現場到着 3-2
部屋の外では、ケガ人が次々と担架で運ばれていった。
稲垣が重く口を開く。
「今、署を上げて行方を追っています。時間の問題と思います」
取調べの議事録を読み終えた。
今井刑事とHとの会話が鮮明に残っていた。残念なことにHによる取調室内での暴行の様子がわからない。
今井刑事かレイプ犯の生き残りである大友のどちらかが戻ってくれば、Hがどれだけ強いのか、そしてどれほど凶暴なのか、その様子がわかるというのに。
細かいこと。だが、そういった小さな情報の積み重ねが逮捕につながるというのに……。
里緒は背もたれによりかり、天井を向いて息をついた。
「Hの顔写真みたいなの、無いかな?」
「免許証を預かっていますので、それを部下に持って来させます。取調室も見て見ますか?」
迎刑事はバリトンの声で、ゆっくりと言った。
里緒はうなずき、Hの取調室に案内された。
既に重態の体、または死体を引き取ってもらったあとだった。むっとするような鼻につく匂いは消えているが、暗いコンクリートに付着した血の跡は拭い去れるものではなかったらしい。
里緒は思わず鼻に拳を当てた。
Hが暴れたのは間違いない。
しかし、Hという人物がどれほどのものだろう、こう里緒は考えた。
警察官を何人か再起不能にしたのは確かだろう。でも、それだけで、福岡県警を敵に回したと考えるのは早計だろうか。
一人の警察官が入ってきた。何かを持っていた。
Hの免許証である。
「これは……」
里緒は免許証を見てすぐ呟いた。免許証に写っていたのは、ごく普通の、大人しめの女性。少し大きめのメガネをかけ、髪は首の後ろでひっつめに結んでいる。輪郭は少し丸みを帯び、口元には何の表情も浮かんでいない。少なくとも、事件を起こしそうに無い人物に見えた。
しかし名前は『H』
「……?」
「氷高先生、どうしました?」
「どこかで見たことない?」
里緒は稲垣と迎に免許証を見せてみる。二人は食い入るように見つめていたが、彼らはほぼ同時に首を横に振った。
そのとき、一人の警察官が入ってきた。
「失礼します。婦警のロッカーが破壊され、制服がなくなっております」
「こんなときに、何言ってるんだ」
迎が苦々しく答える。警察官は反射的に頭を下げて部屋から出て行こうとした。しかし、それより早く里緒が呼び止めた。
「ロッカーが破壊されたって言ったけど、どんな具合に?」
「どうって、ドアの部分が大きくへこんでいて」
「蹴り破られたみたいに?」
「そうです。それから無理矢理こじ開けられたみたいに、ドアが歪み、大きな隙間が開いています」
「その隙間から、手が入りそう?」
「はい」
里緒は警察官に礼を言うと、迎と稲垣に向き直る。
「そのロッカーを調べて。Hがやったのかもしれない」
「Hが?」
「稲垣君。ここに来るときに婦警の死体を見たでしょ? 心臓を銃で撃ちぬかれた、あの。その近くに何かにこすれた黒い汚れがあったの、覚えてる?」
「いえ……」
「あれは多分、ブレーキの跡だよ。Hは銃を奪って、取調室から逃げた。偶然か故意か知らないけど、女子更衣室に入った。そこでロッカーを蹴破って婦警の制服を盗み、着替えた。そして、混乱する警察署からうまく抜け出し、外に出た」
「なるほど、取調室から容疑者が逃げて、署内が混乱している隙に、ですね」
迎が口を挟む。その発言に対し、里緒がうなずいた。
「外に出て、そのときちょうど帰ってきたパトカーがあったのかもしれない……来るまで隠れていたのかもしれないけど……そこへ出て行って、警察手帳を見せながらパトカーをとめた」
「しかし、部外者ですよ、Hは。そんな簡単に」
「外は強い雨が降っていて、視界が悪かった。さらに署内でちょっとやばいことが起こっているらしい。パトカーを運転している婦警は、自分の前に現れた婦警を、Hの変装だとわからなかった。制服着ているし、警察手帳みたいなものも持っている。そのせいで一瞬同僚に見えたのかもしれないね。それで急ブレーキをかけた」
「しかし、氷高先生。そうかもしれませんが、Hは女性ですよ。あまりに都合よくありませんか?」
里緒は首を振った。そして横にのけておいた議事録を稲垣と迎に見せた。




