第五話
ぎらりと光った切っ先が少女の胸に吸い込まれるかに見えた瞬間。
カン、と鋭い音が響くとともに行き場を失った刃物は、あっけなく地面に転がっていった。
いつの間にか少女の横に立っている男の持つ盾によって、少女を狙った刃物は弾かれた。
それが男に分かったのは、唐突に腕を掴まれたかと思うとあっという間に地面に倒され後ろ手に縛られた後のこと。
「な!?王国騎士団!?なぜ…」
自分を縛る男たち、そして盾を構えたまま自分を見下ろしている目の前の男の正体を知り、男は呆然とした。
王国騎士団の所属を表す腕章と、更に隊の上に立つ者のみに与えられる左胸の刺繍。
緊急任務中であることを示す制服を纏ったジャンはアシュリーとアイラを庇ったまま盾を下ろすと、冷たく告げた。
「サイモン・クラーク。ファムパルジュに関する重罪、並びに詐欺行為の自白。そして殺人未遂の現行犯で捕縛する。後ほど詳しく話を聞かせてもらおう──連れていけ」
サイモンはもごもごと体を捩り拘束を解こうともがいていたが、やがて観念したのか大人しくなる。
引っ立てられていく男の後姿を、アシュリーは憮然とした顔で見送った。
「ほんとにお粗末だったわ。よくもまあ図々しくも宝石商なんて名乗れたこと」
「ほんとにねぇ。もう少しうまくやるもんじゃないのかしら。…うまくやられた私が言うのも何だけど」
ジャンは盾を隊員に預けていくつか指示を出した後、アシュリーとアイラに向き直った。
「アシュリー嬢、アイラ嬢。お怪我はありませんか」
「大丈夫です。アイラも無事で」
「それは良かった。…お二人とも、ご協力頂き感謝します。おかげで捕縛できました」
礼を言われ、アシュリーは嬉しさを隠しきれずにっこりと笑う。
しかし、次いで出たジャンの言葉に、綻んだ顔はびしりと固まった。
「が、逆上するほどに完膚なきまで叩きのめすとは思いませんでした。アシュリー嬢、追い詰められれば突拍子もなく危害を加える可能性があるのだからくれぐれも気を付けるようにと、私からもライズからも昨日確かにお伝えしたはずですが?」
「う…ごめんなさい」
ジャンは溜息をついて額を押さえた。
「さすがに肝が冷えました。…軽率に貴女の提案に乗った私の責任でもありますし、実際に貴女方は無事で彼も捕縛できましたから、貴女のことを責めは出来ませんが…」
「申し開きのしようもございません…」
「市民の安全を守るためにも、犯罪者の捕縛はもちろん大事です。ですが、そのために一般市民を危機に晒すことは、王国騎士団に身を置く者として捕縛に失敗するよりも恥ずべき行為なのです。…ご理解ください」
「はい。出過ぎた真似をいたしました。申し訳ございません、ジャン様」
素直に頭を下げると、ジャンは苦笑いで「助かったのは本当ですよ。ありがとう」と添えてくれた。
「とはいえ。もし今後何か相談を受けたとしても、自分を犠牲にするような提案は一切受け付けませんよ」
「内容はともかく、今後も遠慮なく相談して良いとのこと、ありがとうございます」
「内容はともかく、とても好意的な解釈をありがとうございます。…さて、アイラ嬢にはこちらを」
そう言って、ジャンは小さな布袋をアイラに差し出した。
ずっしりと重いその中を開くと、そこには銀貨が入っている。
「被害に遭った銀貨八十枚です。本来はあの男から償わせるべきなのですが──先立った情報と証拠品の提供により迅速な捕縛に繋がったとして、損害賠償の肩代わりという名目で王立魔力鑑定機関より預かっております。ご確認ください」
「まあ…御礼のしようもありません…ありがとうございます…!」
アイラはおずおずとジャンから袋を受け取ると、泣きそうな顔で胸に抱いた。
念のため多少の事情聴取を受けた後でジャンと別れる。
アイラはジャンの容姿が好みだったらしく、きゃあきゃあとはしゃいでアシュリーに語っていた。
「魔力鑑定機関に知り合いがいるっていうから何かと思ったら、まさか王国騎士団の隊長様とお知り合いだったなんて!アシュリー、どうやってお近づきになったのよ?」
「え…展示室に通ってたら顔を覚えられて、それから世間話程度はするようになったけど」
「えー!ジャン様に顔を覚えられて話しかけられたってことでしょ!?いいなあ…どうしてアシュリーのこと覚えたのかしら…」
「どうもこうも、暇さえあれば展示室に駆け込んでは宝石に釘付けの怪しい女だと思われてたんでしょ」
「ああ、珍獣扱い。分かる分かる」
「…あのねえ…」
「でも距離感気をつけなよー。王国騎士団所属、しかも隊長。その上容姿端麗ときたら絶対婚約者様か奥様がいらっしゃるでしょ。あんまり馴れ馴れしくしてるといつか勘違いで刺されるよ」
「ああ…そうね、確かにそうだわ」
そういえば盲点だった。
アシュリーは平民である。もちろん婚約者なんてのもいない。
自分に縁のないことはどうしても気を回しづらいものだ。
相手が気にしないのでこちらも遠慮しなかったものの、少しばかり遠慮しなさすぎたかもしれないな…とアシュリーはこれまでの言動を思い返して多少反省した。
