脱走 2-1
今井刑事は椅子から立ち上がり、後ろに下がった。
机は大きな音を立て、裏返しになった。真正面からHが掴みかかってくるのが見える。
今井はとっさに身構えた。
警察官は柔道、剣道、護身術、逮捕術などを習う。
当然、今井刑事も例外ではない。それらは、犯人逮捕に必要な技術であり、警察学校でも必須科目である。
そして、この今井刑事も女性であるが、柔道の黒帯だった。
一瞬のことで驚いたが、すぐに平静さを取り戻し、Hの動きを見た。
素早いが、隙だらけ。
刑事はHに向かって手を伸ばした。Hの両腕の間を縫い、Hの顔に向かってまっすぐ。そして、Hの襟をつかんだ。
しかし、思わぬところに痛みを感じ、今井は動きを止め、目を閉じた。痛みは小指のつま先からだった。
足を踏まれた!
襟をつかんだ腕は逆にからめとられ、上から体重をかけられた。
本当に女性の力なのか。
手は襟を放したが、自分の肘にはHが腕をかけ、さらにねじりあげられた。肘は簡単に壊された。
そのあと、Hは痛みで悲鳴をかみ殺している今井の髪をつかみ、軽く上に引き上げる。
Hが振り上げた膝が、うまく今井の口が当たる。
「ぶっ!」
もう一度繰り返す。
今度は鼻に当たった。鈍い振動と生暖かい粘液が皮膚に付着した。
書記の警察官はやめろと叫んだが、Hは無視した。今井は後ろの壁に押し付けられ、腹部に膝蹴りを受けた。Hは今井のポケットを探り、手錠のかぎと銃を取り出し、床に落とした。
そして、肩までの髪をつかまれ、引っ張られると、力なくHにやられるがままに動いた。乱れた髪からは、まだ光の消えない瞳が覗いていた。
Hは冷笑した。刑事の髪をつかんだまま腹部を蹴り上げる。
今井の体が一瞬『く』の字に折れ曲がる。そしてHは手を離し、今度は足を高く上げ、刑事の頭を蹴った。顔が大きく横に回り、吹き飛ばされていく。
後ろにいる警察官は呆然と口をあけたまま、警棒を両手で握り、たたずんでいる。
手錠を外し、銃を拾う。名前の知らない小型銃だ。どうせならSの持っていた大きな銃が欲しいが、無理だろう。
「何?」
拳銃を構える警察官に向かって、Hは言った。
警察官の拳銃は震えていた。笑い声を漏らし、Hは鍵を拾い、手錠を外す。
「う、動くな!」
警察官は怒鳴った。Hが一瞬動きを止めた。手錠の鍵を捨てるか、と思い銃を下ろしかけた。
しかし、Hは平然と手錠を外す。手錠は何も拘束していない状態で、鍵がかけられた。
今井が正気を取り戻し、Hに声をかける。
「それで、何をする気なの?」
「うるさいなぁ」
イラついた声で返事を返す。手錠を軽く振った。小さいが鋭い風きり音が聞こえた。Hは手錠をしまい、警察官につめよる。
「止まれ、止まらないと……」
「何なの?」
Hは手を警察官の首に伸ばし、爪を立てた。
「私は急ぐの。つまらないこと言わないでくれるかな?」




