H逃走-4
森の中には洞窟とか祠とかが、あるわけもなかった。
一時的に止んだかと思った雨も再び降り始めてきた。
梅雨の季節だということもあり、緩やかだが雨粒は大きく、長時間降り続きそうだった。
しかも日は沈み、森の中はほぼ真っ暗。
もう歩けない。
道路からはかなりはなれた場所を歩いていた。今ではどの方向に車道があるのか、わからない。休もうにも座る場所が無い。くしゃみと身震いが止まらない。
「そういえば、Sさんも雪の降る日に、公園の土管で寝るのは寒かったって」
一本の木にもたれかかった。
朝になるまで、この場で待つしかないようだ。寒さに耐えようと自分の両腕で、自分を抱くような体勢をとった。
予備に持ってきていた自分の服は、すっかり雨にぬれていた。
それからどれくらい、時間が経ったのだろう。
雨が止む気配はまったく見られない。
また、太陽が昇るのにはまだ早い気もする。
手探りで座れる箇所を探す。手には雨にぬれた草の感触ばかりが残る。足元が暗く、つまずかないように注意しながら、そろそろと移動する。
ようやく地表に出ている木の根を探し当て、それに腰掛けたときにはもうくたくただった。その間も雨は降り続けた。髪や服はもちろん、着の身着のままで水に飛び込んだみたいだ。
雨粒が目に入り、目にしみた。目が痛くて開けられなかった。
時々風が吹き、木の枝を揺らす。
ざわざわざわと木の葉がこすれ、枝にたまった水滴が零れ落ちる。
体の震えが止まらない。不規則に息を吐く音と、身震いが妙にリンクしている。両手で膝を抱え、顔を伏せる。
「さむいよぅ……」
こんな所で一晩過ごさなければならないなんて、どうしてもっと計画的に事を運べなかったのだろう。何も、雨の日にこんな森の中で一晩過ごす必要も無かったはずだ。
自分の短絡的な行動が、こんな結果を招いてしまった。反省した。でも、いまさらどうすることも出来ない。
指先で顔を拭い、目を開く。やっぱり、何も見えない。目がその機能を失ったかのように、真っ暗な空間が広がっている。どちらを向いても同じだった。右も左も、黒い闇。雨の音だけが耳に入る。そのおかげでここが現実の世界だとわかる。
でも、闇はどこまでも広がっていて、自分は二度と太陽の光を見ることができないと、不安が鎌首をもたげてくる。
少し前、引きこもりをしていた時と同じだ。
違うのは、ひきこもり時代は四方を壁で囲まれていた。照明を点けることなく、朝から晩まで暗い部屋の中。今聞こえている雨音は、時々しか聞こえなかった。
時々精神科医が往診に来る以外、外からの情報は何も無かった。
テレビも新聞も見なかった。
パソコンは持っていない。四畳半の狭い世界で過ごす日常。
何日、こもっていたんだろう。
家族は声をかけてこなくなった。
往診に来ていた医者も来なくなった。そういえば、親が断っていたような気がする。
自分は世界から孤立している。ドアを開けることは出来る。親はドアの外に食事を置いてくれる。でも、部屋の外へ一歩踏み出すための勇気が出ない。
姉は九州でもレベルの高い大学を卒業、家を出て自立し、それなりの仕事についている。もうすぐ結婚するとかしないとか、そんな話も耳に入ってくる。
そのときと今は似ている。
自分がいる空間は、今は広い。
その気になればどこへでもいける。しかし、自分を受け容れてくれる場所は、ない。
世界は自分を必要とせず、人間関係の輪の中に入って行けず、いつも弾かれている。それは、これからも続く。そして、事態が好転することは絶対にない。
「さむいよぅ……」
雨は降り続いていた。髪をぬらし、顔をぬらし、体温を奪っていく。いつの間にか泣いていた。涙が流れたのに気がつかなかった。
「さむいよぅ……さむいよぅ……さむいよぅ……」




