でなければこんなところになど…」
「本来は私の領域なんですけどね…」
「仕方ないじゃないかご両人、ここが絶好の狩り場なんだから」
食べ物が現れるのをひたすら座して待つ三羽。鳥の本能として、ここが最も効率的な狩り場であることを知っているのである。
それに加えて、必要最低限以外の動きをしたくないので、本当に仕方なく同じ場所で羽を休めているのだ。
というのも、実はこの三羽、夏場はとにかく仲が悪い。
小競り合いなど日常茶飯事、毎日激しい縄張り争いが繰り広げられる。餌場や異性の奪い合いで、同じ色をした仲間同士ですら喧嘩になるほど、元々荒い気性なのだ。
そんなものだから、上流にはキ、中流にはセグロ、下流にはハクといった具合に棲み分けがなされるのである。
本来であれば、こんな近くで語り合うことなど、もってのほかであった。
「それにしても、今日は不作ですね…」
ハクが済んだ声でぽつりと漏らす。今日はなかなか獲物が現れない。
「どこかの白い鳥が全部食べ尽くしてしまったのではないか?」
「あらあら、キが来てからですよ。こうなってしまったのは」
事あるごとに突っかかる二羽。
このままではずっと口喧嘩に付き合わされてしまいそうだと、セグロは内心辟易していた。夏なら姿を見ただけで問答無用でバトルだが、これはこれでねちねちとして居心地が悪い。
やれやれと肩をすくめながら、黒い鳥は濁った地声を響かせる。
「まぁまぁ、そのうち出てくるって。それよりさ、せっかくだから面白い話を聞いてくれないか」
「面白い話ですって?」
真っ先に食いついたのはハクだった。人里近いところに住む彼は、山奥にしか住まないような恥ずかしがり屋の鳥たちより、世俗の情報に敏感であった。
「ああ、夏にツバメから聞いた話なんだけど、"飛べない鳥"なんてのがいるらしいよ」
「飛べない鳥だと…? そんなものが存在しているというのか」
不可解な単語に、すかさずキが甲高い声で反応した。世俗に興味がなさそうな彼でも、さすがに引っかかる言葉だったようだ。
「ツバメと同じ電線に止まった時に聞いたんだ。遥か南には、飛べない代わりに走ったり泳いだりするのが得意な鳥がいるってね」
「それはウサギや魚とどう違うのだ?」
「南には猫も蛇もいないんですか?」
二つの声がぴったりと重なる。「私が先に言った」とは言わないまでも、またもや睨み合う二羽。
いつもこの調子である。
「僕も詳しいことまでは分からないなぁ…ツバメも向こうに住んでる鳥からの聞き伝えらしくてね」
「私たち鳥にとって、飛ぶことはアイデンティティそのものだ。それをなげうってまで得た姿とは、一体どんなものなのだろうな…」
その問いかけに、全員がそれぞれ想像力をはたらかせる。
尾羽を振ったり止めたりしながら、静かに時だけが過ぎていく。
「…正直言って、足の速さは私たちセキレイが一番かと思っていますが…」
謙虚に、それでいて自信ありげにしじまを割いたのはハクだった。
鳥の歩き方は二つに大別される。
一つはぴょんぴょん、ホッピングである。木々の枝から枝へ飛び移る時などに便利で、代表的なのはスズメだろうか。
だが、足が速いとは言い難い。
「確かに、僕たちが猛ダッシュしたら人間くらいは撒けるからなぁ」
もう一つはとことこ、ウォーキングである。地面を長時間、長距離移動することに適している。代表的なのはキジバトだろうか。
セキレイもこちらに分類され、素早く足を交互に出すことで鳥類の中では驚異的な脚力を発揮する。翼を使わないという条件下では、この界隈では最速に近い。
「とはいえ、猫に簡単に追いつかれてしまう程度の速さだ。南にいるというその鳥は、猫よりも遥かに速いのだろうな」
「あるいは、猫が存在していないのかもしれません」
