脱走 2-4
生き残りは体を固くした。
Hが生き残りを見た。動揺していた。愚かにもHに襲い掛かろうとした六人組の最後の一人……他の五人はHによって殺された……が自分に怯え、取調室の壁に張り付いている。
「どうなの?」
生き残りの表情にはHに殺される恐怖というより、問いかけられたことに対する答えが無いことが見て取れた。
「ないの?」
「いえ! そんなことは」
「いいのよ。どうせ忘れているだろうから、でも」
Hは生き残りに近寄る。生き残りは肩に緊張を走らせた。
一方、Hは肩を揺らし、生き残りの髪をつかむ。その顔には薄笑いが浮かんでいた。
「あなた、許しておかないから」
「え?」
「私を、襲ったでしょ?」
Hに再び怒りが沸き起こってきた。
今、Hは生き残りの襟首をつかんでいるが、それだけでHの怒りは倍増してきた。
生き残りはHの手を振り払った。そして頭を下げ、Hに謝罪を繰り返す。
「そのことは、すみませんでした。どうか許してください。なんでもしますから。後は、あとは……」
「何だ!」
Hが手にしている警棒は折れ曲がっていた。
だがHはまったく気にする素振りを見せなかった。警棒を逆手に持ち、生き残りの後頭部や背中に先端を突き立てるように、振り下ろした。
「あは、あはは、あははははははは」
Hの哄笑は止まらなかった。生き残りの顔色が悪くなったであろうことは、簡単に想像できた。
「あっははは、どうしたどうした? もう終わりかなぁ?」
警棒が生き残りの後頭部を強打し、彼はコンクリートの床に突っ伏し、額を床に打ち付けた。Hは警棒を投げ捨てると、生き残りの髪をつかみ、乱暴に引っ張る。生き残りは膝をついたまま、立とうとしなかった。もう片方の手で生き残りのあごをつかみ、無理矢理顔を上に向ける。目を開けろ、と怒鳴る。しかし奴は目を閉じ、顔をそらした。その態度にHは怒り、両手で生き残りの髪をつかむと、鼻面を蹴り上げた。
「ぐあっ、ああああぁぁっ」
生き残りは両手で顔を覆い、流れてくる鼻血と口からの血を手のひらで受けていた。その状態でHは彼の顔をつかみ、自らの方へと向けさせた。
「質問に答えて」
返事がこない。
Hは歯を食いしばり、眉間にも深いしわを刻んだ。歯がぎりぎりと音を立てた。
「答えろ!」
生き残りの鼻面に頭突きを一撃。そして、生き残りの髪をつかんで、床に叩き下ろす。わずかにバウンドした体に向かって、Hは下から蹴り上げた。足もそれほど筋肉のない、普通の二十代女性の足だが……平均よりも少し太いかもしれないが……それが、生き残りの体を大きくのけぞらせ、うつ伏せから仰向けにしてしまった。上を向いた、つまりHに顔を見せた状態になった生き残りは、Hの拳を喉元に食らった。
Hは生き残りを無理矢理引き立たせた。
「答えなさい」
「はい」
弱弱しい声だった。聞かれたことに答えないからと、ますます激しく怒鳴りつけられたこともあった。だから、質問に答えないことは、ありえなかった。そのせいで、時に暴力もふるわれた。それなのに、自分が「なぜ」と聞いたときに答えないのは、許せなかった。どう言おうかと考えているときに、相手が急に怒り出し、激しい怒りをぶつけてくることもあった。
だから、許さなかった。自分が聞いているのに、口を閉ざし、質問に答えないなど、まったく許せないことだった。
「名前は?」
「大友、です」
「何歳?」
「十八歳です」
「未成年なの。どうして私を襲おうと思った?」
「リーダーの小沢さんが言い出して、逆らえなかったんです」
情けない声だ。
「やめようとは、言わなかった?」
返事がない。Hは続けた。
「何人、やってきた?」
また返事がない。今度は首を両手でつかむ。その手に力をこめ、ねじりあげる。大友は自分の腕に手をかけ、抵抗を試みるが、首筋に指が食い込んでいくのがわかる。そこで、Hは再び同じ質問を繰り返す。そこでやっと、答えが来た。
「よ、にん……で、す」
「そう。その子達に悪いとは思わなかった?」
「う、運が。悪かった……ん、です」
Hは口端を吊り上げ、笑顔を作った。大友は声を絞り出していた。彼の口からはヒューヒュー、ぜぇぜぇ、という音が漏れていた。
Hの口から息が吐き出される。そのとき、彼女の口から笑い声に似た声が発せられていた。
「は、ははは、はっはっははは。それじゃ、あなた達が私を選んだことも、運だというのね。ということは、私みたいなのに捕まったのも、あなたたちの運が悪かったから?」
大友の首に食い込む指に、ますます力が入る。
「ふざけないでよ。私に、あんなことをするほうが悪いんでしょ? それとも、自分たちは何のお咎め無しだと思っていた?」




