H、乱暴してしまう
日が落ち、空が暗くなり始めた頃、私は駐車場に向かいました。
私とは逆に、これから大濠公園に入ってこようとする人たちもいて、そのため昼間より少し人数が増えているようでした。
公園の出口に誰かが座っていました。
ホームレス風の五十代男性と、小学生ほどの子供。
男性の息子であろうということはすぐに分かりました。
どちらもボロボロの服を着て、広げたダンボールの上に正座をして、視線をこちらに向けていました。
「え~、右や左のだんな様……この子の為にお恵みを」
などという台詞を口にしそうな雰囲気を漂わせていました。
二人の前には欠けた茶碗が置いてあり、それにはいくらかのお金が入っていました。
真冬でも、彼らはこんなことをしているのかと不快に思いました。
冬なら、寒さでかじかんだ両手に息を吹きかける少年を見て、かわいそうだとか、ちょっと哀れに思ってお金を入れる人もいるでしょう。
現に今だって、茶碗の中には札が投げ込まれています。
コノナマケモノ!
私が引きこもっているとき、よく言われた言葉です。
イイトシシテ、ヘヤニトジコモッテハタランナイナンテ!
アナタヲヤシナウノモ、タダジャナイノヨ!
イツマデモアマエテナイデ、ハタラキナサイ!
結局、私は働くことができましたが、所詮はアルバイト。
時給850円のレジうちでした。
Sさんもスーパーのレジ打ちをしていたそうですが、Sさんの場合、時給750円だったらしいです。
私がバイトで稼いだ金は生活費として親に取られていました。
「普通に働いていれば、もっと稼げたんだけど」
親が私にこんなことを言ったことがあります。
誰のせいだ、と親が憎くなります。
高卒では、仕事がないのです。
高卒という学歴を見ただけで、いらない、といわれる時勢なのです。
大学へいけなかったのは、金がなかったから。
それでは、生活はどうだったのか。
収入に見合う生活をしてきたのか。
否。
生活のレベルを落とすことはなかったのです。
父親の再就職は意外とすぐに決まった気がします。
母親はなかなか決まらなかった、と言うでしょうが。
もし大学にいっていたら、私は普通に仕事についていたかもしれない。
もしかして奴らは、自分たちの生活水準を維持するために、私に進学を諦めさせたのかもしれない。
私は優秀な姉とは違う!