二羽の意見が食い違ったが、珍しく何の衝突も起きなかった。それもそのはず、猫より足が速い鳥の姿など簡単に思い浮かぶはずもなく、かといって猫のいない世界も想像しにくい。足が速い鳥の話は岩礁に乗り上げてしまった。
答えの出ない話に業を煮やしてか、キがもう一方の話題を口にする。
「泳ぐ鳥といえばやはりカモだが…」
その視線の先には、優雅にため池の水面を揺らすヒドリガモの群れがあった。
「確かにカモは泳ぎが上手いけど、そんなに速くないしなぁ…」
カモはずっと水面にいられるが、すいすいといった程度でそこまで速さは感じない。
「カイツブリやカワウなら潜水して魚を捕まえますし、泳ぐ速さは彼らが一番でしょうか」
水中を自由自在に動き回れる彼らなら、泳ぎが速いといわれて一番しっくりくる。
しかし、彼らは飛ぶことができる。飛ぶことはできないが泳ぎは上手い…という姿はやはり想像しがたい。
ここに来て、セグロが思い出したように付け加える。
「ツバメの話だと、彼らよりも速くて、しかも軽く五分以上潜ってられるらしいよ」
「なんだと…」
「なんですって…」
驚きの声がぴったりと重なったが、それも無理もない。泳ぎの名手であるカワウでさえ、潜っていられる時間は長くて二分くらいなのだ。五分を軽く超えるなどというのは、もはや化け物レベルである。
「世界にはとんでもない鳥がいるのだな」
「飛べない鳥はただの鳥ではないということですね」
二羽は感慨深げな表情でうんうんと頷いていた。
いつもは仲が悪い自分たちが、興味深い話を前にすると自然と打ち解けてしまうというのは、存外に面白い。
セグロは得意げに尾羽をばたつかせた。
「春になったら、帰ってきたツバメからまた色々と聞いてみるよ」
彼らは今頃暖かい南国で、この寒さとは無縁の生活を送っていることだろう。
同じ渡り鳥という意味なら、そこにいるヒドリガモたちも越冬のためここに来ている。もしかしたら彼らからも面白い話が聞けるかもしれない。
今度時間がある時にでも聞いてみようと、セグロはそんなことを考えていた。
「ところで…さっきから私たちを遠くから見てるあれは、一体何なのだ?」
じとりとまとわりつく不快感に、キは痺れを切らしていた。
彼が見やる方向には、何か不思議な黒い物を構えてこちらを凝視する人間の姿があった。距離も離れているし、敵意も感じないので放置していたが、じっと見られるというのはやはり心地良いものではない。
「人間のことはよくわかりませんが…彼らは基本的に何もしてきませんよ」
この三羽の中で最も人間と身近なハクは、そうはっきりと断言した。
「たまに人間の子供に追いかけ回されますが、蛇よりも鈍いので逃げるのは簡単です」
「どうして追いかけ回されるのだ?」
「さぁ…理由は分かりません。別に取って食うつもりはないようですが…理解に苦しむ不思議な生き物です」
セグロも呆れたように続ける。
「人間ねぇ…よく分かんないんだよねあれ。一番意味不明だったのは食べ物をくれた時かな」
「…といっても虫じゃないのだろう?」
「そうだね…何か穀物みたいなものばっかりでさ。頑張れば食べられるけど、あんまり美味しくないんだよね、あれ。スズメやドバトなら喜んで食べるんだろうけど…」
「うむ…全くもって意味が分からんな」
最も人間に馴染みがないキでさえ、彼らの不可解な行動には首を傾げるしかなかった。
「いや…」
「まぁ…」
「それにしても…」
食べ物の話が出たことで、三羽は自然と狩り場に目を落とす。
「来んな…」
「来ませんね…」
「来ないなぁ…」
ため池にコガモの群れが飛来し、水面に大きな波紋を作っている。
三羽のセキレイと一人のバードウォッチャーの朝は、のどやかに過ぎていった。