巷では平民女性がひょんなことから高位貴族(もしくは王族)の男性に見初められ、その男性の婚約者でもある高位貴族令嬢からの度重なる嫌がらせに屈することなく男性との愛を育み、やがて二人は皆に祝福され結ばれる──なんていう話が流行しているらしいが、少なくともアシュリーは「あれはあれ、これはこれ」というスタンスを保っている。
だが、それを現実と混同してしまう平民も、もちろん貴族もいるのだ。アシュリーにとっては驚くべきことに。
そうなると、婚約者を持つ令嬢なんかはあまりいい気分ではないだろう。
仮に令嬢自身が気にしておらずとも、周囲の人間が鵜呑みにして余計な世話を焼いたり、誰彼構わず警戒したりなんかすれば、それはそれで噂や憶測を呼び、それまで保ってきた人間関係に綻びが生じる。
すると結局迷惑を被るのは令嬢自身だったりするのだ。
「本人の為に良かれと思って」は往々にして、本人に良くない結果をもたらす。
まあ、若干話が逸れたが。
確かに、平民という身分では到底手の届かない雲の上のお人には違いない。
本人にもその周囲の人間にも、要らぬ不興を買わない程度には礼節を保っておかねば。
機嫌よく隣を歩くアイラを見て、アシュリーはふと訊いてみる。
「アイラって格好いい!ってさんざん騒ぎはするけど、そこはあわよくば自分が、とはならないのね。意外と」
「なる訳ないじゃない。あれだけのお方ならきっと女なんて選り取り見取りでしょ、あえてこんなド平民を選ぶ必要がどこにあるの?むしろそこで本当に選ばれでもしたら、嬉しいより先にトチ狂ってんなって思うわ」
「辛辣」
「そういう夢は見ない主義なの」
「なるほどね?」
アイラもアシュリーと同じスタンスだったようだ。
二人はどちらからともなく噴き出すと、笑いながら店までの道を戻っていった。
同じ頃、王立魔力鑑定機関別館二階。
先日アシュリーが通された小会議室では、ライズがソファに座って、テーブルに置いてある耳飾りを弄っていた。
そこには耳飾りだけでなく、腕輪も数本置いてある。
いずれも、先ほどまでアシュリーが身に着けていたものだ。
ノックの音がして、制服の上着を脱いだジャンが入ってくる。
「ライズ様」
ジャンの呼びかけに返事はない。
「…?ああ、再生中か」
ひとり呟くと、ライズの正面に腰を下ろす。
そこでライズはようやく、ジャンが戻ってきたことに気づいたのだった。
耳飾りをトントンと叩いて、ライズはジャンに労いの言葉をかける。
「お疲れ。よくやってくれた」
「ありがとうございます。首尾はいかがですか?」
「上々だ。耳飾りの方は音を綺麗に拾えているし、こちらはもうすぐ実用化出来そうだな」
「そうですか、良かったです」
「ただ、腕輪の方は画像が不鮮明だ。あと、やはり腕は動かさないと不自然だからか、なかなかピントが合わないな…アシュリー嬢はなるべく対峙する相手が映るように気を回してくれていたようだが、振動が直接影響するから顔の判別までは難しい」
「ならば次は入れ物を変えましょう。ネックレスやチョーカー、ボタンなどに組み込めるよう」
「ああ、そうだね。そうしてみよう」
耳飾りと腕輪、それは魔道具のひとつだった。
魔力を利用し、耳飾りは一定時間の音を、腕輪は一定時間の映像を、それぞれ記録するようこの魔力鑑定機関で開発された。
今回、ジャンとライズは実験的にアシュリーにそれを持たせ、記録が正常に行われるかを試していたのだ。
それは皮肉にもサイモンの予想通りのものであったのだが、サイモンがその存在をうっすらと嗅ぎつけていたことを二人はまだ知らない。
それにしても、とライズは思い出し笑いをした。
「全く素晴らしい立ち回りだったね。ジャンの出る幕は本当に最後までなかった訳だ」
「笑い事じゃありませんよ…聞いたのならお分かりかと思いますが、まあ煽る煽る。待機している我々の方が冷や汗をかきました。令嬢方の茶会に一人放り込まれたかと思ったほど」
「いいじゃないか。それくらい強かでないと、特に女性は…それよりジャンが出てきたときはおおっと思ったよ。まさしく令嬢の危機に颯爽と駆け付ける騎士。かっこいいね」
「笑い事ではありません。判断を少しでも間違えていたら、アシュリー嬢に大怪我を負わせていたのですから」
「もちろんそれは承知しているとも。…うん…そういえば……おや……?」
ライズの言葉が途切れ、怪訝そうな顔になる。
耳飾りをトンと叩き、聞こえてくる音声を確認していくライズの様子を見て、ジャンも首を傾げた。
「どうなさいましたか?」
「……バルディアナ商会のトップが女性だって、僕かジャンのどっちでもいいけど、彼女に言ったかな?」
「…バルディアナ商会の代表がファムパルジュ売買の許可を正式に王家から得ている話は確かに出ましたが、代表が男性か女性かまでは言及しませんでしたね」
二人は顔を見合わせた。
ライズの耳にちょうど、あの場で発したアシュリーの声が再生される。
『これ、よく偽造されていますわね。大方、本物の許可証は母君のものを真似たのでしょうが…』
「許可証の偽造元がサイモンの母君のものだと、彼女はなぜ分かったのだろう…?」
その疑問に、答えられる者はいない。