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第六話



大衆居酒屋は今日も繁盛している。

が、最近店内の雰囲気があまり良くないらしい。

良くないというか、それは全体ではなくごく一部のテーブルだけなのだが。



「シュー!ちょっと来て!」

「はいはい!お待たせ、どうしました?」

アシュリーを呼んだのは、ここ半年ほど通ってくれている五つ年上の女性で、名をレオナという。

常連客の中では一番年が近く、アシュリーもアイラも彼女を姉のように慕っている。

アシュリーが寄っていくと、レオナは眉をしかめて声を落とした。


「あのさあ、一昨日からあの人たちなんなの?入ってきてから出ていくまで、ずーーーーーーっとアンタと互いのテーブル睨んでるじゃん!」

「いやあ…色々あって……」



苦笑いしながらアシュリーはちらと視線を向けた。

窓際の席にいる二人組の女性と、その隣の席にいるこちらも二人組の女性。

彼女達は数日前から毎晩、店に来て食事をしている。

それは店としては非常に喜ばしいことなのだが、それを差し引いても明らかに挙動が怪しいのだ。

何かというと、注文の時も食べている時も勘定の時も店を後にする時も、親の仇と言わんばかりの鋭い視線を──もはや殺気を──アシュリーと、それから互いのテーブルに座る相手にぶつけてくること。

その剣呑さはまさに異様で、最近ここの雰囲気が良くないと言われる元凶でもあった。

現に今も、射殺さんばかりに凝視してくる。怖い。



「あの人たち、どっちもシューのこと嫌ってんの?」

「アイラやおかみさんには普通に接しているから、たぶん?」

「ふーん。なんでわざわざシューのいる時に来て、食事して帰っていくんだろうね。しかも図ったように。面倒ったらありゃしないだろ」

「まあ、元を糺せばあの態度は私のせいと言えなくもないので…」

「そうなの?でもあれ、営業妨害で追い出してもいいと思う。ふつーにおっかない」

「すみません…」

「シューが謝る必要ないんだって!」

後でジュース飲んでいいから、とばしんと背を叩かれて、アシュリーはまた苦笑いで返すのだった。






事は一週間前に遡る。

その日、いつものように王立魔力鑑定機関別館に向かっていたアシュリーは、ちょうど別館の目の前の通りで女性二人に声を掛けられた。


「ちょっと、そこの貴女。お待ちなさいな」


アシュリーはそれが自分に向けられた声であることを確認して、訝しげにその女性二人を見る。

二人はアシュリーより年上のようで、身に着けている服はいずれも上質な素材だ。

だが令嬢ほど華やかな装いではなく、質素に纏めている。

どこぞの令嬢付きの侍女だろうか、そう予想しながらアシュリーは二人からの言葉を待つ。



「貴女、最近オーウェン子爵と随分親しくしているようね。──身の程も弁えず」

「…?」

アシュリーは首を傾げた。

爵位を持つ者の知り合いなど、アシュリーにはいない。…おそらく爵位を持っているであろう人物にいくらか心当たりはあるが。

「…失礼ですが、貴女様はどちらのご令嬢の…?」

「…あら、学のない平民でも貴族に対する最低限の言葉遣いくらいは心得ておりますのね。わたくし達はオーウェン子爵の婚約者である、さる高貴なご令嬢に仕えておりますのよ。愛するご主人様が徒に心を痛めることのないよう、貴女に今一度きちんと身の程を教えて差し上げるためにわざわざ出向いてまいりましたの」

目の前の二人は、頭から爪先までじろじろと値踏みするようにこちらを睨めつけている。

傍から見れば完全に、貴族子女に絡まれている哀れな一般市民である。

近くを通り過ぎようとした人たちは静かに向きを変えて足を速め、だが遠巻きにこちらに目を向けている。


触らぬ貴族に何とやら。

自分が蚊帳の外であったら恐らく同じことをしただろうと思うので、アシュリーは特に気にしない。

と、二人の肩の向こうに停まっている馬車に目が留まった。

御者が気まずそうにこちらの様子を窺っているところを見るに、この二人はあの馬車で来たらしい。

あの家紋には朧げだが覚えがある。

…レイス伯爵家。となると…一人娘であるシャーロット様の侍女か。



「貴女、聞いておりますの?それともお耳が遠いのかしら?」

苛立ちを隠さない女性の声に、アシュリーはこっそり溜息をついて頭を深く下げた。

「大変失礼いたしました。…ご忠告恐れ入ります。貴女様方の仰るオーウェン子爵のことは存じませんが…」

「知らないはずないでしょう!?いつもこの魔力鑑定機関に出入りして、子爵に馴れ馴れしく話しかけていることはとっくに知っているのよ!」

急にくわっと声を荒げられたことにこそ面食らったが、アシュリーは努めて冷静に返す。


「…こちらにて恐れ多くもご挨拶をさせて頂いている方はいらっしゃいますが、なるほど、お話を聞く限りその方がオーウェン子爵でございましたか。私のような平民からはお名前を伺うことなどとてもできませんので、先ほどのご質問には答えかねました。…であれば、神に誓って申し上げます。貴女様方が仰ったような不埒な考えを子爵に対して抱くことは一切ございません。もし誓いを違えれば、その際の処罰は如何様にも。…婚約者様に、どうぞそのようにお伝えくださいませ」

