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L3 killing of genius "H"  作者: 迫田啓伸
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H、回想を始める-2

 少し、私の話をさせていただけますか?

 私は、元々積極的なほうではないのです。

 生まれつきの引っ込み思案なのかもしれません。

 初めて会う人には、何を話したらいいのかわからず、また、ちょっと恥ずかしくて、何も話せませんでした。

 そのせいかもしれませんが、私には友達と呼べる存在はいませんでした。

 学校が終れば一人でさっさと帰りました。家に到着しても、誰とも遊ばず、勉強していました……させられていました。

 そうしないと怒られるから。

 母は、結婚する前は教師をしていたと聞いています。

 そのせいで教育熱心だったのだと思います。

 子供の頃、よく隣にいて、勉強を見ていました。

 親戚はなぜか「良かったね」と言っていましたが、何が良いのか今でもわかりません。

 むしろ、うるさくていやでした。

 姉は要領のいい人で、成績は良く、友達と呼べる人も多かった、と思います。

 母親も姉の勉強も見ていましたが、私ほど口うるさくなかった気がします。

 友達の作り方なんて、知りません。

 時々、公園や空き地で、友達同士で遊んでいる子供たちを見ると、イライラするのです。自分の胸の深い所が抉り取られているみたいで。

 どうして、あの子達はよくて、私には無理なのだろう、と。


「どうせ卒業したら、別れてしまうのだから」


 両親はこう言っていたのを思い出しました。

 確かに、小、中、高校を卒業した後、私は誰とも連絡を取らなくなりました。

 いや、連絡を取るほど人間関係の広がりがなかったのだと思います。もしかしたら、同窓会があっても、私は呼ばれていなかったのかもしれません。

 友達を作る時間があったら、その分勉強しろ、と。人生は競争で、友情とか甘いことを言っていたらいつの間にか置いていかれ、後に残るのは惨めな人生だけだ、と。

 これは父が言っていました。

 父は九州でも有名な信用金庫に勤めていました。それなりに給与や待遇なども高かったと思います。

 そして、その地位に居続けることが出来たのは、父がそれまで努力してきたため。先ほどのような発言が出るのも、それまでの人生経験が基になっているのかもしれません。


 言いたいことはわかります。

 でも、私は他の子供たちがうらやましかった。


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