滔々と述べるアシュリーを見て、二人は顔をしかめるとフンと鼻を鳴らした。

「…言葉遣いは心得ていても、その不遜な態度は隠しきれないようね。さすが、市井でお育ちになった品のない奔放さだわ」

「ご自分が誰を相手にしているか、きちんとお分かりになっておられないのではなくて?これだから平民の女狐は。どうせ展示など目もくれず、浅ましく尻尾を振って媚を売るためだけにあそこに足を運んでいるんでしょう」

最後の一言はアシュリーの逆鱗に触れた。

顔から表情の一切を消し、ただじっと目の前の女性達を見据える。

その視線に思わずたじろいだ二人に、ふうと小さく息をついてアシュリーは冷ややかに切り捨てた。



「恐れながら、私はまさしく宝石を鑑賞するために大展示室に通っております。疑わしいと思われるのでしたら、どうぞかの子爵やほかの騎士様に直接ご確認くださいませ。それから、語弊を恐れずに申し上げて良いのなら──真面目に務めを果たしている最中の殿方に“媚を売る”などという発想にそもそも至りません。特に王国騎士団の務めは、時に国王陛下より直接命を賜り、そして貴賤を問わず国の民のために常に尽力される誇り高きもの。それを私的な目的の為に敢えて邪魔し、お手を煩わせるという行為は到底許されるべきことではないと、いくら平民風情といえどしっかりと弁えております」


「貴女様方と違って」と付け足すのはさすがに止めたが、意趣返しは充分に通用したらしい。

一人はぷるぷると震え、怒りのあまり言葉も出ないようだ。

そしてもう一人も同じような真っ赤な顔で、唸るように返してくる。


「…貴族に対して考えなしの態度をお取りにならない方が、取るに足らない平民である貴女の為ですわよ?わたくし達は貴女の為にわざわざ忠告しているのです」

「貴族たる貴女様方より直にご教授頂き、大変恐れ入ります。私、『あなたの為』を免罪符にすれば相手の眼前で堂々と蔑み嫌味を言っても構わないという教育は生まれてこの方受けておりませんでしたので、非常に勉強になりました」

アシュリーはそう言って頭を下げた。

二人は頂点を超えた怒りからかそれともただ呆然としているのか、言葉を失っている。

「それから、誰とも知れぬ者の往来のある道ではどうぞお気を付けくださいませ。身分をひけらかすような声高な振る舞いは不名誉な噂を生み、ひいては御家の、そしてご令嬢の輝かしい将来に要らぬ影を差すものではないかと、僭越ながら愚考いたします」

「……なんて、なんて生意気な小娘!口を慎みなさい!」

怒髪天を衝く勢いのまま手を振り上げた侍女を止めたのは、場に合わない軽やかな声だった。




「おや、ダリアにフィーネ。シャーロット嬢のお使いか?」



別館から出て来たらしい、ジャンと一人の騎士がこちらに足を向けている。

「し、子爵!」

ダリアとフィーネと呼ばれた二人は血相を変え、慌ててアシュリーから一歩足を引いて頭を下げる。

アシュリーも黙ってジャンに頭を下げた。

ジャンは構わず二人に話を続ける。

「ああ、頭を上げてくれ。最近、シャーロット嬢のところになかなか足を向けられていなくてすまないね。シャーロット嬢に寂しい思いをさせてしまうことが心苦しいのだが、これも任務故どうか許してほしい」

「滅相もございません…!お時間を作ってお手紙を頂けるだけで幸せなのだと、お嬢様はわたくし共によくお話しくださいます。どうぞお気になさらず…」

「そうか、そう言ってくれるとありがたい。…ところで、彼女に何を?」

ジャンがアシュリーを一瞥して問うが、ダリアとフィーネは青い顔をして言いあぐねている。


「…恐れながら騎士様。私に発言の許可を頂けますか」

「許そう」

「ありがとうございます。…実は、こちらのお二方に私が失礼をしてしまいまして。その件について、お気をつけなさいとの寛大なお言葉を以てお許しを頂いたところでございます」

しおらしい表情でアシュリーがそう言うと、ジャンは目を丸くし、ダリアとフィーネはぽかんと口を開けた。

それほどまでに予想外だったのだろうか、毒気を抜かれた顔をしている。

「…そうなのか?ダリア、フィーネ」

「え、ええ、そこな娘の申す通りにございます」

「はい。では、わたくし達はこれで…御前失礼いたしますわ」

こそこそと逃げるように踵を返した彼女たちは慌てて馬車に乗り込み、その馬車が角を曲がって見えなくなる。




それを見ていたジャンは、アシュリーを気づかわしげに見やる。

「アシュリー嬢、」

「お話の中から推測するに、オーウェン子爵の婚約者であらせられるご令嬢の侍女方とお見受けしましたので。ご令嬢が要らぬ心配をなされることのないよう僭越ながら穏便に事を収めさせて頂いた次第でございます。故に子爵やご令嬢のお手を煩わせるようなことは、何も」


言外に何かあったことは仄めかしたが、さりとて嘘は言っていない。

彼女たちに対するむかっ腹は未だに立っている(し、きっちりやり返した自覚もある)が、ジャンやその婚約者が迷惑を被るような事態に発展するのはアシュリーとしても望むところではないのだ。

アシュリーが再び一礼すると、ジャンは困ったように頬を掻く。

「はは、これは参った。そう言われてはこちらも何も言えない。アシュリー嬢、すまないね」

「いいえ。ジャン様こそ、騒ぎに気付いてわざわざ出てきてくださったのでしょう?こちらこそ、お手数をおかけして申し訳ございません」



ジャンが口を開く前に、近くにまた馬車が停まった。



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